第292話 命令なら、仕方ない
“不死のエナリア”第20層の執務室。
「なるほど。探索者さんから金品を奪う、ウルン人の犯罪者さんが居る、と……」
大きく丸い茶色い瞳でチラチラとこちらを見ながら言うニナに、ファイはコクンと首を縦に振る。
「そう。それに、悪者はたくさんいる、も、普通みたい」
撮影機の設置作業の際に見聞きし、実際に体験した“犯罪者”についての情報をニナに明かすファイ。
密猟者もそうであるように、ガルン人同士、ウルン人同士でも“幸せの奪い合い”がある。それらへの対抗策を考えない限り、ニナが描く理想のエナリアへの道は拓けないだろう。
「ふむぅ……。どの世界にも掟や決まりを破る者はいるということですわね」
硬い表情で言うニナに、ファイも渋々ながら頷くほかない。
ウルン人の大半がいい人であることはファイも知っているし、それはガルン人も一緒だ。一方で、どうしても他者を不幸にして幸福を得ようと考えてしまう人も居るらしい。
ウルン人であるファイ。同郷の者にもニナを困らせる人が居ることを明かさなければならない現実が非常にもどかしく、何よりも残念だった。
そんな気まずい雰囲気から逃れるために、ファイは犯罪者関連で気になっていたことを聞いてみることにする。
「ニナ。メレはどうなった? どこにいる、の?」
メレと言えば、ファイとミーシャが助け出した海人族の女性だ。赤い髪に夕焼け色の瞳。どことなく妖艶な雰囲気を持つ女性だったとファイは記憶している。
扱いが保留状態だった彼女が現在、どうなっているのか。尋ねたファイに対して、ニナが手のひらを向けてきた。
「その前に、ですわ。……ファイさん。その背中の可愛らしい背嚢は、なんでしょうか?」
「うん? 背嚢……?」
ファイが背後を見ると、少し高い位置からこちらを見下ろす紫色の瞳と目が合う。振り向いたファイと目が合ったことで嬉しそうに笑った彼女は、チュッと。ファイの頬に口づけをしてきた。
相変わらず身体接触が激しい妹が元気であることを確認して、ファイはニナに向き直る。
「なにって……ティオ」
「そんなこと分かっておりますわ!? そ、そうではなく……。わたくしが聞いているのはどうしてティオさんをおんぶしていらっしゃるのか、ですわ!」
ニナに言われて、ここに来る前にティオとの間にあった出来事を伝えていなかったことに気づいたファイ。端的に、かつ正確に、なぜティオが自分の背中に居るのかの説明を試みる。
「私がティオのお姉ちゃん……だから?」
「例によってファイさんが何をおっしゃっているのかさっぱりですわ!? も、もう少し詳しくお聞かせくださいませっ」
どうやら説明を端折りすぎたらしい。無理解を示すニナに、ファイはもう少し単語を付け加えて説明する。
「ニナ。お姉ちゃんと妹はずっと一緒に居る。当たり前……だよ? ね、ティオ?」
「えへへ、そうだよ~! う~ん、お姉ちゃんの匂い~……♪」
「はわぁっ!? ファイさんのうなじを嗅ぐだなんて……。うらやましいですわ……。って、そうではなくっ! ティオさん! さてはファイさんに何か良からぬことを吹き込みましたわね!?」
抗議の目をティオに向けるニナ。このままではティオが悪者になりかねない、と、ファイは今度こそ詳細な説明をニナに行なう。
つまり、数十日間ティオを放ったからしにしてしまったこと。そのせいでティオが寂しさを募らせていたこと。料理ができないティオが、食事のほとんどを生食で済ませてしまっていたこと。洗濯もできないため、服や下着は着まわしていたこと、などなど。
「ティオ、生活力は皆無。私よりも低い。そんなティオを知ってて放置した私が悪い」
自分の“悪さ”を可能な限り伝えたファイに、ニナが驚愕の表情を見せている。
「ど、どういたしましょう。ファイさんの“悪いところ”は2割ほどしか見当たりませんわ。……ティオさん?」
「ぎくっ!? ひゅ、ひゅ~……?」
ニナにじっとりとした目を向けられたティオが、ファイの背後で視線を逸らした気配がある。恐らく“生活力の低さ”あたりに、心当たりがあるのだろう。
ティオは白髪教たちに育てられている。その際、友人関係などの制限こそあったものの、ほぼ何不自由のない暮らしをさせてもらっていたらしい。
ゆえに彼女は自身の趣味――楽器や絵画などの芸術方面――に没頭して才能を磨くことができたのだろう。半面、それ以外の部分、例えば掃除・洗濯・料理といったものは教徒に任せきりだったらしい。
結果として、1人では生きていけないくらいの生活力になってしまっているようだった。
実際、エナリアに来てからも、ティオの身の回りの世話は他人が行なっていた。もちろん姉であるファイ――ではなく、ファイの世話をしにやってくるミーシャだ。
なんだかんだと口では文句を言いつつ、ファイの服を洗うついで、もしくは料理を作るついでにミーシャがティオの面倒を見ていたのだ。
もちろんファイもティオの世話はしていたが、ミーシャの仕事量の半分くらいだろう。
「ニナ。ティオは悪くない。できる・できないは誰にでもある、から」
自分もミーシャやルゥに生活の面倒を見てもらっているファイだ。よく分からない焦燥感を無表情の裏に隠して、ティオは決して悪くないのだと力説する。
が、さすがにファイが相手でもニナには譲れない部分があるらしい。そして、大抵の場合、ニナが自身の意見を曲げないのはファイの幸せを思ってくれている時だ。
「過去にも何度か行なっていただきましたが……。これはいよいよ、ファイさんとティオさんの生活改善計画を進めなければならないようですわね」
言外に、次の仕事は後回しだと言われていることに気づいたファイ。彼女が「そんな!?」とこぼすのと、ティオの「そんな!?」が被ったのが同時だ。
「やだやだ! ティオ、料理とか掃除とか洗濯とか、そんなめんどいことしたくない!」
駄々をこねる妹を、ファイも全力で援護する。
「そ、そう。ティオの世話は私が全部する。だからニナ。せめてティオは許してあげてほしい」
ぐぅたらな妹と、彼女の怠惰な生活を守ってあげようと必死な姉。白髪の姉妹を見るニナの目は、いつになく冷え切っている。が、不意に咳払いをしたニナが浮かべたのは、笑顔だ。
「コホン……。ファイさん?」
「な、なに……?」
なんとなく嫌な予感を抱えつつ、ティオを背負い直したファイ。彼女に対し、ニナは笑顔を崩すことなく言う。
「ティオさんと一緒に、家事の技術を身に着けてくださいませ」
「ま、待って、ニナ。さっきも言ったけど、私だけで――」
「これは“命令”、ですわ?」
「――それなら仕方ない」
スンと。一瞬にして声と顔から全ての感情をそぎ落としたファイ。背後で「えっ、お姉ちゃん……?」と困惑の声を漏らすティオを、ゆっくりと床に下ろす。
「命令なら、仕方ない。ちゃんと家事、できるようになる」
「さ、さすがファイさん……! 命令1つで、なんたる変わり身の早さ……。ひとまず、えっと……2週間? を目処に、家事技術を磨いてくださいませ」
携帯を手にしながら初めて時間的な期限を決めるニナ。
きっちり「時間」という概念があるのがウルンだ。エナリアの主としてその文化に親しみ、理解を深めようという考えなのだろう。
相変わらず相互理解に余念がないニナの姿にわずかに目を細めつつ、ファイも「分かった」と返す。
一方、まだ諦めていないのはティオだ。
「てぃ、ティオ、従業員じゃないしぃ~? ニナちゃんの言うこと聞く義務なんてないなぁ~?」
「あら、そうですか? では残念ですが、ティオさんにはこのエナリアから出て行っていただくしか――」
「「それはダメ!」」
ファイとティオ。2人の声がきれいに重なる。
「ごめんね、ニナちゃん。ティオ、頑張るから。だから……」
「ニナ! ティオをお家から出す、は、考え直して……!」
お互いの身体を抱き寄せて表情を暗くするファイとティオに、慌てた様子なのはニナだ。座り心地のよさそうな立派な椅子から立ち上がると、顔を真っ青にする。
「嘘ですわ、冗談ですわ!? そんなことは致しません! な、なので、その悲しそうな顔をやめてくださいませぇっ! これではわたくしがお2人をいじめる、いじめっ子のようですわぁ……」
必死になって弁明し、困り果てた様子でうつむいている小さなエナリア主。その姿に、ファイとティオは姉妹で顔を見合わせる。
「……ティオ。ニナを困らせる、は、ダメ」
「うん、そうだよね。ニナちゃんにはお姉ちゃんとの愛の巣を貸してもらってるわけだし。それにティオ、天才だしっ! どうせ料理とかも、すぐに“分かっちゃう”と思う!」
「ファイさん……! ティオさんも……!」
暗に今回の仕事を頑張ると言い合うファイ達の姿を見て、ほっとした様子のニナ。椅子に座り直すと、改めてファイとティオに仕事を割り振ってくれる。
「では、改めまして……。ファイさん、ティオさん! 2週間以内に、最低限、自身の身の回りの世話ができるくらいにはなってくださいませ!」
「ん、分かった」「了解!」
ニナの言葉に、それぞれの言葉で了承の意思を返した姉妹。
体力のないティオと一緒にできる仕事。これで彼女ともう少し一緒に居られる。そこまで考えて、ファイは「もしかして?」と気づきを得る。
先ほどファイはニナに、ティオが寂しがっていたという情報を伝えた。だからこそニナは、ティオと一緒にできる仕事を割り振ってくれたのではないだろうか。
「お姉ちゃんとお仕事……。愛の共同作業……。楽しみすぎるんですけどぉ~♪」
嬉しそうに身をくねらせるティオと、彼女を温かい目で見ているニナ。2人の姿を見て、これが大人と子供なのかもしれない、と。そんなことを思うファイだった。
「それで、ファイさん。そのお仕事に関してなのですが、あとお2人、招集していただきたいのです」
「2人?」
「はい! 1人目はフーカさんですわ。家事に関しても、フーカさんは完ぺきです。ファイさん達の良き先生になってくださいますわ」
確かに、と、ファイだけでなくティオも頷いている。言語の面でも、フーカはウルン人だ。まだガルン語に不安があるティオも安心だろう。
「フーカさん。挙動不審だけど優しいからティオ、好き~。で、ニナちゃん、もう1人は?」
「ふふん、よくぞ聞いてくださいましたわ、ティオさん! そのもう1人こそ、メレさん、なのですわ~!」
ニナが明かしたもう1人のウルン人の名前に、ファイとティオは再び顔を見合わせることになった。




