第195話 私が守る、から
“不死のエナリア”第7層。そこは、大樹林の階層と呼ばれる場所だ。
(天井、高い……)
ファイがぽけーっと見上げる天井は、驚くほど遠い。それもそのはずで、この大樹林の階層の中央部分は3階層分がぶち抜きの構造になっている。そのため、第7層の地面から天井まで、およそ4,000mもの高さがあった。
そんな大樹林の階層は、ファイにとって非常に好奇心くすぐる構造をしている。
まず、中央の開けた空間は広大な森になっている。広さは直径100㎞とも言われており、高さ30mを優に超える巨大な木々が樹海を形成していた。
そうして半球状の空間に広がる森の壁沿いに通路があり、上層からやってきた探索者たちは樹海を見下ろしながら底の部分にあたる第7層を目指すことになる。
だが、上層から見下ろす景色は、ただの森に収まらない。と言うのも、森の各所からはキノコのような形をした岩がいくつも突き出ているのだ。高さは低いもので50mほど、高ければ500mを超えるものもある。
頂上のかさのように広がった部分には湖があったり、はたまたそこにも森が広がっていたり。1つ1つが箱庭のようになっていて、複雑な動植物群系を生み出していた。
(けど、やっぱり……)
木の枝に腰掛けるファイが見上げる先には、天を衝くほどに巨大な樹がある。階層中央にそびえたつ高さ1,000mを超える巨大な大樹こそ、この大樹林を象徴する構造物だろう。
そして、その大樹を取り囲むようにしていくつも流れ落ちるのは雄大な滝だ。
天井に空いた穴からまっすぐに流れ落ちる滝と大樹が生み出す景色は、まさに圧巻の一言だろう。
途中で霧になった滝の水は、時に雲となり大樹を囲う雲となり、ある時は宙に美しい虹を描く。また、細かな水滴は森全体に降り注ぎ、植物たちが元気に育つ栄養を振りまく。
このエナリア最大の夜光石がフォルンのごとく照らし出す、雄大と不思議が混在する自然の景色。それが、大樹林の階層と呼ばれる場所だった。
そんな大樹林の階層にファイが来た理由は、もちろん、ニナから仕事を貰ったからだ。
今回、ニナは菜園の再整備と拡張を考えているらしい。そのきっかけとなったのは、やはりマィニィによる監査だ。
『どうやらわたくし達の食事には栄養に偏りがあるそうなのですわ』
と、ニナが言っていたように、ファイがこのエナリアで口にするものは大体「肉」か「甘いもの」だ。ミーシャが栄養を考えて作ってくれたものを食べたり、先日の毛深蟹のように海鮮を食べたりすることもごくまれにある。
だが、大抵は肉、それも入手が簡単な牛肉に偏ってしまっていたのだそうだ。
『ガルン人の中には、お野菜しか食べられないという方もいらっしゃいます。また、今後、従業員の方が増えたり、住民の方が増えたりする中で、食糧事情は絶対に問題になってきますわ!』
ということで、ニナは第4層にあるという菜園区画の拡張・再整備を行なうことにしたらしい。
今は手入れが行き届かずに荒れ果てているらしい菜園をミーシャが耕す一方で、ファイは植物の種の採集と野菜の調達に出向いていたのだった。
問題はファイに植物の知識が全くと言っていいほどないことだろう。「~を採ってこい」と言われても、ファイは首を横に傾けることしかできない。そのため、ファイには頼れる助っ人が付けられて――。
「鬱です……」
――開口一番、ファイの助っ人ことユアがつぶやく。
今日のユアは動きやすい短い丈の上下に、全身をすっぽり覆う濃緑の外套をまとっている。頭巾の部分からぴょこんと出た、髪色と同じ桃色の毛色の両耳。腰の部分にのぞく黒毛の尻尾が何とも可愛らしい。
一方のファイも同じような格好をしているが、彼女の場合は頭巾を被っていなかった。
そもそも、ファイがこうして木の上で油を売っているのは、この階層に到着し次第、ユアが「疲れました」と駄々をこねたからに他ならない。彼女の知識がなければファイとしてもどうしようもないため、探索者を避ける意味も込めて高みの見物と相成っていた。
「ユア。うつ、は、なに?」
「い、今のユアの気持ちです……。思わず耳と尻尾が垂れてしまう。そんな気分のことを言います……はぁ……」
「そうなんだ?」
枝の上。唇を尖らせて足をブラブラさせているユアを横目に見るファイ。
ニナがなぜ菜園を作り直すのかと言えば、従業員の栄養を考えてのことだ。つまりは健康だ。そんな中、このエナリアで最も不健康な生活を送っているのがユアだ。
日がな一日――とはいってもガルンにその概念はない――部屋に引きこもり、魔獣の研究。広い実験場を移動するときは牙豹にまたがり、それ以外の時間はぐぅたら眠る。食事も基本的に自分の部屋で済ませてしまうため、本当に出歩かない。
見かねたニナがユアの健康状態を鑑み、こうして出動命令を下したのだった。
「おかしいです、契約違反です。ユアがここで働くときに、ユアの気持ちを最大限尊重するってニナ様は言ったんです。なのにユアが可愛いからって、こうやって出歩かせて……。魅了されたオスに襲われたらどうするつもりなんですか、ぶぅぶぅ」
先ほどからこの調子で、ぶつくさと愚痴を言っている。外出をしなければならないことが、相当に不服なようだ。が、不意にユアが大きな三角形の耳を立てて顔を上げる。次の瞬間には隣にいるファイの腕を取り、プルプルと震え始めた。
「て、敵が来ます……っ」
左右異なる特徴的な瞳はぎゅっと閉じられ、もふもふの毛におおわれた耳と尻尾もしおれている。ただ一点、ファイの腕を握る手にだけは、すさまじい力が込められていた。
(敵……?)
ユアに言われて、ファイも周囲を見回してみる。しかし、誰もいない。ここは攻略路から離れた場所だ。探索者が来るとも思えない――などと思っていたら。
(――ほんとに来た……)
ユアが言ってから数分後、ファイ達のすぐ下を4人組の探索者たちが通り過ぎていく。恐らく距離にして数百メルドは離れていただろう彼らが発する音を、森という雑音の中で聞き分ける。獣人族の五感の鋭さを、ファイは改めて思い知る。
「……ん、大丈夫。行った、よ?」
「ほ、本当ですか……? もうユアをいじめる人はいませんか……?」
耳を立てて周囲の音を拾いながら、ファイのことを涙目で見上げてくるユア。彼女もミーシャと同じで、自分以外の存在を“敵”と思っている節がある。きっとそれは、優秀なはずのユアがこのエナリアにいる理由にもかかわっているに違いない。
(たしか、お家の人がユアに嫉妬した、んだっけ……?)
前に少しだけ聞かせてもらったユアの過去。特異な進化を促すユアの才能を扱いかねて、彼女はこのエナリアに厄介払いされるような形で来たとファイは記憶している。
それでも、実家で敬遠されたユアの才能と知識は、ニナのエナリアを支える大切な柱となっている。今も豊富な知識を生かして、こうしてファイに力を貸そうとしてくれている。
たとえ日頃どんなことを言われようと、どんな態度をしていようとも、ファイはユアのことを尊敬しているし、大好きだった。
「安心、して? ユアは私が守る、から」
「あ、ぅ……くぅん……」
ユアが怯えないように。彼女が見える位置からゆっくりと手を伸ばして、頭をなでてあげるファイ。すると、ファイの腕を握りしめていたユアの手から力が抜けていく。
「それに人の姿だと、ウルンの獣人族とあんまり違いはない、はず。探索者同士は攻撃しちゃダメ、だから」
ウルン人とガルン人。双方に獣人族はいるが、人の姿の時の違いは実はあまりない。ウルン人には草食動物のような耳や尻尾を持つ者がいるくらいだろうか。肉食動物に近い耳と尻尾を持つ者も珍しくなく、つまりユアは普通にしていればウルン人の獣人族と言い張ることができる。
「けど、ウルン人は獣化ができない、から。犬の姿になる、は、良くない。覚えておいて?」
「は、はい……」
裏では今もミーシャが菜園作りに励んでいるはずだ。自分たちものんびりしてばかりもいられないと、ファイは枝の上で立ち上がる。
「ユア。これがニナの伝言。ここにある植物と野菜が欲しいんだって」
「うぅ……、動きたくない、働きたくないです……」
口ではそう言いつつも、きちんとファイから手紙を受け取ってくれるユア。
彼女がこうして苦手な外出をした理由に、実はミーシャとの底辺決定戦があるのではないかとファイは思っている。
先日、撮影機のアレコレでユアのところを訪ねたファイ。その際、ミーシャとユアの口論が私闘にまで発展した。結果は、引き分け。
そう。第2進化のユアが、未進化のミーシャに引き分けてしまったのだ。
恐らくユアは、その結果をふがいなく感じたのではないだろうか。もっと言えば、未進化のミーシャに「もう少しで勝てる」と思われていることに危機感を抱いているのではないか。
(だってガルン人は、“舐められる”が嫌い、だから……)
ミーシャとユア。両者の進化数の差を埋めたのが日ごろの運動量だろうことは、ファイでも分かることだ。ましてファイよりも知識があって賢いユアが、戦いの結果を分析できないわけがない。
ゆえにユアは運動するよう心掛けているのではないか。
ユアの今回の外出について、ファイはそう分析していた。
「……分かり、ました」
伝言所を手に、神妙な顔で頷いたユア。
「採取が難しい植物は後にして、まずは野菜のほうからでもいい……ですか?」
庇護欲をそそる気弱そうな瞳の奥に、理知的な色を映しているユア。こういう時の彼女は特に頼りになることを、ファイは知っている。
「分かった。それじゃあ、行こう」
ユアを背中に負ぶって、ファイは広い樹海を移動し始めた。




