第236話 仲良く、なろう
直径150m、高さ100mほどの、円筒状の空間である第7層の階層主の間。壁や天井に生えている光る苔が見守る中、部屋の中央付近に居るファイは銀狼2体が入った檻を破壊する。
瞬間、獣人族が獣化をするときのように、むくむくと檻が巨大化していく。手のひら大だった檻はファイの腰辺りに、さらにはファイの背丈と同じになったかと思うと、やがて大きさは3mほどまでになった。
その檻の変化に比例する形で、小指ほどの大きさだった銀狼たちも大きくなっていく。最終的に檻が変化をとどめるころには、ファイの胸辺り――体高1.3mほど、体長は2.5mほどまで銀狼は成長したのだった。
常識では考えられないような変化に、ファイが瞳を輝かせたことは言うまでもない。同時に、こうして小さくすることで、ニナ達は大きな魔獣を運んでいるのだと知ることになった。
と、自分たちの出番を察したのだろう。「グルッ」と鳴いた銀狼たちは、檻を壊せと言うようにファイのことを見つめてくる。
「分かった」
彼らが向けてくる灰色の瞳に頷いて見せたファイは、檻の上部に向けて躊躇なく剣を振るった。
虚空に青白い剣線がひらめくと同時、甲高い音が響き渡る。ファイが剣を振ったことで遅れて吹き荒れた風が檻の天井を吹き飛ばしたことで、銀狼たちも意気揚々と檻から飛び出してきた。
そうして檻から出た銀狼たちだが、姿勢を低くしてファイの周囲を歩き始める。ピンと下方向に延ばされた尻尾と、「グルルゥ……」と言う低い声。明らかにファイのことを警戒している。
(――ううん、違う。私を見極めようとしてる?)
これは長年、戦いに身を投じてきたファイの直感でしかないが、銀狼たちは警戒ではなく疑いの目でこちらを見ている気がする。恐らく彼らは今、ファイの実力を測っているのだ。
ユアが育てたとはいえ、銀狼たちはガルン生まれの魔獣だ。当然、力の上下関係に敏感な彼らは、本能的に自身と相手の実力を見極めようとしてくる。檻から出て自由になったことで改めて、ファイと自分たちとの実力差を確かめようとしているらしい。
階層主として戦う仲間である以上、ファイは彼らに自身の実力を示して従わせなければならない。
その手段として最も簡単な方法と言えばムアが得意とする暴力だろう。が、そこはファイだ。彼女が選ぶ選択肢はいつだって、能動ではなく受動だ。
剣を鞘に納めたファイは、
「……おいで?」
わずかに表情を柔らかくしながら、銀狼たちに向けて両手を広げて見せる。
相手は多少知性があるとはいえ魔獣だ。進化欲を持つ以上、本能的にウルン人が持つ魔素供給器官を求める習性がある。ましてファイが持つ魔素供給器官は巨大で、魔獣たちにとってのご馳走だ。無警戒・無抵抗な姿を見せれば当然――
「「グルァッ!」」
――襲い掛かってくる。
左右から同時にファイの腕に噛みついた銀狼たち。股間に“モノ”がついているため、2体ともオス。強い絆があるのだろう。連携もバッチリで、1体は生物の急所であるファイの首に。もう1体はファイが抵抗できないように腕に。それぞれ牙を突き立て、食いちぎろうと頭を振る。
大きな狼たちによる襲撃だ。女性としては「細身」に入るファイの身体は簡単に押し倒され、馬乗りになられてしまう。
「ぅ……」
倒れた衝撃と首に走った痛みで、ファイの喉から声が漏れる。銀狼の鋭い牙と強靭な顎の力で噛みつかれたファイの首からは、一筋の血が滴っていた。
だが、結果だけを見るなら、それだけだった。
白髪としてのファイの身体は緑色等級の銀狼たちの力を、首元の傷1つだけで受け止める。ルゥ特性の侍女服に守られている腕に至っては、傷一つ付いていない。
この時ファイは、銀狼たちの実力を把握する。その上で、自身を全力で殺そうとしている相手を、ファイはそっと抱きしめた。
「好きなだけ噛んで良い、よ? きっとあなた達じゃ、私に敵わない、から」
口調と表情こそ柔らかに。それでいて、ひどく傲慢な台詞をファイがこぼしている間にも、銀狼たちはファイを殺そうとあの手この手を繰り出してくる。
首がダメなら顔を。腕がダメなら足を。それぞれ狙って噛みつく。だが、結果は変わらない。
「ガルッ、グルァッ!」
「グルルルゥ……ッ!」
それならば、と、鋭い爪でファイの顔や首、内腿を狙う銀狼たち。それでも、やはり、ファイの傷が増えることは無い。
“この程度”の銀狼たちでは、ファイの敵にすらなることができなかった。
噛みついてくる銀狼たちと、彼らが落ち着くよう、撫でたり抱きしめたりするファイ。そのまま、どれくらい時間が経っただろうか。
「よしよし」
いつしか銀狼たちはファイに歯向かうことを止め、撫でられることを素直に受け入れるようになっている。それどころか「怪我をさせてごめんね」と言うように、ファイの首筋を流れる血を舐めてくれていた。
「んっ……。くすぐったい、ね?」
ファイの手のひらくらいの大きさがある銀狼の舌。ザラザラした感触の舌に首を舐められると、ファイの全身を何とも言えないくすぐったさが駆け巡る。
「連携も確認しないと、だから。退いてくれる?」
ファイが言うと銀狼たちは素直にファイの上から退いて、お座りの姿勢を見せてくれる。
こちらを見つめる灰色の瞳にはもう、疑いも警戒もない。ただ純粋にファイの自身より上位の存在と認め付き従う、信頼の色だけが映っていた。
ようやく2人の仲間として認めてもらえた。息を吐きながら立ち上がるファイ。
彼女からすると、自分は魔獣たちの力を借りる立場にいる。黒い暴竜の時もそうだったように、可能ならば暴力を使わない方法で、自分が敵ではないことを分かってもらいたいというのが本音だ。
その過程で自分が傷つこうが何をされようが、ファイは気にしない。
相手を尊重する。ファイにとってその考えは何も、人だけに向けられるだけではない。“命令がない限りは”という条件こそ付くが、人も、魔獣も、野に咲く花でさえ。ファイにとっては尊いものであり、できるならば傷つけたくない存在だった。
(さて……)
上下関係がハッキリしたことで、ファイの言うことを聞いてくれるようになった銀狼たち。
ここで1つ、ファイにはしておかなければならないことがある。それは先ほど言った連携の確認――ではない。
「2人とも、ちょっとこっちに来て?」
ファイが言うと、銀狼たちは不思議そうにしながらもファイの目の前までやってきてお座りをしてくれる。
お座りをする彼らの顔の位置はファイのみぞおちあたりだろうか。「どうしたの?」と言いたげな彼らにゆっくりと手を伸ばしたファイは、黙って。
「(もふ、もふ)」
銀狼たちの毛並みを撫で、その手触りを堪能する。
上下関係を分からせることについて引け目があるファイだが、1つだけ。こうして相手の毛並みを存分に味わえる点においてだけは、“アリ”だと考えている。
(この子たちのは……カチカチ。トルトルしてる……?)
手触りとしては身体を洗う前の獣化したムアに似ているだろうか。少し油っぽい印象を「トルトル」と独特の表現をしながら撫でるファイ。
これまで会ってきた獣人族の人々とは違い、銀狼たちの毛質はかなり硬い。毛並みに逆らって撫でれば、チクチクするようなハリを持っていた。
想像していたよりもずっと硬質な手触りに、少々驚いてしまうファイ。
だが、柔らかな毛並みだけが「モフモフ」ではないというのがファイの持論だ。
(人には人の、モフモフ……!)
もはやモフモフ愛好者と言ってもいいだろう彼女にとって、全ての毛並みは愛すべきものであり、愛されるべきものでもあった。
「(もふもふ、モフモフ……)」
動物を撫でることに関しては秘かな自信を持つファイだ。耳の裏。顎の舌。尻尾の周り。自分ではなかなか手入れがしにくい部分を撫でられることを、獣人族・動物たちは好む傾向がある。
銀狼も例に漏れないようで、ファイが意識的に耳裏などを撫でてあげると、
「グルゥン……」
気持ちよさそうに目を細めている。
ファイはモフモフを与えてもらっている身だ。そのお返しとしても、ぜひ撫でられている相手には気持ち良くなってもらいたい。
(気持ち良くなって、ね)
と、そうしてファイが片方の銀狼を撫でてあげていると、視線を感じた。見れば、もう1体の銀狼が「なんでソイツばっかり?」と言いたげな瞳を向けている。
「……おいで?」
ファイが手を差し出すと、「ガルッ!」と嬉しそうに鳴いた銀狼が飛び込んでくる。ファイの顔を舐めて尻尾を振るその姿は狼と言うよりも、犬のようだった。
そのまましばらく、2体の銀狼と戯れたファイ。本当はいつまでもこうしていたいところだが、残念ながらそうも言っていられない。
あとどれくらいかかるかは不明だが、じきに前後どちらかの扉が開く。そうなると、待っているのは本気の探索者たちとの殺し合いだ。
そのためには銀狼たちとの連携が何よりも重要となってくる。
(それに今回、私は基本、魔法を使えない……)
ファイは階層主、つまりは魔物として君臨することになるため魔法が使えない。魔法を使うにしても、絶対にバレないよう慎重に使うことを求められる。
一方、ここまでやってくる探索者は実力者ぞろいとなるだろう。そんな彼らを、魔法を封じられたファイと、緑色等級の魔物である銀狼たちで迎え撃ち、楽しんで――満足をして――もらわないといけないのだ。
「それじゃあ、えっと……あなた達、名前はある?」
ファイが尋ねてみるが、狼たちは決してファイの言葉を理解しているわけではない。ファイの言動から言葉を推測しているにすぎず、名前と言われても分かるはずもなかった。
そうしてお座りをしたまま首をかしげる2体の姿に、しばらく瞬きを繰り返したファイ。だが、
「――それじゃあ、えっと。あなたがガルゥ。あなたが、ルルゥ。良い?」
銀狼に名前を付けてあげることにする。ユアがなぜ、魔獣たちに一切名前を付けないのか。その理由を知らないままに。
「ガルゥ?」
「ルルゥ?」
「そう。ガルゥ、ルルゥ。あなた達のこと、もっと教えて?」
名前を付けることで一気に親近感が湧いた銀狼2体と共に、ファイは戦闘に向けた準備を本格的に始めた。




