第285話 失う命は、1つだけ
ミーシャが居たのは、直径100m前後の半球状をした大広間。地下に暮らす鼠の巣のように、無数に枝分かれする第4層の端の端だった。
気配を殺し、大広間へ続く唯一の出入口である通路の陰から中の様子を伺ったファイ。と、そこにあった光景に目を見開く。
(人、たくさん……!)
大広間にはいくつもの簡易な掘っ立て小屋が立てられており、輓獣をつなぐ厩舎もある。顔を赤らめる人々が居るのは、食事場だろうか。
今のウルンは夜だろうため、探索者であれば寝静まっている時間帯だ。が、この大広間は今が盛りとばかりにせわしなく人々が行き交い、熱気に包まれていた。
ガルン人、ウルン人問わず、エナリアに集落を形成する人々が居ることはファイも知っている。実際、ガルン人が作った集落にはこれまで何度も足を運んでいる。
しかしウルン人が、ここまでしっかりと「集落だ」と思える建物や集団を見かけるのはこれが初めてだ。
もちろんウルンで見かけた立派な建物たちとは比べるべくもない。が、設営に時間がかかり持ち運びにも不便そうな立派な掘っ立て小屋は、彼らが数週間以上、この場で暮らしているだろうことを示していた。
ここが“ただの探索者たち”が作り上げた集落であれば、ファイは目を輝かせて飛び込んだに違いない。
だというのにファイがこうして身を潜ませている理由は、彼らが恐らく“悪者”だろうことが分かったからだ。
なぜなら、大広間の奥。3つほど並んだ小さな檻の中に、手枷や足枷を着けられた人物が2人居るからだ。
いや、それだけであれば、残念ながらファイの善悪の物差しでは“悪者だ”と断定できない。ファイ自身も自由を拘束されて育ってきているがゆえに、「まぁ、そんなこともある」と考えてしまう。
ただし今回に限って言えば、すぐにこの場に居る人々が「悪者では?」と思うことができた。なぜなら、
「ミーシャ……!」
檻にとらわれている2人のうちの1人が、ミーシャだったからだ。
細いエナリアの通路でも問題ないように、だろう。縦に長く、人1人を入れて運ぶのにちょうどいい大きさの檻に捕らわれているミーシャ。
捕まった時に身ぐるみをはがされたのだろう。ミーシャが羽織っているのはぼろきれ1枚。仕事道具が入った背嚢も、護身用の小剣も見当たらなかった。
それらの行方も気になるところだが、ひとまずミーシャを安心させるのがファイの中での最優先事項だ。というのも、ぼろきれを握りしめてうつむくミーシャの身体が小さく震えているからだ。
「ミーシャ! ミーシャ~!」
声を潜めてミーシャに呼びかけるファイ。
人々が談笑していたり、雑踏にかき消されたりしてもおかしくない声量。だというのに、さすがは獣人族というべきか。ハッとしたように耳を立てて顔を上げたミーシャと、ファイの視線が交錯する。
瞬間、ミーシャは緑色の瞳を輝かせて顔いっぱいに嬉しさをにじませる。
しかし、直後には「あっ」としたような表情を見せたかと思うと、フイッと顔をそむけられてしまうのだった。
(ん、ミーシャ、可愛い。いつも通り)
いつも通りのツンツンした態度を取り戻したミーシャの姿に、ひとまず息を吐くファイ。ただ、彼女は遠く離れたミーシャに届くよう、控えめながら叫んだのだ。当然、声に反応したのはミーシャだけではなかったらしい。
「……?」
ファイが居る通路のすぐそばを通りかかった翼族の女だ。
ファイの声を耳ざとく拾ったらしい彼女。不思議そうにしながら、ファイの方に歩いてくる。
ひとまずミーシャに自身の存在を知らせることはできた。ここは冷静に撤退を。そう考えて通路から退避しようとしたファイだが、折が悪かった。
「クッソ~! 空振りかよ!」
「協会の注意があるせいか、最近は探索者の奴ら、全然油断してくれないな」
「それでもこのエナリア以上の狩場はないよ? 根気強くいこう!」
通路の先、逃げようと思った方向から、男女3人の声がする。間違いなく、大広間に居る人々の仲間だろう。
通路の高さも幅も3mほど。宝箱の補充の際に使用した風の魔法の応用ですれ違うこともできなくはないが、“何かが通った”ことくらいは分かってしまう。
そうなると当然、悪者たちは警戒をしてしまう。ミーシャの救出も困難になることだろう。
(だったら……)
ファイが対策手段を講じた少し後。ファイの気配を追って通路にやって来た女性と、帰ってきた盗賊3人が鉢合わせている。が、その場にファイの姿はない。
「ミッカ。どうかしたの?」
その問いかけは、通路の先からやってきていた盗賊3人の中で唯一の女性の声だ。それに続いた女性の声は、恐らくファイを追ってきていた翼族の女性のものだろう。
「いえ、人が居た気がしたんだけど……」
どうやら自分の存在には気づいていない。そうファイが安堵できたのも、つかの間だ。
「あら、こんなところに岩なんてあったかしら? それにこれ、なんとなく人の形をしているような……」
そんな翼族の女性の言葉で、一瞬にしてファイの緊張感が高まる。
「わっ、ほんとだ。変な形~。崩れた……ようには見えないから、どっかから転がってきたのかな?」
「そうかも。だけど一応、ね。――〈ヴァン〉」
女性の声が聞こえたかと思うと、乾いた破裂音が通路に響く。直後に響いた重い音は、通路に落ちていた人っぽい岩が壊れた音だろう。
「……大丈夫そうね」
「そりゃそうだよ! それよりもミッカ! あたし、お腹すいたな~?」
「はいはい。ノードさん達がブルを狩ってきてくれたから、それを分けてもらいましょう」
などと話しながら、大広間の方へ歩いて行った盗賊たち。
彼らの足音と気配がなくなったことを確認して、ファイは“岩壁の中”で息を吐く。
(危なかった……)
とっさの判断で、〈ゴゴギア〉を使って壁の中に身を隠すことを選択した彼女。ただ、ファイが入る空間を作るためにはどうしても岩を削り出さなければならなかった。そうして削り出された岩が、通路に転がっているらしい“人っぽい岩”だ。
本当はもっと岩っぽく仕上げたかったのだが、時間がなかった。おかげでつい自分が入る形のままに形成してしまったが、ギリギリのところでバレなかったようだった。
他にも人が来る可能性を見越して、壁の中でミーシャの救出法を考えるファイ。
まずは状況を整理する。
ミーシャが捕らえられた広間の大きさは直径100mほど。天井も高く、半球状をしていた。本来は生い茂っているはずの下草は処理されたのだろう。土がむき出しになっていて乾いており、足音がよく聞こえるようになっていた。
出入口はファイが今いるこの通路1つだけ。ここを押さえておけば盗賊たちは大広間から出られないが、だから何だという話だ。
(問題は、敵の数が分からないこと……)
掘っ立て小屋の中にどれくらいの実力を持つ人が、どのくらいの数いるのか。ファイはまだきちんと把握できていない。
敵が少なければユート達を助けたときのように強行突破も可能だが、さすがにあの数を一度に相手するのは不可能だ。誰かを相手取っているうちにミーシャを含めた檻の中の人々を人質とされれば、目も当てられない状況になる。
となると、氷点下の空間を作り出す大規模魔法〈ファウメジア〉で彼ら全員を無力化するのはどうだろうか。
背負うべき命の選択の重要性を学んだファイだ。大切なもの――今回で言えばミーシャの身柄――を守るためであれば、いくらでもこの手を血で汚せるし、それを“汚れ”として認識さえしない。
まして今のファイは探索者としてこの場に居る。
(ニナが禁止してるのは、ガルン人がウルン人を殺すこと。ウルン人がウルン人を殺す、は、ダメじゃない)
かつてユアが魔獣を使ってウルン人を狩ろうとしていたように、決まりの“穴”をファイもつく。
(それにミーシャ。ピュレと撮影機が入った背嚢、盗られちゃってた……)
背嚢の中身を確認した盗賊たちは、こう思ったに違いない。
――どうして魔物を持っているのか。
そして、調べるうちに擬態用ピュレの性能を知ることだろう。
エナリアに特化する形で開発されたピュレだ。その性能を知ってしまえば、いずれ、何かを隠そうとするガルン人側の意図に気づかれることだろう。
そうなると最悪の場合、待っているのはエナリアの裏の存在の露見だ。それを防ぐためにも、あの場に居る全員を処理しなければならないことはファイの中で確定事項だ。
(でも〈ファウメジア〉も〈フューティア〉も。ミーシャ達ごと殺しちゃう……)
大広間を1手で制圧できる大規模魔法について、ファイは手加減をすることができない。当然、あの場に居る人々全員に、平等に死、もしくは大怪我をさせることになる。
ファイにとって、盗賊を殺すことについては一切の躊躇はない。が、檻にとらわれていた人質を殺すことについて思い悩める程度の良識は、ファイも持っている。
ちらり、と、右の腰を見るファイ。そこにあるのは、なけなしの傷薬1本だけだ。
もしも人質がミーシャ1人であれば彼女ごと大広間を焼き尽くし、最後に傷薬でミーシャだけを助ける手を打つことができた。
が、あの場にはもう1人、捕らわれていたウルン人らしき女性が居た。彼女の分の傷薬は、ない。
(…………。…………。……それでも)
ファイは道具だ。感情を抜きにした損得の計算をしなければならない。
(死んじゃうかも、だけど。コレなら……)
人質を助け、なおかつ、数十人といるエナリアの“敵”を殺すことができる。さらにさらに、エナリアの裏事情が露見する可能性も無くすことができる。
その代償として“1人の命を失うかもしれないだけで済む”のであれば、実行するべきに違いないのだ。
「…………。……よしっ」
心のない、道具の自分であれば大丈夫。そう自分に言い聞かせて壁から出たファイ。
突入の機を測ろうと改めて大広間を覗きこんだ彼女と、ファイの再来を待っていたらしいミーシャの目が合う。
瞬間、なぜかファイの顔、いや“表情”を見たミーシャが大きく目を見開いた。
そんな彼女の驚きの意味に、ファイが気づくことは無い。
――大丈夫、自分が何とかする。
そうファイがミーシャに頷きかけようとした時だ。
きゅっと眉の角度を鋭くしたミーシャの方が先に、ファイに頷きかけてくる。まるで、自分に考えがあるとでも言うように。
(ミーシャ……? 何しようとしてる、の?)
ファイがミーシャの意図を察するよりも早く、羽織っていたぼろきれから手を離したミーシャ。当然ぼろきれは滑り落ち、ミーシャの裸体が露出する。
よほど恥ずかしいのだろう。これ以上ないくらい顔を真っ赤にする彼女の瞳には、早くも羞恥の涙が浮かんでいる。
それでも震える手を檻の床について、ぺたんと座った姿勢のまま顔を天井に向けたミーシャは、
「み゛ゃお゛ぉぉぉ~~~……ん」
聞いたこともないような汚い声で、高らかに鳴いた。




