第252話 こうじゃないと、ね
「さむいぃぃぃ~~~~~~……っ!!!」
銀世界でも目立つ茶色を基調とする服を着るファイは、消え入りそうな声で叫んでいた。
彼女が居るのは“不死のエナリア”の第18層。氷獄の階層と呼ばれる、一面が雪と氷に覆われた銀世界だった。
そんな第18層を一言で表すのならば、「冷凍庫」だろう。
厚さ5㎝はあるだろうモフモフ付きの耐寒装備をもってしても、なお寒い。息をするだけで鼻が痛くなる冷気が、唯一露出しているファイの顔を容赦なく襲っていた。
ぴょんぴょん跳んでどうにか身体を温めるファイとは対照的に、リーゼはいつだって冷静だ。
「ファイ様。次はあちらを調べましょう」
肌を刺す寒さに表情1つ変えることなく、次なる岩場を目指して歩き始める。
ファイ達がこの階層に来た目的は、放冷石と呼ばれる冷気を発する石を採掘するためだ。
しかし、放冷石は第18層にならどこにでもあるというわけではないらしい。
『基本的に放冷石は、エナと魔素がまじりあう空間で長時間冷やされた石が変質して誕生します。そのため、地面から露出した岩塊を砕いたその中心にあることが多いですね』
リーゼはそう簡潔に説明してくれただろうか。つまり、第18層に転がっている大きな岩を割って回り、中心にできているかもしれない青白い透明な石を探すことだった。
「り、リーゼ。寒くない、の……?」
氷の息吹を吐く角族も居るため、ひょっとして角族は寒暖に強いのだろうか。モコモコの服に覆われたリーゼの尻尾を追いながら尋ねたファイに、リーゼは少し歩調を緩めながら答えてくれる。
「もちろん寒いです」
「あ、寒いんだ」
「当然です。それに寒いと運動機能が落ちるので、私としても困りものですね」
お互いまつ毛に霜を下ろしながら周囲に気を配る。第18層に居る魔物は、多くが赤色等級前後の魔物だ。不意を突かれれば死んでしまうということがザラにあるため、2人は一層の警戒心を持って作業に当たっていた。
「動きにくい……。確かに」
分厚い服で腕や足を曲げ伸ばしするファイ。普段は薄着で防具さえつけないファイにとって、この耐寒服は非常に動きづらい。頭巾を被っているため左右の視界も悪く、音だって聞こえづらい。
寒い環境で活動をするというだけで、どうやら人は服装の面で、大きく動きを制限されるらしい。だが、ファイの言葉に相槌を打ったリーゼは人差し指を立てる。
「もちろん服装の要因もあります。が、もう1つ。私たちのように鱗を持つ突き角族は気温が下がると身体機能が大きく減退するのです」
「そうなんだ? ……言っても良かった、の?」
弱点をさらすような行為ではないのか。尋ねたファイを、ちらりと横目に見たリーゼ。そのまま青い瞳を柔らかく細めた彼女は、
「大丈夫です。私は同僚として、ファイ様を信頼しておりますから」
そんなことを言ってくれる。
もちろんリーゼの言葉には、この程度の情報を与えてもファイには負けることがないという自負もあるのだろう。それでも、尊敬するリーゼから確かに「信頼している」と言われたのだ。知らずファイの胸が温かくなる。
「……そ、そっか」
「ファイ様? 頭巾を深くかぶりすぎないでくださいね。周りが見えなくなってしまいます」
ほころびそうになってしまう顔を見られないように頭巾を被ったファイを、リーゼが優しい声でたしなめるのだった。
こんな調子で続く放冷石探し。その途中、ファイが見つけたのは小さくて丸い鳥の魔獣の集団だ。
体高は20㎝ほど。体表は青白い色をしているのだが、おなかの部分だけが黒い毛でおおわれている。くりくりとした瞳と、愛嬌のある真ん丸な体型。短い脚でペタペタと歩く魔獣の集団に、ファイは一瞬で心奪われた。
「リーゼ、リーゼ! あれ、なに?」
早速、ファイはリーゼに魔獣の正体を尋ねる。
「ああ、あれはペッタンの仲間ですね。空を飛べない鳥の仲間です」
「ペッタン……。強い?」
「そうですね……。ファイ様、あの子たちを捕まえてきてみてはどうでしょうか?」
言外に自分で確かめてみてはどうか、と、リーゼは言っているのだろう。彼女からの挑戦状を、受けないファイではない。
そもそもファイがこうしてリーゼの放冷石探しに同行しているのは、ベルのおかげだ。
ベルがファイを強くしようとしてくれているからこそ、ファイは第18層という危険な場所に居ることを許されている。
そして、ファイはかねてから、もっと強くなりたいという想いがあった。だからこそ知識を増やし、仲間を増やし、武器を新調したりしてきた。
一方でファイが、自身の力量を測ることができる機会はそう多くなかったように思う。
その理由はやはり、ニナが比較的安全な仕事をファイに割り振ってくれていたからだろう。
どういうわけかニナは、ファイに戦闘が想定されるような仕事をほとんど割り振ってくれない。たとえ先日の種集めのように戦闘を前提としていても、ファイが余裕で対処できる上層での仕事が多かった。
確かに安全な仕事が多くてファイとしては助かった反面、やはり消化不良も感じていた。弱い魔物を相手にしていても、ファイは自分の強さの現在地が分からないからだ。
これまでファイが明らかに「自分が強くなった」と感じたのは、より等級の高い魔獣を倒せるようになった時だ。
少し前まで倒せなかった魔物を、死にそうになりながらも倒せた時。あるいは、死にそうになりながら倒した魔物を、余裕で倒せるようになった時、ファイは自身の成長を感じられた。
だがエナリアでの安全な仕事では、ファイが“ヤバい”と感じられる魔物と相対することがほとんどない。危険を感じた仕事と言えば、ユアに大量の魔獣をけしかけられた時と、黒毛の暴竜を落ち着かせたときだろうか。
あれ以来、ファイは自分の力の現在地が見えずにいた。
(けど……)
分厚い手袋に包まれた自身の手を握ったり、開いたりするファイ。
ベルのおかげで、ファイはこうして下層で活動することができるようになった。出会ったことのない強い魔獣や不思議な魔獣と、たくさん戦えるのだ。
戦闘こそが自身の存在意義であり、強くなりたいと秘かに切望しているファイ。リーゼからの「第18層の魔物に挑戦してみてはどうか」ともとれる言葉に、燃えないはずもない。
「分かった。ちょっと行ってくる(ふんすっ)」
鼻息荒く言うや否や、ファイは瞬時にペッタンたちとの距離を詰める。いや、詰めたつもりだった。だがペッタン達はもうそこに居ない。ファイの接近に気づいたらしいペッタン達は、丸いお腹で氷の上を滑って、ものすごい勢いで逃げているのだ。
(……追いかけっこ、だね)
かすかに顔に獰猛な笑みを浮かべながら、ファイは遠ざかっていくペッタン達の背中を追う。
足元は氷だが、この階層で活動することを想定した靴の底は特別製だ。グッと氷を噛んでくれて、かなり踏ん張りが効いてくれる。そこにファイの特長ともいえる魔法を合わせれば、どうにかペッタンに追いつくだけの速度が出る。
(顔、痛い……けどっ!)
顔に吹き付ける冷風を我慢と根性だけで耐え抜いたファイは、遂に。
「捕まえた!」
『ペギュ!?』
少し集団から遅れていたペッタン1体を捕まえることに成功したのだった。
捕まえたペッタンを天高く掲げるファイの隣に、リーゼが並ぶ。
「お疲れさまでした、ファイ様。ペッタンはどうですか?」
リーゼに言われて、ファイは改めて手の中に納まる真ん丸な魔獣を見遣る。
『ペギュ、ペギュ~……ッ!』
短い手足をばたつかせてどうにか逃れようとする姿の、なんと愛らしいことだろうか。ファイとしては裏に連れ帰って、ニナ達にこんなかわいい生物が居るのだと喧伝したい。
だが、ファイがちらりと遠方を見遣れば、こちらを見つめるペッタンの群れがある。仲間がどうなってしまうのか、不安そうに見ているように見えなくもない。
ファイの手の中に居るペッタンにも家族が居て、帰るべき場所があるのだ。
(……連れて帰る、は、良くない)
連れて帰るのは諦めることにする。
その代わりにファイが確かめるのは、ペッタンの手触り――モフモフだ。
「リーゼ。ペッタンは鳥、なの?」
ファイがそう聞いたのは鳥と聞いてまず最初に想像する羽毛が見当たらないからだ。手触りもツルツルと言った感じで、氷の上を滑ることに特化した体表であることがよく分かる。
ペッタンをくるくると回転させたり、生臭い臭いを嗅いだり。様々な情報を感覚で学ぶファイによる問いかけに、リーゼが頷く。
「はい。羽毛については変質しており、こうして氷上での活動に特化しています。体色についても、空の魔獣からは氷と同じように。氷の下に居る魔獣からは天井と同じ色に見えるようになっているそうですよ?」
確か、保護色というのだったか。かつてユアからも聞いたことがある生物の身体の色について思い出すファイ。
だが、ふと。リーゼの言葉の中に気になる単語を見つけて観察の手を止める。
「うん? 氷の、下?」
リーゼはいま確かにこう言った。氷の下に居る魔獣から身を守るために、ペッタンのお腹は黒いのだ、と。
ふと、ファイは足元を見遣る。すると、透けて見える氷の色が黒から青っぽい色に変わっている。ペッタンを追う中で、ファイはいつの間にか水の上に張られた氷の上に来ていたらしい。
そして、ファイが見下ろした足元には水の他にもう1つ。いや2つ。こちらを見つめている巨大な魚のような魔獣の姿がある。優雅に泳ぐその大きさは、軽く30m以上ありそうだ。
「……なるほど」
ファイが気を配るべきはなにも、見えている場所だけではないということだ。それこそ、足元の氷の下にあるらしい大量の水の中に居る生物もまた、ファイが警戒するべき相手だということらしい。
などと考えている間にも、氷の下に居た魔獣が深く潜っていく。魔獣が何をしようとしているのかを察せないファイではない。勢いをつけて浮上し、氷の上に居るファイとペッタンを捕食しようとしているのだ。
改めて、遠くからこちらを見つめるペッタンの群れを見遣るファイ。きっと彼らは、ファイがペッタンをどうこうすると心配していたのではないのだろう。足元の、さらに下。巨大な捕食者の気配を感じ取っていたからこそ、ああして遠巻きに眺めていたに違いない。
「さすがに大鯨をファイ様お1人で相手にするのは無謀です。なので今回は私も、お手伝いさせていただきますね」
ファイの意思に関係なく、リーゼの中で大鯨と戦うことは確定しているらしい。
巨人族の子供でさえも丸呑みにしてしまうだろう大きな鯨をどうやって倒すのか。ファイは想像がつかない。きっと苦戦するに違いないし、怪我だってしてしまうかもしれない。
それでも。
「……分かった!」
こうでなくては。ほんのわずかに口角を上げたファイは、赤色等級の鯨の魔獣に嬉々として立ち向かうのだった。




