第77話 ユアこそ、最重要人物?
ファイが、通信士としての最初の仕事である探索者の来訪を伝える作業を始めて、1時間弱。
(つうしんし、たいへん……(がくり))
心の中で末期の言葉を残したファイは、作業台に突っ伏した。
この1時間、種族ごとに違うクセがあるガルン語の意味をどうにか汲み取り、こちらの伝えたいことを伝える作業だった。
もとより不調を抱えるファイの脳は簡単に処理の限界を迎え、それでもなお「お仕事だから」と自分に言い聞かせて無理やり頭を回した。
おかげでどうにか住民たちへの連絡はできたが、まだまだ作業は残っている。弱音を吐けば周囲の人々に気を遣われ、道具として扱われる機会が減ってしまう可能性があった。
「ファイ。次は――」
使っていたピュレをファイの代わりに所定の場所に直してくれていたミーシャが戻って来る。その声と気配を察知したファイは、すぐに姿勢を正して見せた。
しかし、使用不可期間であるファイの動きは精彩に欠いたらしい。ミーシャに何かを感じ取られてしまったようで、ファイを見る緑色の瞳にはわずかばかりの心配の色があった。
「アンタ今、しんどそうに――」
「してない。大丈夫、余裕。“次”は、なに?」
矢継ぎ早にまくしたてて、通信士としての次の仕事を求める。そんなファイの行動に、「まぁいいけど」と、大きなため息を吐いたミーシャ。手元の資料に目を移して、自身はピュレが入った箱の前へと歩いていく。
「とりあえず、13階層に居る全てのピュレを起動するわ。ここから、ここまでの子ね……」
ミーシャの話では、ここからは第13階層に配置している複数のピュレを監視し、やって来るだろう光輪の動きを観察するのだという。それはファイが事前にニナから知らされていた通信士としての仕事そのものだった。
「さっきまでと違って、ここからは基本的に映像だけが必要になるはず。音声は必要ないはずだから、箱に入れたまま手伝ってもらいましょ」
ピュレは見た目だけではほとんど見分けがつかない。間違った箱に入れてしまう危険性も考えてのことだった。
防音仕様だという透明な箱の上部、本来はエサを入れる場所のふたを開けて、準備完了だと言うようにファイの方を見てくるミーシャ。
「ピュレ。映像、出して」
ファイの声で一斉に淡い光を放つピュレたち。その数15体。縦に3つ、横に5つ積んだ箱の中で震えるピュレが映す映像が、ファイとミーシャの瞳を鮮やかに照り返す。映し出されたのは、薄暗いエナリアの中にあって堂々と存在感を示す、巨大な滝だった。
「これが、第13層……」
ファイが知る“不死のエナリア”は、第8層までだ。ピュレ越しに初めて見るエナリアの景色を、食い入るように見つめる。
ファイが見つめるピュレは、滝の反対側に居るらしい。幅の広い川から一気に流れ落ちる水は2階層分――600m――以上を落ちていく。どういう訳か水は淡く輝いており、ピュレを通しても分かるほど神秘的な青色の輝きを放っていた。
その幻想的な光景に見惚れていたのは、ファイだけではないらしい。彼女に身体を引っ付け、背後から覗き込むようにしてピュレを覗き込むミーシャもまた、感嘆の声を漏らしていた。
「アタシも初めて見るけど、きれいね……。ニナ達は、瀑布の階層なんて呼んでたかしら?」
「そう。この第13層から15層までが、瀑布の階層」
ニナの話では、この瀑布の階層に、ほとんどの水棲のガルン人たちは暮らしているという。ただし、それは13、14層だけだ。瀑布が流れ落ちる15層には狂暴かつ強力な水棲の魔獣が住んでおり、基本的に住民は近づかないという話を聞いた。
だからこそニナ達はその第15層から下を下層と呼び、危ない場所としてファイに教えてくれていたのだった。
(瀑布の階層のほとんどが水没してて、移動するにはふね? を使うか、限られた陸地を移動することになる……)
攻略という観点で見たとき、1つの大きな山場となる階層であるのだろうとファイは予想していた。
そのまましばらく、それぞれのピュレを通して第13層の景色を堪能するファイ。ときおり魚人族と思われる人々が移り込み、慌しく移動している姿が見て取れる。どうやらグアンバはきちんと情報伝達をしてくれたらしい。
表側に住むガルン人たちとファイに、面識はない。それでも、なぜだろうか。いつの間にかファイは、彼ら彼女らもできるならば助かって欲しいと思ってしまっていた。そのささやかな願いに気付いたファイは、
(これが、家族?)
いつだったかニナが言っていた関係性の言葉を思い出す。自分たちは、同じエナリアという場所に暮らす家族なのだと。
かつてファイとガルン人たちとは殺して殺される関係だった。だというのに今、ファイは自然と彼らの身を案じてしまっている。ニナからの命令とあればもちろん殺すが、そうでもない限りは戦いたいとすら思わない。
この自分の変化を、ファイは好ましいと思う。なぜならガルン人に親しみを抱くことは、ニナの理想を叶えるうえでは欠かせないからだ。
誰だって、親しい人を殺そうとは思わない。いま自分がミーシャと引っ付いているように。肌を重ね、笑い合いたいと思うはず。それがファイの中にある“親しみ”の作用だ。
初めてニナの理想を聞いた時、ファイは無理だと思った。ウルン人とガルン人が仲良くすることなど、できない。確かにそう思った。
しかし、いまは違う。
他でもないファイ自身がかつて敵だったガルン人たちに親しみを覚え、戦意を削がれている。家族として、ガルン人の身を案じ、最終的には一緒にニナの理想を叶えたいと思っている。
(もしアミス達もニナ達を家族だって思ってくれたら)
きっとニナの理想が叶う日はそう遠くない。そんな確信じみた予感が、ファイの中に湧いたのだった。
「ところで、ファイ。質問なんだけど」
耳元で聞こえたミーシャの声で、ひとまず明るい未来の夢想をやめたファイ。すぐ横にあるミーシャの顔を見て、言葉の続きを待つ。
「あんたの感覚で、光輪の人たちが13層に来るまでどれくらいかかるのよ?」
「アミス達が来るまで……?」
ミーシャにそう聞かれて、ファイは虚空を眺める。
というのも先ほど、自分の中にある探索者の像に少しだけ偏りがあることを知ったからだ。具体的には、黒狼の人々が言っていた“攻略”が、正しいエナリアの攻略法ではないことを知ってしまった。
そのため、自分の知識から導き出す探索者の推論と実像に大きな乖離があるのではないかという疑念が生まれていたのだった。
「えっと……」
曖昧な返事を返すファイを、横目でチラリと見たミーシャ。耳をピクリと動かすと、ファイの頬に自身の頬を引っ付けてきた。
「間違ってても良いわ。世の中、予想通りに行くことの方が少ないんだし」
ニナとはまた違う、ハリと弾力のあるミーシャの“ほっぺスリスリ攻撃”に促され、ファイもそれならばと口を開く。
「分かった。多分、早かったら1日。ゆっくりだと、1週間くらい?」
「……アタシ達の感覚で言うと、どれくらい?」
「『もう少し』から『もうしばらく』、だと思う」
「そう。まだ余裕はあるのね。それじゃあ今のうちに少しだけ、休憩しましょ」
場合によっては数日間、寝ずの番になる可能性がある通信士の仕事。しかもファイはウルン人で、睡眠が必要な身体をしている。休める時に休まないと、本当に重要な時に眠りこけてしまう可能性があった。
こうして改めて考えてみると、ニナとユアが上層で活動できるピュレの開発に注力している理由がよく分かるというものだ。
現状、光輪の人々がいつ第13層にやって来るのか、はっきりとは分からない。もっと言えば、もう既に光輪の人々が攻略を始めているのか。それともまだ様子見の段階にあるのか、ファイ達は分からないのだ。
そのためファイは、いつくるとも分からないその瞬間を待っていなければならない状況にある。
それだけでなく、光輪の人々がどこに居てどこに向かうか不明なため、エナリアに住む全ての住民に警戒を促さなければならない状況にあった。
しかし、もし1つしかないウルン側からの入り口を監視できるようになれば、適切な時機に適切な場所だけに退避の連絡ができる。エナリアに入って来るその瞬間を見逃しても、上層にピュレを配置できれば早期発見することができ、同様の対応ができる。
誇張抜きに、ユアの研究の進捗こそが、“不死のエナリア”の趨勢を占う鍵になる。
ニナがユアを特に優遇している理由を理解できた気がするファイだった。




