第290話 幸せが倍でお得、ですわ!
(早く……。早く密猟者さんを見つけないといけませんわ!)
ニナは焦っていた。もしも密猟者が上層へ向かえば、絶賛、このエナリアを攻略中のアミス達と当たることになる。
が、強者に敏感なムアが反応しなかったことを見るに、恐らく密猟者たちは弱い。
一度アミスに殺されかけたことがあるニナだ。あのアミスが、そんな弱い密猟者たちに負けることは無いだろうことは分かっていた。
それでもニナが焦っていた理由。それは万一、密猟者たちが第10層で待つルゥのもとへと到達しようものなら、恐らくルゥが密猟者たちを皆殺しにしてしまうからだ。
普段の人懐っこい言動で忘れそうになるが、ルゥは幼少から暴力と非人道的な実験をかなり長い間受けてきた。
それゆえに彼女は他者の痛みに寄り添うことができるし、癒すことができる。ニナにとって彼女ほど心強い仲間は居ないし、頼れる姉貴分は居ない。
が、ルゥにとって暴力と実験が“当たり前のもの”であることには変わりない。
ひとたび目の前の相手が“敵”だと分かれば、彼女は育ってきた環境ゆえに、自分が受けてきた“当たり前”を振りかざす。本当に、いとも簡単に。
力こそが全てのガルンだ。ニナ自身、決して暴力を否定するつもりはない。
もしも非暴力を訴えるのなら、その人自身が暴力を極め、他者を無理やり従わせるほかない。夢を口にするにしても、何をするにしても、他者に訴えかける“力”が必要となる。
そんなガルンで暴力を使うなと言うのは、死刑宣告に等しい行為となる。ニナはルゥをはじめ大切な人々に「死ね」などと、口が裂けても言えなかった。
ただし、ここはガルンでもウルンでもない、エナリアだ。暴力以外の選択肢を取ることができるはずの場所なのだ。ゆえにルゥには暴力ではなく、まずは対話を試みてほしい。そうお願いをしていたのだが――。
『――あー、あー。ニナちゃん、聞こえる? こちらルゥ。ニナちゃん聞こえてる~?』
ニナが持つ通話用の青いピュレが震えた。
ルゥとリーゼ。何かと仕事が多い2人とはすぐに連絡が取れるよう、ニナは個別に彼女たち専用のピュレを持ち歩いている。その2体のうち、ルゥと繋がるピュレが通信を伝えていた。
「ルゥさん……」
時機的に嫌な予感を覚えるニナ。それでも勘違いの可能性も込めて、なるべく普段通りを装ってルゥに尋ねる。
「ルゥさん? どうかなさいましたか?」
『ニナちゃん! まだ害獣……じゃない。密猟者たちを捜索中だよね?』
「はい。お恥ずかしながら、まだ見つかっておらず――」
『それ、大丈夫だから♪』
そんなルゥの返答が聞こえた瞬間、ニナの喉がひゅっと鳴る。
「だ、大丈夫と申しますと……?」
『うん。だからそれ、こっちで対応しておいたから』
別にルゥが何を言っているのか理解していないニナではない。ただ単に、理解したくないだけだ。それにまだ、ニナの勘違いである可能性だって十分にあるのだ。
「る、ルゥさん? これは音声だけの通信ですわ。きちんと状況を伝えてくださいませんと――」
『もう! いつになく察しが悪いよ、ニナちゃん! その密猟者、わたしの所で全部処理したって言ってるの!』
この時、ほぼ間髪を入れずに「そうなのですわね、ありがとうございますわ!」と、感謝の言葉を返せた自分を、ニナは褒めてあげたい。
勝手を働いた密猟者たちを何らかの形で処分しなければならないのは、集団の規律を守るうえで大切だ。
その最も一般的な選択肢が、対外的な見せしめとけん制も兼ねた“対象の殺害”であることも間違いない。実際、ニナも発見し次第、密猟者たちを徹底的に排除するつもりでいた。
誰に見つかろうが、密猟者たちが迎える末路には変わりないのだ。
しかし、汚れ仕事をルゥにさせてしまったのがニナとって何よりも悔やまれる。
というのもニナは可能な限り、ルゥから暴力という行為を遠ざけてきたからだ。
問診と、姉であるサラの世話をしてもらい、従業員が傷つけば治療してもらう。働きすぎであることはニナも分かっているし、ルゥの頑張りに甘えてきたのも事実だ。
それでもルゥには人々を癒し、彼らから向けてもらえる笑顔と「ありがとう」――人の温もり――に1つでも多く触れ、幼少の頃の心の傷を少しでも癒してほしかった。
階層主の仕事だってそうだ。探索者の観察とけん制にのみ専念させ、絶対に手を出さないように厳命してきた。
それらの配慮はひとえに、彼女にとって辛い過去でもあるだろう暴力の記憶を少しでも和らげてあげたかったからだ。
(ルゥさんには、彼女の良いところ……“優しさ”だけを見せていてほしかったのですが……)
ニナのルゥへの配慮も、密猟者たちは平気で無視をしてくる。結果、ルゥの手を血で汚させてしまった。心的外傷を想起させるのに十分な機会となったことは間違いないだろう。
今回のことでルゥが何を感じてどう思ったのか、ニナには分からない。
『ふふん、でっしょ~! 裏に帰ったらご褒美、期待してるねっ! ピュレ、通信終わり!』
弾む声で言うルゥは案外、まったく気にしていないのかもしれない。
それでもニナが知るルゥ・ティ・レア・レッセナムという少女は、本心を隠すのが非常にうまい。幼馴染であるニナでさえ、ルゥが本当は何を考え、どう感じているのか。そうそう見破ることができない。
だからこそニナは可能な限りの予防線を張り、ルゥに“幸せ”を感じられる環境を作ってきたつもりだ。
だというのに、密猟者という理不尽は、たやすくニナの想いを踏みにじってくる。
果たして自分は今、どんな顔をしているのだろうか。いつから自分は、血が出るほどに拳を握りしめているのだろうか。
きっとエナリア主としてあるまじき“弱い姿”をさらしているだろうことが想像できるだけに、ニナは今回の通話が音声のみで良かったと思う。
油断していなかったと言えば、嘘になる。
ファイのおかげでエナリアの整備はかつてないほど順調に進んでいる。
上層の撮影機の設置と整備士の手配さえ終われば、本格的にこのエナリアは運営を再開させるつもりでいた。
具体的にはガルン人への門戸を広げ、入場料で運営資金を捻出する。魔獣の輸出とエナリアの恵み頼みだった運営から脱却し、他のエナリアと同じ営業形態をとれるようにする予定だった。
(魔王様はこれ以上赤字が続けば、他家を抑えきれないとおっしゃっておりましたわ。ゆえに少しでも早く、一般開放を、と。そう思っておりましたが……)
ガルン人の進化への欲望は、ニナの想像をはるかに超えるらしい。ニナ自身、ガルン人とウルン人の混血で、進化欲も控えめな人間族だったために、彼らの進化欲を理解できていなかったのだ。
(このままガルンの方々を迎えると、絶対に違反者が出てしまいますわ……)
ウルン人とガルン人。敵同士である両者の間に殺害行為1つあるだけで、簡単に共生の道は絶たれてしまう。
そんな中、このエナリアの決まりに対する理解の浅いガルン人を多く迎え入れるのはあまりにも危険性が高い。いや、果たして本当に、一般開放できるような日は来るのだろうか。
――ひょっとして、ガルン人とウルン人が共生する場所など、作ることができないのではないか。
ふと湧き上がる想いに、ニナは艶やかな茶色い髪を振り乱して首を振る。
「そんなこと、絶対にありませんわ……! お父さまとお母さま。わたくしとファイさんのように。諦めなければ、必ず……!」
ガルン人は豊かなエナリアの恵みとウルンの科学技術を。ウルン人はエナリアから産出される色結晶と、ガルン人が持つ武具生産の技術を。
それぞれが自分たちの持つものを分け合い、高め合う。
そうすればいつか、ガルン人にとって最も需要がある魔素供給器官の代替品や増産方法なども見つかるかもしれない。ウルン人を殺さなくても、ガルン人が進化という幸せを得られる未来が来るかもしれないのだ。
もちろん時間はかかるだろうし、そんな方法、あるのかもわからない。
が、少なくとも今のエナリアの在り方――ウルン人が色結晶を、ガルン人は魔素供給器官を、それぞれ命がけで奪い合う状況――では、両者が幸せになる方法の模索さえできない。
(どなたかを殺して、どなたかが幸せになる。そんな幸せの在り方も、確かにありますわ。ですが、誰も死なずに両者が幸せになれた方が、“幸せ”の数は倍! お得で素敵に決まっていますわ!)
自分たちには言葉があって、知性がある。
であれば、安心して話し合いができる場を作って、ウルン人とガルン人。単純計算で倍の人手をかけて “幸せへの道”を探る。その方がよほど生産的で、建設的であることは間違いない。そうニナは信じている。
そして、それぞれの世界においてたった1人ずつ。異世界の住民を知ろうとして、愛し合った男女の子供である自分は、異世界人同士の相互理解と共生の未来を諦めてはいけないとも思う。
「こんなところでへこたれている場合ではありませんわ! 密猟者さん達への対処が済んだのであれば、早速、ファイさんと合流しませんと!」
心機一転。心持を強くしてエナリアの裏に戻ることにしたニナ。そんな彼女が上層で起きているミーシャ誘拐事件について知るのは、この“少し”後。
さらに、ミーシャにまつわる騒動の終了を知った“しばらく”後。
アミスたち王女と聖女の混成部隊がなんと、初攻略となるだろう第9層を突破したという知らせが、リーゼによってもたらされるのだった。




