第69話 「ごめんなさい」は、しない
“不死のエナリア”第20層。ユアの研究室での片づけを終えたファイがニナの執務室を訪ねたところ、
「ダメに決まっておりますわぁぁぁ~~~っ!」
開口一番。ファイはニナに叱りつけられていた。何がダメなのかと言えば、ユアのためエナリアのために自身の身体を実験に使ってみることについてだった。
「知ってる。ユアも『許可が出ませんでした』って言ってた」
「でしょうとも! ですが……ですがっ! わたくしはファイさんにその場で“否”と言って欲しかったのですわぁ!」
自分の命を大事にしろという命令をきちんと理解しているのならば、ユアに提案を持ちかけられた時点で拒否できたはず。そう言って憤慨するニナに、ファイは申し訳なく眉尻を下げることしかできない。
ファイも、なんとなくダメだろうなという気はしていた。しかし小さな事柄ならまだしも、要所で自己判断することは道具の範疇を超えているような気がしたのだ。
「このままでは送り出す先々でファイさんがあんなことやこんなことをされそうで、わたくし。おちおち業務もできません!」
「ご、ごめんなさい。……でも、ね。ニナ」
「『でも』、なんですか!?」
ぷりぷり怒って聞いてくるニナに、ファイは思っていることを素直に伝える。
「心配してくれて、ありがとう」
「…………。……はわっ!?」
しばらく言葉を噛み砕くような時間を置いてから、急に顔を紅潮させる。そんな主人に、ファイは今度こそ宣言する。
「分かった。ニナが心配しちゃうなら、私は私の身体を大事にする。だって道具に“心配”は必要ないから」
これまでのように心配しないでとただ言うのではなく、心配しなくていいように努める。いや、これまでもファイはそうしていたのだが、きちんと言葉にしたのだった。
「ふぁ、ファイさんは卑怯ですわ……」
「……? どこ? どこが、ズルい?」
「そういうところですわっ! もう……。ところで」
椅子の上で姿勢を正したニナが、ファイの服装に目を向けてくる。そこには、元が何色なのかもわからないほどどす黒く汚れた侍女服があった。
「お、お届け物をしてもらうだけのはずが、どうしてそのように血まみれに……」
困惑の表情と共に発されたその発言は、どちらかと言えば独り言だったのだろう。しかしファイは、律儀にユアのところで起きたことの顛末を語る。段々とニナの顔が曇っていき、最終的には頭を抱えていたことは言うまでもない。
結局、ファイが丁寧に説明を終えても、
「どうしてそうなったのですか……」
このように、ニナの口からこぼれる言葉が変わることは無かった。
「あれ、説明が下手だった? じゃあ最初から――」
「いえっ、大丈夫です、大丈夫ですわファイさん! それよりも、ユアさんから何か受け取りませんでしたでしょうか?」
「ユアから?」
何か貰っただろうか。虚空を見つめて思い出してみるが、ファイに思い当たる節は無い。そもそもお届け物があれば、ファイは真っ先にニナに渡している。
「何もない。何かあるはずだった?」
「む。そう、ですわね。別に隠し立てするようなことではないので申し上げますが、ユアさんにはピュレの改良を頼んでいるのです。そろそろ検体が仕上がる頃かなと思っていたのですが」
そう言えば黒狼に戻る前、そんな話をしていたような気もするファイ。確か、上層階でも長期的に活動できる多機能型ピュレを開発中だと言っていたはずだ。
その理由についてニナは、各階層の監視を効率化するためなのだと言う。
「現在、音声・視界共有機能を備えたピュレさんが自立活動できる範囲は13層……。瀑布の階層までなのですわ。それ以上の階層は、わたくしが目視で監視しているのです」
「それが“お散歩”?」
ファイの質問に、ニナが「はい」と頷く。
ではなぜ監視作業が必要なのかと言えば、生態系が乱れていないのかを確認したり、受け入れたガルン人たちが十分な生活を送ることができていのかを確認したり。時には要望を聞いて、必要な設備を整えたりもするらしい。
「他にもウルン人の方を食べようとする少しやんちゃな住民・従業員さんが居たり、魔獣に襲われている人が居ないかを確認していたりもしますわ。……ファイさんの時のように、ですわね!」
そうしてニナが見回りをしてくれていたからこそ、ファイは一命をとりとめたと言っても良かった。
エナリアの秩序を保つためにも、監視作業は欠かせない。しかし、直接の監視作業にはどうしても手間と時間がかかるし、ニナの執務も滞ってしまうことになる。だからこそ、12層より上でも自立して自由に動き回ることのできる監視用ピュレの開発をユアに頼んでいるらしかった。
と、お散歩と監視業務について話していたファイはふと、自分とニナとを出会わせてくれた巨人族のことを思い出す。
「そう言えば、私を食べようとしたあの巨人族はどうなった、の?」
「あー……。デデンさん、ですわね。あの方には申し訳ないことをしてしまいましたわぁ……」
ファイを食べようとした――最重要の決まりを無視した――デデンに、ニナは折檻をしたのだという。具体的には、利き腕である右腕を切断したそうだ。しかし、そのことに当人と家族が猛反発。ニナに反旗を翻したのだという。
もちろんニナが返り討ちにしたのだが、そのことで決定的に決裂。このエナリアを出て行ってしまったのだという。
「ご本人さん達には、ルゥさんの治療薬で治療を施しました。ですが、彼らが出て行ってから、その……。わたくしのエナリアが危険だ、理不尽だと触れ回っているらしく……」
彼らが不死のエナリアの悪評を広めていること。そこにニナの理念に反対して“不死のエナリア”を出て行った人々の声が重なっているせいで、リーゼが行なっている勧誘活動にも支障をきたしているようだった。
「別に、わたくしのことを悪く言われるのは構わないのです。ですが、お父さま・お母さまが遺してくださったこのエナリアのことを悪く言われるのは少し……ほんの少しだけ、堪えますわね」
「ニナ……。ごめん、ね?」
悲しみと悔しさとをにじませて笑うニナに、ファイはただ謝ることしかできない。
「ど、どうしてファイさんが謝るのですか?」
「だってニナが私を助けたから、ガルンから人が来なくなった。私のせい」
自分を助けなければ、巨人族がこのエナリアを出て行くことは無かった。根も葉もない“不死のエナリア”の悪評が拡がることも無かった。
自分がニナの足を引っ張ってしまっている。そのことを知って落ち込むファイに、ニナは「いいえ」と首を振る。そしてわざわざ椅子から立ち上るとファイの所までやってきて、その小さな両手でファイの右手を包み込んだ。
「わたくしはファイさんを助けたことを後悔しておりません。むしろあの時にファイさんを助けて良かったとすら思っております!」
「……どうして?」
目の前にある茶色い大きな瞳に、ファイは問いかけてみる。
「もしファイさんという犠牲を見逃していれば、このエナリアに……我が家に住んでくださっているガルンの方々に、顔向けができなくなるところでした」
ウルン人を襲うな・食べるなと言っておきながら、それを見逃した前例がある。それだけで、ニナへの信頼が揺らいでしまうことになっていたかもしれない。あるいは、見つからなければ大丈夫だという甘えた認識が広まってしまう可能性があったのだとニナは語る。
「なにより、こうしてファイさんに出会い、共に暮らすことができませんでした」
そう言って、ファイの手を包み込みながら笑ってくれるニナ。本当にファイを助けたことを後悔していないのだと語るその表情に、だからこそファイは申し訳なくなる。もしファイが危機に陥らなければ、ニナに助けられるような状況にならなければ、きっとこのエナリアにはもっとたくさんの人が来ていたはずなのだ。
「でも……」
「もうっ! 『でも』も『だって』もありませんわ! それともファイさんは、わたくしと出会ったことを否定なさるおつもりですか!?」
ニナに言われて、ファイもようやく気付く。もしあの日、ファイがニナに助けられることが無ければ、ファイはニナに会えていないのだ。それはつまり、今もなお黒狼の自室で丸くなって、フォルンを知らないままの日々を送っていたということになる。
ファイがニナとの出会いを謝罪する――後悔する――とは、つまり、ニナとの出会いを否定することでもあるのだ。
「……ううん。私はニナと会えて良かった。だからもう、ごめんなさいは、しない」
「はい! それに、デデンさん達がおっしゃっていることも決して間違いではないのです」
そもそもエナリアが危険であることは事実で、ましてやニナのエナリアは実質、黒色等級。危険度は最高級だ。“ただ暮らす”にはあまりにも危険な場所と言える。
「それに、わたくしが禁食令という理不尽を押し付けているのもまた、事実ですもの。けれど、それでも。わたくしはこのエナリアを、幸せいっぱいの場所にしたいのです!」
「ニナ……!」
キラキラと眩しい笑顔で何度目とも分からない夢を語るニナ。ファイを助けたことは、そんな彼女の理想を実現する覚悟を示した証でもあったのだろう。
「助けさせてくれてありがとうございますわ、ファイさん!」
「私こそ。ニナ、助けてくれて、ありがとう」
フォルンを教えてくれた存在に微かに微笑んで、手のひらの中にある小さな手を握り返すファイだった。




