第255話 なんで、恥ずかしい?
何とも言えない表情で傷だらけのファイを見るニナと、そんな主人の内心を推し量るファイ。そして、青い瞳で静かに2人を見守るリーゼ。三者三様に治療室で向き合うことしばらく。
「ごめん、お待たせ~!」
被膜の付いた黒い羽をたたんで、文字通り飛んできたルゥが姿を見せた。
そして、寝台に横たわるファイの服をはぎ取り、全身を俯瞰するようにして見始める。分かりにくいが、ルゥの青い瞳がわずかに輝いているのはファイの見間違いではないだろう。恐らく彼女は何か特殊な力を使って、ファイの“何か”を見ているのだろう。
その“何か”がファイの体内であるらしいことが、直後のルゥの発言によって判明する。
「――う~ん……。今回は全体的にきれいに折れてるっぽいし、内臓が傷ついてる様子も……うん、なさそうだね!」
もしも骨が粉々に砕けていたり、別の部位に苦込んだりしてしまっている場合は手術で骨の位置を整える必要があるらしい。
また、内臓が損傷している場合は必要に応じてお腹を切り開き、該当箇所を縫合するなどして直接傷薬をかける必要があるらしかった。
その点、今回の骨折は手術を必要としないものだったようだ。
「それじゃ、ファイちゃん。グイッと1杯!」
そう言って、唯一残っていた、というよりはつい先ほどできたばかりの傷薬をファイに飲ませてくれるのだった。
だが、内服した場合は骨や肉の修復が優先され、1本では手足の末端の外傷などには効果が薄いらしい。ファイの腕や足の傷が治ることは無かった。そのため、
「今回はこれで我慢してね。」
ルゥはファイの手足に当て布と包帯をして治療を終える。最後に「あっ、少しの間だけど。お風呂と、戦闘とかの激しい運動は一応控えてね」と言い残して、足早に回診に戻って行ったのだった。
こうして歩ける程度には回復したファイ。寝台の上で身を起こした彼女は、例によって次なる仕事を求める。しかし、
「……ニナ。次のお仕事は、なに……?」
そうニナに尋ねる語気は、普段よりも控えめだ。傷薬を使わなければならないほどの大きな怪我をしてしまった手前、申し訳なさがあるからだ。
とはいえ、自分がこのエナリアに来て強くなっていることはきちんと把握できた。この調子で仕事に取り組んでいけば、より一層の強さを手に入れると同時に、ニナの夢の実現にも近づいていく。道具であるファイに、足を止める理由も時間など無かった。
と、そんなファイをニナは相変わらず沈痛そうな面持ちで見てくる。
「これが、ファイさんの望み。ファイさんの、幸せ……」
先ほどからうわごとのようにその言葉を繰り返しているニナに、ファイは首を横に倒して改めて呼びかける。
「ニナ……? ……ぁ」
ひょっとして、今回のことでついに愛想をつかされてしまったのではないか。捨てられ、生きる意味を失ってしまう恐怖にファイが身をこわばらせる、その視線の先で。
胸に手を当てて「ふぅ」と小さく息を吐いたニナ。次に顔を上げた彼女の顔には、笑顔が浮かんでいる。
「ふふっ! 本当に、ファイさんは働き者ですわね!」
だが、ファイも主人の笑顔の裏にあるこわばりを見逃すほど愚かな道具ではない。
黒狼にいた頃は、怪我をすればするほど役に立てている実感があった。「丈夫だな」と褒めてもらえたこともあっただろうか。
だが、少なくともニナは、ファイが怪我をしても喜んでくれない。むしろ、とても悲しそうな顔をしてしまう。
(そんなの、絶対にダメ、だから)
ニナにもう二度と無理をした笑顔をさせないように。心配させないで済むように。次からはなるべく怪我もしないように気を付けながら仕事に当たろう、と、心に決めるファイだった。
こうしてファイが、ニナの道具としての新たな禁則事項を胸に刻む中、ニナがゆっくりと口を開く。
「幸いなことに、現状、ゲイルベル様からのお達しはありませんわ。よってファイさんには当初の予定通り、上層の各所に撮影機を設置してきていただきます!」
次なる仕事をファイに与えてくれる。この時、ファイの瞳がわずかに輝いたことは言うまでもない。
ニナを心配させてしまう大きな怪我をしないという誓いも、そもそもニナに捨てられてしまっては意味がない。その点、汚名返上の機会をくれたニナにファイも一安心だった。
「分かった。じゃあちょっと待って、ね」
よいしょっ、と、寝台の上から降りたファイ。そのまま寝台の側に置いてあった靴を履き、剣を手に持つ。と、不意に視線を感じて振り返ってみれば、顔を赤くして目を隠すニナが居た。
「……ニナ? どうかした?」
「い、いえっ! その……。ファイさんのお姿が、その、少々刺激的でして……」
目を隠す指の隙間からこちらをしっかり見ているニナの言葉に、ファイは改めて自身の格好を確認する。
今のファイは血で汚れた肌着をルゥにはぎとられた、上下の下着だけの姿だ。
(けど……。なんでニナが、“恥ずかしい”?)
今もなお、顔を赤くしながらも下着姿のファイをガン見しているニナ。ファイが知る限りその反応は“羞恥心”と呼ばれるもののはずだ。
だが裸体を見られているファイが恥ずかしがるならともかく、ニナが恥ずかしがるとはどういうことなのか。ファイにはまだ、分からない。
それにニナとは何度も一緒にお風呂に入っているし、お互いの裸体も知っている。別に今さら何かを思ったり、まして恥ずかしがったりするようなことではないはずだ。
などとファイの頭が冷静に考えている一方で。
(……?)
どういうわけか、ニナにジッと見られているとファイの身体も熱くなってくる。
思えば今のファイはところどころ血で汚れている。しかも厚着で多くの戦闘をこなしたために、かなりの汗をかいたはずなのだ。そう思って自身の脇や上の下着の匂いを確認してみれば、血の臭いに交じってほんの少しだけツンとした汗の臭いも感じる気がする。
つまり、今のファイは“汚い”のだ。
そんな自分を、大切な主人がまじまじと見ている。それを自覚した瞬間、一瞬にしてファイの全身が熱くなった。
「に、ニナ……! そんなに見られると、その……困る……」
自身がいま抱いている感情こそが“恥ずかしい”であることに気づかないまま、その場にしゃがみ込んで全身を隠すファイ。
裸でも下着でも、別に誰に見られようが問題はない。だが、ニナには汚い自分を見られたくないファイ。彼女には道具として完ぺきな自分を見ていてほしい、と、そう思ってしまう。
一方のニナも恥じらうファイの姿を見て一層、顔を赤くする。
「も、ももも、申し訳ございませんわ! その、あの……! お怪我は大丈夫なのでしょうか、と、確認していただけで! 決してやましい気持ちはこれっぽっちも全然、ございませんでしたわ、本当ですわ!」
言いながら身体を回転させ、今度こそファイの方を見ないようにと背を向ける。
つまりニナは、ファイを心配してくれていたのだ。道具としては恥ずべき事なのだが、ファイの中にまだあってしまう人間としての心が、つい「嬉しい!」と叫んでしまう。
なにせ先ほど、一瞬でも捨てられてしまうかもと思ってしまったのだ。にもかかわらず、自分はまだニナの道具であり、彼女の気遣いや優しさを分け与えてもらえる立場にある。ニナはまだ、フォルンのような温もりをファイに与えてくれると言ってくれているのだ。
主人の寛容さに感謝すると同時に、言葉にできない“熱”がファイの中を満たしている。そして、喜ぶという人間らしい自分を自覚して、ファイはさらに自分が恥ずかしくなる。
今の情けない自分を絶対にニナに見られてはいけない。その想いは身体を抱く力となって、一層、ファイの身体は小さくなり、耳を含めた全身が赤く染まるのだった。
ファイとニナ。両者顔を赤くしたまま黙り込む微妙な沈黙が続く中、咳ばらいを入れて口を開いたのはリーゼだ。
「コホン……。お嬢様。ひとまずファイ様のお身体をお拭きしたうえで、念のために持ってこさせていただいたこちらの服を着せてもよろしいでしょうか?」
そう言ってリーゼが持ち上げたのは、ファイの侍女服だ。ここに来る道中、洗濯して干していたものを持ってきてくれたという。
「リーゼさん!? 持ってきているのならなぜ最初からおっしゃってくださらないのですか!?」
「いえ。そちらの方がお嬢様のためになるかなと。……違いましたか?」
リーゼから問いかけに、ニナは茶色い髪を揺らして全力で首を横に振る。そしてキッと表情を引き締めると、声高に叫んだ。
「違いませんわ! おかげでファイさんの下着姿と、恥じらう姿を堪能できましたわ! ……って、あっ」
早口に言い終えてからようやく、ファイのジットリとした視線に気づいたようだ。
先ほどファイは、ニナは恥じらいながらもファイの状態を確認してくれた――心配してくれた――と思ったのだ。ニナの優しさに触れた気がして、ファイは喜びと羞恥を抱いた。
だというのに、いま、ニナは確かに下心でファイの状態を確認したと言った。つまり彼女は、ただの好奇心だけで、弱いファイをジッと見ていたのだ。ファイが素の自分を見せることを苦手とすることをよく知ったうえで、だ。
素の自分を無理やり引っ張り出される。つまり意地悪をしてきたニナを見るファイの目が冷ややかなものになってしまうのも、仕方のないことだろう。
「あ、あの……。ファイさん? これは違うのですわ? 先ほども申し上げた通り、わたくしに下心は一切なく、ただ心配をして――」
「ニナ……。嘘つき、意地悪。……変態」
「――本っ当に、申し訳ございませんでしたわぁぁぁ~~~!」
地面を滑るようにして土下座を敢行するニナ。彼女の叫びは治療室を超え、第17層の廊下にむなしくこだまするのだった。
その後、着替えを済ませたファイはニナ、リーゼと共に治療室を後にする。一度、第20層に戻って撮影機と指示書を取りに戻る必要があるからだ。
道中、改めて今回の仕事についてニナから説明を受けるファイ。
「エナリアの表は広いですし、今回は計12層に撮影機を設置していただく予定です。当然、ファイさんお1人では時間も労力もかかってしまいますわ。なので……」
そこでクワッと目を見開いたニナは手のひらを自分の胸に当て、
「わたくし、ニナ・ルードナムが! 今回のファイさんのお仕事に同道いたしますわ!」
今回の仕事に同道するのは自分なのだ、と。ファイに向けて得意げに笑って見せたのだった。




