第251話 ティオさんの才能、ですわ!
執務室を出て左へ。そのまま少し歩けばファイの部屋がある。
先ほどファイは、リーゼと共に第18層へと向かってしまった。また、よくファイの部屋に入り浸っているミーシャは現在、第1進化による身体の変化と発情と向き合うための機能回復訓練中だ。
自然、この部屋には彼女しかいない。
「ティオさん。ティオさん~。いらっしゃいますか~?」
ニナが声をかけると、中からゴソゴソと音がして軽い足音が聞こえてくる。やがて、ガチャリと音がした扉から波打つ長い白髪を覗かせたのはティオだ。
「ニナちゃん? どうかしたの?」
扉から身体を半分ほど出したティオが、きれいな紫色の瞳でニナのことを見てくる。肩と足の大部分を出した服装は、同性のニナが見ても“大胆だ”と思わせる格好だ。
しかも、身長も体型も。成長に余力を残した今でニナと同じくらい。この先どれくらいの成長を見せるのか、もはやニナはうらやましいを通り過ぎて怖ささえある。
そんな、将来有望な若いウルン人の童女にニナが気圧されていると、ティオが何かに気づいたような表情を見せる。そして、
「ニナちゃん、ニナちゃん! もしかしてまた“アレ”、触らせてくれる感じ!?」
声を弾ませたティオがきらりと瞳を輝かせる。
見た目にそぐわない察しの良さと、見た目通りの子供らしさ。両方の魅力を秘める少女の期待がこもった瞳にニナが頷くと、
「ちょっと待ってて、今すぐ、着替えてくるからっ!」
そう言って、再び部屋に引っ込んでいってしまう。そして、ほんのわずかな時間の後、真っ白な一枚着姿のティオが出てくるのだった。
そんなティオを第20層にある部屋に案内するニナ。たどり着いたその場所は、「遊技場」と呼ばれている部屋だ。
名前の通り娯楽設備が整った部屋で、かつては従業員が余暇で使ったり、従業員家族の子供が遊んだりした場所だ。
ニナが両開きの扉を開けて照明を点けると、四角く切り取られた長方形の空間が広がっている。その部屋にはガルンの多種多様な遊び道具が置かれていて、種族や出身、年齢に関わらずに遊ぶことができるようになっていた。
「この部屋使わないとか、まじありえないんだけど~」
ティオがそう言ったように、この部屋は彼女が来るまでほとんど使われることは無かった。理由は言うまでもなく、このエナリアで働く従業員に遊んでいる暇など無かったからだ。
当然、埃をかぶったこの部屋の状況を見た樹人族の監査院――マィニィもこの事態を重く受け止めたらしい。
『“遊び”が足りていませんね~』
従業員の身体だけでなく心の休息も足りていない、と。このエナリアの課題を指摘していたのだった。
こうして監査以来、価値が改められた遊戯室。だが、残念ながらファイを含めた従業員がこの部屋を使ったように、ニナには見えない。つまりティオは、ウルンの時間にして10年ぶりくらいのこの部屋の使用者ということだ。
(思えば小さなころはわたくしも、リーゼさんと一緒にここで遊んだことがあったでしょうか)
賑やかだった遊戯室の光景をニナがぼんやりと思い出している横で、軽い足取りで遊戯室に入っていくティオ。
彼女が向かった場所は、ガルンの楽器が置かれた一角だ。打楽器、金管楽器、木管楽器などなど。様々な楽器が置かれている。それらの楽器の中からティオが選んだのは、『ピントン』だ。
ピントンは鍵盤を叩いて音を出すガルンの楽器だ。ウルンにも構造は違うがよく似た『打鍵琴』と呼ばれる楽器があるらしく、ティオの得意な楽器でもあるらしい。
「前に調律はしてるけど、一応……っと」
細く長い指先でティオが鍵盤に触れる。瞬間、遊戯室に何とも聞き心地の良い音色が落ちた。そのまま二度、三度。ティオが音を確かめるように指を動かすたび、違った音色が響く。
同時にティオが自分だけの世界に入っていくのが、表情や雰囲気から分かる。
彼女の邪魔をしないよう、ニナが静かに扉を閉めた頃。小さく舌なめずりをしたティオが、鍵盤の上で指を動かし始めた。
途端、目には見えないが広い遊戯室いっぱいに色とりどりの音符が広がっていくのが分かる。時に弾むように。時には静かに。奏者であるティオの指が躍るたび、同じように音符たちも踊る。
白髪で圧倒的な身体能力がありながらも、ティオが運動を苦手とする理由。それは彼女が白髪教という組織で軟禁されていて、学校以外であまり運動をする機会がなかったかららしい。
その代わり、長い“家時間”で彼女が培ったのが、芸術の感覚だ。
今はこうしてピントンを弾いているが、そのほかにもこの場にある楽器ならほぼ全てを弾きこなす才能を持っている。
また、彼女の才能が音楽だけにとどまらないことをニナは知っている。
エナリアに来て以来、彼女はファイが留守の間はずっと暇だった。そのため、各所を探検したり、ニナの話し相手になったりしてくれていた。
(ここ数日だけで言えば、ファイさんよりもよっぽど、ティオさんと一緒に居る時間の方が長いですわね)
そうしてティオと時間を共にする中で少なくとも音楽、絵画、花、お茶。4つの方面で、ティオが自身の才能を発揮しているところをニナは目にしている。
(ティオさんは感覚派で、手先がとっても器用、なのですわ)
そのありようは、ファイと正反対だ。
ニナが知る限り、ファイの芸術的な感覚は極めて残念だ。良い例が服だろうか。
先ほどの部屋着がそうだったように、ティオは自身の強みと魅力をきちんと理解した格好をしている。上下の服の均整だけでなく、色や配置もこだわりがあるように見えた。
だが、ファイは違う。まず彼女は服をあまり着たがらない裸族だ。そしていざ普段着を選ばせると、手近にあったものをとりあえず着ましたという装いをしがちだ。
それはファイの、自分自身への関心のなさの表れなのだとニナは考えている。
ファイは物心ついた時から常に、戦うことを求められてきた。彼女にとっては敵を殺すことと、自身の力で仲間を傷つけないこと。その2つだけに注力するあまり、自分自身というものに鈍感になった。
逆にティオはニナとよく似た環境で育ったのだろう。
大切に、大切に育てられ、常に安全な場所に居た。自然と興味の対象は自分自身と、身の回りのものに向くようになったに違いない。
安全で平穏な日々だったからこそ、細やかな感覚や技術を磨く時間があった。
(本来であれば、白髪の方は厄介ごとに巻き込まれる日々だったはず。そういった意味では、白髪教という方々は、ティオさんの救いになっていた……わけがありませんわね)
ティオの安全を確保してくれていたという白髪教の人々。ニナも彼らの話を聞いた時は「良い人なのでは?」と勘違いをしたものだ。
だが、ティオ自身とフーカの話を聞くと、考えも変わる。何よりニナが嫌悪感を抱いたのが、もしあのまま白髪教に軟禁されていた時にティオを待っていたという未来だ。
『白髪教の人たちがティオを守るのは当たり前なの。だってティオ、生理が来たらすぐにお母さんにされてたはずだから』
つまらなそうに言っていたティオ。話を聞けば白髪教にはもう1人、ティオより少し年上の白髪の男性が居るのだという。
そしてティオが初潮を迎えて子供が埋めるようになった段階でその男性と子を成し、育てる。そんな“お役目”がティオにはあったそうだ。
『ティオに優しいし基本良い人たちだったけど、教義について教えてくるときだけはただただ気持ち悪かったかな~。あっ、それこそ生理的にムリって感じ』
そんな感じで、ティオは自身を育ててくれた親類、および白髪教について話していただろうか。
ではなぜ白髪教はそんなことをしようとしていたのかと言えば、ウルンには「白髪同士で子を成すと生まれてくる子供も白髪になる」という迷信があるらしい。
フーカの話ではウルンの科学的にも否定されているらしいのだが、それでも白髪教の人々は迷信を信じ、ティオを、子供を産む道具のように扱っていたらしいのだ。
想い人同士で結ばれることが幸せだと思っているニナにとって、ティオの意思を無視する白髪教の在り方は到底受け入れられない。
(まして、もし道具であることにこだわるファイさんが白髪教の人々にとらわれたままだったら……)
道具として扱われること。人権を無視されることをなぜか嬉々として受け入れるファイ。恐らく強姦されようが何をされようが、彼女は平然と受け入れる。「お前は子供を産む道具だ!」などと言われようものなら、あのきれいな金色の瞳を輝かせるに違いない。
ニナにはさっぱり理解できないが、人権を無視されて喜んでしまうようにファイは育てられているからだ。
(黒狼の方々……。あのエグバという男性……。ほんっとうに許せませんわぁぁぁ~~~っ!)
エグバのせいでファイの価値観が歪んでしまい、ひいてはニナが思う幸せの形と重ならなくなってしまったのだ。
エグバは今、拘置所の中に居るとフーカは言っていただろうか。現在も裁判は続いているというが、最低でも10年以上は牢屋に入ることになるらしい。法で裁かれるのなら良いが、それはそれとしてエグバと相対したときに1発でも入れておけばよかった、と、ニナは秘かに後悔している。
(あの方のせいで! わたくしとファイさんの間にはこ~んなにも大きな溝が……)
そこまで考えて、ニナは「はっ!?」と思考の手を止める。
(わたくし、またしてもファイさんと幸せの形を同じくしようなどと考えてしまっておりますわぁ……)
こんな、わがままで自分勝手な思考を変えようとティオの音楽を聴きに来たというのに、同じ思考をしてしまっている。
「わたくし、こんなにも幼稚で、わがままだったでしょうか……?」
今も遊技場内を跳ね回る音符たちを幻視しながら、ポツリとこぼすニナだった。




