第228話 王都に、やって来た!
四方を海に囲まれた中央大陸セルマ。その形は学校で「人の鼻」と教えられるように、台形の下底部分の2か所がえぐれた、奇妙な形をしている。
その鼻の、真ん中の出っ張った部分を領土としているのがアグネスト王国だ。東、南、西。三方を海に囲まれた王国は主に、漁業と交易を生業としている。
また、広い国土には黒色等級が1つ、赤色等級が3つと質の高いエナリアが存在し、エナ資源を自国だけで賄うことができる。
国内人口は1億人と少し。全世界92か国、世界人口が30億人半ばに差し掛かると言われるウルンでも、かなり裕福な国だと言えた。
そんなアグネスト王国の南部、港湾から一般的な車で2~3日の距離にあるのが、アグネスト王国の王都・ファークストだ。
高さ100mを超える高層建築物がいくつも立ち並び、窓のケリア鉱石がフォルンの光を照り返す。その足元にも十数階建ての建物がいくつもあって、中心街のどこで空を見上げても“建物”という額縁が目に入った。
そんな建物の壁面にあるのは、巨大な投影機だ。見目麗しい男女や美味しそうな食品の映像を映す投影機が至る所に散見され、町に華やかさを添えている。
さらに目線を落とすと、エナ灯に照らされた派手な店の看板が目に入る。
通り沿いに植えられた木々の間には瀟洒な街灯が立ち並び、その足元の大通りを人々がせわしなく行きかう。
時刻はもうすぐ昼を迎えようかという頃。
右を見ても左を見ても。自分の知らない世界と色が広がる王都を、ファイはじっと眺めていた。
(これが、王都……!)
当然、彼女の金色の瞳には好奇心がこれでもかというほどに光っている。車の窓は興奮する彼女の鼻息で白く曇り、それを手ぬぐいで拭いてはまた、瞳を爛々と輝かせて町を観察する。
王都に入ってからというもの、その繰り返しだった。
ファイは今、フィリスの町を離れて王都にやってきていた。
理由は2つ。1つは、せっかくファイが宣誓した各種資料が町役場の建物の倒壊によってダメになってしまったのだ。
『これでも一応、黒鉄製の箱に入れて保管してもらっていたのだけど……』
そう言ってアミスが持ち上げたのは、岩人形の踏みつけによってぺちゃんこになった宣誓書が入った箱だった。
再び住民登録も兼ねた手続きを行なおうにも、町役場はもうそこにはない。であるならば、最終的に資料が行き着く先――王都で手続きをした方が、時短かつ安全だろう。そんなアミスの提案があったのだ。
また、もう1つ。こちらの方がファイにとっては死活問題だったのだが、ファイがいつもお世話になっていた魔道具量販店が無事に破壊されてしまっていたのだ。
この時のファイの絶望と言ったら、無いだろう。少なくとも膝から崩れ落ち、1分近くお店の前から動けなかったほどだった。
と、そんなファイを救ってくれたのは、四肢をつくファイの隣でぽかんとした顔をしていたティオだ。
「え、お姉ちゃん、バカなの?」とは口には出さなかったものの、明らかにかわいそうなものを見る目でファイを見つめていた彼女。だが、数秒と経たずに「でも、そこが良い♡」と目の色を変えると、ファイに言った。
『お姉ちゃん。別のお店に買いに行こうよ!』
至極単純かつまっとうな解決策を、ファイに提示したティオ。彼女の提案に乗っかる形でアミスが先の手続きに関する話をしたのが、2日前。
こうしてファイは、生まれて初めて。ウルンの最高水準の文明を誇るアグネスト王国の王都『ファークスト』を観光することになったのだった。
ファイ達が乗っているのは5人乗りの普通乗用車だ。1型規格の緑色結晶――時価1万G~1.5万G――を使えばおよそ500㎞を走破できる。座席の配列も、運転席の隣に助手席。後部座席に3人が座るというごく一般的なものだ。
アミスがフィリスに別荘を買う際、移動用として買ったものだと、ファイは聞かされていた。
「アミス、アミス。あの空を飛んでるの、なに?」
信号待ちの間、車が停まったことを受けてファイは隣に座るアミスに聞いてみる。と、アミスが「どれどれ?」とファイと同じ窓を見上げる。
2人が見つめる先に居たのは、体長5mほどの巨大な鳥だ。翼を広げた大きさは優に10mを超えており、飛竜に迫る大きさをしている。
「あー、あれ。見た通り大鷲ね」
「おおわし……。たくさんいる」
「そうね。大鷲は賢くて、よく人の言うことを聞いてくれるのよ。だからああやって、空路で荷物や手紙を届けてくれているの。だから『郵便鳥』って呼ばれることも多いわ」
鷲の背中には調教師が乗っていて、目的の場所まで誘導するのだという。時には人を運ぶこともあるらしく、1人2人なら背中に乗せて。それ以上なら専用の馬車につないで、人を空輸するそうだ。
「つまり、広義で言うと大鷲も馬車を引く輓獣ということになるわね」
「おー……」
先日、馬車について1人で復習していたファイ。今回、空飛ぶ馬車の存在も加わったのだった。
そんな感じでファイとアミスが引っ付きながらウルンの勉強をしていると、前方――助手席に座るティオが、なぜか焦ったように声を上げる。
「お、お姉ちゃん、アレ見て、アレ!」
「うん、どれ?」
ティオの声で前方に身を乗り出すファイ。妹が指さす方を見てみると、奇妙な形をした車がある。伸縮しそうな長い棒を背中に乗せた、黄色い車だ。どう見ても人が乗るようには思えない。
「ティオ。あれは、なに?」
ファイは素直にティオに聞いてみる。というのも、町役場でティオに改めて自分自身について話してからだろうか。ファイの中にあった、「ティオに格好をつけたい」という想いがかなり希薄になっていた。
そもそも自身の見栄にさえ気づいていなかったファイだ。ティオの前で“いつも通り”でいられるようになったという変化にすらも、気づかない。それでも、
「あれはねー、高所作業車! あの長~い首を伸ばして、高いところの窓ふきとか、補修作業とかするの!」
「そうなんだ? じゃあ、アレは? あの、黄色い車」
「えっ、あれはただの車。見ればわかるじゃん」
「(シュン……)そ、そっか……」
「あ~、違う!違うよね、うん、可愛い車! 見て、ほらあの、丸っこい感じとか、ちょー可愛くない?」
「……そう、かも?」
などとやり取りをする2人は一層、姉妹らしくあるのかもしれなかった。
「ファイ様。その……車が動きますのでご着席を」
「あ、うん。ごめんなさい」
運転をしているケイハに言われて、ファイは自身の座席に戻る。それでも目は相変わらず街並みや人を追っていて、少しでも多くのお土産話をニナに持って帰ることができるように努める。
アミスに言われるがまま王都まで来たファイだが、もちろん長居するつもりはない。用が済み次第、さっさと“不死のエナリア”に帰るつもりだ。
ウルンのことを知りたい気持ちがないと言えば嘘になる。しかし、結局のところ、今回ファイに与えられている仕事は撮影機の購入で、ウルンの調査ではない。
ゆえにファイは可能な限り迅速に仕事を果たしつつ、その“ついで”でウルンのことを知る必要があった。
また、ウルンに帰ると言えばもう1つ。ファイはティオをエナリアに連れて帰ることを決めた。というのも今回、王都に向かうにあたり、一度ファイはティオに尋ねている。
『ティオ、どうする? 私は王都に行く、けど』
するとティオは間髪おかず、泣きそうな顔で聞き返してきたのだ。
『え、お姉ちゃん。ティオを置いていくの……?』
ファイにとって守るべき対象による、庇護欲をそそる態度。この瞬間、もともと強いファイの母性が爆発したことは言うまでもない。
『そんなことない。私とティオは姉妹。ずっと一緒』
ティオを安心させたい一心でファイが言った瞬間、一瞬にして泣き顔をやめたティオは「だよね!」と笑ってくれたのだった。
いずれにしても、今やファイは姉として妹を1人で置いていくなど考えられない状態になっている。
ティオ本人が拒絶しない限り。また、何よりもニナが認めてくれるのならば、ファイはティオとエナリアで暮らそうと考えている。
もちろん、ティオを幸せにする自信など無い。が、幸せにしようと努力することはできる。生活の保障がされていた白髪教の家からティオを連れ出した身として、少なくともティオの衣食住を整えるくらいはできるだろう。
(ううん、する。しないと、ダメ)
斜め前。助手席に座るティオのフワフワ極上白髪を眺めながら、ふんすっと鼻を鳴らすファイだった。
そんな調子で王都を軽く観光したファイ達。実はケイハはファイ達に王都を観てもらおうと、あえて遠回りをしていたのだが、ファイが知るはずもない。
途中、ファイは、背の高い――それこそ岩人形よりも大きいのではないだろうか――中央庁舎に寄って改めて宣誓と住民登録を済ませる。
各種手続きを済ませるころには空も暗くなっており、町にはエナ灯の光が灯りはじめていた。
王都にある魔道具量販店を目指して、再び動き始める車。夜になってさらに華やかさを増す王都の夜景に、ファイは飽きることなく瞳を輝かせる。
ふと夜空を見上げれば、そこにあるはずの星が1つも見えない。だが、地上に目を向ければ、街には数えきれないほどの色とりどりの光がある。その光が、ファイには星と同じように映った。
(……これが、星の捕まえ方?)
星を落とすには、地上を光でいっぱいにすればいいのではないか。人がたくさん集まるところに光が集まるのであれば、人を集めることが星を地上に落とす条件なのかもしれない。
まだまだファイは知らないことばかりだ。ファイにとって無知は引け目である一方、実は少しだけ嬉しいことだったりする。なにせ、何かを知るたびに自分ができることが増えて、強くなっている気がするからだ。
残念ながら、今のファイに星を落とす方法は分からない。それでも――
(いつか、ニナにお星さま、あげられる……かな?)
――文明の光が照らすまばゆい夜景を、ファイは車窓からいつまでも、いつまでも、眺め続けた。




