第245話 身体を、知ろう
起床後、ファイはニナの執務室に居た。
彼女の他にニナとティオ。そして、無事に第1進化を果たしたミーシャと、彼女の検診にやって来たルゥがこの場に居た。
「み、ミーシャさんに身長を抜かれてしまいましたわ……っ」
悔しそうにニナが言っているように、もともと130㎝ほどだったミーシャの身長は150㎝ほどまで成長している。
当然、見た目にもミーシャの雰囲気は変わっていて、これまでの「こぢんまり」「童女」といった風貌から、きちんと「少女」の面影に移行している。
「えっ、昨日までティオより小さかったじゃん……。なんで急に大きくなってんの……?」
ガルン人の生態について明るくないらしいティオが紫色の瞳を真ん丸にしているように、眠っていたほんのわずかな時間で、ミーシャは大人への階段を上ったようだった。
一方で、愛嬌のある牙やどこか気高さを思わせる吊り上がった目元、クセッ毛など、変わらない部分も多い。あくまでもファイの主観になるが、ミーシャらしい可愛さらしさを残しながらも体つきが大人になった。そんな印象だった。
「正確には72ウロン……ウルンの単位に直すと大体148㎝かな」
巻尺を手にミーシャの身長を測っていたルゥが、およそ正確な数値を教えてくれる。ついでに流れでこの場に居る全員の身長が測られることとなり、ルゥが154㎝と現状維持。ティオが142㎝で、去年よりも10㎝近く成長しているとのことだ。
また、ファイについてもほんの少しだけ身長が伸びており、前回の計測より2㎝ほど伸びて160㎝ちょうど。みんながみんな、現状維持か成長を見せる中、ただ1人。
「ニナちゃんは……えっと、71.5ウロン……」
「そんなっ!? 前回は確か72ウロンだったはずですわ! なのにどうして! 縮んでしまっているのですかぁ~!?」
ニナだけは、どうやら身長が縮んでしまっていたらしい。
「大丈夫、大丈夫だってニナちゃん。0.5ウロンくらいなら誤差だから、誤差。前回は寝起きに測ったとかだったんじゃない?」
ルゥの話では、直前まで横になっていたかどうかでも身長は多少、前後するらしい。測り方や測る人でも数値は前後してしまうため、あくまでも参考数値ということらしかった。
とはいえ、ニナにとっては相当に精神に来るものがあったらしい。
「た、確かに。お父様たちがいらっしゃった頃よりは不健康な生活を送っておりますわ。ですが、きちんと計測のたびに身長は伸びておりましたのに……。はぅ……」
とぼとぼと肩を落として、自室に歩いていくニナ。どこに行くのかファイが尋ねてみたところ、ふて寝をするらしい。「探さないでくださいませ」と落ち込んだ顔で扉を閉めたニナを見送ったことで、執務室にはファイ、ルゥ、ミーシャ、ティオの4人が残された。
続いて測られるのは胸回りや腰回りなど、主に服を選ぶときに必要になる大きさだ。
「具体的な数値は本人だけに伝えるとして、胸回りは1つ……ううん、2つくらい大きいの買うべきかな。というより上も下も、子供用だったのを大人用に買い替える必要があるかも」
「はい……」
ルゥの計測結果を受けて、ミーシャが小さくコクンと頷く。
借りてきた猫のように、いつになく大人しいミーシャ。何も彼女が静かなのは、今に限った話ではない。ファイが起きてから今に至るまで。ミーシャはほとんど誰とも口をきいていない。
ただ、時折ファイの方を見ていて、目が合っては赤面して顔を逸らされる。その繰り返しだった。
身長や体つきの変化は、ミーシャも望んでいたもののはずだ。だというのに、身長が伸びたと分かっても、胸が大きくなったと聞いても、ミーシャの表情は晴れない。
「……ミーシャ。どうかした?」
「んにゃっ!?」
ミーシャの様子が気になったファイが聞いてみると、ミーシャが分かりやすく身体を硬直させる。
「な、なによ、ファイ。急に話しかけないで。びっくりするじゃない!」
「あ、う……。ごめん、ね?」
シャーっと久しぶりに威嚇されてしまっては、ファイもつい委縮してしまう。
このとき分かったこととして、声もほんの少しだけ低くなって大人びただろうか。それでもまだまだ少女らしさを残しており、ファイと同じくらいの年齢を思わせる声だった。
「うん、これで人の時の姿の健康確認はお終いかな。じゃあ次。ミーシャちゃん、獣化してくれる?」
「は、はい……」
ルゥに言われたミーシャがぎゅっと目をつぶる。次の瞬間、ポンッと可愛らしい音と煙が発生して、小さな猫が姿を見せた。
「えっ、はぁっ!? なんか急にお姉ちゃんの部屋に時々やってきてた可愛い猫ちゃんが出てきたんだけど!? で、あいつはどこ行ったし!?」
ミーシャが獣化するところを初めて見るらしいティオ。進化に続いて本日二度目、紫色の瞳を真ん丸にしている。が、すぐに「はっ!?」とした息を漏らすと、
「も、もしかしてこの猫ちゃんがあいつ……ミーシャちゃんってこと!? だとしたらティオ、あいつに対して猫吸いとかしちゃってたことになるんだけど!? 恥ずかしくて死ねるんですけど!?」
1人、早口で悶絶しているティオをよそに、ファイは獣化したミーシャを見下ろす。
もともと体長は15㎝ほどだったミーシャだが、第1進化を経た彼女は20㎝ほどになっているだろうか。胴が長くなったことで、ファイがフィリスの町で見かけた成猫とほぼそん色ない姿形になっている。
ぶるぶると全身を震わせて伸びをしたミーシャは一度ファイを見上げたが、すぐにルゥに目を向ける。
「わたしの専門は獣医じゃないけど、見てあげられるところは見ないとね~。ということでミーシャちゃん、ちょっと失礼するよ~」
言いながら、猫の姿になったミーシャを抱え上げるルゥ。そのままくまなく、獣化したミーシャの全身を観察していく。
「そうだ。ファイちゃんはアレの期間中ってことは、この後もフーカさんとお勉強だよね?」
「え? あ、うん、そう。今はぶ、分数の勉強中……。で、それがどうかした、の?」
「ああ、うん。せっかくだから獣化の仕組みを知ってもらおうかなって思ったんだけど……どう?」
ミーシャ――耳と尻尾だけが黒い金毛の猫――のお腹を見るルゥが、ちらりとファイの方に青い瞳を向けてくる。
どうして獣化するときに特有の音がしたり、煙が出たりするのか。あるいは、獣人族が獣化した場合、あらゆる排泄器官が消え去る。その理由はなぜなのか、など。獣人族だけでなく、ガルン人の特殊能力には興味が尽きない。
しかし、現状、ファイは分数と戦っている最中だ。これ以上の難しいことを覚えるだけの余裕がないことは、他でもないファイ自身がよく分かっている。一度に複数の物事を覚えられるほど、ファイは器用ではない。
「獣化の仕組み……。えっと、簡単?」
「うんと……。例えばミーシャちゃんは、別の空間から肉体を呼び出す召喚型の獣化なの。で、人の姿と、別の空間に存在する動物の姿とで魂を入れ替えるのね。で、肉体の交換するときに空間のひずみ……エナリアの入り口と同じ時空の断裂が生まれて、その熱があの蒸気とポンッて音になってるんだけど……」
ミーシャを地面に下ろしながら説明したルゥだが、ファイの目が点になっていることを確認して苦笑する。
「あはは……。あんまり獣化について話す機会も少ないからせっかくならって思ったけど、うん、ごめん。さすがに専門的すぎたね」
「ご、ごめんね、ルゥ……」
自身の無知が主人を困らせていると分かるからこそ、つい眉尻が下がってしまう。そんなファイに対して慌てたように手を振ったのがルゥだ。
「違う違う! わたしがお節介すぎただけだから! そんな顔しないで!」
などとルゥと話している間に、気づけばミーシャが人の姿に戻っている。そして手早く下着と肌着を身に着けようとしているのだが――。
「ふ……っ、ん……っ。あれ、ここがこうで……?」
これまでの彼女であれば、早着替えなど朝飯前だった。寝ている間に獣化してしまって、寝起きと共に人の姿に戻った際も、まさに「あっ」という間に服を着替えてしまう。
だが、どういうわけかいまは着替えに手間取っている。
確かに普段着ていた服は小さくなってしまったため、今はファイの服と肌着を貸しているというのもある。だが、それにしても手つきが悪い。服が大きくなっただけで、動作自体は変わらないはず。そうファイが考えている目の前で、
「わっ、とと……きゃっ」
ミーシャが足をもつれさせて転んでしまう。そのどん臭さは、ティオに通ずる部分さえあるほどだ。
――まるで身体を動かすことに慣れていないようだ。
そう思った時になってようやく、ファイはミーシャの苦悩を知る。
(そっか。ウルン人と違って、ガルン人は一気に身体が大きくなる、から)
たった数時間の間に身長が20㎝近く伸びているのだ。当然、腕や足の長さも代わっている。
一方で、頭の方は変わらない。どうなるのかといえば、肉体と、自分が知っている自分の身体の間に歴然とした差が生まれるのだ。
結果、これまでのように身体を動かしても、成長した自分の身体には適さない動きとなってしまう。
例えば下着を履こうと片足を上げても、足が長くなってしまったせいで下着を引っかけてしまったり。あるいは立ち上がろうと短い腕の頃のままに机に手を伸ばせば、
「イタ……ッ」
突き指してしまう。
旨やお尻が大きくなったことで、体の重心も変わっていることだろう。
もはや今のミーシャにとって、自分の身体は自分のものではないに違いない。成長した身体に会った動きを覚えるのに、果たしてどれくらいの時間と労力を必要とするのだろうか。
「……っ!」
もともと気位の高いミーシャだ。情けない姿をファイ達にさらしていることに、遂に耐えられなくなったのだろう。着替えもそこそこに、飛び出すように執務室を出て行ってしまう。途中で一度、転んでしまいながら。
そんな彼女の目端に光るものが見えた気がして、つい、追いかけようとするファイ。だが、そんな彼女をルゥが引き留める。
「ファイちゃん。ここは多分“マテ”が正解だと、私は思うな?」
「ルゥ……」
ルゥが言うのであれば間違いない。そう頭では理解しつつも、ファイの目は扉の向こう――たどたどしい足取りで遠ざかっていくミーシャの気配を追い続けてしまっていた。




