第85話 お金は、すごい
ファイがエナリアに戻って、フォルンの色が4色変わろう――20日経とう――という頃。ファイは書庫で、リーゼとルゥによるお金の授業を受けていた。
というのも、ファイがエナリアで働き始めて“ある程度”の時間が経ったことで、ファイはついに初給料を手にしたのだ。しかし、封筒に入ったその金属板と紙切れを見ても、
「……?」
ファイは首をコテンと倒すことしかできない。こんなものを貰うくらいなら、ファイにとって価値がある物――お仕事が欲しい。そう言わんばかりのファイを見かねたリーゼとルゥによって、ファイの一般常識のお勉強が行なわれていた。
「お金?」
「はい、ファイ様。人はこのお金を払って、欲しいものを買ったり、売ったりできるのです」
「おー……?」
リーゼが机の上に示して見せた様々な貨幣を指先で弄ぶファイ。もちろんファイも、お金という言葉は知っている。なにせニナがいつも足りない足りないと言っているのだ。他にも資金などと言葉の形を変えて存在していることも理解していた。
ただしファイの中でお金は、“ニナにとって大切な何か”という認識でしかない。改めてお金というものの現物を見せられても、「うん?」という感想しか出てこなかった。
(けど……。なるほど)
改めて見てみれば、色も形も模様も。多種多様なものがあって、見ていて飽きない。少なくとも観賞用として、お金に価値があることはファイにも分かる。ただし、まだまだお金の実態については理解できずにいた。
「わたし達はニナちゃんの体液って言う特殊なお給料を貰ってるけど、ファイちゃんはこのお金がお給料になるの」
「お給料……」
そう言えばニナはファイを雇い入れる時にそんな単語を口にしていたと思い出す。どうやらこの金属板と紙切れが、件のお給料らしい。
(お給料が、お金。でもニナはお金が無い……。……?)
果たしてこのお金を受け取っても良いものか。自分にとっては価値のない物でもあるし、やはりニナに返すべきなのではないか。椅子に座って考え込むファイの後ろから、ルゥの説明が続く。
「えっと、この模様がウルンの1のはずだから、これが1G……ですよね、リーゼさん?」
教えているはずのルゥが自信なさげに言ったのは、現在、ファイの目の前に並べられているのがウルンの『ガルド硬貨』だからだ。それらは全て、魔獣に殺されたウルン人たちが遺していった遺品となる。ガルン人にとってはゴミ同然で、好事家が収集するだけのものでしかない。
しかしファイを雇うにあたり、ニナはわざわざこうしてウルンのお金を用意したらしかった。
「ええ、その通りですルゥ様。こちらから順に、5G、10G、50G硬貨となります」
「えっと。小さい銀色が1Gで、黄色っぽいのが5G……。覚えた。けど、リーゼ。ガルド、は、なに?」
「先ほど申し上げた通りお金で……いえ。そうではありませんね。ガルドは、お金の単位です。詳しくは存じませんが、かつてウルンの1つの大陸を治めた帝国の名前、だったはずです」
リーゼの説明をきちんと自身でかみ砕くファイ。どうやら『G』が「時間」や「週間」と同じもの――単位であることを把握する。また、その来歴が国にあるのであれば、言語と同じように色んなお金の単位があるのだろうことまで予想できた。
「もしかしなくても、ガルド以外に色んなお金がある?」
背後にいるリーゼやルゥに尋ねるファイの金色の瞳には、わずかに光が差している。ファイにとって、精緻な装飾が施されたお金はいつまでも眺めていられそうな「芸術品」だ。そんなお金が、ウルンにある国の数だけある。
さらに、もしガルンにも同じように色んなお金があるのだとしたら。そう考えるだけで、ファイの中にある好奇心はうずうずと背の高さを増す。
「もちろん! アイヘルムの硬貨だと『B』が一般的かな。紙幣だと『D』」
「しへい?」
「そう、コレコレ」
ルゥが示して見せた紙切れが、どうやら紙幣と呼ばれるものらしい。驚くことに、金属の塊である硬貨よりも紙切れの方が、価値が高いそうだ。絵を描くことよりも、固い金属に彫刻を施す方が難しそうに見えるのに、ファイとしては不思議だ。
また、ファイのお金というものへの衝撃は、それだけにとどまらない。
お金の教育が進む中で見えてきたのは、このお金というものがあらゆるものに変換できるということだ。例えば――。
「こちらの100G紙幣が、ウルンでは麦餅1つに変わります」
「……え」
一体どういう原理なのか。紙切れが食べ物に代わるとリーゼは言う。
「こっちの500G紙幣を使ったら、ファイちゃんが大好きなお菓子もたっくさん買えちゃう……と思う」
「え、え」
模様の違う紙切れは、甘いお菓子に姿を変えるらしい。にわかには信じられない現象に困惑の声を漏らしてしまうファイ。だが、もし自分の理解通りだとするなら、と、ファイは沢山数字が並んでいる紙切れ――1万G紙幣――を手に取ってみる。
「じゃ、じゃあこの紙を使ったら……」
「こ~んなにたくさんのお菓子が買えちゃうかも!」
手で大きな山を作ってみせたルゥの言動に、ファイは確信を得る。
「お金、すごい!」
ファイにとっては無限の可能性を秘めた金属片と紙切れが、目の前に数えきれないほど並んでいる。この時ようやく、ファイはお給料の偉大さを知ることになった。
「それじゃあ、早速。……えい」
山盛りのお菓子に姿を変えるという紙を握りしめて、念を込めるファイ。しかし、何も起きない。
「……? えいっ」
今度は魔法を使うときのように。たくさんの焼き菓子が詰まれている光景を思い浮かべて紙幣を掲げるファイだが、やはり何も起きない。
「? ? ?」
「え、えっと、ファイちゃん? いちおう聞くけど、何してるの?」
困惑を加速させるファイに、おずおずと言った様子で声をかけてくるルゥ。おかげでようやくファイは、冷静になることができた。
「……どうしよう、ルゥ。言われてみれば私、お金をお菓子に変える魔法、知らない」
そう言ってゆっくりとルゥを振り返ったファイの表情には、隠し切れない落胆が滲んでいた。
「……なるほど。魔法があるからこそ、ファイちゃんの中ではそうなるのか」
「何か道具がある? もしくは、魔法じゃなくてガルン人の能力? だったらルゥかリーゼ。このお金を全部お菓子に変えて欲しい」
「お、おぉう……。かつてないほどのファイちゃんの早口……。必死さが伝わってくる」
大切なお金を握りしめて懇願するファイに、若干引き気味のルゥ。そんな2人とは対照的に、どこまでも冷静だったのはリーゼだ。
「ファイ様。お金を物に変える行為。それを『お買い物』と呼びます」
お金に続いて、買い物という概念も教えられるファイ。それによれば、姿を変えるというのはたとえ話で、正確にはこのお金とモノを交換する必要があるらしい。その説明でようやく、ファイはお金のなんたるかを理解し始める。
(つまりお金は、ダメにならない食べ物の交換券)
長期間放置していると、食べ物がダメになることは知っているファイ。だからと言って、お腹に入る食べ物の量には限りがある。余った食材は、どうしても無駄になってしまう。
そんなときに登場するのがお金なのだろうと言うのがファイの予想だ。
無駄になりそうな食材を誰かにあげる代わりに、自分はこのお金を貰う。そうすれば、お腹が空いた時に余った食材を持つ人にお金を渡すことで、食べ物を分けてもらえる――買い物ができるというわけだ。
麦餅の話で言うなら、まずはお腹いっぱい麦餅を食べる。そうして手元に余った麦餅を、100G紙幣と交換する。その後、麦餅が必要になった時に、100G紙幣と麦餅を交換する。そうすれば、必要な時に必要なだけ、食べ物を分けてもらえる。
しかも余った食材をダメにする――命をないがしろにする――ことも少なくなる。
(やっぱりお金は、すごい)
命を大切につなぐための道具。それこそが、ファイにとってのお金だった。
「どうでしょうか、ファイ様。お金、お給料の大切さを、少しは理解していただけましたか?」
そんなリーゼの問いかけに、ファイはこくんと頷く。
「うん。ニナがいつも大事って言ってる意味も分かった、気がする」
「それなら良かった! それで? ファイちゃんはそのお金、何に使うの? やっぱりお菓子?」
ルゥに尋ねられたファイは、机に広げられたガルド貨幣・紙幣を封筒に戻す。そして、ニナの側近とも呼べるリーゼに渡した。
「やっぱり私には必要ない。だって私は、道具だから。何かが欲しい、は、無い。だからお金が欲しいって言うニナに、返す」
そう口では言いつつも、それはあくまでも建前だ。
ファイは、大切な主人でもあるニナのためにお金を使いたい。しかし、お金をどう使えばニナが喜んでくれるのか、ファイには分からない。だからニナに全てを預けて、好きに使って欲しかった。
ただし、それを口にすることはファイにとって心の発露になってしまう。だからこそ道具として正しい振る舞いを心掛けつつ、自身の密かな願望もかなえようとしていたのだった。
「……さっき必死でお菓子に変えようとしたくせに?」
「うっ」
じっとりとしたルゥの目線を受けわずかにたじろいでしまうファイだが、すぐに体勢を立て直す。
「……あれは実験。私が欲しかったわけじゃない」
「なるほど、そう来るんだ。けどなぁ……。ね、リーゼさん?」
「はい。その通りでしょうね、ルゥ様」
ルゥから会話の主導権を渡されたリーゼが、淡い青色の瞳をファイに向けてくる。
「ファイ様の大切なお給料。ひとまず、お預かりいたします。ですがファイ様。私にはこの先、お嬢様がファイ様にどのようなお申し付けをなさるのか。目に見えるようで仕方ありません」
「そう、なの……?」
「うんうん。ファイちゃんも相当な頑固者だけど、ニナちゃんもおんじくらい頑固だから」
訳知り顔の先輩侍女2人の言葉に、わずかに眉根を寄せるファイだった。




