第64話 チューリは、良い子
※いつもご覧頂いて、ありがとうございます。前のお話の末尾にメイド服姿のファイの参考AIイラストを付け加えさせています。もし未読かつご興味がございましたら、ご覧になってみてください。
ファイが侍女服姿になってから、少し。ニナに任された久しぶりの“お仕事”は、荷物の配達だった。その届け先というのが『ユア・エシュラム』。ファイにとって名前と声だけ聞いたことのある、“不死のエナリア”の従業員だった。
それでもエナリアの魔獣開発を担い、ニナに頼られていたその光景はファイにとっても印象深いものだ。やや幼さを残す声ながら、ハキハキと芯の通った声。どこか聡明さを感じさせる、落ち着いた物言い。恐らくリーゼを小さくしたような人物なのだろうというのが、ファイの印象だった。
ただ、ファイには少し気がかりなことがある。それは、この仕事を請け負うにあたってルゥからこんな忠告を受けたのだ。
『いい、ファイちゃん。ファイちゃんなら大丈夫だと思うけど。……自分を強く持ってね』
果たしてルゥの真意は分からないが、ファイとしてはとりあえず与えられた指示をきちんとこなすことだけだ。
「――居た」
ファイが目ざとく見つけたのは、体長10㎝ほどの小さな白い鼠だ。名前は『チューリ』ピュレと同じで、エナリアで生活していれば、廊下の端や配管の上でちょくちょく見かける人工の魔獣でもある。ピュレとの違いと言えば、基本的に“表”で見かけることが無いことくらいだろう。というのも、チューリの役割は戦闘や掃除ではなく、特定の人物が居るところへの道案内だからだ。
「えっと……」
ファイは腰に下げた鞄から、チューリの好物である乾酪を取り出す。すると、小さく鳴いたチューリがファイの足元にすり寄ってきた。
『チュ?』
その愛くるしさに撫でようとしてしまう弱い自分をなだめつつ、ファイはチューリに乾酪を差し出してみた。と、チューリはファイの指先から乾酪を受け取り、小さな前足を使って器用に咀嚼し始めた。
「(じぃー……)」
しゃがみこんだファイが見つめる先で、あっという間に1㎝角の乾酪を頬袋に詰め込んだチューリ。果たしてあの頬はどれくらい膨らむのだろうか。興味のまま、ファイはさらに乾酪を差し出してみる。すると、またしてもチューリは器用に乾酪を歯で小さくちぎっては、頬に詰め込んでいく。
やがてファイが手元にあった乾酪を渡し切ることには、チューリの頬は数倍にも膨らんでいた。
(すごい……)
想像以上に膨らんだ頬とチューリの可愛らしい姿に満足したファイは、再び鞄をまさぐる。そしてニナに渡された桃色の布切れを取り出し、鼠の鼻先に持っていった。
すると、尖った鼻を何度か鳴らしたチューリが「チュチュッ!」と鋭く鳴いて、廊下を走り始める。
(ついて行けば良いんだっけ……?)
ニナ達いわく、この布切れにはユアの匂いが着いているのだという。その匂いを辿って、チューリは目的の場所へと案内してくれるそうだ。ただし、報酬の食べ物は先払い。しかも気分屋で、量を与えないと言うことを聞いてくれないこともしばしばあるそうだ。
その点、今回ファイが見つけたチューリは素直な性格をしているのかもしれない。さらには、考え事をして足を止めてしまっていたファイを待つようにして、少し先でこちらを見つめている。
(……良い子)
“当たり”のチューリを引き当てたことに感謝しつつ、ファイは配達先への道のりを歩き始めた。
途中、疲れた様子だったチューリを肩に乗せてあげながら、チューリの指示のもとファイが移動すること1時間と少し。ファイが第11層の廊下を歩いていると、
『ヂュッ!』
ここだっ、とでも言うようにチューリが鳴いた。そこには金属製の扉があり、付近の壁にはガルン語で「ユアの研究室」と書いてある金属板があった。“研究”の部分は読めないものの、勉強の甲斐あって肝心の“ユア”の部分は読むことができたファイ。
「案内、ありがとう?」
そんな彼女の言葉を理解したわけではないだろうが、心なしかキリッとした顔をしたように見えたチューリは「チュチュッ」と鳴いて、どこかへと走り去っていた。
残されたファイは早速、鉄の扉を少しだけ開く。事前に扉を軽打して入室を伺うほどの常識を、ファイはまだ持っていない。
「ユア。いる?」
顔だけひょこっと出して内部を伺うと、そこは真っ暗な部屋だ。大きさはファイが使っている私室の倍ほどあるだろうか。寝台と大きな机のほか、壁際には無数の棚が並んでいる。
しかし、部屋が真っ暗なことからも分かるように、人の気配が無い。しかし、ニナは「必ずいらっしゃるはずですわ」とそう言っていた。
(隠し事はするけど、ニナは嘘をつかない)
つまり、必ずユアはこの部屋に居る。では一体、どこに居るのか。改めてファイが室内を見渡してみると、部屋の奥に2つの扉を発見する。1つは木製で、もう1つの金属製の扉だ。
「…………」
無遠慮に部屋に踏み入ったファイは、奥にあった木製の扉を開いてみる。そこは部屋備え付けのお手洗いのようだが、ユアは居ない。となると、残すはもう1つの扉だろう。
そう思ってファイがお手洗いの扉を閉め、鉄製の扉に手をかけた時だった。
ファイが力を加えるまでもなく、扉が勝手にファイのいる側に開いた。どうやら向こう側に居る人物が折よく扉を開けたらしい。そうして扉の向こうから現れた獣人族の少女と目が合った時、
「「あっ」」
ファイと少女の声が重なった。
瞬間、お互いの時が止まる。その間にファイは戦闘の癖で、金色の瞳は見知らぬ獣人族へと向け、動きと身なりに注目した。
まずはファイとバッチリ合ってしまっている、少女の特徴的な目だ。左右で色が違い、右が桃色、左が淡い青色をしている。目元は垂れていて、気弱な印象を受ける。髪色は右目と同じ桃色で、長さもニナに負けず劣らず長い。頭頂部にある三角形の耳は白い毛でおおわれており、ミーシャの物よりも大きかった。
続いてファイは少女の小さな身体へと目を向ける。背丈はファイの胸元くらいで、ニナより小さくミーシャよりも大きい。かなり薄着で、肩の布が無い肌着と下着だけという、ひどく油断し切った格好をしていた。
「……ぇ?」
呆然とした様子で呟いた少女。耳をファイの方を向けてしきりに動かすその動作が“警戒”を表すことを、ファイはミーシャとの日々から学んでいる。実際、ファイを見上げる少女の顔には警戒と、理解できない現状への恐怖が表れ始めていた。
とりあえず見知らぬ人と会ったら挨拶だとニナに命令されているその通りに、ファイは自己紹介をする。
「初めまし――」
しかし、挨拶をしようとしたファイに対する少女の動きは、早かった。
半開きだった扉を力いっぱいに閉めて、向こう側に立てこもろうとしたのだ。だが、それよりも先にファイが扉の間に足を挟んで阻止する。
現状、ユアへの手がかりはこの少女にしかなく、逃がしてしまうとニナから貰った大切な“お仕事”が遂行できなくなる可能性があったからだ。
(それに、「知らない人には挨拶」もニナからの命令……! 命令は、絶対!)
自身の存在理由がかかっているファイも、必死だ。改めて扉の隙間から涙目でこちらを見上げてくる少女を見下ろすと、
「初めまして、私はファイ。ユアに荷物を届けに来た」
ニナからの大切な命令をきちんと遂行して見せる。しかし、それがなお一層、事態を悪化させる。扉の隙間から無表情で挨拶をしたファイに「ひぃっ」と小さく悲鳴を漏らした獣人族の少女。
「ぁぅ……!」
ぎゅっと目をつむって目端に浮かんでいた涙を弾くと、黒くてフサフサの尻尾を巻いて奥へと駆けて行ってしまった。
後を追いたいファイだが、扉はファイが思ったよりも分厚く、重い。それにファイの手には、ユアへの届け物が入った大切な小箱がある。無理をして万が一にも箱を傷つけるようなことがあれば、仕事を果たせなくなってしまう可能性があった。
そうしてファイが手を使って鉄扉を慎重に開けている間に少女は、扉の向こう――人1人がどうにか通ることができるほどの通路の奥へと姿を消してしまった。
(もしかして、さっきの子がユア?)
扉が背後で閉まる音を聞きながら、先ほどの桃色髪の少女こそがユアなのではないかと当たりをつけるファイ。というのも、少女が微かに漏らした声があの日、光輪対策会議の時に聞いたユアの声と似ていたからだ。
一方で、ファイがその声から抱いていた印象――聡明で理知的な人物像と、いま出会った少女の印象はかけ離れている。
(ユアの見た目も、聞いておけば良かった)
うつむいて自身の至らなさを恥じ入るファイ。それでも彼女が両手で持った小箱を見つめていたのは数秒だ。すぐに自分がなすべきことを思い出し、顔を上げる。
(箱をユアに届ける。あと、きっと私のせいで泣いちゃったあの子に「ごめんなさい」もしないと)
ふんすっと鼻を鳴らして、ファイは薄暗い通路を歩き出した。
やがてファイがたどり着いたのは、第20層にあった多目的室――面接やニナ達と決闘をした空間――と同じような広さを持つ、開けた場所だ。
天井には眩く輝く巨大な夜光石。黄土色の地面と下草が生えた平らな地面が遠くまで続いている。ここが洞窟の中であることを忘れてしまいそうなほどに壮大な光景なのだが、
「――っ!」
ファイは手元にある小箱を通路に置いて、瞬時に警戒を強める。
地面はいくつもの柵で区切られているのだが、そこには大きさも危険度もさまざまな魔獣が居たのだ。その魔獣たちは一様にファイのことを見つめており、この空間の支配者たる人物――先ほどの桃色髪の少女の指示を待っている。
そして、魔獣たちに守られるようにして立つその少女が左手を頭上に掲げ、
「し、死んでください、ザコ不審者のお姉さん!」
振り下ろすと同時。数えきれない数の魔獣が、ファイを目がけて襲い掛かってきた。




