第240話 とっておき、だよ?
ガルゥとルルゥ。2体の銀狼の治療に傷薬を使ったファイ。残すは1本などと、息をつく間も与えてもらえない。
治療が終わるのとほぼ同時、ファイ達に向けて5人分の魔法が飛んでくる。カイルの治療をしていた翼族の男性も、魔法なら使えると戦いに加勢してきた形だ。
そうして飛んでくる魔法全てに、ファイは剣で対処する。氷の槍であれば空中で切り落とし、火の玉であれば剣の腹で防御。鎌鼬であれば剣を振った風圧で打ち消し、爆発の魔法には距離を取ることで対処する。
ファイがエナリアで使うことを考慮して、ロゥナたち職人が手ずから鍛えた剣だ。手に馴染んだ剣を振るって魔法を切り落とすファイの姿は、赤鎧の女性に負けず劣らず流麗で美しい。
「ガルゥ、ルルゥ。――『シッ』」
弾幕をすべていなした直後、ファイは満を持して練習していた連携を試すことにする。言葉を理解できない銀狼たちに、ファイが用いたのは“音”だ。歯の隙間から息を吐き出す音で、銀狼たちに指示を出す。と、
「「ワォォォン!」」
銀狼たちは遠吠えでファイに答えて見せたと思うと、二手に分かれて素早く駆け始めた。
「何かしてくるわ、注意して――くっ」
「あなたの相手は、私」
副長として組合員たちに指示を出す赤鎧の女性に向けて、今度はファイが斬り込む。
ファイが振り下ろした剣を、双剣を交差させながら受けた女性。だが、すぐに膂力で劣ると察したのだろう。鍔迫り合いには応じず、ファイの剣を器用に下方向に受け流す。
だが、ファイの見る世界では、女性の動きはまだまだ遅い。
女性が剣を受け流すと察したファイは、剣を握る手から少し力を抜く。そして剣が女性の双剣から離れてすぐ、下段から上段への斬り返しを行なって、女性の手に握られた双剣の片方を剣の腹で弾いた。
乾いた音がして宙に短剣が舞い、壁の高い位置に突き刺さる。赤鎧の女性の最大の武器だった“手数”が消えた瞬間だ。
「この……っ! 〈バチル〉!」
女性が兜の中で言うと、ファイと女性の間でバチッと空気が弾けるような音がする。直後、ファイに向けて細い紫電の糸が伸びてきた。
〈バチル〉は雷を発生させる魔法らしい。雷の速度はすさまじく、さすがのファイでも反応できなかった。
「ぅ……」
一瞬、身体がしびれて動けない。そんなファイに向けて女性が順手に持った剣を横なぎにする。慌てて回避するファイだったが、ひらりと舞った侍女服の前掛けが切り裂かれてしまった。
その様を金色の目で確認しつつ、ファイは素早く後退。確認するのは相棒である銀狼たちの姿なのだが、
(うん、良い感じ)
最初に二手に分かれた銀狼たちは、後衛から魔法を使っていた探索者2人を分断して襲っていた。
ファイが銀狼たちに出した指示は「後ろを攻撃」だ。とりあえず、一番後ろにいる人を攻撃すること。その単純な指示を、銀狼たちは自分たちの連携でもって実行しているらしい。
もちろん後衛にいる探索者も、鎧や武器を持っている。だが、日ごろから前衛を張っている人に比べると、どうしても近接戦の技術は劣る。緑色等級の銀狼たち相手でも、少し手間取っている様子だった。
当然、そんな後衛たちを助けようと、赤鎧の女性の他にもう1人居た前衛の男性が加勢しようとする。具体的には、後衛の女性を攻め立てるガルゥに、得物である手斧を振り下ろそうとしていた。
(きっと、いまっ!)
ここしかないと判断したファイは、
「ガルゥ! シシッ!」
鋭い声で指示を出す。と、ガルゥが一瞬、身を低くする。次の瞬間、ガルゥの身体からキラキラと白い煙が噴出した。
「冷たっ!? なに~、コレ~!」
「ぐっ……ここに来て能力を使うのか……っ! 厄介な!」
後衛の女性と斧持ちの男性が、驚きの声を上げる。
これこそ、銀狼たちが唯一持つ特殊能力――雹霧だ。細かな氷の粒を噴出して目くらましを行なうと同時に、寒暖差を生むことで身震いを誘発し相手の身体を硬直させる。地味だが、攻防に使いやすい能力だと言えるだろう。
先ほどのファイの「シシッ」という音は、そんな銀狼の特殊能力の使用を解禁するものだった。
(私からも見えづらくなるのが弱点、だけど……)
身を守る、攻撃する、逃げる。戦うことに優れた銀狼の能力だが、観察するという点においてはあまりよろしくない。そのためファイは最初、銀狼たちに能力の使用を禁じていたのだった。
とはいえ、これで銀狼たちを縛るものはなくなった。正真正銘、彼らが緑色等級の魔物として探索者たちに牙をむく瞬間だ。
雹霧に包まれた一帯からガルゥが飛び出してくると、今度は、最後に残った探索者と1対1を演じていたルルゥの元へと駆けていく。
合流すれば2対1。いくら第7層まで来られる探索者なのだとしても、素早く、それも息を合わせて攻撃してくる銀狼2体を相手にするには骨が折れるだろう。
当然、探索者たちもそれは分かっているのだろう。手が空いている赤鎧の女性が、ルルゥと戦っている後衛の女性に加勢しようとする。だが、もちろんそれを許すファイではない。
「さっきも言った。あなたの相手は、私」
言って、赤鎧の女性の行く手を阻む。
「もう、邪魔くさいわね! このままじゃ……って、ふふっ!」
お面越しにファイが見つめる先。どういうわけか、赤鎧の女性が笑い声を漏らした。
「……なに?」
「その反応、何って顔ね? 教えてあげるわ。アンタの仲間の狼、死ぬわよ?」
どういうことだろうか。
振り返ったファイがガルゥたちの方を見てみると、そこには後衛の女性と、彼女を襲うルルゥ。そして合流したガルゥが居る。だが、銀狼たちが後衛の女性に襲い掛かることは無い。その理由は、
「――悪い、待たせたな!」
標的だった後衛の女性との間に、大きな盾を持った男性が居たからだ。
(最初に倒した人……! もう復活した、の?)
男性が兜をかぶっていたこともあって、確実に昏倒させるためにファイは結構な力を込めて男性を殴った。通常であれば、10分程度はまともに動けないはず。だというのに、彼はほんの数分で回復して見せたのだ。
そうなると、当然、彼を護衛・介抱していた翼族の男性も戦列に加わることになる。
都合、6対3。それもファイ達は特殊能力という切り札を切ってしまっている。雹霧は不意打ちには強い反面、対処は容易だ。どうするのかといえば、
「〈フュール〉」
ガルゥがかく乱した2人の探索者がそうしたように、風で吹き飛ばしてしまえばいいのだ。
「遅いぞ、盾持ち。……あの銀狼たち、氷の霧を出せるようだ」
「了解だ。じゃあ、ピッピは〈フュール〉でこの部屋に常に強めの風を吹かせてくれ」
斧持ちの男性の言葉を受けて、盾持ちの男性が徒党全体に指示を出す。
もしも誰が風の魔法を使っているのか分かれば、ファイが魔法の使用者を昏倒させればいい。
しかし、盾持ちの男性の言葉に対して全員が頷いたため、ファイの視点では誰が風の魔法を使おうとしているのかが分からない。呼称を暗号化する探索者たちの定石の意味が、“敵”であるファイに牙をむいていた。
どこからともなく吹き始めた風。この状態では、銀狼たちが特殊能力を使ってもすぐに雹霧はかき消されてしまうことだろう。
恐らく魔法の使用者は〈フュール〉の維持に集中力を割くことになるのだろうが、探索者たちには数的有利がある。たとえ1人が魔法にかかりきりになろうと、他の面々で補える。
(これは良くない、かも?)
そんなファイの予想は、いともたやすく的中する。
一番強いファイに対して盾持ちと斧持ち、後衛の女性の3人がかりで対処。残った面々で銀狼たちを相手取る。
どれだけ連携が取れようと、特殊能力があろうと、銀狼たちは緑色等級ていどの魔獣たちだ。この第7層にいる肉食の動物たちに対する危険度の評価と、あまり大きな差異はない。
まして銀狼たちの特殊能力は露見してしまっており、対策もされてしまっている。
少しずつ、というわけでもない。戦闘が再開されて早々に、戦況は傾いた。
「キャインッ!?」
最初に悲鳴を上げたのは、ルルゥだった。
ファイが3人の攻撃をどうにかいなして銀狼たちの様子を見てみれば、ルルゥが後ろ足から血を流している。恐らく先ほどファイと戦っていた赤鎧の女性が、短剣で切りつけたものだと思われた。
(素早い魔獣は足を狙う。常識)
ファイも、銀狼たちを相手取るなら一撃必殺ではなくまず機動力をそいでから確実に殺す方法を取る。実際にこれまでも、同じ方法で数多くの魔獣を屠ってきている。
だが、どうしてだろうか。くぅんと鳴きながら足を引きずるルルゥを見ると、無性に胸が苦しくなる。
ルルゥも結局は狼であり、ファイがたくさん殺してきた魔獣たちと何ら変わりないのだ。
(変わりないはず……なのに……っ!)
ルルゥが足を引きずりながらもなお、探索者たちに立ち向かっていくたび。あるいは、そんな相棒を助けようとガルゥが必死に探索者に牙をむくたび。まだ道具になり切れないファイの胸が、張り裂けそうになる。
――もういい。もう戦わなくていい。私が全員、倒すから。
何度、言いかけたことだろうか。
また、銀狼たちを助けようと、何度魔法を使いそうになっただろうか。
だが、そのたびにファイは自分の使命を思い出すことになる。
(私の仕事は階層主。あの子たちを守ることでも、探索者を倒すことでもない……。探索者たちの実力を見極めること……っ!)
その点、今ファイが相手にしている彼らはきっと、次層に進んでも余裕をもって魔獣たちに対処できるに違いない。武器も、防具も、体力も、気概も。第8層に向かっても、十分通用することだろう。
もう実力は分かっている。次に進んでもらっても良い。だからもう戦いを切り上げて、誰も、何も失わないまま幕引きとしたい。そんなファイの願いは、
「キャィン……」
直後に響いた銀狼の断末魔の叫びによって、泡と消える。
反射的に声がした方を見たファイが見たもの。それは、地面に倒れて動かないルルゥと、彼を庇うようにして倒れ込むガルゥの姿だ。
「ガルゥ、ルルゥ……?」
ファイが呼びかけても、もう2体は動かない。
時間をかけて行なった彼らとの連携の練習も、身を寄せ合って仮眠をしたあの温もりも、全てが消えてなくなる。
こうして、ファイの仲間だった2体の銀狼は、正しく。探索者たちによってあっけなく、討伐されてしまったのだった。




