第225話 たった1人の、妹
ファイがティオに事実を伝えてから、少し。
控室に続く扉から気配がした気がして、ファイはそちらを見る。と、ゆっくりと開かれた扉から、
「「(そろー……)」」
アミスとケイハがそれぞれ、琥珀色とくすんだ水色。それぞれ目を片方ずつのぞかせながら、会議室の中――ファイ達の様子をうかがっていた。
「アミス?」
「(びくぅっ!?)」
ファイが声をかけると、アミスが飛び跳ねんばかりの勢いで驚く。なんとなく“らしくない”アミスの態度に首をかしげるファイ。
そのまま一度閉められてしまった扉だが、次にケイハを連れて現れたアミスは、堂々としたものだった。
「お待たせ、ファイちゃん。それからティオちゃんも!」
威風堂々とした様相はまさに、ファイのよく知るアミスだ。ただ、まだほんの少し顔が赤い。さらに、
「そ、その……。やることは終わった?」
チラチラとファイの方を見ながら言ってどんどんと顔を赤くするあたりは、ご愛敬だろう。
「やること……? あっ、うん。ちゃんと全部やった、よ?」
きちんとティオに話した。そう言ったファイの言葉に、「んなっ!?」と目を見張ったアミスだったが、コホンと息を入れて平静を装う。
「そそそ、そうなのね! それじゃあさっさと、お買い物に行きましょう! ケイハ、憲兵と連携して遠くからの見守りをお願い」
「はい、アミスティ様……ではなく、アミス様」
そうケイハが言い直したこと。また、アミスとの話しやすさから、ファイはアミスが探索者アミスに戻ったことに気づく。
口調や化粧などはもちろんだが、こうして短時間の間にアミスの2つの顔を見たから分かることもある。それは、身長だ。
今のアミスは、王女でいる時の彼女と比べて少しだけ小さい。恐らく履いていた靴の影響なのだろうが、ファイやケイハと同じくらいになっている。アミスを見る時の自身の視線から、そうした小さな変化にも気づくファイだった。
足早に部屋を出ていこうとするアミスと、そのすぐ背後に控えるケイハ。2人の背中を追おうとするファイは、隣のティオに目を向ける。
先ほど、自分が何で、誰のものであるのかをティオに明かしたファイ。また、今、自分がどこに住んでいるか。どうして自分がこの街にいるのかに至るまで、全てをティオに話した。
その間、ティオは膝を抱えて座る三角座り――ファイが言うところの“マテ”の姿勢――のまま、膝に顔をうずめた状態で聞いていた。
おかげで、ファイがティオの表情を確認することはできなかった。が、ティオが鼻をすすっていたことや、肩が震えてしまっていたことから、ティオがどんな心境だったのかは容易に予想できてしまった。
ひょっとすると“勘違い”をしているかもしれないティオに、ニナの道具であるファイは、きちんと伝えなければならなかった。
自分は確かにティオの姉にはなれるが、決してティオのものにはなれないのだ、と。
ティオが悲しむかもしれないことは、ファイも予想できていた。それでも自身の主人を、所有者を、曖昧にすることなどファイにはどうしてもできない。それこそが、ファイの道具としての矜持だからだ。
しかし、結果としてファイは、やはりティオを泣かせてしまった。守るべき存在を、傷つけてしまったのだ。
ティオを喜ばせようと彼女の姉に立候補したが、やはり中途半端な自分には荷が重かったのだろう。大切な妹を悲しませ、泣かせてしまった。
(――それでも)
ファイは、壁際で膝を抱えているティオの手を取る。瞬間、顔を跳ね上げるティオ。ファイを見つめる彼女の目元は予想通り、赤く腫れていた。
「……離してよ、嘘つき」
憎しみのこもった瞳でファイを見つめ、厳しい言葉でファイをなじるティオ。彼女の表情と言葉に一瞬気圧されるファイだが、すぐに表情を引き締めて、能面――道具としての強い自分――を取り戻す。
「行こう、ティオ」
言いながら、彼女の細い腕を引く。
「なっ!? ちょっ、話してよ! ティオをだましたくせに! 嘘つき! サイテー!」
ティオが発する1つ1つの鋭い言葉が、ファイの弱い部分――人間としての心――をえぐる。
それでもファイは、自らティオの手を放そうとは思わない。
もしもここでファイが手を離せば、ティオはまた独りになってしまうからだ。本当はすごく悲しいのだろう両親の死を直視できず、結果として、寂しさを自覚できない。そんな、見えない寂しさを抱えるティオを放り出してしまうことになる。
(そんなの、ダメ)
ティオの腕を引くファイはそのまま、会議室を出る。
「ごめん、ね。嫌だったら振り払ってくれても良い、から」
ティオの方を振り返ることなく、彼女に言う。
もしもここでティオが自分を拒絶するのであれば、ファイは彼女の意思に従う。道具として、言われたことを拒否することなどあってはならないことだからだ。もちろん前提として、「ニナに迷惑が掛からないなら」という枕詞が付くが。
(けど、私は“まだ”ティオのお姉ちゃん、だから)
いつでも、どこでも。仲睦まじく支え合うのが、ファイの知る“姉妹”だ。そしてティオがファイを姉じゃない、もう要らないと拒絶しない限り、ファイがティオの姉であることには変わりない。
ファイは相手に見放されない限り、また、主人の命令や目的の障害とならない限り。精魂が尽きるまで他人に尽くすよう、作られている。
ましてや、
「離して……。離してよ、お姉ちゃん!」
自分のことをまだお姉ちゃんと呼んでくれるこの童女を独りにすることなど、ファイには絶対できない。
ティオは決してファイの手を振り払おうとしない。力が入らないのかもしれないし、まだ状況が飲み込めずにいて手を振りほどくことまで思考が回っていないのかもしれない。
だが、あえて状況を好意的に捉えるのであれば、ティオは意識的にせよ無意識にせよ、離れたくないと思ってくれている。そうファイは考えることにする。
「私はティオのものじゃない、けど。ティオのお姉ちゃんだから」
「……っ! 噓つきのくせに……っ。ティオだけのお姉ちゃんになってくれないくせにっ!」
「あっ、それは違う」
「えっ……へぶっ!?」
急制動して待ったをかけたファイに、ティオが激突する。「イッタ~」とかすかに赤くなった鼻をさするティオにファイが慌てて謝る一幕があったのち、ファイはこちらを見上げる紫色の瞳に言う。
「今のところ、私の妹はティオだけ。私はティオだけの、お姉ちゃん」
自分自身を示しながらドヤッと言い放つファイを、「何を言ってるんだコイツ?」と言いたげな顔で見上げてくるティオ。
「えっ、あっ、うん。それはそうなんだろうけど、ティオが言いたいのはそうじゃなくて……」
「……? 違った? ティオは私のたった1人の妹。つまり私はティオだけのお姉ちゃん」
「あっ、ちょっと待って。……ティオが、ファイお姉ちゃんにとって初めてにして唯一の、妹……?」
「うん、そう。もしティオが嫌、なら、もう妹は作らない」
ファイが言った瞬間、ティオが目を大きく見開く。さらに彼女の紫色の瞳が輝いたかと思うと――
「なにそれ……。………めっちゃいいじゃん♡」
――瞳の中に「♡」を浮かばせた。
「えっ、何それ。ティオのためにファイお姉ちゃんが妹をもう作らないとか……お姉ちゃんの人生を貰うのと一緒じゃん!」
「え、違う。私の人生はニナのもので――」
「お姉ちゃんは黙ってて!」
「あっ、うん……」
強く言われればその通りにしてしまうのがファイの身体だ。つい口をつぐんでしまうファイ前で、ティオは自身の頬を押さえながらうっとり顔で語る。
「てか待って。姉妹って家族じゃん? で、お姉ちゃんってば今、ティオ以外に妹作らないって言ったよね? ってことは何? お姉ちゃんはティオ以外と家族にならないってこと? それってもはや結婚じゃない? 求婚じゃない!? はぁぁぁ~、それはもう、激やばなんだけどぉ~!」
ニナについて話すルゥと同じだ。虚空を見つめたまま、早口で話している。しかも困ったことに、ところどころファイの人生では聞いたことがないウルン語も混じっている。そのため、もしティオが何か勘違いをしていたのだとしても、ファイは訂正できないのだ。
「てぃ、ティオ? あくまでも私はニナのもの、だよ?」
ひとまず、最も重要なことは分かっていてほしい。そんな願いも込めたファイの言葉を、ティオは瞳孔が開ききった目で笑って受け止める。
「大丈夫、分かってるって、お姉ちゃん♪ お姉ちゃんは、ニナ? って人のもの。でもお姉ちゃんの妹はティオだけ。そうなんだよね? 分かってるってばー♪」
「う、うん。それなら良い、けど……」
なぜだろうか。ティオの「妹」という言葉にはなんとなく単語以外の意味が込められている気がするファイだった。
そうして無事――かどうかはファイとしては微妙なところだが――姉妹喧嘩を終えたファイ達。ファイの手を握り返してくれるようになったティオと2人、いつの間にか見えなくなっていたアミスの背を追う。
決して大きくない町役場だ。すぐに2人は町役場の出入り口でアミスの背中を見つけるのだが、アミスは2人を待っていたというわけではなかったらしい。
出入り口の向こう。町役場の前にある、車が乗り入れることもできる広場の光景を見て立ち尽くしているようだ。また、待合室にいる人々もアミスと同じ方向を見て固まっている。
果たして彼女たちは何を見ているのか。
「アミス。どうした、の……」
ファイとティオ。2人もアミスの隣に並んで、彼女が見ている光景を確認する。
と、そこにあったのは、見上げるほどに巨大な、人の形をした岩だった。




