第47話 命令違反は、良くない
初めて見る一面の空と、フォルンに照らし出された鮮やかな世界。
(ここが、私の生まれた世界……)
吸い寄せられるようにエナリアから出ようとしたファイの足を止めたのは、
『ダメですわっ!』
悲鳴にも似た、ニナからの指示だった。
初めて耳にする切羽詰まったようなニナの声に、身体を硬直させたファイ。ひとまず言われた通りに足を止め、首輪に擬態させているピュレを優しく取り外した。
両手のひらの上に乗せると、こぶし大の扁球状に戻ったピュレにニナ達の姿が浮かび上がる。そこには、執務室にあった高そうな椅子に腰かけるニナと、その両隣にリーゼ、ルゥが控える姿が映っていた。
「……びっくりした。どうしたの、ニナ?」
『う、ウルンに行っては……エナリアから出てはダメですわ、ファイさん』
何かに怯えるような。震える声で念押しをしてくるニナ。実際、ピュレ越しにも分かるほど、ニナの表情はこわばっていた。
「えっと……?」
思わず困惑が声として漏れてしまったファイの言葉に、ようやくニナは我を取り戻したらしい。「はっ」と気付きの声を漏らしたかと思うと、すぐに表情を取り繕った。
『あ、う、その……。驚かせてしまって、申し訳ありません、ファイさん……』
「ううん、大丈夫。それより、なんでエナリアから出たらダメ、なの?」
『そ、それは、なんと言いましょうか……』
ファイの問いかけに、視線を泳がせたニナ。と、彼女の隣に控えていたリーゼが「少しよろしいでしょうか」と断りを入れると、何やらニナに耳打ちをする。次の瞬間にはニナの表情はぱぁっと明るくなり、
『こ、こほん……。ウルンに出た瞬間、貴重なピュレさんが死んでしまうではありませんか!』
ウルンに出てはいけない理由について、そう語ったのだった。
「ピュレが死ぬ……。うん、それは、良くない」
『そうでしょうとも! それに、ファイさんはお気づきになっていないようですが、ファイさんにはピュレの他にもう1名、同道してしまっているだろう方がいらっしゃいまして……』
「……? 〈フュール〉」
気流を操作し、周囲一帯の生物の反応を探るファイ。すると、なるほど。人一倍身だしなみに気を遣っている彼女がまとう、甘酸っぱい香りがファイの鼻腔をくすぐった。
「……ミーシャ?」
「にゃ!?」
ファイの声に観念したのか、通路の影から金色の毛並みをした猫が姿を見せる。耳や手足の先など、一部だけが黒毛になっている特徴的な毛並みをしているその猫は、獣化したミーシャだった。
『ミーシャちゃん!? 見かけないと思ってたけど、いつの間に……』
困惑しているルゥの様子や先のニナの発言から考えるに、どうやらミーシャが独断でついて来てしまっていると推測したファイ。わずかに目つきを鋭くして、こちらを見上げる緑色の瞳を見つめる。
「ミーシャ。どうしてここに居る、の? 命令違反は、よくない」
道具として、恐らくこの場に居る誰よりも命令を大切にしているファイ。同じ主人を頂くものとして、ニナの命令を無視していると思われるミーシャに命令を聞くように促す。さもなければミーシャはニナに捨てられ、一緒に居られなくなるかもしれないからだ。
(ミーシャが居なくなるのは嫌、だから……)
ミーシャを見るファイの目は普段よりも幾分か鋭いものになってしまっていた。
「それは、その……」
言いながらも、うつむいて後ずさりするミーシャ。言葉を探していた先ほどのニナとは違い、どう言って良いか分からないといった様子に見える。そんな彼女に声をかけたのは、ニナだった。
『ファイさんが心配でついて行ってしまわれたのですわね?』
「んにゃっ!?」
まるで図星を突かれたように、飛び跳ねたミーシャ。しかしすぐに耳と尻尾をピンと立てると、
「ち、違うわ! 上層をお散歩してたら、たまたまファイが近くにいただけなんだからっ!」
フシャーッッと唸って、ニナの推測を否定する。そのミーシャの答えに、ファイは心の底から安堵した。
「そっか。良かった」
「何がよっ!?」
「……? だってミーシャは私を心配してない。私に感情を向けない。つまり、私を道具として見てくれてる」
「あ、う、あ……。それはち、ちが……」
「違う、の……?」
まさかミーシャすらも自分を道具だと思ってくれていないのか。思わず眉尻を下げてしまったファイに、何かを諦めたようなミーシャが投げやりに答えた。
「――あーもうっ、違わないっ! ファイのことなんて、何とも思って無いんだから!」
「……! ミーシャ!」
適当に、ぞんざいに扱ってくれるミーシャの態度が嬉しくて、思わず彼女を頭上に抱え上げるファイ。それだけにとどまらず、ミーシャを高い高いした状態のままその場でクルクルと回ってみせる。
思えば、このエナリアでファイに雑な態度を見せてくれるのはミーシャだけだ。彼女だけが、ファイを道具として扱ってくれる。その事実に、ファイは密かに歓喜していた。
「ミーシャ、ミーシャ」
「ちょっ、そこで喜ばれると、アタシは反応に困るんだけど……」
じっとりとした目でミーシャに言われて、ファイは瞬時に瞳の輝きを消す。同時に舞踏をやめれば、平常運転の彼女だ。
「ふぅ……。私は、喜んでない。心は、無いから」
「あんたの情緒と表情筋、どうなってんのよ……」
『ほら、ミーシャちゃん。その子、面倒くさいから』
さめざめとした目を向けてくるミーシャとルゥの態度が嬉しくて、ブルリと身を震わせるファイだった。
と、その時。
なんとなく強者の気配がしたファイが、ミーシャが隠れていた通路の角に身を潜める。そこから顔だけを出してエナリアの入り口を見遣ると、女性4人が入り口の前でたむろしていた。
口が動いていることから、何かを話していることは分かる。が、声は聞こえてこない。試しにファイが風の魔法による集音を試みてみるも、見えない壁に阻まれるようにしてエナリアの向こう側に干渉することができなかった。
「……ニナ。エナリアの入り口の前に、誰かいる。何か話してるけど、聞こえない。……どうして?」
『あ、はい。それは恐らく、時空の断裂があるからですわね』
「じくうの途切れ? なに、それ?」
『う~んと、そうですわね。なんと説明いたしましょうか……』
聞いたことのない単語に目を瞬かせるファイに対して、ニナはどう説明した物かと思案顔だ。そんな2人に救いの手を差し伸べてくれたのは、リーゼだった。
『ファイ様。離れた位置にある2つの球体を思い浮かべてくださいませ』
「え? あ、うん」
言われた通り、脳内で2つの玉を作ってみせるファイ。
『その2つの球体が、ウルンとガルンとなります。では、ウルンとガルンにちょうど引っ付くように、もう1つ球体を真ん中に置いてみましょう。すると、串に刺さったお団子のようになりませんか?』
「おだんご……?」
その単語は知らないものの、3つの球体が隣り合うという構図を思い浮かべることはできた。
『そうして真ん中に収まった球体が、エナリアとなります』
「なるほど」
2つの玉の距離を変えれば、真ん中に入る玉の大きさも変わる。最上位のエナリアである“不死のエナリア”は一番大きな玉になるのだろうことが予想された。
『ウルンとガルンは、エナリアという真ん中の玉があれば行き来できます。が……』
「それが無かったら、道が無いから行けない?」
『その通りです。そして、先ほどお嬢様が申しました時空の断裂。それは、球体が接している……引っ付いている場所、ということになりますね』
つまり、ニナが言った時空の断裂とは、違う球に入るための入り口なのだとファイは理解する。そしてそこには目に見えない扉のようなものがあって、そのせいで“向こう側”で話している女性たちの声が聞こえないらしい。
「なんとなく分かった。ありがとう、リーゼ」
『恐縮です』
ファイの言葉に、ピュレの向こうでゆったりとお辞儀をしたリーゼ。やはり洗練された彼女の所作に、思わずファイは見惚れてしまう。気のせいか、声や先ほどの説明にすら気品を感じた。
(いつか私もリーゼみたいになれる、かな?)
なりたい理想――憧れ――を持つことは、道具として正しいことなのだろうか。ファイがその答えを出すよりも早く、足元に居るミーシャが小声で叫んだ。
「ファイ! ウルン人たちが来るわよ!」
その声で、改めてエナリアの入り口へと目を向けたファイ。時を同じくして、白金、赤、橙、黒。種族も装備も毛色も違う4人組探索者が入り口をくぐって“不死のエナリア”に足を踏み入れようとしている。
『ファイさん。ひとまず予定通り、探索者さん達の動向をこっそりと監視してくださいませ。高等級探索者さんの貴重な例となりますので』
初めて目にするウルンの景色やミーシャの登場によってややこしくなってしまったが、ファイがここに来た理由は探索者たちの動向を監視し、ニナ達に報告するためだ。そうして集めた情報をもとに、ルゥたちが手ごろな階層主を準備。また、今後のエナリアの運営に活かすことになっている。
「了解。ミーシャはどうする?」
『このまま帰して探索者さんとばったり、なんてことになれば間違いなく殺されてしまいます。なので、ファイさん。ミーシャさんの護衛もお願いできますでしょうか?』
「分かった」
つまり今回のファイの役割は、探索者の動向の監視とミーシャの護衛ということになる。
『ミーシャさんも。それでよろしいですわね』
「え。ええ……。その、アタシの我がままを聞いてくれてありがと、ニナ」
『ふふっ! ファイさんのお側に居たいというミーシャさんのお気持ち、わたくし、よ~く分かりますものっ!』
「だ、だから! 別にファイと一緒に居たいとかじゃ、ないから……」
小声でぶつくさと文句を言っているミーシャを抱え上げ、ファイは光輪の監視業務を始めた。




