第287話 ミーシャは弱い、けど――
ひとまずミーシャだけを氷の蕾から助け出したファイ。彼女はすぐ、ミーシャを見つけ出す手伝いをしてくれた森人族の好青年・ジクロへ感応石を返しに行った。
幸い、ジクロ達はまだ第4層の入り口に居てくれた。彼にどうお礼をすればいいのか尋ねてみたファイだが、ジクロは「「気にしなくていい」と言ってくれた。
それでも一度だけ食い下がったファイに、ジクロが「それなら」と教えてくれたのは探索者としての心構えだ。
『もしエナリアで誰かが困っていたら、助けてあげてほしい。そうやって、私たち探索者は助け合っているからね』
誰かが誰かを助け、その恩を誰かを助けることで返す。助け合いの輪こそが探索者たちの“優しさ”の正体なのだと、ファイは思い知ることになったのだった。
その後、擬態用ピュレを含めた道具が無事であることを確認するためにも、一度、エナリアの裏に戻ることにしたファイ達3人。
夜光灯が明るく照らす、エナリアの裏の廊下。床にぺたんと座るファイは、背嚢の中身を確認していく。
「撮影機は……ん、動く。ピュレも、無事。……ふぅ」
撮影機のエナ源――動力――が入ること。死ぬと体表の膜が破けて液体が漏れ出すピュレが無事であることも確認して、ファイは小さく息を吐く。
「ミーシャ、良かった――」
「(フイッ!)」
すぐ隣にいるミーシャに物資が無事であることを伝えようとしたファイ。だが、ミーシャは不機嫌そうに顔をそむけてしまう。
「……ミーシャ。撮影機もピュレも無事。良かった、ね?」
「(ツーン!)」
改めて話しかけてみるも、やはりミーシャがファイと視線を合わせてくれることは無い。腕を組んであらぬ方を向き、ファイのことなんか知らない、といった様子だ。
実は氷の中から助け出して以降、ミーシャはずっとこの調子だ。ツンとした表情のまま、全然ファイに取り合ってくれない。
「あぅ……。ミーシャ。その……ごめん、ね?」
生い立ちゆえに自己肯定感が全くと言っていいほどないファイだ。とりあえず自分が悪いのだろうと考え、謝るのだが、
「イヤよ、許さないわ」
ミーシャが機嫌を直してくれる気配はない。立ち上がって歩き出した彼女の後ろを、ファイも急いでついていく。
少し毛を逆立てて、ゆったりと。怒っているときの動きを見せるミーシャの尻尾を眺めるファイ。
謝罪しても受け入れてもらえず、さりとて怒りの理由を明かしてくれることもない。ファイとしてはもう、眉尻を下げることしかできない。
そんなファイのことをチラリと見たミーシャが不意に足を止めて振り返ったことで、ファイもビクッと身体を硬直させることになった。
「ファイ。アンタさっき、自分が死んでもいいような作戦、する気だったでしょ?」
「――!?」
ミーシャの言葉に、ファイは金色の瞳を大きく見開くことになる。なぜなら、ミーシャの言う通りだったからだ。
最初ファイは、1つの犠牲を前提とした作戦を立てていた。その犠牲は他でもない、ファイ自身のものだ。
まず〈ファウメジア〉で、ミーシャや人質の女性を含めた全員を氷の蕾に閉じ込める。この時、ミーシャと人質の女性に対する氷の蕾の花弁を特に分厚くする。
本来、〈ファウメジア〉は視界に入った対象全てを氷の蕾に閉じ込めて窒息、凍死、あるいは3段階目の氷の形状変化でひねり殺す魔法だ。
が、そこはティオが得意とする発想の転換だ。
空気を通さない氷の壁を作り出せるということは、裏を返せばかなり頑丈な氷の盾を瞬く間に作り出せるということでもある。
その盾を使ってミーシャと人質の女性を保護。その後、爆発魔法の〈フューティア〉か〈ヴァン・エステマ〉で大広間に居る全員を焼き殺すつもりだった。
問題は、ファイが一度に使用できる魔法の数だった。
魔法の使用には引き起こされる“図”を想起するための集中力が求められる。
ファイが同時に使用できる魔法は簡単なもので3つ、〈ファウメジア〉などの大規模な魔法を使えば、良くて2つが限界だ。
これまでも、〈フューティア〉や〈ヴァン・エステマ〉を使う場合、ファイは爆風と熱から身を守るために風の魔法で自身を守ってきた。
が、今回は〈ファウメジア〉でミーシャ達を守っている。そして〈ファウメジア〉の「視界に居る全員を凍らせる」という性質上、ファイ自身を凍らせることはできない。
ファイは、盗賊を制圧するために使う魔法の爆風と熱から逃れる術がなかったのだ。
先日、ニナを心配させないためにも、あまり傷つかないことを誓ったばかりのファイ。だというのにまたも大きなやけどを負うかもしれない事態が、彼女にとっては心苦しかった。
また、ウルン人には魔法という“予想外”が多くある。氷の蕾で捕らえる前に攻撃された可能性もあったし、氷の蕾を無力化される可能性もあった。
この、ファイの慎重な考えの裏には前回、撮影機を大量に購入したお使いが響いている。
あの時、自分はウルン人の力を舐めているのだと気づいたファイ。以来、ファイはウルン人に対する自身の評価を下げ、ウルン人を“強く”見積もっている。
ゆえにファイは、〈ファウメジア〉を突破するウルン人が居てもおかしくないという発想を持った。
しかし、あのニナでさえも突破できなかった氷の蕾だ。いくらウルン人が魔法を使えるとはいえ、ファイの〈ファウメジア〉を突破できるものはごくごく限られている。
そして、そんな実力を持つ者は“盗賊”などという不安定かつ非合法な仕事に就くはずもないのだが、ファイが知るはずもない。
〈ファウメジア〉を突破する盗賊が居た場合、ファイは〈ファウメジア〉を使用しながら盗賊たちを相手取らなければならなくなる。しかも、時間をかければミーシャと人質の女性が凍死するという制限付きだ。
自身の不器用さなど、ファイが一番よく知っている。
ミーシャ達を守りながら戦えば手傷の1つや2つ、いや、大怪我さえもあり得るし、最悪の場合は死ぬ。
それでも、ミーシャと人質の女性の命を守り、かつ、エナリアの秘密を守ること、ひいてはニナの夢を守ること。それらと比べると、道具である自分の傷や命など、ファイの中で比べるまでもない。
――自分の身1つで、その他たくさんの物を守れるのだから安いもの。
そうして秘かに決死の想いで盗賊に立ち向かおうとしていたファイの想いを、ミーシャはきちんと見抜いていたらしかった。
「……けど、誰も死んでない。私も無事、だよ?」
無傷の自分自身を見せつけるファイに、「結果論じゃない」と鼻を鳴らすミーシャ。
「アタシはね。アンタがまた、自分なんかどうなってもいいって考えたことに腹を立ててるの。ニナにも自己犠牲はダメって言われてるのに……。ほんと、バカなんじゃないの?」
ミーシャのきつい物言いに、「あぅ」と口ごもることしかできないファイ。
相当怒っているのか。それとも本気で、心の底からファイを想っているからか。腰に手を当てるミーシャは、いつになく素直にファイに言ってくれる。
「ファイ。アタシを守るって、アンタが言ってくれたんじゃない。それにアタシが弱いともよく言うわよね?」
「それはそう。ミーシャは弱い。すぐ死ぬ。さっきも〈ファウメジア〉で死にかけてた」
「んにゃっ!? あ、あんなの! アタシじゃなくても死ぬわ、バカ!」
まさかここでファイが反撃してくるとは思っていなかったらしい。冷静さを欠いた様子でファイを罵ってくる。そんな彼女に目を細めるファイは、「けど」と。
「けど、ミーシャ。自分よりずっと強いウルン人たちから、ちゃんと逃げてた」
嘘やお世辞が苦手なファイだ。ミーシャの身体的な強さを褒めることはできない。が、きちんと彼我の実力差を見極めて逃げに徹し、ファイが来るまで持ちこたえるだけの作戦を立てた。
いや、作戦を立てるくらいは誰にだってできる。ミーシャの凄いところは、自分が立てた作戦をすべて実行したことだろう。
興奮物質で敵をかく乱すると同時に、時間を稼ぐのに優位な盤面を作った。そのうえで、敵の数の多さを利用して魔法を封じ、狭い範囲を逃げ回ることで身体能力の差も補ったのだ。
「ミーシャは弱い。でも、“すごい”」
宝石のような緑色の瞳を見て言ったファイのことを、ぽかんとした様子で見ているミーシャ。自分が今何を言われたのか分からないと言いたげな顔だ。
実際、「ファイ……。いま、なんて?」と問い直してくるのだから、聞いていなかったのだろう。
ゆえにファイは、改めて言う。
「ミーシャはすごい。ミーシャは賢い。ミーシャは優しいし、可愛い。……あと、ミーシャはモフモフ」
ファイが言葉を尽くすたびに「にゃっ、にゃ!?」と顔を赤くしていったミーシャ。だが、最後。モフモフの部分を聞いた瞬間、げんなりといった顔を見せた。
「……何よ。結局、そこなんじゃない」
至近距離で呟く大切な同僚の言葉を聞き逃すファイではない。
「そこ? そこ、は、どこ?」
「ふんっ、教えるわけないでしょ、バカファイ。アンタなんて、勝手にニナのお尻でも追っかけてればいいのよ」
雪解けの雰囲気だったのに、再び不機嫌そうに言って歩き出してしまう。
何か余計なことを言ってしまったらしい自分にファイが眉尻を下げていたのも一瞬だ。前を行くミーシャの尻尾がご機嫌に揺れているからだ。
相変わらず気難しい同僚の少女の艶やかな尻尾を、ファイも改めて追いかける。と、横に並んだファイの方に半歩だけ寄って肩を預けてきたミーシャが、声を潜めて聞いてきた。
「で、ファイ。……アレ、どうするつもりなのよ?」
「あれ?」
ミーシャが目線で示す先。自分たちの後方を、ファイも見る。そこに居るのは、気配を消してファイ達の後ろをついてくる海人族の女性の姿がある。もちろん、先ほど盗賊たちのところに居た女性だ。
ぼろきれで身体を隠し、頼りない足取りでファイ達の後ろを歩いている。
なんとなく自分と似通った部分があったため、ファイはつい連れてきてしまった。が、確かに。素性も分からず信頼できない相手をエナリアの裏に連れてくるべきではなかったかもしれない。
「……ニナに言う。あと、フーカに相談する」
「フーカ……さんはともかく。ニナに、ってアンタ……。まさかティオのヤツみたいに匿うってわけじゃないでしょうね?」
また新しい女を連れ込むのか。そう言いたげなミーシャに、ファイはゆるゆると首を振る。
「あの人を住民にする、も。盗賊たちみたいに記憶処理してポイするのも。決めるのはニナ」
ファイ達が無力化した盗賊たちはといえば、唯一の出入口となっていた通路を崩して閉じ込めている。
彼らは擬態用ピュレなど、エナリアの裏事情を知ってしまった可能性がある。そのため、これからニナとリーゼの手引きのもと、記憶処理措置が取られることになっている。
「それに……」
ちらりとミーシャを見たファイは、そもそもの話を彼女に伝える。つまり、そもそもどうして“逃げ”が得意で拘束から抜け出すことも得意なミーシャが、盗賊たちに捕まってしまったのか、だ。
「ミーシャも……ううん、ミーシャこそ。あの人を助けたかったん、でしょ?」




