第226話 大きな大きな、お人形
ファイ達を含め、フィリスの町に居た人々が見上げたのは、巨大な岩だ。
背丈は優に100mを超え、4本の腕と2本の足で大地を踏みしめる、そんな巨大な岩人形だった。
吹き抜けになっている町役場の待合室からでは、岩人形の足しか見えない。それでも、自分たちがここに来た時にはなかった岩が、そこにある。不思議な光景に、ファイは何度か瞬きをする。
「……アミス。アレ、は、なに?」
自分の知識にない超巨大な存在について、ファイは聞いてみる。対するアミスはと言えば、冷や汗をかきながら岩人形の脛を見上げていた。
「そうね……。ファイちゃんって、〈ゴギア〉の系統の魔法を使えたわよね?」
「え? あ、うん。〈ゴギア〉〈ゴゴギア〉〈ゴゴルギア〉……。岩を使う魔法は、これくらい」
「そ、そう……。やっぱり〈ゴゴルギア〉も使えるのね。なら話は早いわ」
アミスによれば、今ファイの目の前にある岩――巨大岩人形は、魔法によって作り出されたものらしい。魔法の使用者の意思に従って動かすことのできる、岩でできた魔法人形。かなり前、ファイがニナとの戦いで4体生み出した人形と、同じものなのだという。
だが、ファイはすぐに首を傾げた。
「うん? でも、アミス。私でもあんなに大きい人形、作れない……よ?」
魔法を使えば基本的に最大出力となる白髪のファイ。いや、白髪が使う魔法こそがウルンにおける最大の基準になっているというべきだろうか。
いずれにしても、ファイが〈ゴゴルギア〉を使っても100mを超える土人形・岩人形を作ることはできない。せいぜい、巨人族と同じくらい――7~8mくらいが関の山だろう。
もちろん魔法の効果には個人差があり、人によっては白髪が使う魔法よりもさらに強力な効果を示すものもある。だが、それにしたって膝くらいまでしか見えない巨大な岩人形を作ることなどできないだろうと、ファイはアミスに尋ねる。
「そうね。たとえ白髪の人でも、普通はこんなに大きい魔法人形を作るなんてできないわ。ただ、詠唱なんかをはじめとして、魔法はいろんな方法で使うことができるわ」
それは、ファイもフーカから聞いている。
「言葉を言うだけじゃなくて、文字をかいたり、絵をかいたり、歌ったり……。踊って使う魔法もある。合ってる?」
確認したファイに、岩人形の動きを注視しながらではあるものの「ふふっ、その通りよ」とアミスが笑う。
「で、場合によっては一個人が使う魔法をはるかに凌駕する規模・威力になる魔法もあるの。中でも儀式魔法と呼ばれる魔法は、ね」
つまるところ、アミスはこの岩人形がその儀式魔法で作り出されたと言いたいのだろう。ファイはきちんとアミスの言葉の意図を汲む。
そのうえで気になるのは、儀式魔法と口にするアミスの顔が、ひどく険しいことだろうか。
黒狼や白髪教について語るとき、しかり。ニナを誘拐犯だと勘違いしていたとき、しかり。彼女がこういった表情をするときは大抵、快く思っていない事柄について話す時であることを、ファイは学習している。
「……アミス。もしかして儀式魔法は、良くない?」
尋ねながら、現状に対する警戒心を高めたファイ。万一何かがあっても対応できるように、そばに居たティオを抱き寄せる。
ここで一度、アミスは岩人形から視線を切ってファイの方を向く。恐らく、何もしなければ岩人形が動かないと判断したのだろう。
「そうね。『儀式魔法は』なんて乱暴にひとくくりにするのも良くないけれど。この魔法を使うためにはほとんどの場合、生贄が必要なのよ」
「いけ、にえ?」
「ええ、そう。生きた人間の魔素供給器官から根こそぎ魔素を奪いつくして、魔法を使うのに必要な魔素を補うの。ましてこの大きさの魔法人形を作り出すとなると……」
いったい何人が犠牲になったのかしら。奥歯をかみしめながら、悔しそうにアミスは言う。
ウルン人が生きていくためには、心臓とは別に、魔素供給器官が欠かせない。もしも魔素供給器官が亡くなれば、人は魔素の恩恵を受けられなくなって空気の重さ――大気圧――によってつぶれてしまうのだ、と。フーカから聞かされているファイ。
今しがた、アミスは儀式魔法を使うと人の身体から魔素が全て奪われてしまうのだと言っていた。それはつまり、死と同義だった。
(魔法を使うために死ぬ人、殺されちゃう人。それが、生贄……)
常人よりはるかに大きな魔素供給器官をもつファイでさえようやく8m程度の人形なのだ。100mを超えているだろうこの人形を作るためには――
(えっと10、11、12……13だと“余る”から、12人?)
――指を折りながらどうにか計算したファイ。
白髪が12人分の魔素を得るために犠牲になった人々の数など、もはやファイでは想像すらつかない人数だろう。
となるとファイが気になるのは、なぜそうまでしてこの巨大な人形を作りだしたのか、だ。
まだまだ世間知らずではあるがファイも愚かではない。これまでの経験から、誰が、何の目的で、この巨大な岩人形を作りだしたのか。全く想像できないかというと、そうではない。
そして、ファイの秘かな推測を肯定するかのように、岩人形の足先には真っ白な法衣を着た人物が居る。
町役場の出入り口にあたる透明な自動扉を2枚挟んだ“彼”との距離は、30mほどだろうか。
遠目だが、痩せこけた頬や顔色の悪さ。何より背中にある大きな翼。それらの特徴から、先ほどファイに生首を見せた、白髪教の男性信者であることは疑いようもない。
また、彼が居る位置や時機から考えても、この岩人形を作りだしたのが彼、あるいは白髪教であることもまた、間違いないだろう。
彼が居たからこそ、アミスは岩人形への警戒を高めたに違いなかった。
と、ファイが男性信者を認識したように、彼もまたファイとティオを認識したらしい。恭しくお辞儀をして見せたかと思うと、ファイに見えるようにゆっくりと口を開く。
「……? 『し、れ、ん、を、は、じ、め、ま、す』?」
男の言葉をファイが復唱するのと、彼が右手を高らかに上げたこと。そして、男の顔面にアミスが渾身の拳を叩き込んだのが、ほぼ同時だった。
数瞬遅れて、アミスが踏み込んだ際の衝撃と共に、ケリア鉱石が割れる甲高い音をファイの耳が捉える。どうやら男の言葉と行動の意味をファイより早く察したアミスがすぐに動き、男を無力化しようと試みたようだ。
ここがエナリアの中なら、アミスは腰に差している剣を抜いていたかもしれない。そう思えるほどの殺気を、アミスは背中から放っていた。
そして、男を気絶させるというアミスの狙いはきちんと果たされたと言っていいだろう。数メルド吹き飛んだ男は鼻血を噴き上げながら地面を転がり、動かなくなる。彼は間違いなく気絶していた。
(さすが、アミス。魔法は使う人が寝たら解除される、から)
例えばファイが〈ゴゴルギア〉で生み出した人形たちも、ファイが意識を失えばただの岩の塊になってしまう。
あれほど巨大で大質量の人形が町中で動けばどうなるかなど、ファイでも容易に想像がつく。アミスのおかげで未然に防ぐことができた。ファイがほっと息をつくよりも早く、
「ね、ねぇ、お姉ちゃん! あれ……きゃっ!」
ティオの声に続いて、地面が激しく揺れ始める。
慌ててファイはティオを抱き、魔法で作り出した2枚の氷の板の上に乗る。風の魔法で浮かなかったのは、2人分の体重を支えられない可能性があったからだった。
そうして揺れを最小限に抑えながら、揺れの理由を探るファイ。と、変化にはすぐに気づくことができた。先ほどまで町役場の前に会った岩人形の足が、なくなっているのだ。
〈ゴゴルギア〉の場合、魔法が解除されても岩がなくなるわけではない。人形としての形を保てなくなった岩が、必ずその場に残る。
にもかかわらず、岩が無くなったこと。また、今しがた収まったばかりの衝撃。それらが表す事象から、ファイは町役場の天井――恐らくその向こうにあるのだろう岩人形の足の裏を厳しい顔で見つめる。
どうやら信者の男を気絶させても、岩人形は動きを止めなかったようだ。魔法の使用者が別にいるのか。それとも儀式魔法という特殊な魔法ゆえに、普通の魔法の概念は通じないのか。
いずれにしても、岩人形は大きな足を上げ、この町役場の庁舎を踏みつぶそうとしているようだった。
さすがのファイも、あの規模と質量の人形に踏みつけられればひとたまりもない。また、あれだけの質量から身を守る盾を土や氷で作り出すこともできない。
ティオを連れて急いで退避を。そう考えていたファイの耳に届いたのは、
「いてて……。何があったんだ?」
「うわーん! おかーさーん!」
「大丈夫、大丈夫よ。……地震、かしら?」
待合室で自分が呼ばれるのを待っていたのだろう混乱する人々の声だ。
ファイやアミスと違って、普通に生きてきたのだろう彼ら。こういった事態に慣れておらず、どう対処していいのか分からないと言った様子だ。
続いて聞こえてくるのは、彼らを避難誘導する職員たちの声だ。その中には、
「皆さん、落ち着くさ~! まずは外に避難しましょうね~」
ファイも聞き覚えのある、町長マルののんびりとした声も聞こえてくる。
だが、どう考えてもあらゆることが遅きに失している。建物内にいるせいで分からないが、恐らく岩人形の足はもうすでにこの建物を踏みつぶそうとしているに違いない。彼らの避難が始まるころには、全てが終わってしまっているだろう。
ファイは、腕の中にいるティオを見る。
現状、ファイにとって最も優先順位が高い人物はティオだ。この子の安全さえ確保できれば、ファイとしては必要十分だ。
(…………。……けど)
ファイは自分より弱い者を守るように作られている。ティオを助けることは絶対として、何か。どうにかして。背後にいる“弱い人々”を助けることはできないだろうか。刹那の間で考えた末に、
(……建物を壊して、みんなを風の魔法で吹き飛ばす)
ファイは瞬時に方針を固める。この方法だと体の弱い老人などは吹き飛ばされた衝撃で怪我、最悪、死んでしまうかもしれない。それでも、このまま踏み潰されれば確実に死ぬ。で、あれば、わずかでも生き残る可能性に賭けるしかない。
一か八かでファイが魔法を使おうとした、その時だった。
「分かったよ、お姉ちゃん♪ ティオに任せて!」
「えっ、ティオ? 何が――」
「お姉ちゃん、ここにいる人たちを助けたいんだよね? だからティオが言うことに、従え♪」
「――っ! う、うん」
恐らくアミスとのやり取りでファイの弱点を知ったのだろう。命令口調で言ったティオに、ファイは逆らえない。
そして、彼女の指示に従うまま周囲の土や岩を使って魔法人形を作る〈ゴゴルギア〉を使った、直後。
巨大な岩人形の足は躊躇なく庁舎を踏みつぶしたのだった。




