第60話 ニナの方が“大切”、だから!
ファイが考えた作戦は、とても単純だ。
(人間離れしたニナの身体能力で、魔法っぽいことをしてもらう)
真実を知る者からすればひどく幼稚で、すぐにばれてしまいそうな作戦のようにも思える。
しかし、そもそも魔法は人によって使うことができる種類も規模も違うものだ。中には、特定の個人やその血筋の者にしか発現しない魔法もある。
つまり、本人が「これは自分にしか使えない魔法なのだ」と言い張ってしまえば、大抵は押し通せる。あとは人々が魔法であると信じるに値する“通常では考えられない現象”をニナが引き起こせるかどうかにかかっているのだが、
(どうせ誰も、ニナが馬鹿みたいに強いって信じない)
ニナはぱっと見、ただの細腕の少女なのだ。ましてや人間族。彼女が赤色等級以上の魔物であるなど、誰も想像できない。ニナ・ルードナムというその存在それ自体が、魔法のようなものなのだから。
ゆえに、ファイはニナに言った。
『魔法っぽい名前を言いながら腕を振ってその辺の建物を壊す。もしくは地面を踏んで陥没させる。それだけでいい、よ』
と。もとより人々は、ウルンで行動しているニナをウルン人だと当たり前に考えていたのだ。あとは信ずるに値する何か――魔法っぽい現象――を見せれば大丈夫。そうファイは確信している。
「本当は皆様を巻き込んでしまうので使いたくなかったのですが、わたくしが使える唯一にして最大の魔法をお見せいたします! ……えっと、建物を壊すのは気が引けますので――」
後半、小声で言ったニナが、今度こそ魔法(物理)を披露する。
「――せーのっ、えいやっ」
ファイが瓦礫を踏みしめた瞬間、人々が踏みしめていた大地が、消え去った。
「「「は?」」」
同時に本日何度目とも分からない凄まじい量の土煙と粉塵が舞い上がり、人々はその中に飲み込まれていく。
ニナの踏み込みに耐えられるほど、港町フィリスの地面は硬くなかったらしい。ファイが気づいた時には、半径30m、深さ15mほどの巨大なお椀状の凹みができており、集まって来ていた数十人の人々が地面の崩落に巻き込まれていた。
「――っ! 〈フュール・エステマ〉!」
ファイ自身も崩落に巻き込まれる中、それでも彼女は風の魔法を使ってあらゆる落下物を風で受け止める。しかし、規模が規模だ。人を浮かせられるほどの強風ではなく、せいぜい落下速度を減衰させられるだけだ。このままでは落下死することは無くとも、人々が瓦礫に押しつぶされる。
(ニナの力、甘く見てた……!)
このままでは自分のせいで、大勢の人が死んでしまう。かといってファイも、大規模に展開している風の魔法を維持するので精いっぱいだ。
どうすれば良いのか。どうしたら、こんな自分にも優しくしてくれたウルンの人々を助けることができるのか。ファイが思考を巡らせていると、穴の中を高速で動き回る影がある。ニナだ。
「や、やってしまいましたわぁ~!」
言いながら陥没した地面や瓦礫を蹴って穴の中を跳び回り、落下中の人々を順番に回収している。疑似的な飛行を実現させる彼女の規格外の身体能力には、ファイとしても苦笑せざるを得ない。
ただ、ニナが人々を助けてくれる算段が付いたおかげでファイも魔法の維持に集中できるようになった。
(ありがとう、ニナ。……もうひと踏ん張り!)
風を制御して土煙を吹き飛ばし、視界を確保。瓦礫や人々の位置をわずかに調整して、ニナが助けやすいように進路を開ける。それでもどうにもできない進路上の障害物は、ニナが破壊する。
そうして、ニナの魔法(物理)によって地面が陥没してから1分ほど。ファイやエグバを含めた全員が、無事に助け出されたのだった。
黒狼の建物の残骸がすっぽりと収まっている大きな穴の縁。荒く息を吐くファイの横には、額に浮かぶ汗をぬぐうニナの姿がある。
「はぁ、はぁ……。ごめんね、ニナ。余計な手間、かけちゃった」
「いえいえ! わたくしも少し力み過ぎてしまいましたわ……。やはり、まだまだ足の手加減は難しいですわね……」
そう口では言いながらも、思案顔で穴の中を見遣っているニナ。どうかしたのかとファイが尋ねてみると、
「わたくし。てっきり瓦礫の下に組員の方々がいらっしゃると思っておりましたわ」
救出した人々の中に“黒服”の人間が居なかったことを不思議に思っているらしかった。
「なるほど。それなら、安心してほしい」
そんなニナの発言に、ファイは内心でドヤ顔をする。
「今日はナルン一巡に3日ある“お休み”の日。黒狼に住んでる組長以外、居なかった……はず」
「推測でしたわぁっ!?」
だからこそこの日はファイに薬が届けられず、ファイが我慢の限界を迎えた。一部の偶然と必然が合わさった結果、犯罪の片棒を担いでいる組員たちに犠牲者は出ていないようだった。
「ですが、ふふっ! そうでしたのね。わたくし、ホッとしましたわ」
「……? どうして?」
「だってそうでしょう? ファイさんが黒狼の方々の命を背負わなくて済みましたもの。どんな事情があれ、命を奪うという行為はひどく傲慢で、だからこそ尊くあるべき、なのですわ」
自身の手のひらを見つめて、そんなことを言うニナ。その言葉は、ファイというよりはニナ自身に向けられているもののようだった。
と、そうして何やら感情を堪えているニナをファイが見つめていた時だ。
「ニナ、鼻血……」
つぅー、と、ニナの小さな鼻の片方から血が流れ始める。
「ふぇ……? わわっ、エナ欠乏症の前兆ですわね。そろそろエナリアに帰らなければ……」
意外と呑気なニナとは対照的に、ファイの焦りは一瞬にして最高潮に達する。
(エナ欠乏症……! ルゥが言ってた、ニナの活動限界!)
幼少のころ、ファイが初めて死にかけたときに戦ったガルン人の男。獣人族の彼の死因こそ、エナ欠乏症だった。全身の穴という穴から血を吹き出し、やがて死に至る。
ファイの記憶では、故人差こそある物の数秒から数分で死に至るはずだ。
「に、ニナ! 早く! 早くエナリアに――」
「その前に、ですわ、ファイさん」
らしくもなく焦りを表に出すファイに、ニナはどこまでも冷静だ。ファイの眼前に手のひらを突き出して言葉を遮ったかと思えば、表情を引き締める。
「わたくし、申し上げたはずですわ。ファイさんをお迎えに上がった、と。ですが、肝心なことをまだ聞けておりません」
「肝心なこと……?」
それはニナの命よりも大切なことなのだろうか。片方からだった鼻血が両方に増えたことに、ファイとしては気が気ではないが、ニナは自分の拍子を崩さない。
「はい。ファイさんがわたくし達のエナリア……“不死のエナリア”に戻りたいかどうか、ですわ」
そう言うとニナは、ファイに突きつけていた手のひらを上に向ける。
「さぁ、選んでくださいませ、ファイさん! わたくし達のエナリアに戻りたいのか否かを!」
「戻りたい。ううん、戻らせて」
「ええ、ええ! わたくし、よぉ~く分かっておりますわ! ファイさんがご自身の意見を言うのが苦手であることを。なのでじっくりと考えて――って、即答ですわぁ!?」
迷いなく。ためらいもなく頷いたファイに、ニナが声を上げる。
「あ、あらら? おかしいですわ……。これではわたくしとルゥさん、それからミーシャさんとで作り上げたファイさん説得の殺し文句『あなたはわたくしのものですから』を申し上げる機会が――」
「ニナ――」
アワアワと何やら言っているニナの手をファイは優しくつかみ取る。
この手だ。この小さく熱い手こそ、ファイの求めていたものだ。忘れたくても忘れられなかった、大切な主人の小さな手。この熱を守りたいからこそ、ファイは自分の意思で、彼女を一番の主人として選んだ。この手の中にこそ、自分の“幸せ”があるのだと、そう信じて。
「――いっしょに帰ろう?」
自分がしてもらってきたように、今度はファイがニナの手を引く。驚きで目を瞠ったニナが「あっ」と小さく漏らした次の瞬間には、ファイ達は駆け出していた。
先の騒動の後始末がどうなるのか。ファイも、気にならないわけではない。たとえば建物の地下にはファイも知らない複数の女性が居て、先ほどの崩落の中で助けられていた。その女性たちが何かを訴えたことでエグバが再び取り押さえられ、詰め寄られていたが、なぜなのか。
あるいは、人々を助けるために使った風の魔法で、貰った手土産の多くがどこかに飛んで行ってしまった。手元に残っているのは獣人族の女性が残して行ったこの服と、女の子から貰った黄色い花だけだ。そのことへの申し訳なさと謝罪もしなければならないのだが、
(今はニナの方が大切、だから!)
ファイがぎゅっと手を握ってみれば、ニナもその手を握り返してくる。
「はい! 一緒に帰りましょう、ファイさん! ルゥさんも、ミーシャさんも。みなさんが、ファイさんのお帰りを今か今かとお待ちしております! なので――」
「えっ、わっ」
後ろを駆けていたニナがファイを抱え上げてきた。俗にお姫様抱っこと呼ばれる体勢。ニナの体温と香りに包まれているようで、ファイの心もぽかぽかだ。
「全速力で参りますわ!」
「ん。じゃあ風の魔法で援護する、ね?」
「ふふっ! ファイさんとの初の共同作業が“一緒にお家へ帰ること”だなんて……。これも運命、ですわね?」
「……? ちょっとニナが何言ってるか分からない」
「塩対応のファイさんも素敵、ですわぁ~!」
こうして2人は、港町フィリスから“不死のエナリア”へと吹き抜ける一陣の風になる。
車で10分の道を、走ること3分。ニナに抱かれたファイは、およそ1か月ぶりに“不死のエナリア”へと帰ることができたのだった。
※いつもご覧頂いて、ありがとうございます。個人的な事情で1週間ほど更新をお休みします。来週(2月24日)から、更新を再開できればと思います。
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