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ほの暗い穴の底から“幸せ”をっ! 〜仲間に捨てられた薄幸少女剣士、異世界の少女とダンジョン経営を通して本当の“幸せ”を探す〜  作者: misaka
●こちらファイ、聞こえる?

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第84話 リーゼは、 私と同じ……!?




 警戒態勢を解くよう住民たちに伝えて欲しい。ニナからそんな通信が飛んできたのは、ファイが通信士になって2週間(10日)が経った頃だった。


 ひとまず言われた通り、エナリアの各所に連絡を入れるファイ。もはやピュレの配置も作業手順も完ぺきに記憶してしまったファイの作業は、つつがなく進む。最も上層に住む小人族の人々へと連絡を済ませるのにも、初めての頃に比べて約半分の時間で済んだのだった。


「んーーー……っ」


 大きく伸びをして、椅子から立ち上ったファイ。ふと首元から香ったのは、すえたような臭いだ。ひょっとして。そう思ったファイは、黒地の部屋着の襟を引っ張って体臭を嗅いでみる。


「(くんくん……。……っ!?)」


 間違いない。臭う。


 思えばニナが駆け込んできたあの日から、ファイはお風呂も睡眠もしていない。恐らく緊急事態があって、気を抜いてはいけないだろ状況だったからだ。以降は食事中も、ミーシャを撫でている時も、絶対にピュレから目を離していない。


 ただ、こうしてふと我に返った時、自分が不摂生な生活をしていたのだと自覚したファイの顔が一気に熱くなる。


(お風呂、入ろう……!)


 いつでも誰でも使用していいのが第20層の大浴場だ。布団を運び次第、ニナに会う前に身を清めることにした。




 それから1時間後。ファイはなぜか、リーゼに頭を洗われていた。


(リーゼ、すごい……)


 つい弛緩してしまう表情のまま目を閉じて、極上の感触を味わうファイ。


 これまでファイの中での洗髪の上手さ1位はルゥだった。しかし、リーゼは文字通り格が違う。聞けば、ルゥに侍女としてのアレコレを教えたのがリーゼなのだという。頭皮を揉みほぐす力加減や、強弱。髪を撫でる指使い。泡を洗い流す際の手際。どれをとっても、至高の一言に尽きる。


「かゆい所はございませんか、ファイ様?」


 不意に耳元で囁くように問いかけられて、ブルリと身を震わせるファイ。一瞬だけ緊張してしまった身体はしかし、すぐに頭を撫でるリーゼの指によって骨抜きにされていく。


「ううん、大丈夫。ありがとう、リーゼ」

「いえ。もし何かありましたら、お声がけくださいね」


 平坦な口調ながら、リーゼがどこまでも優しく、思いやってくれているのがファイにも分かった。


 そうして余りの気持ち良さに目を細めるファイを、鼻息荒く見つめる影がある。


「き、貴重なファイさんの蕩け顔ですわぁ~……」


 そう言って握った拳をブンブン上下させるのは、ニナだった。


 実はファイがお風呂に来た時、リーゼはニナを洗ってあげていた。どうやら2人も探索者たちの対応にひと段落ついたということで、身体を洗いに来ていたらしい。


『ニナ。リーゼ。お疲れ様?』

『ふぁっ!? ご、ご苦労様ですわ、ファイさん! ですが、これは違うのです! 決してリーゼさんに甘えていたのではなく、普段はわたくし1人でも――』

『お疲れ様です、ファイ様』


 作法に則ってまずは身体を洗おうとニナの隣に腰掛けて身体を洗い始めたファイ。そんな彼女に気を利かせたのだろうか。それとも、育ての母に甘える恥ずかしい姿をごまかすためだろうか。ニナが、


『リーゼさん! せっかくなので、ファイさんの身体を洗ってあげてくださいませっ』


 と提案したことで、今に至るのだった。


「さすがリーゼさんですわ。あのファイさんをここまでフニャンフニャンにしてしまうなんて。おかげで眼福ですわぁ……」

「勿体ないお言葉です、お嬢様」


 なぜか目をキラキラさせてファイを見てくるニナの言葉に、リーゼが頭上で言葉を返す。ファイが薄目で見遣る鏡には、ご機嫌に揺れるリーゼの青い尻尾が見え隠れてしていた。一方で、ファイが何度か目にした、リーゼの青い翼は見えない。ルゥと同じで、必要に応じて出し入れできるようだった。


「お湯、流しますね」

「ん」


 ファイに断りを入れてから、慎重に髪の泡を洗い流してくれるリーゼ。目を閉じて上を向くファイのおでこに自身の手で壁を作り、散湯器から出るお湯がファイの目に入らないようにしてくれる徹底ぶりだ。


「……はい、これで洗髪はお終いです。次は栄養剤と保湿剤を塗り込んでいきましょう」

「(ぷるぷる)」

「きゃぁ♪ ファイさんってば、(ガル)ちゃんみたいですわ」


 頭を振って髪の水を飛ばしたファイに、ニナが楽しそうな悲鳴を上げる。久しぶりのニナの笑顔には、ファイも思わずほっこりしてしまう。ただし、あまり行儀は良くなかったらしい。


「ファイ様。水滴が気になるようでしたら、この薄手の布を絞って、こうして……頭を拭くようにしましょうね」


 リーゼに優しくたしなめられてしまう。密かに憧れているリーゼに叱られたことで少しシュンとするファイだが、すぐに前を向く。


 ファイは自分が無知であることを知っている。そして、今はまだ、知れば知るほどに不幸になってしまうことも知っている。それでも1つずつ、色んな事を知って、学んで。そうして本当の世界を知っていけば、いつかは“幸せ”になれるのだと信じている。


(だってニナも、ルゥも、幸せだから)


 身近にあるお手本に向けて、ファイはただ前進するだけだった。


 そんな調子で頭プルプルは良くないとファイが学習する間にも、リーゼは手際よくファイの髪の手入れを進めていく。軽く髪を拭いて、専用の液をファイの頭皮と髪へと馴染ませていく。その手つきは優しく、心地よい。自然と、ファイの口も軽くなる。


「リーゼ。どうしてリーゼは、ニナに従ってる、の?」


 気づけばファイの口は、かねてからあったリーゼへの興味・質問を声にしていた。


「と、申しますと?」

「リーゼはニナより強い。なのに従ってるのは、不思議」


 ガルン人は自分よりも弱い者に従うことをひどく嫌う。なかなかファイの言うことを聞いてくれなかったユアや、ルゥに反発していたムアは最たる例だろう。


 そんな文化において、自分よりも弱い者――ニナに従うリーゼは、ファイからすれば異端に見えた。


 そうして行われたファイの問いかけに対して、一度、淡い青色の瞳をニナへと向けたリーゼ。その視線にニナが笑顔の頷きを返したことで、リーゼはファイの質問に答えてくれる。


「そうですね。ずっと昔。(わたくし)はニナ様のご両親……ミア様、ハクバ様に助けてもらったことがあるのです」

「ニナの、お父さんと、お母さん……?」


 つい先日。ルゥとの会話の中にもあった、ニナの両親の姿。その具体的な姿を求めて、ファイは隣に座ってこちらを楽しそうに見ているニナに目を向ける。


「ふふっ! ミアさんがお母さま。ハクバさんがお父さまですわ、ファイさん」

「えっと。じゃあミアがウルン人。ハクバが、ガルン人?」


 これまで得ている情報から推測できることを口にしたファイに、「はいっ」とニナが元気よく答えてくれる。しかし、主人のことを誰よりも観察しているファイは、ニナの笑顔に“雲”があることを見逃さない。


 思えばニナは両親の話をするとき、いやに大袈裟に振る舞っていたように思う。過去、ファイの記憶にあるどの場面でも、ニナは誇らしげに、笑いながら両親の話をしていた。それこそ、笑顔の裏にある“何か”を隠すように。


 その“何か”を推し量るための欠片を、ファイは持っていない。ファイは、両親というものを知らないからだ。両親という存在がどのようなもので、その人にとって――ニナにとってどのような存在なのか。どうしても、理解することができない。


 ならば聞けばいい。


 いつものように素直に。正直に。


『ニナ。どうして痛そう、なの? 苦しい、の?』


 そう聞こうとして口を開くファイだが、なぜか言葉が出てこない。ニナのことをもっとよく知って、理解したいのに、できない。そうして二の足を踏んでいるうちに段々と、ファイは自分の行為がひどく卑しいものに思えてくる。


 ニナは笑顔で“ソレ”を隠そうとしているのだ。だというのに、果たして道具でしかない自分が“ソレ”を掘り起こしても良いものだろうか。


 もしもアレコレ聞いて、ニナを傷つけたら。


 ――嫌われたら。見損なわれたら。


 そんな恐怖こそが、ファイの声を縛る鎖になる。しかも心を見ないようにすることが得意なうえ、戦闘に身を置いて来たファイ。本人も気づかないうちに、恐怖というものにひどく鈍感になってしまっている。


 そのせいで、ニナに踏み込む質問が声にならない理由に、気付けない。


「ファイさん? 可愛いお口をパクパクとさせて……。どうかなさいましたか?」

「……ううん。なんでもない。それでえっと――」


 ニナに対してゆるゆると首を振ったファイは正面の鏡に向き直り、リーゼの話を自分なりにまとめる。


「つまりリーゼは、ニナの両親への恩返しをするために、ニナに従ってる?」


 恩返し。それこそリーゼがニナに従う理由なのかと確認したファイ。それに対して、保湿と液を浸透させるためにファイの髪を布で巻いてまとめるリーゼは否と言う。


「いいえ違います、ファイ様。きっと(わたくし)とファイ様は同じ理由なのではないでしょうか?」

「私とリーゼが、同じ理由……? ……はっ!」


 ひらめいたとばかりに金色の瞳を輝かせるファイ。まさかあのリーゼが。ファイが密かに憧れる先輩が、自分と同じ目標を持っていたなんて。初めて同族を見つけた喜びが、ファイの声を弾ませる。


「まさかリーゼも私と同じ。道具になりたくて――」

「違います」


 言い終わる前に否定されて、瞬く間にファイの瞳から輝きが消えていく。顔からスッと表情も消えて、椅子から浮いていた腰は再び椅子に戻る。


「……じゃあ、なに?」


 ほんのわずかに不満を声に乗せたファイに、青い立派な尻尾を揺らして見せたリーゼ。


「それはぜひ、ファイ様ご自身で答えを出してくださいませ。……きっとその方が、お嬢様もお喜びになるはずですので」


 そう言って微笑んだリーゼがニナを見るのと、湯冷めしたらしいニナが「へくちっ」と可愛らしいくしゃみをこぼしたのはほぼ同時だった。




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