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ほの暗い穴の底から“幸せ”をっ! 〜仲間に捨てられた薄幸少女剣士、異世界の少女とダンジョン経営を通して本当の“幸せ”を探す〜  作者: misaka
●お届け物、だよ

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第66話 “はいたつ”は、たいへん……




 汗がファイの頬を伝う。深い呼吸を繰り返して息を整えるファイを、牙豹(きばひょう)の背中の上からユアが見下ろしてきた。


「ふ、ふふ……っ! やっぱりお姉さん、よ、弱いんですね……っ!」


 長い桃色髪を揺らしながら、勝ち誇った顔でファイを見てくるユア。終始、小ばかにしてくる彼女の発言に、ファイが封じ込めている“心”が小さく揺れる。


 しかし、事前にルゥに言われていた「自分を強く持ってね」という言葉を頼りに、平静さを保つ。


「私は、弱くない……」

「う、嘘は良くないですよ、お姉さん? ユア、目も耳も良いから分かります。その服の下は汗でびっしょりだし、心臓もバクバク、ですよね……?」


 左右色が異なる不思議な目をファイに向けて、陰気臭い顔で笑うユア。気弱そうな外見に反して、息をするように他人を舐め腐る高慢な態度。その()にやられ、またしてもファイの中にある心がむくむくとその存在感を強めてくる。


(冷静に、冷静に)


 このままでは弱い自分が顔を出してしまうため、ファイはユアではなく自分に思考を向けることにした。


 そもそも、ファイの記憶が正しければユア自身の強さはミーシャより少し上なだけだ。中層に居る魔物よりも弱かったと記憶している。つまり、魔物としては黄色等級ほど。ファイが「えいっ」と拳を当てることさえできれば、一撃で昏倒させられるくらい弱いのだ。


 だというのに、自身は安全圏から高みの見物を決め込んで、汗水たらして戦闘しているファイを「ザコ」と罵ってくるのだ。そう考えるとファイの中で押し込めていた苛立ちという感情がさらに大きくなってきて――。


(……あれ?)


 この時ようやく、ファイは肝心な部分に気が付く。


 そう。ユアよりファイが強いことを示すには、わざわざ魔獣を倒す必要はないはずなのだ。接近する必要すらない。牙豹で無防備にこちらを見下ろすあの少女に〈ヴァン〉を使うだけで、ファイは勝つことができる。


 ルゥの言葉を借りるなら、“分からせ”することができる。


 それならば話も早いとファイはユアに向けて魔法を使──おうとして、やめた。


(きっと、これじゃダメ)


 確かに豊富な遠距離攻撃を持つファイは、ユアに簡単に勝つことができるだろう。しかし、果たしてそれで本当に「ユアに勝った」と言えるのだろうか。


(だって、魔獣たちこそ、ユアの“武器”だから)


 彼女が使役している魔獣を含めたすべてがユアの強さなのだとすれば、ユア個人だけを倒したところで自分が上と言い張ることはできない気がするファイ。何よりそんな姑息な手段――あくまでもファイの中で――で勝利したとしても、ユアは荷物の受け取りを拒否すると思われる。


 結局のところ、魔獣を倒さなければユアに荷物を届けられないといことになるのではないか。真面目なファイの頭はそんな結論を導き出したのだった。


 と、こうして長い思考をしていたファイは、違和感に気が付く。これまでは自衛の意味も込めてだろう。ユアはすぐに魔獣をけしかけてきた。しかし今は、牙豹の背の上から横目でチラチラとこちらを見下ろしてファイの出方を伺っている。


「……来ない、の?」

「お、お姉さんこそ。早くこの子たちを攻撃すればいいじゃないですか。よ、弱いんだから、先手は譲ってあげます。ユア、優しいです……!」

「……う、ん?」


 何かがおかしいとファイは首をひねる。


 そもそもファイは、魔獣を殺しに来たのではない。あくまでもユアに荷物を届けに来て、その障害になるから仕方なく魔獣を処理しただけだ。それに赤色等級以上の魔獣となれば貴重な商品であることは疑いようがないし、ファイとしても戦いたくない。絶対に深手を負うことになるからだ。


 向こうから来ないというのなら、ファイには仕掛ける理由が無かった。


 そうして一度、臨戦態勢を解いたファイ。それでもユアに動きは無く、黒飛竜たちにも動きは無い。


「ど、どうしたんですか、ザコのお姉さん……? 攻撃しなくて良いんですか? 早くしないと、ユアがこの子たちをけしかけちゃいますよ?」

「良い、よ? その時は、戦うから」


 とりあえず魔獣たちの動きを見守る態勢に移ったファイに、なぜかユアが目に見えて焦り始めた。


「ほ、本当にいいんですか? 黒飛竜(ゲャバステラ)2体、ですよ? ザコのお姉さんだと、絶対に、し、死んじゃいますよ?」

「うん。でも奇襲できないなら、私から仕掛けるのはダメ。しっかりと2体ともの動きを見ないと」

「あ、ぅ……」


 今度こそ、分かりやすく視線を泳がせたユア。その焦りの意味が分からずにわずかに眉根を寄せたファイだが、ふと、とある可能性に思い至った。


「……もしかしてその黒飛竜、ユアの言うこと聞かない?」


 そんなファイの指摘に、ユアは白い毛におおわれた耳と黒いモフモフの尻尾をピンと立てた。


「そ、そんなことあるわけないじゃないですか……」


 明後日の方向を向きながらファイの言葉を否定するユア。だがファイは、ミーシャを通じて知っている。ゆっくりと力なく左右に振られる尻尾は、その尻尾の持ち主が隠し事をしている証なのだ。


 いよいよもって、ファイは確信する。


 特殊能力が切れたのか、使役できる魔獣の強さに限界があるのかは分からない。しかしユアは、少なくともあの2体の黒飛竜を呼び寄せる程度のことはできても、自由に扱うことはできないのだ。だからファイに黒飛竜を攻撃させ、ファイを敵とみなした黒飛竜が戦うように仕向けようとした。


 そうなると──。


「……で、ですが仕方ないですね。ユアは優しいので、今なら降参しても良いですよ? ヨワヨワのお姉さんのこと、見逃してあげても良いです」


 そう言って“強がる”ユアの甘言に乗る必要などない。むしろファイは強気に出る。


「ううん、降参はしない、よ。ユアこそ、今なら間に合うけど、良いの?」

「な、なにがですか?」


 チラチラとファイの方を見てくるユアの瞳をまっすぐに見つめ返す。


 この時ファイの中にあったのは少し前、ニナにルゥとの抱擁を見せつけた時とよく似た感情だ。ユアにさんざん馬鹿にされ、手傷まで負わされたファイ。そのため、ちょっとした嗜虐心のようなものが出てきてしまったのだ。


 また、殺し合い自体は好きではないが、戦うことそれ自体は好きなファイ。自分が役に立っていると分かりやすいからだ。実際、決闘の際のルゥからの挑発にも、ファイは無自覚ながら嬉々として応じている。そんな生来の交戦的な性格も相まって、


「――私を馬鹿にしたこと、許してあげても良い」


 そう言って微かに眉を上げたファイの表情は、()る気に満ち溢れていた。


「「…………」」


 ほとんどの魔獣が殺され、静かになってしまった大広間。ファイの金色の視線と、桃色・薄青色をしたユアの美しくも幻想的な視線が交錯する。その静寂を破ったのは、困惑したユアの声だった。


「あ、れ……?」


 何度か瞬きをしたかと思うと、もう一度ファイの目を見てくる。それでも何かが納得いかないらしい。


「う~ん……?」


 目をゴシゴシとこすって、眉間にしわを寄せてファイの方を見てくる。が、やはり得心いかないようす。


 ついには牙豹の背中から「よいしょ」と降りてきて、トテトテとファイのすぐ目の前までやってきた。そして、何をしているんだろうと首をかしげるファイの瞳を、背伸びまでして覗き込んできた。


「(じぃ〜……)」

「……?」


 息が触れ合うほどの距離で、ファイが左右異なる色の瞳と見つめ合うこと数秒。


「やっぱり、なにも感じ取れないです……。こんなこと、初めて……」


 何やら小さく呟きながら1歩下がったかと思うと、あごに手を当てて思索にふけり始めた。


 何が何やらわからないが、ファイとしてはやることは変わらない。


 ユアが固まったその隙に魔獣の残骸を避けながら移動して、大広間の入り口に当たる通路に置いて来た小箱を取りに帰る。一応、牙豹や黒飛竜の動きにも気を配っていたのだが、彼らに敵意は無い様子だ。


 何事もないまま小箱を持ってユアのもとへと戻ったファイ。


「あなたが、ユア?」


 念のために目の前で考え込んでいる桃色髪の少女に聞いてみる。すると、ようやく顔を上げた少女は、


「お、お姉さん。ひょっとして、ばかだったりしますか?」


 人を挑発するようなこれまでとは違う。それはもう純粋な顔と声色で、ファイに聞いてくる。


 ただし、言われたファイにとってはやはり、挑発以外の何物でもない。


「いい度胸。〈フュール〉」

「……え?」


 風の魔法を使ってユアを攻撃――するのではなく、手に持っていた小箱を風で浮かせる。そうして空いた両手を使って、至近距離で馬鹿にしてきた小娘のわきの下に両手を差し入れ、小さな身体を持ち上げた。


「きゃう!?」

「ようやく捕まえた。あなたがユア? ユア・エシュラム?」

「は、はい……。そうです」


 観念したのか、消え入りそうな声でファイの問いかけに答えたユア。彼女の目は今度こそ、ファイの瞳を見つめ返している。


 その返答にコクリと頷いたファイは、彼女を地面に下ろしてあげる。そして、〈フュール〉で浮かせていた小箱を手に取ると、ユアに渡した。


「ん。じゃあこれ。ニナからのお届け物。あとこの紙に受け取りのしょめい? をお願い」

「あ、ぅ、はい……」


 素直意に頷いたユアが、ファイの差し出した紙にガルン語で名前を書いてくれる。急にしおらしくなったユアを不思議に思いつつも、これでようやくファイはニナから与えられた“お仕事”を完遂することができた。


 服は魔獣の血で汚れてしまったが、替えは貰っている。ただ、髪や顔の汚れは着替えのように簡単にはいかない。お風呂に入るにしても、あまりにも間隔が短すぎる。具体的には、お風呂に入ってから3時間も経っていないのだ。


(“はいたつ”……。大変な仕事……)


 戦闘もあるし、服も体も汚れる。人にモノを届ける“配達”が大変なものだと身をもって知ったファイは、達成感と共に汗をぬぐったのだった。




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