第235話 バレないようにしないと、ね
ユアから共に戦う仲間となる銀狼2体を受け取ったのち、ファイは急いで第7層へ向かう。
と言うのも現在、階層主の間の扉は正常に機能している状態だ。エナが十分に充填されれば、階層主の間へと続く扉が開かれてしまう。
その際、中に誰も居ないなどと言う状況になれば、実力不足の探索者が第8層へと向かってしまい、魔獣に殺されてしまう可能性があった。
以前、ユアがニナの理念の穴をついたことがあった。あの後ファイがニナに確認してみたところ、やはりというべきだろうか。ニナは別に、魔獣による探索者の死を容認しているわけではなかった。
『できることならば、このエナリアで死んでしまう方が居なくなることが理想ですわ!』
胸を張って堂々と、自身の理想を――ひいてはファイの行動指針を示してくれたニナ。森角兎を使って探索者を蹂躙しようとしていたユアを止めた自身の行動が間違っていなかったことに、ファイがホッと安心したことは言うまでもないだろう。
そんな「エナリアでの死者を容認しない」というニナの理念に従った場合、次の階層に進めるだけの実力を持っているのか。探索者の実力を見極めるためにいる階層主の不在は、絶対に避けなければならなかった。
(前に開いたのが「ほんの少し前」らしいから、1日くらい前。普通、階層主の間は2、3日、遅くても1週間で開くはずだから……)
片手でできる引き算をしながら、廊下と螺旋階段を素早く移動する。そんなファイが次に足を止めたのは、階層主の間に続く裏口――ではなく、第7層にある倉庫だった。
ここでファイは、ちょっとした変装をすることになっている。
ファイの顔は王国全土に放送されているため、やってくる探索者がファイのことを認知していてもおかしくない。
もしも素顔のまま探索者と敵対するようなことがあれば、ファイというウルン人の探索者が、別の探索者に襲い掛かっている構図になってしまう。
――探索者同士が敵対してはならない。
ファイでさえ知っている、探索者の常識だ。その掟を破れば当然、そのエナリアを所有する国の法律で裁かれることになっていた。
「入る、ね」
念のために一声かけて倉庫に入ると、点々と天井から生えている夜光灯が照らす室内が見える。
倉庫は本来、宝箱に補充する道具が置かれている部屋だ。が、それ以外にも、宝箱の補充業務に必要な衣装や小道具なども置かれている。以前、ファイが宝箱の補充作業をしていた時に来ていた迷彩服も、第4層裏の倉庫で手に入れたものだった。
従業員が混乱しないよう、各階層の倉庫はほとんど同じ作りと広さになっている。ファイも混乱することなく棚の間を移動し、
「あった」
装備品類が置かれている場所に、目的のもの――お面を見つける。顔全体を覆う木のお面には、血のように赤黒い液体で奇妙な模様が描かれている。
見た者の視線を自分以外に向けさせるような意匠になっているらしいことから、つけられたウルンでの名前は『認識阻害のお面』。ニナが言うには、ガルンに暮らす特定の民族しか作ることができない代物らしい。
エナリアの出土品としての価値は青色等級。下から数えて3番目で、探索者協会での買取価格の相場は5,000G前後だった。
4つほど在庫があるお面の1つをありがたく拝借し、身に着けるファイ。視界が少しだけ暗く、狭くなるが、ファイにとってはこの窮屈な感じがむしろ心地よい。お面から香る、木かお香のような独特の香りも、ファイの気持ちを落ち着けてくれた。
そうして認識阻害のお面を秘かに気に入ったファイは続いて、倉庫の入り口付近に戻る。
そこには作業着をはじめとしたいくつかの作業用品が置いてあるのだが、円滑に作業を進めるための変装道具もある。
それらの用品からファイが手に取ったのは、平べったい缶だ。ふたを開けると、中には黄色い粉が入っている。この粉は以前、リーゼとルゥがファイを変装させるために使った黄色い粉と同じもので、髪色や肌の色を変えるための化粧品だ。
しっかりと髪に張り付くため汗や蒸れに寄る色落ちに強く、帽子などに色移りもしにくい優れもの。一方で色を落とすためには専用の洗髪剤が必要になるのだが、ファイは別に気にしない。
専用の「ふわふわ」に粉を付けて何度か髪に押し当てれば、あっという間にファイの髪色が黄色に変わる。慣れない手つきながら髪全体に色をなじませて鏡で確認すると、怪しい仮面をつけた黄色髪の人間族という装いになる。
「……どう?」
試しに近くの棚に置いていた檻の中にいる銀狼たちに聞いてみるが、2体は「なに言ってんだこいつ」「分からない」と言いたげな顔で首をかしげるばかりだ。
それもそうかとファイが変装を終えようとした、ところで。
「……?」
ファイは、見つけてしまう。変装道具たちの中に、ひときわ存在感を放つ“ソレ”を。
どうしてソレがあるのか。何のためにソレに変装する必要があるのか。ファイにはてんで分からないが、気づけば彼女の手の中にはその変装道具が握られていた。
さらに、ファイの無意識の行動は続く。彼女は侍女服一式の1つであるヒダの付いた髪飾りを外すと、代わりにソレを身に着ける。最後に、ソレと組になっているらしい尻尾の付いた紐を腰で結んだ。
そうして改めて鏡を見たファイは――
――自分がいつの間にか黒毛の猫耳と尻尾を持つ獣人族になっていることに気づいた。
「…………。……はっ!?」
いつの間に自分は獣人族の変装をしていたのか。驚きの余り目を丸くするファイ。無意識に表れてしまった自身の願望に、急いで変装を解こうとする。
しかし、ふと動きを止めて自身の行動を振り返ったとき、合理的にも思える部分もある。
先ほどまで、ファイの変装はお面と髪色だけだった。もしもお面が壊れてしまうような事態になった場合、ファイは素顔をさらすことになる。髪色を変化させただけでは、顔かたちからファイだと気づかれてしまう可能性もある。
その点、種族を獣人族と偽れば、自分が「ファイ・タキーシャ・アグネスト」であることをさらにごまかせるのではないか。
(もし「ファイ?」って聞かれても「種族が違うよ?」って言える……。ミーシャとも、お揃い)
小さな先輩従業員のことを想いながら、鏡に映った自分を見つめるファイ。
「――けど」
ファイは静かに、猫耳と尻尾を外す。
身に着けた感じ、猫耳の方も首の下で紐を結べるようになっているし、腰ひもも頑丈そうに思える。普通に動き回るだけなら、そう簡単には外れないだろう。
しかし、これからファイが行なうのは戦闘だ。右に左に、上に下にと激しく動き回る。そうなると、猫耳と尻尾が外れないように気を配らなければならない。
ただでさえ、手加減を強いられる戦闘だ。戦闘にかかわる心配事を抱えられる余裕はないに違いない。
(でも、そっか。ガルンだと人間族は最弱。舐められる。だから獣人族になるんだ、ね)
獣人族になるための変装道具がある理由についてそう予想しながら、猫耳と尻尾を棚に戻したファイ。それでも少しの時間、黒いモフモフの毛でおおわれた耳と尻尾を眺めていた彼女は、未練を断ち切るようにフイッと顔を背ける。
そして、腰に差している空色金製の剣の具合、侍女服の衣嚢にルゥの傷薬が2本あることを順に確認。最後に手にした檻の中にいる相棒2体に「行ける?」と聞いて頷いたのを確認すれば、準備完了だ。
薄暗い倉庫を後にした彼女はエナリアの裏道を使い、階層主の間の表に出る。
第7層の階層主の間は、全体的に緑っぽい。と言うのも、部屋の至る所に光る苔が生えているからだ。次の層から始まる雨音の階層を意識してのことだろうか。湿度が高く、場所によっては水たまりができるほどだった。
部屋の大きさは直径150mほど。エナリアでよく見る半球状の空間ではなくこの部屋は円筒状になっていて、空を飛ぶ魔物にも優しい設計になっているようだ。
また、部屋の壁に沿って円柱が何本も並んでいて、探索者や魔物が隠れることができるようになっている。それら建造物や壁、天井は、階層主の間の扉と同じ石材で作られているのだろう。数千、数万と繰り返されてきただろう戦闘の余波を受けたにもかかわらず、まだまだ現役と言ったような様相をしていた。
とはいえ、エナリアのほかの通路や部屋に比べると障害物は少なく、裏とつながる出入り口は目立つ。
果たしてどこが出入り口なのかと思っていれば、やはり天井だ。
階層主の間の天井には大きな夜光石があるのだが、そのすぐ脇にひっそりと、天井に擬態したピュレが居る。
まばゆい夜光石の光が逆光となって出入り口を見えにくくし、なおかつ撤退するときの出入りも見づらくなるように設計されているようだ。
(撤退するときは奥の側の扉を開けて、逃げたと思わせる……)
第7層から続く大きな扉と、第8層の安全地帯――次の階層に移動するための広くて長い1本道の通路――に続く大きな扉。それぞれの扉を目視で確認して、戦闘の流れを確認する。
その際、知識だけでなく、逃げる時の動きもきちんと確認しておくことも忘れない。可能ならば天井から。余力がないのであれば、最悪、後ろの扉から逃げる。
『何があっても、絶対に生き延びて探索者さんの情報を持ち帰る。それが、わたくしのエナリアにおける“人の階層主”の役割ですわ』
とは、ファイがニナに厳命されたことだ。
確かに探索者の実力を見極めるのは大切だ。しかし、まず何よりも生きて帰ること。そこをニナは強調していた。
(つまり、私は絶対に死んじゃダメ)
優先順位をきちんと設定し、逃げるための算段も立てたファイは最後。足元に、今回の仕事の仲間となる銀狼2体が入った檻を置いてから腰の剣を抜き放ち、
「ん」
ユアに言われた通り、檻の隅を軽く小突いて破壊した。と――。




