第74話 つうしんしの、お仕事
※誤字脱字のご報告、ありがとうございます。とても助かります。
ミーシャと共に眠ったその翌日から、ファイの不調は始まった。身体機能は著しく低下し、身体もズンと重い。ただ、ファイにとって幸いだったのは、エナの濃度が濃い第20層に居ても重篤なエナ中毒を引き起こさなかったことだろう。
確かに頭痛はするし吐き気もする。気分も悪い。ただ、 “それだけ”だ。動けなくなるほどではない。そのため、ニナに不調を隠そうとして――無理だった。
事情を知らないミーシャが敏感な鼻で血の匂いをかぎ取り、起き抜けに騒ぎ立てたのだ。
「ファイ!? あんた、何もしてないのに血が……! 死ぬの!?」
「ううん、違う。これは――」
「待ってて! 今すぐルゥ先輩とニナを呼んでくるからっ!」
こうしてあっけなく、ファイの不調は知られてしまう。以降はじっとしていても可能な作業――書庫での勉強を余儀なくされていたのだった。しかもニナはファイに無理をさせないために、お目付け役としてミーシャを付けてきた。
「本当に死なないわよね……?」
そう言って何が何でもファイから離れようとしないミーシャの意思をニナが汲んであげたのかもしれないが、ともかく。
そうしてファイが1日の大半を読書と勉強に費やすことを余儀なくされた、その翌日。リーゼが帰ってきて、エナリア攻略の危機――あくまでもファイにとってだけ――を迎えたのだった。
“不死のエナリア”第20層。ニナの執務室。
「行かせないわ」
そう言って、ファイの手を握って離さないミーシャ。
エナが濃く、逆に、ウルン人のファイが身体能力を向上させるために必要な魔素が薄いことも関係しているのだろう。青色等級ていどの魔物でしかないミーシャですら、ファイの動きを制限するには十分だった。
「ミーシャ……」
行かせて欲しい。ニナの役に立ちたい。そんな強い想いが、無意識にファイの眉尻を下げさせる。
「うっ……。そ、そんな顔してもダメったらダメ! 自分で言うのもアレだけど、今のファイはアタシと同じでニナ達の足手まといにしかならないんだから」
ファイには何かと甘いミーシャだが、彼女の意思は変わらないようだ。掴んだ手を離そうとする様子はなく、自身に任された仕事――不調のファイに無茶をさせない――を全うしようとする。
そして、ミーシャが言った「足手まとい」という言葉を受けてようやく、ファイは今の自分が役に立たないゴミ同然の存在であることを自覚した。
「……そっか」
抵抗を諦め、立ち尽くすことしかできないファイ。いつになく気落ちした様子を見せる彼女の様子に、「あ、う……」と言葉を探している様子のミーシャ。しかし結局は言葉が見つからなかったのだろう。静かに唇を噛みしめて、ファイの手を握る力を強めるだけだった。
そのまま役に立てない者同士。執務室の端で膝を抱えて待つこと、少し。扉が開いて、ニナが姿を見せた。
「ただいま戻りましたわ……って、あら?」
部屋の隅。シュンとした顔で背中を丸める2人の姿を見て、ニナは苦笑いを浮かべる。
「コホン……。ミーシャさん、ファイさんを見ていてくださってありがとうございますわ。ファイさんも。わたくしの言うことを聞いて、きちんと待っていてくださって、ありがとうございます」
「「ニナ……」」
仲良く声を揃えてニナを見上げたファイとミーシャ。その様子が微笑ましいというように「ふふっ」と笑ったニナは、キリッと眉毛を逆立てた。
「さて! ミーシャさんには引き続きファイさんを見ていていただくとして……ファイさん!」
「……なに?」
役立たずの自分に何を言うのだろうか。気分の落ち込みもあってやや卑屈になるファイがニナを見ると、
「今のファイさんでもできる、大切なお仕事のお時間ですわ!」
ファイの主人はそう言って、胸を張った。
「おし、ごと……?」
「はい! とぉ~っても大切なお仕事、ですわっ」
大切な仕事。欠かせない役割が、与えられようとしている。それを理解した時、ファイの顔と目に生気が戻る。美しい金色の瞳はきらりと輝き、まるでフォルンに照らされたかのようだ。
「お仕事!」
「んにゃっ!?」
声を弾ませて立ち上がったファイに驚いて、毛を逆立てるミーシャ。そんな同僚に構わず、ファイは鼻息荒くニナから指示を待ちわびる。
「ニナ! 私の仕事、なに!?」
「はうっ!? ふぁ、ファイさん! お顔が近いですわぁ~っ!」
思わず踏み込んで聞いてしまうファイに、ぎゅっと目をつむるニナ。ただしその顔は迷惑というよりは、むしろ嬉しそうなものだった。
「ファイ! ニナが困ってるじゃない」
「あっ……。うん。ごめん、ね。ニナ」
「い、いえっ! むしろご褒美と申しますか、なんと申しますか……」
ミーシャがファイを引きはがして落ち着かせたことで、ようやく話は前に進み始める。
「こ、コホン……。さて。これからファイさんには通信士さんになっていただきます」
「つうしんし?」
ウルン語に訳すと、通信をする人ということになる。そしてどうやらその言葉通りの意味のようで――。
「ファイさんには複数のピュレさんを使って、エナリアに散ることになるわたくし達への指示を飛ばしていただきたいのです」
「……えっと?」
首を傾げたファイにニナが続けた説明をまとめると、こうだ。
まず、前回と違って今回は最初から光輪が攻略を目的としているだろうことが分かっている。そのためニナ達は“表”に出て、エナリアの防衛をしなければならないのだそうだ。
そこで鍵になってくるのが、各所に散らばった従業員同士の連携。そして、探索者たちの正確な位置の把握なのだという。
「特にこのエナリアで守るべきは、ウルンの方々だけではありません。ここに住んでくださっているガルンの方々も守らなくてはならないのですわ」
言いながら、執務室から続く私室へと歩を進めるニナ。恐らく着替えるのだろう彼女の動きを目で追いながら、ファイもニナの説明に耳を傾ける。
この不死のエナリアでは、ガルン人によるウルン人の殺生が禁止されている。裏を返せば、もしウルン人たちが積極的にガルン人を攻撃するようなことがあれば、ガルン人は一方的に殺されてしまう。それは疑いようのない“不幸”であり、ニナが追い求める誰もが“幸せになれるエナリア”からは程遠いものになってしまう。
しかし、ファイはそこでニナの説明に待ったをかける。
「待って、ニナ。基本的に探索者はガルン人を襲わない、はず」
ウルン人がガルン人と戦うのは、魔素供給器官を求めてガルン人たちが襲ってくるからだ。専守防衛に近い立ち位置にあると言って良いだろう。
襲い掛かってこないのであれば、ウルン人がガルン人と戦う理由は無い。いや、戦えば体力や物資も消耗する以上、むしろ不利益の方が大きいはずなのだ。
つまりこちらから仕掛けなければウルン人は襲ってこないというのがファイの予想だ。そして、このエナリアに住むガルン人はウルン人を襲わない。自然、ウルン人と戦闘になるはずもなく、気にかける必要はないのではないか。
そう指摘したファイに、ニナはゆっくりと首を振った。
「いいえ、ファイさん。多くの場合、探索者の方々は見かけたガルン人……魔物を積極的に攻撃するのですわ」
その理由についてニナは、「帰りを考えてのこと」だと語る。
「探索者の方々が死亡する機が最も高まるのは、主に3つ。階層主への挑戦時。宝箱を始めとする罠の解除時。そして、帰り道なのだそうですわ」
ニナが知る限り、気力と体力と物資が枯渇しがちな帰り道の安全確保の観点から、出会った魔物――魔獣やガルン人――を皆殺しにする探索者の方が多いらしい。
ただし、それはあくまでも“見かけた魔物”に限定されるのがほとんどなのだそうだ。
広大で、視界の利かないエナリアで、全ての魔物を殲滅するのは容易ではない。むしろその作業による不利益の方が大きくなることがほとんど。
時間も労力も有限だ。そのため、積極的に魔物を探して殺そうという探索者は稀なようだった。
(そう、だったんだ……)
初めて知る探索者の一面に、微かに目を見張るファイ。彼女がこの情報を知らなかったのは、黒狼がエナリアの攻略を目的として動いたことが無いからだ。
黒狼が行なっていたのは“盗掘”。可能な限り敵との戦闘を避け、損耗を減らし、利益を優先する。そんな作業にばかりファイは連れて行かれていたため、本格的な“攻略”については知識が不足していたのだった。
「――つまり、ファイさんには光輪の皆さんの位置を確認していただいて、住民の方々が鉢合わせることが無いようにもしていただきたいのです」
現状、13階層以下であれば各所に散らばったピュレを使って遠隔から光輪の動きを監視することができる。しかし、魔獣も居て戦闘がよくある“表”で、つぶさにピュレが映す映像の確認などできない。
そのため安全な場所にいるファイがピュレの映像を確認し、各方面へ連絡を入れる。それが通信士の役割らしい。
「こちらも本来は専門の方がいらっしゃるのですが、あいにく……」
「このエナリアには、人が居ない?」
明け透けなファイの物言いに、ニナも開き直った様子で「その通りですわ!」と胸を張る。
前回、光輪がファイを捜索しに来た時もそうだったように、通信士の仕事はニナが行なってきた仕事のようだ。
「ですが今回は、わたくしの出番があるかもしれません。なので表に出て、エナリアの核を守る必要がありまして……」
光輪は、赤色等級の探索者組合だ。可能性は低いとはいえ、最終階層であるこの第20階層まで到達してしまう可能性があるのだという。
「わたくし達だけでなく、ここに住んでいらっしゃるガルン人の方々の命にもかかわる、大切なお仕事。任されていただけますでしょうか?」
そんなニナの問いかけに、ファイは力強く頷いてみせた。




