第75話 フォルンが、曇っちゃった
“通信士”としての仕事をするために部屋を移動したファイ。たどり着いたその場所は、第15階層の裏側にある『通信室』と呼ばれる場所だった。
道中の案内をしてくれたのは、ファイのお目付け役でもあるミーシャだ。なんでも、通信室のお世話を任されているのも、彼女らしい。
(部屋の、お世話……?)
どういうことなのだろうか。そんなファイの疑問は、通信室に入ってようやく分かった。
そこに居たのは数えきれないほどのピュレ、ピュレ、ピュレ……。透明の箱に入った緑色のピュレが、正面の壁一面に積まれている。その数、ファイが知る最も大きな数――100を優に超える。ファイもピュレは可愛くて好きなのだが、さすがにこれだけ密集していると食傷気味にならざるを得なかった。
「ここが通信室。弱い魔獣のお世話をしてるアタシが管轄する部屋の1つよ」
言いながら、部屋の明かりをつけるミーシャ。彼女に勧められるままファイがピュレの入った透明な箱を見てみれば、「第18階層・北」や「第15階層・南」などと書かれた粘着紙が張り付けてある。それぞれのピュレの分裂体がエナリアのどこにいるのかが大まかに書かれていると思われた。
「ピュレが、いっぱい……」
覗き込むファイの声に応えるように、プルンと身体を震わせる緑色のピュレ。箱の上部には小さな穴が開いており、そこからエサとなる食べ物を与えるのが普段のミーシャの仕事のようだった。
「ファイも知ってるかもだけど、改めて。ここに居るピュレの使い方を説明するわね。……おいで♪」
そう言って、ミーシャが手近な位置にある箱の扉を開けて、中から1体のピュレを手のひらの上に乗せた。
「基本的にここに居るピュレは人工の魔獣。人間の声に反応して、自分の能力を使ってくれるように調教・訓練されてるわ」
試しにミーシャが「映像、映して」と言うと、プルンと震えたピュレが自身の身体に分裂体の見ている景色を映し出した。
「他にも簡単な命令だったらあるていど言うことを聞いてくれるわ。例えば……右を見て」
ミーシャが言うと、ピュレに映し出されていた映像がゆっくりと右を向く。そうして画角をあるていど調整できるほか、ゆっくりとだが分裂体を移動させることもできるようだった。
「ファイって、ピュレがどうやって増えるのか、知ってる?」
「うん。たくさん食べ物を食べたら、2つに分かれるって聞いた」
「そうね。だけど、実は分裂するのはここに居る『母体』って呼ばれる個体だけなの。分裂体それ自体は、新しく分裂することは無いわ」
ここで重要になって来るのは、分裂体の数を上手く制限しなければならないことなのだとミーシャは語る。
なんでも複数の分裂体が居ると、映し出される映像がない交ぜになってしまうのだとか。それでは分裂体が何を・どこを映しているのが分からなくなってしまう。
音声のみの青色ピュレも同じで、同じ母体から生まれた複数体の分裂体が居ると、複数人の声が重なってしまう。
そのため、通信用のピュレは基本的に1体につき1体の分裂体だけを生ませ、1対1での通信を行なうことが多いようだった。
「だけど、例外も居るわ。確かこの辺りに……居た」
ミーシャが次に取り出した2体のピュレが入っていた箱にはそれぞれ『居住者用』と『従業員用』と書いてあった。
「ミーシャ。そのピュレは?」
「この子たちの分裂体は沢山いて、その分裂体をニナ達。それからエナリアに住んでる人たちが持っているのよ。だからこの子に向かって話しかければ……?」
ピュレよりも鮮やかな緑色の瞳をこちらに向けてくるミーシャに、ファイは予想を口にしてみる。
「持ってる人みんなに、私たちの声が届く?」
「そう! だけど基本的にはこちら側からだけの働きかけになるわ。だって向こうが話してしまうと」
「うん。声がたくさん聞こえて、何がなんだかわからなくなる」
改めてピュレによる通信の仕組みとやり方を理解したファイは、試しに従業員用と書かれた箱に入っていたピュレの運用をしてみる。
「声、届けて」
ガルン語によるファイからの指示に、ピュレが身体を震わせる。同時にほんの少しだけピュレの身体が発光し、音声共有の特殊能力を使用し始めたことが分かる。今からファイが話す言葉が、ピュレの向こう側に居るニナ達へ届くようになった証だ。
つばを飲み込んで喉を潤したファイは静かに口を開き、事前に言いつけられていた台詞を紡いだ。
「こちら、今回、通信士をするファイ。……聞こえ、る?」
そんなファイの問いかけののち、刹那の沈黙。しかし、すぐに向こう側から応えがあった。
『こちら、ニナですわ! はい! ファイさんの澄んだ可愛らしいお声、きちんと聞こえております! 音声終わり、ですわ!』
『リーゼです。はい。私の方にもきちんと届いております。音声終了です』
まずは2人から、きちんとピュレが機能していることを伝える声がある。続いて、
『ムア、聞こえてま~す。っていうかおねーさん、だれ? 音声、終わり~』
『ルゥだよ~! うん、バッチリ聞こえてる! 音声、終わり!』
『ファイちゃん様。ムア、ちゃんと聞いてあげてます。音声終わります』
計5名。それぞれから声があった。あくまでも母体にしか声が共有されないにもかかわらず彼女たちがほとんど被ること無く順に反応して見せた。そのことから、何かしらの決まり――序列が上の者から数秒おきに反応する――といったような決まりごとがあるのかもしれないと考えるファイ。
一方で、気になることがもう1つ。
「了解。……でも、サラは?」
ファイの記憶にある6人目の従業員――サラ・ティ・レア・レッセナムの反応が無い。ニナから聞いた話ではルゥの姉だという話だが、思えばこれまで話題に上がったことが無い。それこそ、不自然なほどに。
そんなファイの疑問に反応したのは、サラの身内に当たる人物・ルゥだった。
『ファイちゃん~。お姉ちゃんのことは気にしないでくれて大丈夫~』
「ルゥ。そう、なの?」
『うん。とりあえず、全体用のピュレはちゃんと機能してるっぽいから、こっちからの音声は切るね~。音声終わり』
とのことだった。
「そうなんだ? とりあえず、また必要に応じて連絡する、ね。音声、終わり」
そう言って、一度ピュレによる通信を切るファイ。
良いと言われたのだから良いのだろう。そう思う反面、気にならないと言えば嘘になるファイ。ちらりと横目でミーシャを見てみる。と、そんなファイの視線に気付いたらしいミーシャが牙を覗かせた。
「な、なによ。言っとくけど、アタシは先輩のお姉ちゃんのこと、知らないわよ?」
「ほんとに? ほんとに、少しも知らない?」
ルゥとミーシャは仲が良い。また、ファイよりも長くエナリアに居る。サラという人物について、本当に何も知らないのだろうか。
「(じぃー……)」
視線だけで詰問するファイに、ミーシャは大きくため息を吐いた。
「はぁ……。サラっていう人については、ほんとに知らない。ただ、そうね……。ファイは、ニナがルゥ先輩の家族を皆殺しにしたの、知ってる?」
「…………。……え?」
そんなトンデモ情報は初耳だと、目を瞬かせるファイ。
あの優しく温厚なニナが。皆の幸せを願い、ウルン人にまで情けをかける、あのニナが。
「ルゥの家族を、全員殺した……の?」
声が震えてしまわないように、顔に感情が出ないように目いっぱい気をつけながら、ミーシャに再確認するファイ。
冗談か、嘘か。誤解であってほしい。弱い人間としてのファイの願いを、ミーシャは容赦なくぶった切る。
「そう。まぁ正確には、ルゥ先輩とお姉さん以外なんだけど。とりあえず、そんな事情があって、ルゥ先輩のお姉さんのことはあんまり触れちゃいけない雰囲気があるのよ」
自身が知っているサラについての情報を、きちんと明かしてくれたミーシャ。だが、残念ながら今のファイはサラのことなどどうでもよくなっていた。
ニナが、人を殺している。
そう聞いた瞬間、たった一瞬。ほんの一瞬だけ、ファイの中にあったニナの曇りのない笑顔に影が差してしまった。
自分の知らない一面があった。たったそれだけのことで、ファイにとっては命よりも大切な主人への信頼が揺らいでしまったこと。それがファイにとっては何よりも衝撃だったのだ。
道具を自称しておきながら身の程知らずにも勝手にニナに期待して、勝手に落胆して、勝手に信頼を揺るがせる。これまで道具としてふるまってきたつもりが、どこまでも自分勝手な弱い“ファイ”のままだったことを思い知らされた気分だ。
「結局、私はダメなまま――」
「ファイ。もしかしてアンタ、落ち込んでるの?」
暗い思考の泉からファイを引き上げたのは、ミーシャの声だった。
「……ミーシャ?」
「アンタ、道具なんでしょ? 感情なんて、無いんでしょ? なのに、落ち込むの?」
ミーシャに言われて、ファイは自分が人前で道具としての振る舞いを忘れてしまっていたことに気付く。
「――っ!? そんなわけない。落ち込む、は、しない」
そう言って背筋を伸ばしたファイの顔をまっすぐに見上げて、一度だけ尻尾を揺らしたミーシャ。
「――あっそう。なら、さっさと仕事に戻りなさいよね。アンタは通信士。たくさんの人の命を任されてるんだから」
そう言って小ぶりでツンとした鼻を鳴らす。
確かに、彼女の言う通りだ。いまファイはニナからの命令を受けて、通信士の仕事をしている。数えきれない人々の命を任されている。他のことを気にしている場合ではない。
(まずは言われたことをしっかりする。それが、優秀な道具!)
自身も「ふんすっ」と鼻を鳴らして、ニナに言われたことを脳内で整理するファイ。この時にはもう、ファイの気持ちは上向きへと転じていたのだった。




