第291話 お姉ちゃんの、義務
途中、密猟者たちがやってきたり、ミーシャが誘拐されかけたり。いくつかの緊急事態こそあったが、それでも安全確保の観点から強行された撮影機の設置作業。
新型・旧型あわせて80台を、計12階層分。各階層平均して7台弱の撮影機の設置作業が完了したのは、作業を始めてウルンで2週間強――正確には11日――が経とうという頃だった。
第5~12層でかかった時間が4日弱だったのに対して、第1~4層には7日もかかった。その理由は言うまでもなく、上層に行くほど探索者という監視の目が増えていったからだ。
特に浅い階層では探索者が寝入る夜の時間帯にしか好機はなく、たとえ夜を迎えても、設置予定付近で探索者が休息をとっていることもしばしば。
第1層・第2層では、それぞれ2日がかりで撮影機の設置をする羽目になったのだった。
一方、撮影機の設置作業など到底できない日中の時間帯にファイが何をしていたのかと言えば、宝箱の補充作業だ。
マィニィ達のおかげで一度は補充された宝箱たちも、これだけ時間が経てばほとんどが空っぽになっている。
探索者たちにとってうまみがないその状態を放置すれば、待っているのは少し前と同じ、閑散とした寂しいエナリアだ。
ゆえにファイは空いた時間を使って宝箱を補充し、なるべくこのエナリアに探索するうまみがある状態を維持し続けた。
そのぶん上層に居る探索者が増えて撮影機を設置する難易度は上がるわけだが、たくさんの探索者を見て目を細めていたニナを思えば手を抜くわけにもいかない。
ほとんど休息もとらず、四六時中働き詰めの、道具としては非常に満ち足りた7日間だった。
しかし、その代償はファイの想像よりも大きかったらしい。
久しぶりに自室に戻って睡眠をとったファイ。目覚めと共に早速ニナのもとへ、と、起き上がろうとした彼女は、自分の手足が手錠を使って寝台の支柱にしばりつけられていることに気づいた。
「…………。…………。……え」
さすがに事態が飲み込めず、声を漏らすファイ。
一応、腕に力を込めて手枷の破壊を試みる。が、手錠はかなり硬い金属でできているらしい。軋むことはあっても、壊れるような気配はない。
驚くべきは、寝台の支柱もファイの力をもってして壊れないことだろう。
思えばこの寝台は、ニナが使っているものと同じだ。彼女が寝返りをうったり、寝ぼけて手足を打ち付けたりしたとしても壊れない金属が使われているのだろう。
(多分、この手錠も同じ金属を使ってる)
ニナをして壊せないのであれば、ファイが破壊できるはずもなかった。
だが、ここで諦めるファイではない。ファイはニナの道具であり、1秒でも早く彼女のもとへ駆けつけなければならない。そして、ニナのために尽くさなければならないのだ。
ふぅ、と。寝台の上で小さく息を吐いたファイは、わずかに表情を引き締める。
「コレは緊急事態。怪我をする、も、仕方ない。手のやつをこわせない、なら、私の身体を壊す」
あえて声に出して言ったファイが、まずは自身の右手の骨を砕いて手錠からの脱出を試みようと力を込めた瞬間。
「待って、待って、待って~~~っ!」
ファイの寝台のすぐそばからニョキッと生えてきたのは、フワフワ真っ白な髪を揺らす少女だ。
「なんでそうなるし!? なんでそんなに覚悟決まってるし!? なんでお姉ちゃん、諦めてくれないの~~~!?」
焦りと怒りと困惑を等分に混ぜた声で言って、ファイが眠る寝台を見下ろす少女。長いまつげに縁どられた紫色の瞳を持ち、ファイのことを「お姉ちゃん」と呼んでくれる存在は1人しかいない。
「ティオ。居たんだ?」
「いや、絶対分かってたでしょ……」
言いながらじっとりとした目線を向けてくるのは、ファイの同居人であるウルン人の少女・ティオだった。
彼女が言うように、ファイは事態を把握してすぐ、身近な誰かの仕業だろうことに気づいた。
もしも見知らぬ人物であるならば、裏に来ることができている時点でガルン人ということになる。そして、ガルン人であれば、眠りこけるファイを殺して魔素供給器官を食べるだろうからだ。
だがファイは殺されておらず、手足を縛られるだけ。ファイを害する意図のない人物、つまりは顔見知りの犯行だろうことはすぐに想像がついた。
そのうえで、このような暴挙に出そうな人物はごくわずかだ。ファイが思いつく限りだと、目を黒くするルゥか、発情期の衝動にかられたミーシャ。最後に同居人であるティオくらい。
「他にもムアが面白がってするかも、だけど。もし誰かがこういうことしようとしたら。ティオが止めてくれる……よね?」
ティオだと決め打ちした最後の理由をファイが明かすと、ティオは「もちろん!」と胸を張る。
「お姉ちゃんを好きにしていいのは妹のティオだけだし、ミーシャちゃんとかルゥさんだったらまだティオでも勝てる可能性、あるもん! ムアさんって人は知らないけどっ」
ティオがエナリアに来てほぼひと月。責任者であるニナはもちろん、検診を受けているルゥ、仲良く喧嘩するミーシャの3人については、ティオもそれなりに関係性を築いているらしい。
加えて社交的なティオだ。ムアたち接点の薄い従業員たちと仲良くなるのも時間の問題に違いないだろう。
(やっぱりティオはすごい。自慢の妹)
無意識にティオのフワフワの髪に伸ばされようとしたファイの手は、しかし、頑丈な手錠によって阻まれてしまった。
「……じゃあティオ。いたずら、は、終わり。これ、外して?」
ティオが持つ極上のフワフワへの道を阻害する手錠を外すよう、ティオ当人にお願いする。が、残念ながらティオにはファイの言うことを聞く気がないらしい。
ううん、と首を振った彼女は、おもむろにファイにかけられていた布団を引っぺがす。それを丁寧に3つ折りして畳んだかと思うと、今度は「よっこいしょ」とファイのお腹の上にまたがってきた。
「ティオ……?」
何をしているのか。妹の真意が読めずにいるファイを、ティオが笑顔で見下ろしている。
「お姉ちゃんに質問です! お姉ちゃんはどれくらいの時間、ティオを放置したでしょう~かっ!」
「え? えっと……」
ティオに問われて、自分の中でざっくりとした時間の経過を測るファイ。
だが、黒狼にいた頃から昼夜など関係ない生活を続けてきたファイだ。フーカのように秒単位で正確な体内時計を持っているはずもない。
だからと言ってあてずっぽうで答えるファイでもない。探索者たちが長い休息をとっていた回数を参考にしながら、おおよその日数を言い当てる。
「9日?」
「は? 違うし。もっとちゃんと考えて」
「あ、はい」
ティオの冷たい反応から、自分の間違いを察したファイ。よく分からない冷や汗をかきながら、改めてティオを放置した時間、つまり、撮影機の設置作業に費やした時間を推測する。
「えっと、10――」
「(にこ♪)」
「――じゃなくて、11日……?」
「そう! 11日。正確には11日と18時間42分。お姉ちゃんは妹であるティオを放置しました! あっ、携帯を持ってるフーカさんに確認してるから、絶対に間違いないです」
さすがに秒単位までは分からないけど、と。ファイのお腹の上で言ったティオはそのままゆっくりと前のめりに倒れてきて、こつんとファイとおでこを引っ付かせる。
「お姉ちゃん? お姉ちゃんはティオだけのお姉ちゃんだよね? で、ティオはお姉ちゃんだけの妹。お姉ちゃんは妹の面倒を見る義務があるし、妹にもお姉ちゃんに尽くす義務がある」
もはやまつ毛を触れさせ合う距離にあるティオのきれいな瞳を見ながら、ファイはティオが口にした単語を繰り返す。
「ぎむ……」
「そう、義務。しなくちゃいけないこと。だからティオ、お姉ちゃんのために、お姉ちゃんがしばらく帰ってきてないこと、フーカさんに言わなかったよ?」
原則1日1回。仕事中でも2日に1回は必ず休息をとるようにきつく言われているファイ達ウルン人。その睡眠を管理しているのがフーカなのだが、ティオは彼女に「ファイはきちんと帰ってきて休んでいるのだ」と嘘をついていたというのだ。
思えば最初、ニナのもとにリーゼ伝いに睡眠確認の連絡が来てからというもの、フーカから睡眠の確認がなされることは無かった。
「あ、ありがとう、ティオ」
「ううん、大丈夫! さっきも言ったけど、お姉ちゃんに尽くすのは妹の義務だから!」
ファイの感謝の言葉も、ティオは笑顔で受け取ってくれる。が、少しずつ、少しずつ。ファイを見るティオの紫色の瞳に、闇が広がり始める。
「でもティオ、ダメな妹だね? お姉ちゃんがたった11日と18時間42分もティオをほったらかしにしただけで。ニナちゃんとかミーシャちゃんとイチャイチャしてるって考えただけで、不安になっちゃう……」
申し訳なさそうに苦笑するティオ。
「お姉ちゃんが幸せなら、相手はティオじゃなくていい。ティオは妹として、お姉ちゃんを応援しないとダメ。そう分かってた、はず……なんだけど……っ」
その瞬間に彼女の目じりにたまり始めた水滴を見て、思わずファイは思わず目を見開く。
仕事に夢中になってしまうあまり、かなり長い間、ティオをひとりぼっちにしてしまった。
ティオは賢く活発で、強い。彼女なら大丈夫だろう、と。
そう勝手に判断して、放置した。ほんの少し前まで、両親との死別にさえ分別をつけることができていなかった、たった11歳の少女を、だ。
その心細さは、恐らくファイが想像しているものとは比べ物にならないのだろう。
「ティオ!」
「えっ、お姉ちゃん!?」
パンッと鈍い音がした次の瞬間には、ファイはティオの震える身体を抱きしめている。
金属は、温めれば柔らかくなることをロゥナ達の鍛造の風景から学んでいるファイ。
ティオに解錠の意図がないならば手錠を破壊できるように、と、鎖の部分を〈ヴェナ〉で温めておいたのだった。
「ごめん……ね!」
言いながら、ティオの細くて小さな身体をファイはぎゅっと抱きしめる。
ファイはティオのお姉ちゃんになる時、確かに彼女の幸せの責任を負ったはずなのだ。だというのに、ティオを悲しませている。泣かせてしまっている。まして、
「ち、違うの、お姉ちゃん! ティオ、お姉ちゃんに謝ってほしかったんじゃなくて……! ただ、もうちょっとだけ一緒に居たかっただけで……! だから、悪いのはお姉ちゃんを困らせてるティオで……っ!」
と。妹が必死に隠していたのだろう内心を口にさせてしまう。そんな自分が、ファイはただただ情けなくて、申し訳ない。
「ごめんね、ティオ……っ! お姉ちゃんなのに、ごめん……なさい……!」
「ううん、お姉ちゃんは、悪くなくて、だから……だから……っ! ……ぐすっ」
我慢強い少女が、こらえきれずに漏らした嗚咽。それでも大声で泣かないのは、最後の最後に残った意地だろうか。
無言のままぎゅっと抱きしめてくるティオの身体から震えが消えるまで、ファイは大切な妹の身体を強く抱きしめ続けた。




