第247話 私を、強くする?
ファイの使用不可期間が明けても、ミーシャがファイの前に姿を見せることは無かった。
気にならないと言えば嘘になるファイ。だが、ファイはニナの道具だ。不調が終わった以上、自分の心配事は棚に上げてニナのために尽くさなければならなかった。
そうしてファイが仕事を貰いに、ニナの執務室を尋ねたときのこと。
「私を、強くする……?」
ファイの言葉に鮮やかな金色の髪を揺らして頷いたのは、リーゼだった。
どういうことなのか。リーゼから話を預かったのはニナだ。
「早速あらましを、と参りたいところなのですが……。ファイさん。お顔の色が優れないように見えるのですが……」
ニナの言葉に、ファイがピクリと身を硬直させる。
「……そんなことない。それに、もしそうだとしても、私はニナの道具。気にしなくて大丈夫、だよ?」
などといっているが、実際問題、ファイは気疲れしている心当たりがある。
まず、フーカによる算数合宿だ。
使用不可期間も含めたここ2週間で、ファイは日常生活に必要な四則計算を徹底的に叩き込まれた。
ただし、記憶力は良くても決して器用ではないファイだ。言語の習得などに比べて昔からの経験もない分、計算の習得にはかなりの気力と体力を必要としてしまった。
それに加えてファイは、ミーシャとティオの関係改善にも取り組んでいた。
両者にそれぞれの良いところを懇々と語り聞かせ、同時に、ウルン語とガルン語の勉強を進めていく。だが、もちろんミーシャ達が勉強中も仲良くするはずもない。
ファイを挟んで左右で言い合う2人をなだめるのにも、かなりの労力を使ってしまったのだった。
そんなこんなで、不調明けのファイは今も絶賛、疲れている。が、問題ないというのもまた本音だ。
算数の勉強もミーシャ達の関係改善も、全てはニナのためだ。大好きな主人のための疲労ならば、ファイは喜んで受け入れることができる。
痛みも、苦しみも。それらが増すたびに、ファイはニナの役に立てているのだと実感できる。満たされる。幸せになれる。
「――だから、ニナ。次のお仕事は、なに?」
表情を引き締めながら尋ねたファイの本音を確かめるように、茶色い瞳でジィっとこちらを見つめてくるニナ。もちろんファイも「大丈夫」といった言葉に嘘偽りはないため、ニナの瞳をまっすぐに見つめ返す。
そのまま見つめ合うこと、少し。
「……ふふっ、かしこまりました! それでは先ほどの話に戻らせていただきますわっ」
困ったように笑ったのち、ニナがきゅっと表情を引き締める。
「まずは、ファイさん。確認なのですが、魔王様……ゲイルベル様とお会いになられたことがあります……わよね?」
質問ではなく確認の口調で聞いてきたニナに、ファイは隠し立てすることなく頷く。
「そう、ベル。えっと、エナリアを改造? 改装? した時に会った、よ?」
「エナリアを改造したときというと……あの黒い小竜さんですわね……。わたくしとしたことが、まったく気が付きませんでしたわぁ~……」
頭を抱えて机の上に伸びてしまったニナを、「はしたないですよ、お嬢様」とリーゼがそっとたしなめる。その声でゆっくりと身を起こしたニナが、背後にいるリーゼを振り返る。
「リーゼさんも魔王様と同じような竜化を?」
生物としての格を下げ、相手に実力を見誤らせる。そんな芸当を、同じ血筋を持つリーゼもできるのではないか。そう思ってのことだろうニナの質問に、リーゼはゆるゆると首を振る。
「私にできるのは通常の竜化と、鱗の制御のみです。あの芸当ができるのは恐らく魔王様だけなので、ご安心ください」
「そうなのですわね。……小さくなったリーゼさんも見てみたかったですわ」
言いながら、椅子の上で姿勢を正したニナ。閑話休題というように、改めてファイに顔を向けた。
「さて。ファイさんが魔王様に見つかってしまったことで、少々……いえ、と~っても! 困った事態になってしまったのですわ……」
「困ったこと?」
問い直したファイに、ニナは眉を「ハ」の字にしながら頷く。
「その、ですわね……。魔王様がファイさんにご興味をお持ちなってしまわれたのですわ……」
「……?」
それが最初のファイを強くするという発言とどう繋がるのか。まだ話が見えずに首をかしげるファイに、補足をしてくれたのはリーゼだった。
「正確にはエナリアで働く最初のウルン人であるファイ様で、実験をなさろうとしておられるようです」
「おー、実験。……どんな?」
「はい。曰く『ウルン人を極限まで鍛えればどこまで強くなるのか知りたいんだ』だそうです」
恐らくベルが言ったのだろう言葉をそのまま口にしたリーゼ。
「実は先日の、ファイさんに階層主をしていただいたのも、魔王様直々の命令、だったのですわ……」
「『ファイは果たして同族に武器を向けられるのかどうか。彼女の心の在り方を知りたいね』。そう、魔王様はおっしゃっていましたね」
ニナ、リーゼの順で、先日ファイが階層主を務めることになった裏事情について教えてくれる。
(ルゥはニナの裏に誰か居るって言ってた、けど……)
どうやらニナに指示を出していたのはベルのようだった。
「ですが、幸か不幸か、ファイさんはきちんと階層主としてのお仕事をやり切ってしまわれましたわ」
「えっと……良くなかった?」
自分の仕事に何か不手際があったか。ひょっとして、与えてもらった銀狼たちを殺されてしまったのが良くなかったのか。今になって押し寄せてくる不安をどうにか能面に隠すファイに、ニナが慌てた様子で「いえいえっ」と手を振って見せる。
「そうではありませんわ! ファイさんはしっかりと、お仕事をこなしてくださいましたわ。むしろ悲しい思いをさせてしまって……。本当に、申し訳ございませんでしたわ」
口惜しそうにこちらを見るニナに、ファイは大きく首を横に振って見せる。
「ニナ、謝らないで? 私は大丈夫、だから。ガルゥも、ルルゥも。今はピュレになって、きっとエナリアのお掃除をしてくれてるはず」
命はめぐることを、ファイはもう知っている。誰かが死んでも、その死は誰かを生かしているのだ。死を“悲しいこと”とだけとらえずに“良いこともある”と考えて前を向く。心のない道具になるためにファイが編み出した考え方だった。
そうして平静を保つ考え方のもと、銀狼たちの死を受け入れたファイ。表情こそ変わらないものの、彼女のどこかスッキリとした雰囲気を察してくれたのだろうか。
「ファイさん……。そうおしゃっていただけると、わたくしとしても助かりますわ」
ニナの顔に笑顔が戻る。だが、まだまだ眉は山を描いたままだ。
「さて。そんなファイさんの次のお仕事なのですが、本来であれば、ファイさんには買ってきていただいた撮影機の設置をしていただく予定でした。ですが……リーゼさん」
「かしこまりました、お嬢様」
ニナの言葉を引き継ぐ形で、リーゼがファイに青い目を向けた。
「ファイ様。魔王様の話をしたのは、今回もファイ様に実験の要請が来ているからです」
つまるところ、ファイを強くしたり、試したりするための内容なのだという。では肝心のその内容はなになのか。説明の前段階として、リーゼがファイに冷たさを思わせる怜悧な目を向けてきた。
「差し当たり、まずは私と多目的室に来ていただけますでしょうか?」
「…………。……え」
リーゼの言葉に、しばし時を忘れるファイ。というのも、多目的室で行なわれることなど、ファイは2つしか知らないからだ。
1つは新しい住人と従業員の面接。今も月に一度くらいの頻度でニナが面接を行なっていることはファイも知っているが、今は恐らくそんな時期でもない。それにリーゼの口調からして、ニナが同伴するというわけでもないらしい。
となると、ファイがリーゼと多目的室ですることなど、1つしかないように思えてならない。
「……り、リーゼ。何をする、の?」
努めて平静を装いながら尋ねるファイ。
ファイは、自身の無知を知っている。そのため、多目的室で別のことを行なう可能性だって十分にあると考えることができる。
(ううん、絶対にそう。そうじゃないと困る。……そうだったら良い、な)
こめかみに冷たい汗をかくファイが自身の推測が外れることを切に願う前で、
「ファイ様には私と手合わせをしていただきます」
リーゼはいともたやすく、ファイに死の宣告をしてくる。
この時、倒れなかった自分をファイは褒めたいと思う。もしも道具になるためのたゆまぬ努力をしていなかったら、絶望と恐怖で倒れていた自信がファイにはあった。
「手合わせ……。な、なんで?」
声が震えないように気を付けながら。それでもつい、言葉に詰まってしまいながら。どうして今になってリーゼと戦わなければならないのか。尋ねたファイに、リーゼは改めて今回の仕事について説明してくれた。
「これからファイ様には、私と共に第18層、氷獄の階層でちょっとした作業をしていただく予定です。が、そこには様々な危険があります。なので、その前にファイ様の実力を把握しておこうかと」




