第76話 いろんな言葉があるんだ、ね
ニナとルゥの関係性は、やっぱり気になるファイ。しかし、通信士の仕事は、ファイが思っていた以上にやることが多く、良くも悪くもニナに関することを気にしないでいることができたのだった。
通信士としてまず真っ先に行わなければならなかったのは中層、それも普段は緑ピュレが居ない12階層以上の人々への連絡だ。これについてはファイではなく、“不死のエナリア”の魔獣開発を一手に担う彼女――ユア・エシュラムの領分だ。
『ファイちゃん様。5、6、7層に居る小人族ほか、1進化までの方々への連絡、完了です』
研究室がある11層から遣わせたピュレを使って、最も上層に住むガルン人たちへウルン人の来訪を伝えたという声がある。
その声を受けて、コマのついた椅子に腰かけるファイは次の作業工程を伝える。
「ん、了解。8層から10層、は?」
『そっちにはムアが直接伝えに行きました。多分、きっと、大丈夫です』
「えっと……?」
果たしてそれは大丈夫なのだろうか。ファイが頭をひねっている間にユアにかみついたのは、ミーシャだった。
今回が初めての直接的な絡みになるというミーシャとユアの2人。しかし――。
「なによそれ。もしそれでなんかあったらファイの責任になるじゃない」
そんなミーシャのキツイ物言いに、ピュレの向こう側でユアが固まったのが分かった。
『……ザコザコ猫さんは黙っててもらえます? ユアは、ムアなら大丈夫だろうって言ってるんです』
「は? アンタこそ部屋にこもってお菓子食べて。ぐぅたらしてるだけの陰気臭い犬のクセに。アタシはその誰とも知らない犬っころのせいで誰か死んだら、ファイが責任を感じるって言ってんの」
『ザコ猫さんいまユアだけじゃなくムアも馬鹿にしましたかしましたよね殺していいですか?』
「急な早口、キモいのよ。ゆっくり喋って」
『キモ……!? ふっ、ふふふっ……。ぶっコロしてあげます』
先ほどからこんな調子で、通信越しにケンカをしてばかりだ。いや、お互いがお互いに手を出せないことをいいことに、ケンカ腰で話していると言ってもいいだろう。
どちらも自身の弱さを自覚しており、実は“臆病”だというのがファイの認識だ。だというのに、どうしてこれほどまでに強気に出るのか。ファイとしては甚だ疑問だが、このケンカのせいで毎回のように通信が止まってしまう。
「ミーシャ。ユアに噛みつかないで。ユアも。ミーシャを煽る、は、ダメ」
「『ふんっ』」
初対面なのになぜか仲が悪い2人に内心げんなりしつつ、ファイは仕事を再開する。
「ムアが伝達に行ったのは、分かった。でも本当に、大丈夫?」
ユアには何かしら引っかかる点があるのだろうことは察することができたファイ。もしこちらからの連絡に不備があれば、ガルン人の命が失われてしまう。だからこそ丁寧に確認したファイに、ユアは数秒の間を置いて答えた。
『……一応、余ってるピュレも表に向かわせることにします。感謝してくださいね』
「うん、分かった。ありがとう、ユア。また何かあったら連絡する。音声、終わり」
『まぁこれも研究のためですので。……さようなら、ファイちゃん様。それから、クソザコ猫さん。音声お終い』
そうして12階層以上には、ユアの力を借りて連絡作業を進めるファイ。
「はんっ。最初からそうしてれば良いのよ、陰険犬」
「ミーシャ。悪口は良くない」
腕を組んで悪態をつくミーシャをたしなめつつ、ファイは使っていたピュレを「研究室」と書かれた粘着紙が張り付けてある箱に戻す。
「ファイはアタシとユア、どっちの味方なのよ!?」
「どっちでもない。私はニナの味方。だから、ニナのために働くミーシャとユアの味方」
「それは……。その答えは、ズルいじゃない……」
そう言って可愛らしく唇を尖らせるミーシャにわずかに口角を上げつつ、
「それより、次は何?」
ファイがそう尋ねると、ミーシャは手に持っていた紙束に目をやった。
その紙束はニナが普段、備忘録として使っているらしい通信士としての作業工程を書き記した物だ。まだ正確なガルン語の読みができないファイに代わって、これまでもミーシャが読み上げてくれていた。
他にもどのピュレがどこに通じているのかを、日ごろのお世話を通じて記憶しているらしいミーシャ。適切なピュレをファイに手渡すなど、多方面からファイの仕事を支援してくれていた。
「今やったのがここだから……。これね。13~15階層に居る人たちへの連絡。確かそこにいる人たち用のピュレはこの子と、この子。あと、この子ね」
ミーシャが、該当するピュレを手際よくファイに渡してくれる。それらを順に受け取って作業台の前に置かれた椅子に座り直したファイ。
ひんやりプルプルのファイを目線の高さに持ってきて、それぞれのピュレに声を送っていく。なお映像は必要ないため、ピュレの負担を減らすためにも映し出さない方針だった。
「声、届けて。――こちら、通信士のファイ。魚人族の人たち、聞こえる?」
いつものように少しだけ時間を置いてから、返事があったのだが――。
『おうよ。ファイざんってば言っだが? オラんば13階層の魚人族をまとめざぜでもらっどる、グアンバっづうもんだ! どじだべ?』
「!? !? !?」
突如聞こえた耳をつんざくような水の音。そして、余りに訛りの強いグアンバの言葉に、面食らうファイ。通信相手のグアンバの言葉は、一瞬、ガルン語ではないのではないかと思えるほど単語の強調部や抑揚にクセがあった。
そう言えば、と、ファイが思い出すのは昨日、勉強の基本となるガルン語の習得に挑んでいた時のことだ。勉強するファイとミーシャの様子を見にきたニナが、こんなことを言っていた。
『良いですか、ファイさん。ファイさんがいま勉強しておられるガルン語は、正確にはアイヘルム語。それも、最もクセが少ないと言われる西方諸国の角族の方が使っていた言葉なのです』
と。それはつまり、一口にガルン語といっても、様々な言語形式があるということでもある。また、同じ言語形式であっても、その人の話し方や身体的特性などで言葉はさまざまに形を変える。
ウルンと、ガルン。そして、エナリア。まだ3つの世界しか知らなかったファイは、世界に多種多様な言語があることをこの時初めて知る。
ただし、それはガルンに限定された話だ。ファイ自身が話すウルン語が本当は「中央大陸語」や「帝国共通語」と呼ばれる言語形式であること。また、ウルンにもまた多種多様な言語や国があることなど、ファイが知る由もなかった。
差し当たり、この世界には2つ以上の言語があることを知ってしまったファイ。しかもこのエナリアには、ガルンの様々な場所から、様々な事情を抱えた人たちが来る。
(いろんな言葉があるのも、当然……!)
ただ、ファイにとって幸いだったのは、ピュレを持たされている人々がアイヘルム語を話す人々だということだろう。もちろん偶然ではなく、意思疎通ができる人にこそニナがピュレを渡しているという事情がある。
言い換えれば、冷静に言葉を紐解いていえば、おおよその意味も分かるということだ。
「え、えっと。強い探索者たちが来てる。多分、13階層あたりまでは余裕で来ちゃうと思うから、注意して」
自身の推測も交えながら、探索者たちが来ていることを伝えるファイ。
恐らくグアンバは滝の近くにいるのだろう。水が水を叩きつける騒音が、ピュレ越しにも伝わって来る。そんな中で、果たして自分の声は届いているのだろうか。息を飲みながら返答を待つファイに、少ししてからグアンバの方から声がかかった。
『了解だ! なんるべく水面近くに行がねぇよう、仲間だぢに知らぜどぐだ。ぞれんどファイざん。ニナ様に、今度ごっちに来でぐれっで伝えでぐんろ』
グアンバの言葉を、懸命に脳内で翻訳するファイ。
「ニナに13階層に行けって言った……? グアンバ、何か問題があるなら、私の方から伝えておく、よ?」
『いんや、大じだごどじゃねぇ。新じい子ざ生まれだんでぇ、紹介がでら名前を付げでもらおうっでば思っでな』
「わ、分かった。ニナに伝えておく」
『おうざっ!』
活気のある声を最後に、魚人族への通達は終わる。さすがに方言をガルン語へ。ガルン語をウルン語へと翻訳する作業を瞬く間に行なうのには、さすがのファイも疲れた。
思わずピュレを片手に「フゥ」と小さく息を吐くファイに、眉根を寄せたミーシャが声をかけてくる。
「ファイ。いまグアンバって人が言ったこと、ちゃんと分かったの? アタシでも難しかったけど……」
「大丈夫。とりあえずグアンバが魚人族の人たちに言ってくれるって。あと、ニナに13階層に来いって言ってたことは分かった」
「や、やるわね……」
ただ、連絡するべき場所は他にも十数か所に及ぶ。疲れたからといって休んでいるわけにはいかない。次の連絡先に繋がっているピュレの能力を起動して、再び声をかける。
「こちら、通信士のファイ。蜥蜴人族の人、聞こえる?」
『ハイサイ、ファイさん! わんねー、蜥蜴人族ぬエーテやいびーん! ちゃーさが?』
うん、むり。喉から出かかった言葉を鋼の意思で飲み込んで、ファイは各方面への連絡作業を進めた。




