第197話 ごめんね、ユア!
ユアのおかげで、予定していた4種類の野菜の収穫を順調に終えたファイ。次は植物の種を手に入れる工程に移るのだが、ここからが大変だった。
なにせ、エナリアの植物は動くからだ。
例えば、ファイがいま種を採取しようとしているのは『動物喰らい』と呼ばれる肉食植物だ。
大きさは50㎝ほど。中央にあるつぼみのような部分に消化液がたまっていて、通りかかった動物を蔦で捕獲。溶かして養分にする習性を持っている。
そんな植物なのだが、根っこには滋養強壮の効果があり、栄養も満点。葉っぱも傷薬になるなど、かなり実用性の高い植物なのだ。
しかも、作物の天敵ともなる動物たちを捕らえてくれるとあって、畑の守り手として重宝されているのだとユアは言っていた。
植物であるため知能はなく、あくまでも動くものをなんでも捕らえているだけだという。探索者が捕まってしまうことも珍しくはないが、探索者は必ず集団行動をしている。1人が捕まろうと他の人々が対処するため、人的被害も稀。
自然の罠として、ニナがよく使う植物のようだった。
「ふっ、ふぅっ!」
自身めがけて伸びてきた動物喰らいの蔦を、ファイは手にした剣で切り落とす。そのまま追撃をと踏み込もうとして、大きく後退する。
直後、ファイが踏み込もうとしていた地面が盛り上がり、根っこが鞭のように飛び出してきた。もしもあの場所にいれば、捕らえられて身動きを封じられていたかもしれなかった。
(近づくのは、危ない。だったら……)
ファイが剣を横なぎにすると、不可視の斬撃が動物喰らいを襲う。対する動物喰らいは根っこで作った壁を何重にもしてファイの斬撃を防ぐ。
しかし、ファイは攻撃の手を緩めない。何度も、何度も。剣を振っては斬撃を飛ばす。もちろん動物喰らいも同様に根っこの壁で防ぐのだが、どうしたって根っこの長さにも限界がある。
片や腕を振るだけのファイと、片や有限の根っこで防ぎ続ける動物喰らい。戦闘の結果は、10秒もすればついてしまった。
「(ふんすっ)」
剣を鞘に納めるファイが見やる先には、つぼみの部分を両断された動物喰らいの姿がある。切断面からはとろりと粘性を帯びた消化液が漏れ出しており、ゆっくりとだが地面に生えていた草や自分自身を溶かし始めていた。
「ユア。倒した」
ファイが上空を見上げると、つまらなそうにこちらを見つめるユアの姿がある。「あ、う……。了解です」と言った彼女は枝の上から飛び降り、軽やかに着地した。
「これくらいならユアでも倒せる。違う?」
「それは、そうかもですけど……。念のためです」
ユアも第2進化を経たそこそこの魔物だ。一応、身体能力だけで言えば黄色等級の下位くらいはあるだろう。対して動物喰らいは緑色等級の魔物だ。真正面からやり合ったとしても、ユアはそれなりに余裕をもって倒せるはずだった。
「知性のない植物は心が読めなくて、ユアは戦いづらいので……」
言いながら、濃緑色の外套の裾を揺らすユアが動物喰らいのもとへと歩いていく。無警戒に歩いているように見えるが耳はしきりに動いており、周囲の変化を聞き逃さない姿勢を見せている。
そんな彼女の後を、ファイも急いで追う。これから動物喰らいの種の採取をするのだ。
「もう動く感じはありません、ね……。それじゃあ……」
ユアが腰に差していた短剣を握り、動物喰らいを解体していく。
彼女が使っている短剣は、ミーシャが持っていたものと全く同じだ。黒い刀身に飾り気のない柄がついているだけの、簡素な武器。しかし、切れ味と丈夫さはきちんと実用に耐えうるものになっている。
もしもエナリアの出土品としてみた場合は黄色以上の評価になるだろうというのがファイの予想だ。その細かな値までファイは知らないが、麦餅1つ100Gのアグネスト王国において、100万G近い値が付く代物だった。
他方、ファイが腰に差しているのは、長さ1mほどの取り回しやすさを重視した剣だ。柄に刻まれている独特の模様は、それがロゥナの作った武器であることを示している。
美しく輝く水色と白色の刀身はソライロ金と呼ばれる金属の特徴だ。ファイが初めて工房を訪れた際にロゥナたちが錬成していたその金属の試作品を、ファイが譲り受けた形だった。
「図鑑通りなら、確か、このあたりに……」
黒い短剣を使って手際よく動物喰らいを解体しているユア。溶解液に触れないようにしているのは、単に汚れることを嫌ってのことだろう。
「あっ。ありました……!」
やがてユアが声を弾ませたその場所は、溶解液がたまっていたつぼみの底の部分だ。その場所には動物喰らいが溶かして食べた動物たちの骨が残っている。その骨は白ではなく、奇妙な緑色をしていた。
「こ、この緑色の骨が、トロムの種……です」
「え、そう、なの?」
最近は果物もよく口にするようになったファイ。その際、種とその役割についてもきちんと教えてもらった。そうして得た知識と動物喰らいの生態の違いに、しばし目を瞬かせる。そんなファイの反応に、ユアがふさふさの尻尾を左右に振り始める。
「トロムはオスの個体が動物を捕まえて、身体に種を植え付けて逃がすんです。その種にはメスの個体が放つ匂いに引き寄せられるように宿主の動物の行動を制御する物質が含まれていて――」
饒舌に、魔物の生態について語るユア。今や黒毛の尻尾はぶんぶんと左右に振られており、“楽しい”を分かりやすく示している。
「――メスが宿主になった動物を捕食。その時に種も一緒に溶けてしまうんですけど、種の成分と溶解液に含まれるメス個体の遺伝子が溶け合って、骨に沈着するんです。あとは適度な水のある環境で空気にしばらくさらせば、沈着した栄養分と骨の栄養分とで発芽して、成長するんですよ?」
一思いに、自身の知識を早口でファイに披露してくれたユア。
語られた内容はまだ少しファイには難しい。それでも、植物が繁殖するために必要と聞いている受粉という作業を、動物喰らいは独自の方法で果たしていること。そして、この緑色の骨が種だということは分かった。
「教えてくれてありがとう、ユア。……それで、種は取らない、の?」
あとはもう、ドロドロの溶解液の底に沈んでいる骨を取るだけのはず。だというのに、ユアはなぜか骨を取ろうとしない。
「し、仕方がないのでファイちゃん様に取らせてあげます……。ユアの手柄ですが、譲ってあげます……」
「ううん、大丈夫。ユアが見つけた、から。ユアが取って良い、よ?」
別にファイに他意はない。純粋に、ユアの手柄だからユアに種を取るのを任せたに過ぎない。ただ、なぜかユアは、ファイを恨めし気に睨みつけてくる。
「と、ととと、取ってくださいって言ってるんです……っ! こんな臭くてネチョネチョの液体に、きれいで可愛いユアは触るべきじゃないと思わないんですか……っ!?」
ユアがきちんと言葉にしてくれたことで、ファイもようやく彼女が溶解液に触りたくないだけなのだと理解する。
ミーシャが反対言葉の使い手なのだとしたら、ユアは迂遠な言い回しの使い手だ。そして、ファイには彼女たちの言葉の裏を読むだけの人生の経験値がまだまだ不足している。
「あ……。ごめん、ね? 分かった、私が取る――」
「はっ!? ゆ、ユア分かりました! ファイちゃん様はユアをネチョネチョにしたいんです! ネチョネチョにして、服がドロドロになって、恥ずかしがるユアが見たいんです~……!」
「!?!?!?」
耳を押さえながらその場にしゃがみ込んでしまったユアに、ファイはぎょっとするしかない。
頭の回転が速いせいなのかは分からないが、ユアは想像力が豊かだ。暴竜の時もそうだったように、ファイが想像もつかないことを瞬時に考えついてしまう。
ファイにはユアをモフモフする気はあっても、彼女がいま言ったことをするつもりはないし、する理由がない。
「ゆ、ユア? 違う……よ? 私はユアに意地悪しない、から。種も……ほら、取ったから……あっ」
ユアに安心してもらおうと、躊躇なく溶解液に手を突っ込んで骨を取り出したファイ。だが、ぬるぬると滑る種がファイの手からこぼれてユアの方に飛んで行ってしまう。
そして、妄想の世界でファイにアレコレされていたらしいユアが顔を上げた時には、すべてが遅かった。
「えっ……きゃいんっ!?」
こつんと。ささやかな音を立てて骨とユアの額が激突する。突然のことに驚いたのだろう。「くぅん……」と悲鳴を上げて目を回しているユア。冷静に考えればこの程度でユアが怪我をすることなど無いことは分かるのだが、今のファイは控えめに言って大混乱していた。
「ご、ごごご、ごめん、ユア!」
「くぅん……、大丈夫です~」
「ごめん、ね……。ごめん、なさい……」
自分のせいで“弱いもの”が傷ついてしまった。しかも今回は正真正銘、ファイの行為がユアの額に小さな打ち身を作ってしまったのだ。その事実だけで、ファイの全身は氷の魔法〈ファウメジア〉を使った時のように冷たくなる。
もはやユアの側にしゃがみ込んでうつむくことしかできない。そんなファイの手を、小さな手が取った。見れば、ユアがファイの顔を心配そうにのぞき込んでいる。
「ふぁ、ファイちゃん様。ユアなら大丈夫です、から……。可愛いくて、心も広いのがユア、なので……。今度またウルンの燻製肉を買ってきてくれるなら、許してあげなくもないです……」
相変わらずの上から目線かつ二重否定という遠回しな言い方だが、ファイの明晰な頭脳はすぐにユアが許そうとしてくれていることに気づく。
「ユア……!」
「か、寛大なユアに感謝してください……ね?」
もしもルゥが居たならば「対価を要求しといて何が“寛大”?」とツッコミを入れただろうが、ここにいるのはファイとユアだけだ。
「分かった、絶対に買ってくる! ありがとう、ユア!」
ファイはユアの言葉を真正面から受け止め、素直に頷く。
この時にファイがユアに負い目を感じたことが、この後すぐ、特大の面倒ごとを生むことになる――。




