第67話 ユアは、変わった子?
配達という仕事には戦闘があり、服も体も汚れることを知ったファイ。働くことの大変さを改めて実感した彼女は、ひとまず、主人のもとへと帰ることにする。
(ニナ、きっと褒めてくれる……!)
小さな主人からの笑顔と言葉という労働の対価を早く受け取りたいと、ファイは早々にこの場を後にすることにした。
「それじゃあ私は行く。えっと……さようなら? ユア」
「ま、待って!」
立ち去ろうとしたファイを、ユアが引き止めてくる。どうしたのかと振り返ったファイを、ユアはうつむいたまま上目遣いに見てきた。
「あ、の……。ちょ、ちょっとここで待っててくれます……か?」
それだけ言うと、ファイの返答も待たずに広間の入り口――ユアの私室へと続く通路へと駆けて行ってしまう。
ふさふさモフモフの黒い尻尾を見送ったファイが振り返ると、牙豹、2体の黒飛竜という3体の赤色等級の魔獣が居る。
「……戦る?」
特段、戦闘の気配を漂わせることもなく、自然体で聞いてみたファイ。向こうがやる気ならばファイとしても応じるほかないのだが、
『フガーゴ……』
牙豹は大きなあくびをしてその場で丸くなる。ミーシャがよく見せる、我関せずの姿勢だ。こう見れば、なるほど。大きな白い猫という印象だと、牙豹の評価を改めるファイ。
他方、黒飛竜も2体で何かを言い合ったのち、じゃれつくようにどこかへと飛んで行ってしまった。
こうしてなし崩し的に、ファイと魔獣たちとの戦闘も終了する。これ以上エナリアの損失を増やさずに済んだこと。また、単身で赤色等級の魔獣3体を相手取るという極めて無謀な戦いをせずに済んだこと。その2つの事実に、ファイが密かに胸をなでおろしたことは言うまでもなかった。
(でも、不思議……)
ファイは、目の前で前足の毛づくろいをしている牙豹や上空で遊んでいるように見える黒飛竜を金色の瞳で眺める。
エナリアに居る魔獣たちの多くは、ガルンに起源を持つ。つまりガルン人と同様に進化を欲し、魔素供給器官を持つウルン人を積極的に襲う。ガルン人と違って本能に忠実な行動を見せる魔獣たちは凶暴で、身体能力も高い。野生の勘を駆使して戦うことも多く、ガルン人よりも魔獣と戦う方が苦手だという探索者も珍しくなかった。
そんな進化欲に忠実な魔獣たちが、ご馳走であるファイを見ても襲い掛かってこない。特に牙豹や黒飛竜など肉を好む魔獣が極上のエサを前にして興味を示さない。その光景は、15年のほぼすべてをエナリアで過ごしてきたファイにとってかなり衝撃的だ。
(きっと私が甘いお菓子を我慢させられるのと一緒)
目の前にルゥやニナの作った焼き菓子を置かれた状態で“マテ”をさせられているようなものだろうと、ファイは魔獣たちの内心を推し量る。
もちろんファイは命令さえあれば死ぬまで甘いものを我慢できる自信があるが、やはり辛いものは辛い。ましてや牙豹たちは動物だ。我慢なんてもの、本来は必要ないはずなのだ。にもかかわらず、ここの魔獣たちはきちんと“マテ”ができていた。
「あなた達、すごい、ね?」
気づけばファイの手は目の前で目を閉じる牙豹の頭に伸びている。もはやファイに、この場に居る魔獣たちを警戒する要素が無い。むしろ自分と同じく“主人のために戦う道具”として、無意識に親近感すら抱いていた。
そうして油断し切った心持で伸ばしたファイの腕を、一度だけちらりと見た牙豹。だが、特段警戒することもなく前足に頭を乗せる姿勢に戻る。結果としてファイの手は牙豹の頭へと到達することができて、
「よしよし」
牙豹の、なめらかでフワフワの白銀の毛を撫でてあげることに成功する。そのままユアが戻ってくるまでの少しの間、ファイは人慣れしているらしい牙豹とたわむれるのだった。
「お、お待たせしました……っ」
それはもう小さな声で言って戻ってきたユアの変化を、ファイは目ざとく見つける。
まずは服だ。先ほどは下着と肌機だけの姿だったが、今は侍女服に着替えている。尻尾があるためか裳の後ろ側には切り込みが入っていて、釦で留められるようになっている。それにより好きな位置から尻尾を出せるだけでなく、尻尾が動いても裳の内部が見えないように工夫しているようだった。
また、服装以外に変化はもう1つあった。
ファイから受け取った小箱の代わりに、ユアの細い腕の中には2体の青いピュレが抱えられている。そのうちの1体を「こ、れ……っ!」と言って強引に手渡してきたユア。ファイが受け取ったことを確認するや否や、またしても通路へと逃げていってしまった。
一体何が何やら分からないファイ。ひとまずひんやりもちもちのピュレの感触を楽しんでいると、
『あー、あー。聞こえますか、ファイちゃん様』
青いピュレからユアの声が聞こえてくる。その声は先日、光輪対策会議で聞いた知性溢れる声だ。
「えっと……。ユア?」
『はい、ユアです。先ほどファイちゃん様と対等に戦った、優しくて可愛いユア・エシュラムです』
「そっか。……そっか?」
納得しようとしたファイだが、さすがに無理だった。
「えっと、なんでピュレを使う、の?」
ファイとユアは合って話せる距離にいる。だというのに、どうしてわざわざ遠距離通信用のピュレを使うのか。合理性のないユアの行動の意味を、ファイは知りたかった。
『色々と事情があるんですが、ユアは人と面と向かって話すのが苦手なんです』
「……? どうして?」
対人でのやり取りの方が相手の表情や仕草といった多くの情報を得られるぶん、通信よりも優れているというのがファイの持論だ。
だというのに、ユアは通信でのやり取りを好むと言った。自身とは違う価値観を持っているらしいユアへの好奇心が、ファイの口から思わず出てしまったのだった。その好奇心のついでに、話をしながらファイはとある方向を目指して歩き始める。
『そう、ですね……。先ほどご迷惑をおかけしたお詫びも兼ねて、優しいユアが教えてあげます。感謝してくださいね』
「うん、ありがとう。……で?」
『実はユア、目を見た相手の考えてることが分かるんです。すごいですよね』
他人事のように自画自賛するユアに、ファイはもちろん頷く。
相手の考えていることが分かる。それは戦闘において、圧倒的な優位性を生む特殊能力だ。次に相手が何をしようとしているのか分かる。それは疑似的な未来予知と言ってもいいだろう。
「うん。すごく便利」
『……ファイちゃん様、本当にユアのことすごいって思ってます?』
「思ってる。ユア、すごい」
平坦な声で言いながらも移動をし続けていたファイは、ようやく目的地――ユアの私室へと続く鉄扉の前までやってきた。そして、こっそりと扉を開く。そこには薄暗い部屋の中、ピュレを片手に胸を張って尻尾を揺らすユアの姿があった。
『そ、そうですよね。ユアは優しくて可愛くてすごいんです』
そんなユアの肉声とピュレから発される声が重なる。
ファイは先ほど見かけた「ユア」とピュレ越しに話す「ユア」が同一人物だとは思えなかったのだ。だからこうして確認してみたわけだが――。
「ほんとだ。ユアはユアだった」
「きゃいんっ!?」
部屋に踏み入ってきたファイに驚いたユアが悲鳴を上げて飛び上がる。危うくピュレを落としそうになっていたが、ファイが空中で上手くつかみ取ってみせた。
そして、「か、返してください……」と泣きそうな顔で見上げてくるユアに、ピュレを渡してあげる。するとユアは金属製の扉を開いて、先ほどの大広間へと逃げていってしまった。
『……ファイちゃん様! ユアが可愛いからって、からかわないでください!』
「あっ、ご、ごめんなさい……」
憤慨するユアの言葉を受けて、自身が好奇心に負けてしまっていたことを自覚したファイ。道具にあるまじき行為だったと分かりやすい落胆を顔に映すが、幸いにもこの場に居るのはプルプル震えるピュレだけだった。
『コホン……。それでえっと……――』
「どうしてユアがピュレ越しに話すか?」
『――そう、それです。さっきも言ったように、ユアは生まれつき、魔獣さんを始めとする様々な生き物の考えていることがぼんやりと分かるんです。それは人相手でも一緒なんですが……』
そこで一度、ためらうような間を置いたユア。あるいは、適切な言葉を探していたのかもしれない。少しして口を開いた彼女は、対面での意思疎通を図らない理由を明かす。
『色々と雑音が聞こえてくるんですよ。いくつも声が重なってきこえてきて、どれが口から出てる声なのか聞き分けられるようになるまで、すごく時間がかかりました……』
それでもユアは天才なので問題ありませんでしたけどね。当然のことだと言うように淡々と付け加えるユアの人となりを、ファイは少しずつ把握していく。ユアもルゥやミーシャと同じで、ニナという主人を頂く“仕事仲間”だ。今後の円滑な交流のための情報収集に、ファイも余念がない。
一方で、相手の思考を読むことができるユアが使った「雑音」という単語に含まれる“重み”を推し量るには、ファイの知識はあまりにも少ない。雑音という単語を額面通りに捉えてしまう。
(つまりユアが誰かと面と向かって話し合うと、考えてることも一緒に聞こえてきてうるさい……?)
だから顔を見ずに落ち着いて話せるピュレを使って会話する。それが今のファイに導き出せる、精いっぱいの答えだった。
『ただ、さっき確認したら、ファイちゃん様には全く雑音が無かったんです。つまりファイちゃん様は良くも悪くも裏表のない。……バカ正直者なんですね』
そこでようやくファイは、戦闘の直後に牙豹の背中から下りてきたユアが言った言葉『お姉さん、ばかだったりしますか?』の真意を知る。
どうやらただファイを馬鹿にしただけではないと分かったファイだが、結局自分はバカにされたのか、褒められたのか。その点については、さらに分からなくなるファイだった。




