第90話 あっ、終わった
フーカがフィリスの町に居たのは、“不死のエナリア”で負った傷の療養をしていたからだ。魔物の攻撃を受けたアミスと衝突してしまったフーカは、頭部を打撲。また、全身を強く打っていたために、フィリスの病院で治療を受けていたのだった。
そんなフーカにとって大変だったのは、実は怪我の治療そのものではない。
『嫌よ。フーカがこうなってしまったのは私の責任じゃない。絶対に帰らないわ』
そう言って王都に帰ろうとしないアミスをなだめる方が大変だった。
なにせアミスは光輪の組合長でもあり、この国の王女でもあるのだ。彼女の不在で滞ってしまう業務も公務も計り知れない。側近とはいえ、市民でしかない自分1人のためにアミスを拘束するなど、それこそ側近として、フーカが許せるはずもなかった。
結局、1日に渡る長い説得により、アミスは折れてくれた。
『フーカ! 毎晩、眠る前に必ず連絡します!』
『アミス。その頃にはきっと、病院は消灯している。通話は他の患者に迷惑だろう?』
『うっ……。正論ばかりのレーナなんて嫌いです! ああ、フーカ……。フーカ~っ!』
半ばレーナに引きずられるような形で病室を出て行ったアミスのことを思い出し、フーカは寝台の上で何度笑みをこぼしたものだろうか。
部下を愛し、だからこそ部下から愛される。
天真爛漫が服を着て歩いているような主人のもとへいち早く帰ることができるよう、フーカは1人回復に努めていた。
そうして3週間が経った頃。ようやくフーカは経過観察を終えて退院することができた。
にもかかわらず彼女が民宿を借りてこの場所にとどまり続けていたのは、茶髪の少女によって誘拐されたファイの行方が未だ掴めていなかったからだ。
現状、ファイが他国に渡ったという情報も、見つかったという情報も聞いていない。つまり、茶髪の少女とファイはフィリス近郊に隠れ潜んでいる可能性もある。そう判断して、フーカはもう少し、フィリス周辺を見て回っていたのだった。
そうして、調査を始めてから1週間が経った、深夜。魔素に敏感なフーカの翅が強烈な魔素の波動を感じ取った。それこそ、フーカが飛び起きてしまうくらいに強力な魔法が、どこかで使用されたのだ。
(そういえば最近、町で薬物中毒者が魔法を乱発する事件が多いんでしたっけぇ……)
黒狼の拠点があったこの町では、麻薬が蔓延している状態にある。エグバという統率者を失った黒狼の人々が、生活のために手元にあった麻薬を無秩序に売りさばいているのだ。
治安は悪化し、夜に町を出歩く人も目に見えて減っている。
(アミス様にはご報告しましたけどぉ……)
一応、フーカも王宮に仕える者だ。憲兵とは役目が異なるが、国のために尽くす義務がある。何より、万が一にもファイが絡む事件かも知れない。
「…………。……い、一応、確認だけ」
そう思って人気のない町を歩いていれば、不用心にも広場で立ち尽くす黄色髪の少女――ファイを見つけたのだった。
フーカが10割の善意でファイを助けているのかと言われると、答えはもちろん否だ。むしろ彼女がファイの世話を焼いている理由の大半は、打算によるところが大きい。
側近として、アミスの利だけを考えなければならない立場にあるフーカ。世間知らずなファイの世話を焼き、恩を売り、最終的には自分たちの“お願い”――王国民として市民権を得てもらうこと――を聞いてもらいやすい立場を作る。
ファイの無知を利用するようで気が引けるが、公的利益の前にはフーカの意思など関係ない。全ては、アミスのために。ひいては王国のために。フーカは献身的に、ファイを支えてあげていた。
ただし、一筋縄ではいかなさそうな事情がある。それは――。
「どう、フーカ。この服、良い?」
フィリスの中心街にある洋服屋。試着室の中で服を見せびらかすファイを、前髪越しに見遣るフーカ。彼女が着ている服はフーカが見立てたものであるため、少なくともフーカが「似合わない」と思わないはずがない。
「い、いい感じですぅ、ファイさん」
「ほんと? ニナ達、褒めてくれる……かな?」
ファイの言葉に顔が強張らないように注意しながら、フーカは口で弧を描く。
「き、きっと大丈夫ですぅ。そ、それじゃあ次はこれを着てみてくださいぃ……」
「……そっか。分かった」
目隠し用の窓掛を閉めて試着室へと消えていったファイを笑顔で見送ったフーカは、フッと仕事用の表情に戻る。
(ニナさん……。それが例の茶髪の女の子、でしょうかぁ?)
これまでもファイの口から何度か聞いた『ニナ』という名前。状況から見て、ニナこそがファイを誘拐した茶髪の少女、あるいは少女の雇い主の名前なのだろう。
しかも困ったことに、ファイはニナに懐いてしまっている様子なのだ。このままでは、貴重な白髪が王国以外の者の手に渡る可能性があった。
フーカとしてはニナという少女についてもう少し踏み入って聞いてみたい。しかし、そうできない状況にある。
誘拐犯たちは、まだまだ騒ぎの渦中にあるファイをこうして町中に放り出している。髪色を変えたり髪を切ったり、特徴的な瞳を隠す色つき眼鏡をかけさせたり。そうして変装こそさせているが、見る人が見ればファイだと分かる絶妙な塩梅だ。
そこに誘拐犯たちの意図が無いと考えないフーカではない。
(恐らく、ファイさんの顔を知っている人物を釣っている感じ、ですよねぇ……)
もしそうだとするなら、フーカはまんまと釣られてしまった愚かな魚だということになる。
そして、誘拐犯がファイの顔を知る人物を探している理由など、ほとんど1つしかないようにフーカには思える。
――口封じ。
ファイという“資源”を独り占めするために、彼女を知る人物を1人でも消そうとしているのが妥当だろう。
(ふ、フーカはいつ、消されちゃうんでしょうかぁ……?)
キョロキョロと店内を見回し、誘拐犯の仲間を探すフーカ。もし迂闊なことを聞いて誘拐犯たちの不興を買えば、即刻、殺されてしまう可能性がある。
魔法も勉学も人並み以上だと自負しているフーカだが、身体能力は例外だ。同じ黒髪の人々には負けない自信があるが、黄色髪の人物以上であればもう、どうしようもないほどの力の差がある。こればかりは生まれ持った身体能力の違いだ。
可能な限り、穏便に。そのうえで、ファイの何気ない言動などから『ニナ』や誘拐犯たちの素性の情報を集めて、逐次、通信機でアミスに報告する。
もはやファイというエサに食いついてしまった自分が消されることは、フーカの中で決定事項だ。であれば、消されてしまうそれまでに、できる限りのことをしよう。そう考えたフーカが通信用の携帯端末を取り出した、その時だった。
「よぉ、嬢ちゃん」
「ちょぉっと、いいかなぁ?」
人相の悪い2人組の男が、フーカを見下ろしている。
(あっ、終わった)
早速お迎えが着てしまったのだと、フーカは腹をくくる。光輪の序列2位として、例え黄色髪以上でも1対1ならフーカもどうにかしようと頑張れる。しかし、目の前にいるのは背の高い、黄色と黄緑髪の男たちだ。
しかもフーカにとっては相性の悪い、獣人族。
ウルンの獣人族は獣化しないが、総じて身体能力が高い。また、使える魔法も身体能力を向上させるものに偏ることで知られており、身体能力で劣る黒髪のフーカにとって相性は最悪と言えた。
耳の形からして、1人は馬か驢馬。もう1人は鹿の系譜だろう。
体毛が濃いこと。耳と尻尾があること以外、顔形などは人間族と変わりない。だというのに、なぜかフーカには目の前のチンピラ2人が馬と鹿にしか見えなかった。
(まぁ、これを言っちゃうと、差別になるんでしょうけどぉ……)
ほぼ死刑宣告に等しいこの状況で、昨今、王国で話題に上がる人権について考えるフーカ。いや、あえて別のことを考えて動かないことに専念する。そうして相手が「あっ、こいつ置物なんだ」と考えるように仕向ける。これこそフーカがとっさに編み出した変わり身の術で――
「ぶるるんっ。別嬪だぜぇ、兄貴! しかも羽族!」
「ひひんっ。身体も翅も、高く売れそうだなぁ。……よっこいしょっと」
――馬耳の獣人族が、固まっているフーカを容赦なく抱え上げる。フーカの目論見が失敗に終わった瞬間だった。
目まぐるしい発展を遂げた王国だが、こうした誘拐や人身売買は後を絶たない。特にフーカのような羽族の人々は小柄で持ち運びやすく、付属品の価値も高い。そのため1、2を争うほど誘拐の被害に遭いやすい宿命にあった。
ましてやフーカは黒髪。抵抗されても大抵の人間にとって問題ない。ファイの誘拐犯の仲間かどうかは現時点で判然としないが、自身が辿るだろう運命は想像にたやすかった。
(まぁ、治安の悪い場所にフーカがとどまると決めた時点で、こうなることも覚悟でしたがぁ……)
ファイを見つけた時点で、無理やり連れて帰る選択肢もあったのだ。しかし、『ニナ』のために一生懸命お使いをこなそうとするファイを、フーカは手伝ってあげたいと思ってしまった。
生まれながらにして王女であることを強いられているアミスと、生まれながらに過酷な運命を背負わされている白髪ファイ。2人の姿がフーカの中で重なったのだ。
そして、フーカがアミスの幸せを願うように、ファイにもできるなら幸せになって欲しいと思ってしまう。だからこそ、フーカはせめてもの抵抗を試みる。
何も知らない少女がこの先、1つでも多くの幸せを見つけることができるように、できる限りの知識を授けてあげたい。
「ちょ、ちょっと待ってくださいぃ……! せめてファイさんに、お店でのお会計の仕方を教えてあげないとぉ……むぐっ!?」
「ひひんっ。騒ぐなって。どうせ無駄なんだからよぉ」
「ぶるるんっ。そうだぜぇ。大丈夫だ、悪いようにはしねぇ。たっぷりかわいがってやるからよぉ」
白昼堂々、男たちがフーカの誘拐を終える直前で。
「――なに、してるの?」
切迫した状況には不釣り合いな。ひどく平坦な声が、店内に響いた。




