第221話 アミスが、来た
※このお話では、「生首」に関する表現が出てきます。詳細は語らずマイルドな表現にとどめたつもりですが、苦手な方はご注意ください。
白い法衣をなびかせて、ファイとティオの周囲を取り囲む人々。その数は計5人。頭巾や背中には特徴的な青の刺繍が施されていて、彼らが聖なる白であることを分かりやすく示していた。
そのうち、ファイ達の真正面に膝をついた男がファイ達を見て、言った。
「白髪様。お迎えに上がりました」
種族は羽族の翼族だろうか。背中には羽毛におおわれた立派な白い翼が見えている。ファイを見上げる顔は頬がこけ、とても不健康そうに見えた。
「迎えに……? 私、頼んでない、よ? ……ティオ?」
「ううん、ティオでもない~。てか、こいつらにティオが何かを頼むなんて、もうないしー」
ファイも、ティオも。白髪教に迎えを頼んだ覚えはない。町役場の位置も分かった今、正真正銘、ファイは彼らに用がなかった。
ちょうど同じころ信号が“進め”を示す青色に変わったことを受け、
「それじゃあ行く、ね?」
断りを入れてから歩き出そうとしたファイ。だが、その行方を白髪教たちが遮る。
「ファイ様。先日は我らの同胞が失礼いたしました。また、ティオ様。どうやら生活にご不満があられたのですね。なので……君たち、例のものを」
男の指示を受けたほかの教徒たちが、法衣の中からあるものを取り出す。それは、人の生首だった。
「「…………。……え」」
ファイとティオ。2人が絶句したのはほぼ同時だ。が、数秒と経たずに目の前のソレが何であるのかを理解する。
「こ、これ……よくティオの面倒を見てくれてた、お姉さんたち……? なん、で……おぇぇぇ……っ」
一瞬にして顔を青ざめさせたティオが嘔吐する。
エナリアで人生のほとんどを過ごしてきたファイと違い、恐らく彼女にとって死は当たり前ではないのだろう。まして、人の生首を目の当たりにする機会などまずないだろう。
その精神的な負荷はすさまじく、ファイでさえ固まってしまったほどだ。まして日常的に血肉とかかわってこなかっただろうティオが受けた衝撃は、とてもファイが想像できるものではなかった。
「てぃ、ティオ! 大丈夫!?」
うずくまって動けないティオの背中をさすってあげるファイ。そんな白髪の姉妹に構わず、白髪教の男は続ける。
「ご覧ください、ファイ様。この2人は神聖なるファイ様の身体に傷をつけ、あまつさえ毒を流し込んだ2人です。本人たちの希望もあって、無事、処刑しました」
言って、男がファイに見せびらかしてくるのは2つの生首だ。赤い髪と、馬尻尾にした茶色い髪が印象的な女性2人。安らかな顔で目を閉じる彼女たちだが、今はもう首から下がない。
ふと思い出されるのは、ファイが気を失う直前の女性たちの話だ。
『ですが安心してください。きちんと私たちはファイ様を送り届けたのち、自害しますので』
彼女たちはさも当然のように、そんなことを言っていた。そして、きちんと、実行したらしい。また、他の首の持ち主たちは、これまでティオの面倒を見ていた人物のようだ。
「お2人があの家から逃走されたということは、生活や待遇に不満があったのでしょう! 白髪様に不快な思いをさせるなど、万死に値します。ゆえに、他の6人についても処分いたしました!」
声高に。まるで自身の成果とでも言うように語る男性。
「違う、よ? 私は別に不満はない、し。ティオだってこんなこと、望んで……ない……ぁ」
ようやくファイは、自身の罪について自覚する。
(そっか。私のせい、なんだ……)
まず、目の前にある女性信者2人の生首。ファイが「一緒についてきてほしい」と言っていた彼女たちの言うことを聞かず、無理をさせてしまった。そのせいで、彼女たちは自害してしまった。
また、周囲に転がっている男女6人分の生首についてもそうだ。自分が考えなしにティオを連れ出したせいで、彼らは全員、殺されてしまった。
いや、よく見れば生首たちはみな、安らかな顔をしている。恐らく彼らも、自ら望んで自害したのだ。理由は今しがた男たちが語ったように、ファイとティオが逃げ出したから。自分たちが“白髪様”を満足させられなかったのだと気づいてしまったから、彼らは自害したのかもしれなかった。
いずれにしても、自分の行動をきっかけとして8人は死んでしまったのだ。
(どうしよう……。私、また、間違えた……っ!)
自分のせいで、人が死んだ。つまりはファイが殺してしまった。そう自覚したとき、ファイはまた1つ、自分が汚れた気がした。
「どう、しよう……。どうすれば……?」
目の前でファイを見上げる女性信者の生首。あるいはファイ達を取り囲むように置かれた6つの生首に、何をしてあげられるだろうか。どうすれば、自身の過ちを、汚れを、洗い流せるのだろうか。
優秀なファイの頭脳はすぐに、答えを導く。――無理だ、と。
何せ相手はもう、死んでしまっている。もはやファイにできることなど、何1つ無い。無知で浅はかな自分が奪ってしまった8つの命は、どうやっても戻ってこないのだ。
「ごめん、なさ……。……?」
堪えきれない罪の意識からファイは謝罪の言葉を口にしようとしていた時だ。
常人よりははるかに鋭いファイの耳が、遠く。腹に響くような重低音を拾う。しかもその音はすさまじい速度でファイのいる方に近づいている気がする。いや、確かに近づいている。
そして、まさしく「あっ」という間にファイ達の目の前にやって来たエナ駆動式自動二輪車は、そのままファイ達を素通りして行った。
ただし、すれ違いざまに後部座席に乗っていた何者かが自動二輪から飛び降りていた。身体に張り付くような服を着ているため、その人物が女性だろうことはすぐにわかる。
彼女は地面を滑りながら慣性を殺すと、計算していたかのようにファイ達のすぐそばで止まった。
一瞬の出来事に、あっけにとられる一同。恐らく自動二輪に乗るとき専用の物だろう。頭部全体を覆う無骨な防具を被っているため、彼女の顔形は分からない。しかし、
「やっぱり、厄介ごとに巻き込まれてるわね……。ゼムおじさんの伝言もあったし、ケイハに急いでもらって良かったわ」
防具の中で反響してくぐもった声に、ファイは一瞬で彼女が誰なのかを理解した。だがファイが彼女――アミスの名前を呼ぶより早く、アミスはファイに手のひらを向けてくる。
「待って。フーカは元気なの、とか。なんでティオちゃんが居るのか、とか。いろいろ積もる話もあるけれど、とりあえず待ちなさい」
「……っ! うん、分かった」
命令口調で言われ、身体を震わせるファイ。素直な彼女の言動に頷いたアミスは、続いて、
「白髪きょ……コホン。聖なる白の信者さんですね? 大変申し訳ないのですが、2人の身柄は私が預かります」
ファイ達を取り囲んでいる白髪教徒5人へと順に目を向ける。だが、当然、目の前にいる人物が誰なのか、白髪教の人々は知らないのだろう。
「我々が従うのは白髪様のお言葉と、教義による教えのみ。失せろ、世の真理を理解できぬ、愚か者め。……それではファイ様、ティオ様。どうか我々と共に来てください」
ファイの背後に居た教徒の男性が吐き捨てるように言って、改めてファイとティオに同行を促してくる。
瞬間、すぐ側に立っていたアミスが、防具の中でほくそ笑むような息遣いが聞こえた気がしたファイ。どうやらそれは勘違いなどではなかったらしい。
「――王女に向かって愚か者、ですか……。ありがとうございます。これであなたを不敬罪で処罰できます」
どういう意味だろうか。教徒たちがアミスに訝しげな目線を送った瞬間、待ってましたというようにアミスが防具を取る。
宙に舞う、美しい白金色の紙。無礼を働いた教徒の男性を見るアミスの顔は、それはもう愉快そうだ。
ただ、ファイは一瞬、彼女がアミスであることを疑う。声や体格などは間違いなくアミスなのだが、例えば目元や口元の輪郭、所作など、雰囲気がファイの知る“探索者のアミス”とは異なる。
もしも最初に親しみのあるやり取りをしていなければ、ファイは彼女がアミスであるという確証を得られなかっただろう。それほどまでに、化粧と立ち居振る舞いだけで「王女アミスティ」を演じるアミスは、探索者としての彼女とは別人だった。
「さて。改めて申し上げます。ただいまより、ファイ・タキーシャ・アグネスト、およびティオ・ミオ・アグネスト。両名の身柄は私が預かります。異議は……ありませんね?」
有無を言わせない圧を放ちながら、白髪教の人々に笑顔を向けているアミス。
人生経験上、これはもう事態が収まる流れだ。そう内心で高をくくっていたファイ。しかし、白髪教の人々は、ファイの中にかろうじてある常識を簡単に飛び越えてくる人種だった。
「いや、どうせ俺はさっき不敬を働いたんだ……。ならば!」
先ほどアミスに暴言を吐いた教徒の男性が暴漢と化し、アミスに向けて突進した。長い法衣の袖に隠れた手の中で、きらりと光る存在があったことをファイは見逃さない。どうやら男は短剣か何かを隠し持っていたらしい。
「死ね、まがい物の白髪め!」
突貫してくる暴漢に対して、どういうわけか、アミスは対応しようとしない。気づいていないはずもないのに、どうして。そんな疑問はひとまず後にして、
「アミス!」
ファイは、アミスを守ろうと暴漢との間に割って入る。
白髪である自分の身体であれば、並みの武器の刃は通らない。それに怪我をしても、道具であるために問題ない。もはや条件反射として、彼女は自身の身体を盾として使う。
だが、暴漢の刃は、ファイにもアミスにも届くことは無い。この場にもう1人やって来た“ぴっちり服の女”によって取り押さえられてしまったからだ。
「――アミスティ様をお守りするのも、私の役目です」
自動二輪用の頭部防具を着けている女性が、暴漢の男を組み伏せている。この女性が居たからアミスはわざわざ構えなかったのだと、ファイはこの時ようやく理解した。
ただ、一息ついている暇はない。
ついアミスを庇おうとしてしまったが、ティオの側から離れてしまった。ほかの白髪教徒はどんな動きを見せるのか、もはやファイは予想がつかない。
急いでティオのもとへ。場合によっては白髪教の人々の制圧を。そんなことを考えながらファイがティオと、彼女を取り囲むようにして居た白髪教の残る4人に目を向けると――
――もうそこに白髪教徒の姿はなかった。
どうやら彼らは、どさくさに紛れて逃げたようだ。
そして1人、目まぐるしく変わった状況に取り残されたティオは、
「ちょっ、ま……まじで! まじで、わけわかんないんだけど~っ!?」
戦闘とは無縁な生活を送る、一般人らしい素直な反応を青空に向けて吐き出した。




