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ほの暗い穴の底から“幸せ”をっ! 〜仲間に捨てられた薄幸少女剣士、異世界の少女とダンジョン経営を通して本当の“幸せ”を探す〜  作者: misaka
●はじめまして、ウルン

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第58話 わたしに触っちゃ、ダメ!

※文字数が約4300字と少し多めになっています。予めご了承ください。読了目安は9~11分です。最近、少し分量が多くなってしまってすみません……。




「ふふっ! これで210万G(ガルド)、ですわね!」


 ニナを抱くファイの身元で聞こえた、嬉しそうな囁き声。発言の意図も意味も不明だが、ファイには1つ分かったことがあった。


(ニナ、生きてる!)


 ニナを抱くのをやめて身を離してニナの容態を確認する。と、ファイの胸とニナの口の間につぅっと透明な糸が伝った。それこそ、ファイが血だと()()()してしまっていたもので、


「……ニナ。よだれ」

「はぅあ!? じゅるっ……」


 この時ばかりは呆れを隠しきれずに表情に出したファイ。指摘を受けたニナはと言えば、自身の懐から手拭いを取り出して口元を拭いている。


「も、申し訳ございません、ファイさん! 不意を突かれたのでちょびっとだけ気を失ってしまいましたわ……。その時に口から漏れてしまって……」


 真っ赤な顔で弁明するニナだが、


(……そんなことある?)


 このよだれのせいで勘違いをしてしまったファイとしては、恥ずかしさもあってついツッコミたくなる。が、そう言えばと思い出すこともある。それはやはり、ファイにとって衝撃的だったあの光景――ルゥとミーシャがニナのよだれを舐めていた時だ。


(あの時もニナ。水たまりができるくらい、よだれを垂らしてた……)


 恐らくニナは、唾液の分泌量が多いのだろう。起きている間は飲み込めばいいが、不意に意識を失ったりすると、こうして漏れてしまうのだと思われた。


「……なるほど」

「いや、ありえないだろ……」


 ニナの体質にファイが一定の理解を示した頃、折よく驚いた声を上げたのはエグバだ。彼の視線は、6発もの銃撃を受けてピンピンとしているニナへと向けられている。


「魔物用の、エナを相殺する弾丸だぞ……? それを高火力の銃で撃ったってのに、なんで生きてやがる……」


 呆然とした様子で、問いかけというよりは独り言を漏らしながらニナを見ている。他方、そのニナはと言えば手ぬぐいで口元をきれいにしながら立ち上がると、改めてエグバに向き直っていた。


「さて、あなたが黒狼の組長……エグバさんで間違いありませんわね?」


 ウルン語によるニナの問いかけに、エグバは答えない。憎々しげにニナを見つめるばかりの彼の態度を肯定と捉えたらしいニナが言葉を続ける。


「まずは、感謝申し上げます。ファイさんを“不死のエナリア”に連れて来てくださって。彼女とわたくし達を出会わせてくださって、ありがとうございます」


 ニナの口調は、会議を進めていた時と同じだ。感情豊かで幼さを残す普段の声とは違い、どこか大人びた、エナリアの長としての風格のある言動のようにファイには見える。


「お前、魔物なんだろ? どうしてウルンで動ける?」

「ふふっ! ここはあえて、こう言わせていただきますわね! ――『お前が知る必要はないものだ』と」


 それは先ほど、G(ガルド)とは何かを聞いたファイに対してエグバが言った言葉だ。見事にニナに言い返されてしまったのが気に障ったのだろうか。


「魔物畜生があまり調子に乗るなよ……?」


 やや怒りの感情を声に乗せながら言ったエグバが、懐から再び拳銃を取り出す。が、銃口を向けられているニナはどこ吹く風だ。


「エグバさんにはお2つ、お聞きしたいことがあったのです。1つ目。ファイさんの生まれはタキーシャ村。つまり彼女の名前はファイ・タキーシャ・アグネストさんで、合っていますでしょうか?」

「はんっ。答える義理はないな」

「むっ。そうですか……。では」


 ニナがそう言って腕を振ると、瓦礫の山の上に一陣の風が駆け抜ける。直後、拳銃を握っていたエグバの右腕が身体から切り離された。


 エグバが痛みに叫ばなかったのは、黒狼をまとめる長としての矜持か。それとも、ニナによる切断が痛みを伴わないほどきれいだったからだろうか。


「なにを、しやがった……」


 うずくまり、左手で止血を試みながらニナを睨みつけるエグバ。そんな彼の問いかけに、ニナは答えない。


「勘違いなさらないでくださいませ、エグバさん。わたくし、ファイさんをいじめるあなたのこと。心の底から、だぁぁぁ~~~っい嫌いなのです。今すぐ殺したいほどに。ですが――」


 ちらりとファイの方を見たニナだが、すぐに視線をエグバへと戻す。


「――先ほど申し上げました通り、あなたにはファイさんをこれまで育てていただいた恩義があります。また、聞きたいこともありました。なので、生かして差し上げているだけです」


 努めて平坦な口調で言っているが、ファイには分かる。ニナの言葉には、どうしようもないほどの怒りが込められている。


「それでは、先ほどと同じ質問ですわ。ファイさんの本名は、ファイ・タキーシャ・アグネストさんで、間違いありませんわね?」

「…………。ああ、そうだ、畜生が」


 悪態をつきながらも頷いたエグバに、ニナは2本立てた指を突きつける。


「2つ目。こちらは質問ではなく、確認なのですが……。もしファイさんがわたくし達の所に来たいと、そうおっしゃってくださった場合、抵抗はなさらないでくださいませ」

「そんな都合の良い話あるか! そいつを作るためにいくら金がかかったと――」


 エグバの言葉を、右手のひらを突き出すことでとめたニナ。


「だから210万G、ですわ」

「……何を、言ってやがる?」

「100Gのパンを1日2食。それを360日の15年間。衣服はほとんど変えていなかったそうなので、年間1万Gで15万Gとしました。生理用品は与えていなかったようなので、計算しません。すると……」


 およそ123万G。それが、黒狼がファイに費やした“作成費用”なのだとニナは語る。暖房もエナ灯も無かったと聞いているため、エナ代もかかっていない。水道代はかかっているだろうが、それを含めてもよくて150万。


「そして、先ほどわたくし。痛い思いをして210万G、きっちりとこの身体でお支払いさせていただきました。エグバさんにおっしゃっていただいた通りに」


 自身を示しながら、少なくともファイにかかっただろう費用以上は支払ったとニナは言う。


「そも、ファイさんと同じ等級の探索者さんを一度雇うだけでも軽く200万Gはするようですわね? もうとっくに、()は取れていらっしゃるのでしょう?」


 ニナの指摘に、顔をゆがめるエグバ。


「これで費用については清算したことといたします。あと大切なのは……」


 そう言ってファイの方を見たニナは、ファイに優しく微笑みかけてくれる。そして再びエグバに向き直ると――。


「大切なのはファイさんの意思。そうですわね?」


 毅然と、あるいは怒っているようにも見える表情でニナは言った。


 静かな風が、ニナの美しい茶髪を揺らす。彼女が放つ雰囲気にのまれたのだろうか。野次馬たちも息を潜めて事態を見守る中、


「ハッ……! ハハハハ、ハハハハハッ!」


 エグバは笑った。それはもうおかしいと言うように。それに対して表情を怪訝なものに変えたニナに構わず、エグバはファイを見てくる。


「だってよ、ファイ! お前自身は、どうしたい!? お前を必要としていない場所に、お前は戻るのか?」


 嘲りを隠すことなく声に乗せ、ファイに尋ねてくる。


「わたくし達がファイさんを必要としていない……? そんなはずは――」

「あるだろうが!」


 否定しようとしたニナの言葉を遮り、声高に叫ぶエグバ。


「ファイから聞いた話、強い魔物がゴロゴロいるんだろう? お前自身もそうだ。銃弾すら効かない身体に、腕を振っただけで人を殺せる」


 ニナを視線で示しながら、なおもエグバは話を続ける。


「そんな化け物どもに、どうしてファイが必要なんだ? ソイツは言っていたぞ。戦うことしかできないのに、その戦いですら役に立てなかった。悔しかったってな!」

「……っ!?」


 エグバの発言に目を見開くファイ。今エグバが言ったそれは噓偽りのないファイの本音なのだ。


 しかし、ファイはその本音をエグバに明かした記憶が無い。当然だ。ファイは素の弱い自分を見せるほど、エグバたちを信用していない。もちろん黒狼の方も、本心に気付けるほど自分を気にかけていないことをファイは知っている。


 ではなぜ、エグバはファイの本音を――“弱さ”――を知っているのか。


(使用不可期間……っ!)


 いまもなお、どうやっても思い出せない5日間の記憶。その間に何かをされて、自分が話してしまったのだろうことは想像に難くなかった。


 自分の意に構わず、全てを知られてしまった。それも、道具としてではなく、人間としての自分を。それが分かった今、ファイの中をどうしようもないほどの羞恥心が満たす。同時に(いだ)くのは、自分の知らないところで自分を好き勝手にしたエグバへの怒り。そして、それを許してしまう自分の弱さに対する、情けなさだった。


(気持ち悪い……)


 なぜかは分からない。分からないが、ファイは自分の身体がひどく汚れてしまったように思える。そうなると気になるのは、野次馬たちの視線だ。建物の崩壊から少し時間が経ったことで、人々が集まってきている。


(見ないで……)


 ボロボロの衣服を身にまとう自分の身体を抱いて、丸くなるファイ。遠く聞こえる喧騒が、自分を笑うもののように思えてくる。何も知らない。何もできない空っぽな「ファイ」という人物を、面白おかしく見ている気がする。


「いや……っ!」


 自分の知らなかった“世界”とは、こんなにも過酷な場所なのか。怖い場所なのか。だったらもうこれ以上、なにも見たくない。聞きたくない。そう思って目をつむり、耳を塞いでうずくまる。


 季節はこれから夏本番。肌着でも寒くない気温だというのに、ファイの身体は震えて仕方ない。


 そんなファイの背中に触れる小さくて熱い手は、ニナのものだろう。ただ、だからこそファイは、


「ダメ!」


 そう言ってニナを振り払う。


「ファイ、さん……?」

「ニナは、私に触っちゃ、ダメ……! ニナが、汚れちゃう……っ」


 自分はひどく汚れていて、醜い。そんな自分に触れると、ニナまで汚れてしまう気がしたのだ。


 ファイはニナに、きれいでいて欲しい。何も気にせずに笑って、喜んで。眩しく輝いていて欲しい。なぜならファイにとってはニナこそが、フォルンだからだ。世界を照らし、教えてくれる。唯一にして最も大切な人だ。


 その光を自らの手で汚したくない。そう言ってニナを遠ざけるファイの背中に、ふと、温もりがある。見れば、ファイの背中に薄手の水色の上着がかけられていた。


「……?」


 ニナだろうかと彼女を見てみるが、ニナは首を振る。と、ファイの背後から女性の声が聞こえた。


「その、大丈夫……ですか? それ、良ければ使ってください」


 ファイが服から視線を移すと、そこには顔も名前も知らない年若い獣人族の女性が居た。




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