第199話 その“お願い”は、ずるい
高さ100m以上ある、きのこ状の岩の上。並の探索者ではまず登れないその場所に、ファイとユアの姿がある。
ファイは魔法を使って、ユアは身体能力でそれぞれ登ったきのこ岩の上は平坦な岩場になっていた。見晴らしのいいその崖の近くで、2人は休憩中だった。
つい先ほど、探索者の徒党であるカイル達から行動を共にしないかと提案されたファイ達。
現役の探索者たちの協力を得られる。ついでに、“探索者”という人々への造詣を深めることができる。そう思って飛びつきそうになったファイだが、彼女は静かに首を横に振った。
理由は、ファイの横腹に抱き着いていて震えるユアが居たからだ。
ウルン人がガルン人と行動を共にしているなど考えもしなかったのだろうカイル達。ファイが魔法を見せたことで、ユアもウルン人なのだろうと勝手に解釈してくれたのは幸いだった。
ただ、行動を共にすればユアがガルン語でしか話せないことや、ウルン人にしては、見た目のわりに異常な身体能力を持つことなどなど。細かなボロが出てしまいかねない。
何より、ユア自身が見知らぬ人との行動を嫌っている。
彼女のことを考えると、ファイがカイル達の提案を飲むわけにはいかなかった。
『ううん、大丈夫。護衛、は、要らない』
ファイがそう言うと、カイル達は食い下がることもなく素直に引き下がってくれた。
いや、ただ1人、カイルだけは最後までファイ達の身を案じてくれていたのだが、森人族の少女・ビータが半ば無理やりカイルを引っ張って行ってしまったのだった。
(ウルン人。やっぱり良い人ばっかり)
ファイが金色の瞳で見つめるのは、自身の手に握られたおにぎりだ。武器以外に何も持っていないファイ達を見て、ビータが気を利かせて食料を分けてくれたものだ。
抗菌作用のある葉に包まれたおにぎりは、保存のきくお米を炊飯したものだという。水で膨れて量もあり、人の活動に最も必要な栄養素も摂ることができる。お米や乾麺は、エナリアに滞在する探索者には必須の食料らしかった。
「~~♪ ~~~~♪」
ふと聞こえてきた鼻歌に、ファイはおにぎりを頬張りながら隣を見遣る。
そこにいたのは、崖の上で三角座りをして身体を揺らすユアだ。彼女が美味しそうにかじっているのは、先日、リーゼから貰ったという最高級の燻製干し肉だ。今回の外出にあたり、おやつとして持ってきていたらしい。
小さな口で干し肉にかぶりつく姿は愛らしい一方、そのあと鋭い犬歯で食いちぎろうとしている姿はどことなく肉食獣のような野性味がある。味については、揺れる身体や尻尾、つい漏れている鼻歌を聴けば、わざわざ聞くまでもないだろう。
思えば彼女が食事をしている姿をファイが見るのは初めてだ。普段はどうなのかわからないが、あの薄暗い研究室で1人、こうして美味しそうに、楽しそうに食べている姿を思うと何とも微笑ましい気分になる。
それに、他人が美味しそうにごはんを食べる姿を見ているとファイも自然と食が進む。
(そういえば、ニナが言ってた。みんなの笑顔も調味料になるって)
絶品なのだろう干し肉を味わうように、自分の世界に入って食事を楽しんでいるユア。彼女の姿をおかずとしながら、ファイもビータから貰ったおにぎりをありがたく頂くのだった。
「〈ゴギア〉、〈ユリュ〉」
ファイが魔法で周囲の岩から作り出した湯呑に、同じくファイが魔法で作り出した水が注がれる。
「はい、ユア」
「あ、ありがとうございます……。んく、んく……」
ユアと2人で食後の水を飲みながら一息つく。
この後は残る2つの植物の種を回収。裏に戻って第4層のミーシャと合流して、菜園作りに協力する予定だ。ユアのおかげで順調に作業も進んでいる。このままいけば、ミーシャの耕地作業も手伝うことができるかもしれない。
などと、ファイが次の仕事の算段を立てていた時だった。
「ふぁ、ファイちゃん様! 見てください!」
「わっ」
いつになく弾んだ声で、ユアが立ち上がる。突然のユアの行動に危うく湯呑を取りこぼしそうになるファイ。そんな彼女に構わず、ユアはファイの頭に抱き着いて足元の森を指さす。
「アレです、アレ!」
ユアが指さしていたのは、木々の合間。そこで動いているのは白い小動物の姿だ。
「えっと……白い森角兎……じゃなくて、キューピョン?」
「やっぱりそうですか!? ファイちゃん様、あの魔獣を捕まえてきてください! 野生の変異種です!」
変異種。それは特異な生まれや進化を経た魔獣のことを指す。通常の個体とは異なる習性や特殊能力を持つことで知られ、ユアが生み出す魔獣たちの多くがこの変異種に該当する。
通常種と比べて必ずしも強くなるわけではないが、事前の知識が役に立たなくなるという意味では、厄介さが際立つ。特にアミス達のように、魔獣に対する予備知識を多く持つ探索者たちほど、変異種の魔物を嫌う傾向にあった。
そんな中、今回、下草を食べているあの白い森角兎は、自然に生まれた変異種のようだ。
「変異種、捕まえる……。うん、分かった」
現在ニナから与えられている今回の仕事と、ユアからのお願い。両者を比べたとき、特段ユアのお願いが仕事に与える影響は少ないと判断したファイ。
ユアのキノコ状の岩の上に残し、自身はさっと100m下の地面に風の魔法を使って着地。上空から見た目的地に向けて、一息に駆ける。
通常、森角兎は地面の色と同化するよう茶色っぽい毛の色をしている。だが、今回の獲物は真っ白。間違いなく“特別な個体”だった。
当然、森の中ではよく目立つ。ファイが上空から見た居場所を参考に探すと、すぐに白い森角兎は見つかった。
体長は20㎝ほど。大きさからして未進化の個体だろうか。森角兎といえば、特徴は何といっても額から突き出す1本の鋭く尖った角だ。オスにしか備わっていない角は、太くて長いほどメスにモテる。性格は総じて臆病で、人を見ると自慢の脚力で逃げてしまうことがほとんどだった。
「……ふっ!」
小さく息を溜めたファイは、近くにあった木の幹を強く蹴る。砲弾のように空中を直線的に移動したファイが着地して地面を滑るころ、彼女の腕の中にはしっかりと標的である白い森角兎が抱えられていた。
『…………。…………。……キュキュ!?』
一瞬、自分の身に何が起きたのかを理解するような間を置いてから暴れ始める森角兎。まだ成長途中なのだろう尖った角が、ファイの首筋やあご先のスレスレを通り過ぎる。
そんな彼を落ち着けるように、ファイは片方の腕でしっかりとお腹と背中を抱え込み、もう片方の腕でお尻をしっかりと支えてあげる。
「大丈夫、だいじょうぶ」
ユアの頼みであるため、逃がすわけにはいかない。それでも、自分にはあなたを害する意図はないと、ファイは可能な限り伝える努力をする。
と、ファイの意図が伝わったのか。それとも、暴れ疲れたか、抵抗しても無意味であることを悟ったかしたらしい森角兎。1分とかからずに暴れるのを止めてくれたのだった。
「……ん。良い子、いいこ」
腕にすっぽりと収まってくれるようになった森角兎をなでながら、束の間の“幸せ”を堪能するファイ。だが、彼女が優しい表情を見せていたのは数秒だ。
腕に伝わってくる、命の温もり。柔らかさ。息遣い。それら、弱くて、頼りない存在を抱き潰してしまわないよう気を付けながら、ファイは足早にユアの元へと帰還する。
「はい、ユア。捕まえてきた」
「ありがとうございます、ファイちゃん様! ちょっと失礼しますね!」
ファイから森角兎を預かったユア。彼女はさっそく森角兎を抱え上げ、自身と目を合わせる姿勢を取る。白い森角兎の心を読んでいるものと思われた。
「ふむ、ふむ……。なるほど、なるほど……お~……!」
一瞬だけ驚きの声を漏らしたユアだが、すぐに尻尾が左右に揺れ始める。
「ふぁ、ファイちゃん様……。す、少しだけここで実験しても良いですか……?」
「実験? 何をする、の?」
「えっと、ですね……」
ユアによれば、この森角兎は大樹の実という果実を求めているらしい。その果物がどこにあるのかといえば、この階層の中央にそびえたつ、高さ1,000m越えの木の上なのだそうだ。
その果実を食べることで、ただでさえ特異な存在であるこの森角兎が進化を迎えるのだとユアは語る。
「さすがの可愛いくてツヨツヨのユアでも、体力的にあの樹は登れません。ですが……」
ファイちゃん様ならできますよね? と、ユアが視線で聞いてくる。
「多分、登れる。けど、今は仕事中で――」
「ファイちゃん様~……」
潤んだ瞳でファイを見上げてくるユア。しかも困ったことに、ユアに抱かれる森角兎も、黒い瞳で「取ってきてくれないの?」と言うようにファイのことを見上げてくる。
揺れるファイの心。しかし、
(わ、私はニナの道具。ニナに言われたことを優先しないと!)
例によって道具としての視点から、ユアのお願いをファイが突っぱねようとした時だった。
ユアの髪が風でさらりと揺れて、小さな額が露出する。そこにあるのは、小さな小さな打ち身の痕だ。それはつい先ほど、ファイが動物喰らいの種である小動物の骨を取りこぼして、ユアに負わせてしまった傷でもある。
本来は守るべき対象であるユアを、傷つけてしまった。そんな負い目が、ファイの心の奥底で判断を鈍らせる。そのうえ、とどめと言うように、
「ダメ、ですか……?」
上目遣いに「くぅん……」とユアに気弱に鳴かれては、もはやファイにユアのお願いを断ることなど、できなくなってしまっていた。




