第269話 共犯者、だね?
ファイがニナと一緒にアミス達の観察を始めて1日が経った頃。アミス達は本格的な休息――睡眠をとる準備を始める。
と、そうして騎士団が野営の準備を始めたのを見届けたところで、
「……そろそろ設置作業に戻りましょうか、ファイさん」
アミス達から視線を切ったニナが、ファイに探索者の観察の打ち切りを宣言した。
ファイの記憶が正しければ、アミス達が居るのは次の階層までの道のりの2割ほどに当たる位置。まだまだアミス達の攻略は続くわけだ。
「えっと……。いい、の?」
問い直したファイに、ニナは伸びをしながら「はいっ!」と笑顔で頷く。
「もう少しすれば、アミスさん達は撮影機のある場所を通過なさいますわ。なので、以降の様子の監視についてはリーゼさんにお任せしようと思います」
もともと、入り口から次の撮影機がある経由地点までを観察するつもりだったらしいニナ。宝箱を開けたり、魔獣と戦ったり。そうした生の探索者たちの雰囲気や様子を知ることができたため、設置作業に戻るという。
「各階層。撮影機を設置できさえすれば、あるていど攻略の様子も分かるというものですわ。それこそ、この階層以外の様子も分かるようになりますものね」
改造したばかりのこの階層の観察も大事だが、それ以外の階層もニナは等しく大事にしたいという。
「それに、このままでは、アミスさん達が次の層に行くまで……。いえ、次の層に行っても、わたくしはずぅ~っと! 探索者さん達を観察できてしまいますわ……」
どこかで区切りをつけないと、いつまでも設置作業が終わらない。そのため、ニナはアミス達の本格的な休息を機に観察を止めることにしたようだ。
そして、ファイもニナの案には賛成だ。
今回のファイ達の仕事はあくまでも撮影機の設置作業なのだ。「いつまで観察するんだろう?」と疑問に思わなかったわけでもない。
撮影機の設置は、各階層の安全確保につながる。ひいては死者を出したくないというニナの願いにつながる。であれば、まずは設置作業を優先すべきだろう。
「ん。分かった。じゃあ、入り口に戻ろう」
この階層で最後に残された設置場所である“入り口付近”。そこへ向けて歩き出そうとしたファイだが、直後に聞こえた「あぁ、ですが!」というニナの悲痛な声で足を止める。
どうしたのかと見てみれば、ニナは再びアミス達を観察する姿勢に戻ってしまっているではないか。
「ファイさん、ファイさん! わたくし、どのように探索者さんがお休みなさるのかは気になりますわ! もう少しだけ観察をさせてくださいませ~……!」
最後に少し。もう少しだけ。そう言って岩に隠れ、遠くへと目を向けているニナ。もちろんファイとしてもニナの願望は叶えてあげたいのだが、先ほど「やめる」と言ったばかりだ。
しかも、もしこのまま観察を許してしまうと、いつまでもズルズルと観察を続けてしまう気がする。それでは、エナリアの安全確保が遅々として進まない。
先ほど、「ダメなものはダメと言え」と厳命されたばかりでもあるのだ。またしてもニナが自分を試そうとしている可能性も視野に入れつつ、
「……ニナ。行く、よ?」
ファイはニナの細い腕を捕まえて入り口へと歩き出す。
「そんな!? もう少し……あと少しだけ……後生ですわぁ~~~……!」
駄々をこねるニナをつい甘やかしそうになるファイだが、これも“エナリアを幸せで満ちた場所にする”というニナの願いをいち早く叶えるためだ。
それに、もしも本気でニナが言っているのであれば、力づくでこの場にとどまろうとするはず。そう自分に言い聞かせて心を鬼にしたファイは、
(ごめん、ね、ニナ)
半ば引きずるようにして、主人を仕事場へと引っ張っていくのだった。
そうして無事(?)、撮影機の設置作業に戻ることになったファイ達。第9層に設置をし終え、同様に第8層にも撮影機を設置し終える。
途中、2組ほど探索者の徒党とすれ違ったものの、作業自体は順調に進んだ。
そうして雨音の階層全体に撮影機を設置したファイ達は、エナリアの裏側に戻ってきていた。
「ふぅ……。ひとまず、お疲れさまでしたわ、ファイさん!」
「うん。ニナも、お疲れ」
互いに顔を見合わせ、お互いの健闘をたたえ合う。が、それもつかの間だ。
今度は第5~7層に当たる大樹林の階層に撮影機を設置していくこととなる。わざわざ裏に戻ったのは、階層主の間を迂回するためだ。
「では、第7層に向かいましょう!」
ニナの言葉に頷いて、ファイが歩き出そうとする。と、ファイが小脇に抱えていた通信用の青いピュレがプルプル震えた。
「ニナ、待って。リーゼから連絡が来た」
「あら? リーゼさんから……?」
「そう。……ピュレ、音声、出して」
ファイが言うと、プルンと跳ねたピュレが音を届けてくれるようになる。
「こちらファイ。リーゼ、どうかした?」
『ファイ様、良かったです。そちらにお嬢様はいらっしゃいますか?』
リーゼに言われ、ファイはピュレをニナに渡す。
「リーゼさん。ニナですわ。どうかなさいましたか?」
『お嬢様。今しがたフーカ様より、「睡眠不足では?」という連絡があったのですが』
「「(ぎくっ)」」
温度のないリーゼの声を聴いた瞬間、ニナとファイが同時に身を硬直させた。
監査で「働きすぎ」の勧告をされてからというもの。睡眠を必要とするニナと、ファイを含めたウルン人の睡眠はほぼ義務化されている。
特に注意されていたのはニナだ。上に立つ者が休まなければ下の者も休めない。ひいては不健康に、不幸になるとマィニィは指摘したのだ。
『従業員の健康を考えるのも、エナリア主の役割ですよ~?』
のんびりとした口調で。それでも先輩エナリア主としての威厳たっぷりに言われてしまっては、ニナも引き下がらざるを得なかったらしい。
以来、このエナリアでは従業員の睡眠が管理されるようになったのだった。
その際、携帯で時間を管理することができるフーカが睡眠を管理する立場を任されていた。ウルン人としての常識を持つ彼女の指示のもと決められたのが、1日に一定時間以上の睡眠をとること。
具体的には白と黒、そして6色を使って1日を12分割したウルンの時刻にのっとり“4色(8時間)以上眠ること”だ。
ただし仕事中に限り、2日までは無理をしても良いという決まりになっている。それでも、これまでファイとニナが平気でこなしていた3徹以上の不眠不休は禁じられることになったのだった。
そして、今に至る。
『確認ですが、お嬢様。前回お眠りになったのはいつですか』
きっとリーゼもニナの答えなど分かっているのだろう。もはや疑問形ではなく確認の口調で聞いてくる。
もはや万事休す。恐らく何をどうこたえようと「帰ってきて休んでください」とリーゼに言われることは確定だ。
無視することもできるのだが、主人想いのリーゼのことだ。ニナの体調を思って、無理をして浅い階層までやって来かねない。いや、来る。なぜならファイが同じ立場なら地の果てまでニナを探しに行くからだ。
「そ、そうですわね~」
恐らくニナも、無理をすればリーゼが飛んでくるだろうことは分かっているのだろう。どうにかして睡眠という理不尽から逃れる手はないか、と、目を泳がせている。
もちろんファイも、休みたくない。体感的に、あと2日、3日程度であれば余裕で働ける。だというのに眠らされるなんて、あんまりだ。
何か、言い逃れする方法は無いだろうか。主人と一緒になってファイも考えてみるが、根が真面目かつ不器用なファイだ。まったくと言っていいほど、適当な言い訳が思いつかない。
やけに長く感じる沈黙。それを破ったのは、ニナの息遣いだ。「はっ!」と気づきの顔をファイに向けると、コクンと頷く。まるで、話を合わせてくださいませ、と言うように。
「思い出しましたわ、リーゼさん! 第9層、アミスさん達の様子を観察しているときに、ファイさんと2人できちんと仮眠を取りましたわ! ですわねっ、ファイさん!?」
ニナの言葉に、ファイもなるほど、と、目をかすかに見開く。
アミス達を監視していた間、ファイ達はリーゼと通信をしていない。時間にしておよそ1日。リーゼには、ファイ達の行動を把握できない時間があったのだ。
その期間に寝ていたと言えば、リーゼは絶対に否定できないはず。ニナはそう考えたに違いない。
『……お嬢様の言葉は本当ですか、ファイ様?』
ピュレから聞こえてくる、怪訝そうなリーゼの声。この問いかけに「うん」と答えるだけでいい状況を、ニナは作ってくれたのだ。
(睡眠不足は、危ない……。ルゥも言ってた)
睡眠不足による健康被害については、ファイもルゥから口酸っぱく教えられてきた。彼女が教えてくれたのは睡眠を必要とする未進化のガルン人が被る健康被害だが、それはウルン人にも共通することだ。
判断力・身体能力の低下に加え、集中力も下がる。肌も荒れるし、人体の成長にも著しい遅れが発生する、などなど。基本的に睡眠不足は百害あって一利なしなのだ。
それでも、と、ファイは思う。
もしもこの場に居るのがリーゼなら、正直に睡眠不足を打ち明けたに違いない。彼女にとって主人を想うことは、自分が正しいと信じる道へ主人を誘うことだからだ。
だが、いつだったか主人に仕えるものとしての在り方を話し合った時もそうだように、ファイは違う。
もしもニナが望むのであれば、たとえ火の中水の中。手をつないで、一緒になって死地に飛び込むのがファイの道具としての矜持であり、在り方でもある。
ファイ個人の想いだけで言えば、ニナには無理をして危険な目に遭ってほしくない。それでもファイは自身の想いなど靴底で踏んづけて、ニナの「まだ寝たくない」という願いを優先する。
「――うん。ちゃんと寝た、よ?」
もしも進む道に破滅の未来が待っているのだとしても、ニナと一緒でいること。共犯者になることを、ファイは選ぶ。
そして、まさかファイが嘘をつくなどと考えもしていないのだろう。
『なるほど。ファイ様がおっしゃるのであれば、そうなのでしょうね』
リーゼが納得する気配が伝わってくる。
『ですが、こまめに休憩はなさってくださいね。無理をすれば、それだけ死の危険性が増しますので』
「う、うん。分かった」「分かりましたわ!」
リーゼからの忠告を最後に、通信は終わる。無事にファイ達はリーゼの追及を逃れたわけだ。これ再び、大好きな仕事を続けることができる。
「ふふっ! ファイさん、わたくし達、嘘をついてしまいましたわね!」
「う、うん。そうだ、ね?」
共犯者同士、顔を見合わせるファイとニナ。だが、嬉しそうなニナとは違い、ファイの胸にはリーゼの信頼を裏切ったことに対する罪悪感がわだかまっていた。




