第193話 新年早々、ヤな名前……
新年が明けた帝歴424年。白赤のナルン、橙色の1のフォルン(1月6日)。新世祭も終わり、人々が多くの人が仕事始めを迎えるその日。
アミスもまた、アグネスト王国の第3王女アミスティとしての仕事始めを迎えていて、
「最悪ですね……」
早々に、手に持った資料を投げ捨てそうになって、やめる。この場にいる側仕えはフーカではなく、ケイハと呼ばれる新たな侍女だからだ。
ケイハ・ファブルア・アグネスト。身長はアミスより少し低く160㎝より少し低いくらい。ちょうどファイと同じくらいかもしれない。
波打つ癖のある長い髪は灰色にも似た水色。瞳も似たような色合いをしており、全体的に静けさを帯びた雰囲気の女性だった。
フーカがよく目をかけていた侍女で、性格はまじめそのもの。少し口下手ではあるものの、資料整理やお茶を淹れる技術などはきちんと一級品だ。
フーカを義姉だとするなら、ケイハは義妹になるのだろうか。そんなことを考えることで、アミスは新年早々に悪くなった気分を和らげる。小さく息を吐いた彼女が手に取った資料には、『聖なる白』の文字が躍っていた。
(新年早々、また白髪教? まったく、ほんとヤな奴らね……)
見て見ぬふりもできないため、頭を抱えながら資料に目を通していくアミス。
彼女がここまで聖なる白を嫌うのには、もちろん理由がある。
まずは教義のためなら自分・他人問わず命を軽んじるところが嫌いだ。先日のフィリスの町の件が最たる例だろう。
この国で9人目の“白髪様”であるファイの力を世間に知らしめるために、彼らは人喰い鰐を町中に放つという暴挙に出た。
白髪教の人々が「試練」と呼ぶもので、ある種の儀式と言える。
幸いにも偶然が重なって、死者は白髪教信者の女性1人で済んだ。が、過去には100を超える犠牲者を出すような事例もあったし、彼らが崇めているはずの白髪が死んでしまうということもあった。
(コイツらに言わせれば「偽の白髪だった」ということになるらしいのだけど)
いずれにしても、試練などというはた迷惑な事件を起こすのが白髪教なのだ。彼らが動きを見せるたび、アミスの仕事は乗数的に増えていく。
また、彼らはよく“ご神体”を欲する。言い方こそ神聖な風を装っているが、言ってしまえば若い親だ。彼らは男女問わず若い白髪を誘拐し、無理やり子を作らせる。白髪の精子・卵子には特別な力が宿っていると、彼らは本気で信じているのだ。
そのため、王国では使用が禁じられている特殊な薬を使って白髪を強制的に弱体化させ、監禁。子を成すための道具に変えてしまうのだ。
10年ほど前だっただろうか。当時10歳前半だったアミスもまた、髪色のせいで白髪教に誘拐されかけたことがある。
アミスも王女だ。誘拐は覚悟していたし、それまでも何度か誘拐未遂事件を経験している。恐怖に慣れることは無いが恐怖との向き合い方は知っており、誘拐犯への対処もそう難しいことではなかった。
問題は、誘拐に際してフーカが怪我をしたことだ。
偶然ではない。白髪教にとって、白とは真逆の黒色を忌み色として避ける傾向がある。
そのため、黒髪が、完ぺきではないにしても白に近い髪色を持つアミスの側にいるのが彼らは許せなかったのだろう。アミスを保護するとともに、側にいたフーカを焼き殺そうとしたのだ。
結果的にはアミス自身が白髪教を排除して誘拐もフーカの殺害も未遂に終わらせた。しかしフーカの顔や体には、どうしても消えない火傷の跡が残ってしまったのだった。
(私の可愛いフーカの魅力は火傷痕なんかじゃ衰えないけれど、それはあくまでも私の主観。フーカはどう思っているのかしら……)
幼少のころからフーカには数えきれない傷を与えてきたアミス。幸いにも後遺症が残るような怪我はさせていなかっただけに、悔やまれる事件となってしまった。
以来、アミスは白髪教を見るたびに自身の至らなさを思い知らされるような気分になる。
気味も悪いし、気分も悪いし、気持ちも悪い。生理的に無理、というのが、アミスの白髪教に対する評価だ。そんな白髪教に関する報告を新年早々に目にした彼女の気持ちは、推して知るべしだろう。
(まぁ、白髪教も一枚岩じゃないみたいだし、本当に白髪の力だけを信じて生活を支えるだけの穏健派の人たちいるみたいだけれど……)
終始、眉間にしわを寄せた険しい表情のまま報告書を読み終えたアミス。静かに椅子から立ち上がった彼女は、陽光差し込む窓を前に大きく伸びをする。
と、そんなアミスに静かに歩み寄るのはケイハだ。
「アミスティ様。その、よろしければ……」
彼女がそう言うと同時、アミスの鼻にかぐわしい紅茶の香りが漂ってくる。スッと鼻通りが良い上品な香りは、ファウメジアの紅茶だろうか。南方の寒冷な場所でしか採取できない、貴重な花を使った紅茶のようだった。
「ふふっ、そんなに委縮しないでください、ケイハ。温かいうちに頂きましょうか」
「……っ! あ、ありがとうございます、アミスティ様」
アミスが席に戻ると、ケイハが波打つ水色の髪を揺らしながら手際よく紅茶を淹れてくれる。
流れるような美しい所作と紅茶の香りのおかげで、ささくれだったアミスの心も平常運転に戻っていく。
「どうぞ……」
「ありがとう。頂くわね。……この香り、ファウメジアでしょうか?」
「は、はい! ご気分が優れないようでしたので、こちらの茶葉を選ばせていただいました!」
その場で主の調子を確認し、状況と体調に合わせた紅茶を淹れる。フーカの愛弟子らしい、優秀な侍女に育ったようだ。
ファウメジアの葉ならではの癖のない真っすぐな香りを、鼻から脳に届ける。口に含めばほのかな渋みと淡麗な味わいが口内を満たし、のどに流し込めば、自身の唾液の甘みと残り香が中に抜けていく。
「うん、とってもおいしいです!」
「きょ、恐縮です!」
紅茶を口に含みながら、先ほど読み終えた白髪教についての報告書に目を向けるアミス。
今回、そこに書かれていたのは、白髪教の一部信者が今になって再びファイを探し始めているというものだ。
昨年末、アミスは、自分たちがファイの居場所を確認しており、彼女には王国民になる意思があることを公にした。あとはファイが必要な資料に調印さえすれば、すべてが丸く収まるという段階にある。
だが、正確には、ファイはまだ王国民ではない。きちんと書面として彼女の意思が示されていない以上、今はまだ王国が彼女の所有権を主張しているに過ぎないのだ。
それでも、ファイは彼女にとっての絶対的な存在――ニナの前で、いずれきちんと書面に調印しに来ると約束してくれた。それに今、ファイのもとにはフーカもいる。うまくファイを誘導してくれるに違いないため、あとは時間の問題だけのはずだった。
(それが、ここにきて……ね)
白髪教の、それも恐らく強硬派と呼ばれる過激な人々がファイを探している。きっかけはやはり、先の公示だろう。理由についてはアミスにも想像はつかないが、どうせろくなことではないというのがアミスの予想だ。
もし万が一にもファイが白髪教につかまるようなことになれば、目前まで迫っていたファイの“普通の暮らし”が一瞬にして崩れ去ってしまう。やはり白髪は、良くも悪くも様々な人・物・事を呼び寄せるということだろう。
「はぁ……」
ため息をついて茶器に口を付けたアミスだが、口に入ってくる紅茶はない。どうやら知らず知らずのうちに、紅茶を飲み干してしまっていたらしい。
「……ファウメジアは癖がなくて、飲みやす過ぎるのが玉に瑕ですね」
「す、すみません!」
「あっ、いいえ! 責めているんじゃありません、むしろ美味しいのだと言いたかったのですが……」
アミスとケイハも、できたばかりの主従関係だ。軽口をたたくだけでも、まだ少し気を遣ってしまう。これがフーカであれば、と考えてしまうのは、一生懸命に尽くしてくれているケイハに失礼というものだろう。
こういう時、上の立場にいる者が下ってあげなければ基本的に関係は変わらないことを知っているアミス。フーカが戻ってくることが望ましいが、その可能性は決して高くない。いや、アミスの人生など、思い通りになったことの方が少ない。我慢と失望と諦め。それが8割以上を占めている。
だからこそ、必死になって守っている残りの2割は大切にしたい。その中には、部下との良好な関係を築くことも含まれている。
「ケイハ、おかわりを頂いてもいいかしら?」
まずは自分から、歩み寄りを見せるアミス。語調や表情がきつくならないように気を付けながら、ケイハに新しいお茶を求める。果たしてアミスの配慮はケイハにどう映ったのか。それについては、
「は、はいっ!」
直後にケイハの顔に咲いた笑顔を見れば、分かることだろう。
明るい表情のまま紅茶を淹れ始めるケイハの姿に笑みをこぼして、アミスはもう1つ、気になっていた資料にも目を通していく。
そこに書かれているのは“不死のエナリア”に関する情報だ。一応フーカが消えたエナリアでもあるため、より重点的に情報を回してくれるようにアミスが探索者協会にお願いしておいたのだった。
それによれば、どういうわけかここ数週間“不死のエナリア”での採掘・出土品が好調らしい。当該エナリアの再生産速度――色結晶や宝箱が補充されるまでの期間の短さ――が速くなっているらしいのだ。
一方で第7層の階層主の間の扉が数日間開いておらず、エナを吸収する機構に異常が発生しているかもしれないとのこと。また、ときおり凄まじい衝撃がエナリア全体を襲うことから、何か異変が起きているのかもしれないとのことだ。
念のため、上位の探索者組合の力を借りて近日中に調査する可能性について示唆されていた。
(エナリアでの異変と言うと、修復か、あるいは崩壊か……。魔物の遡上の可能性も無視できないわね)
現状アミスは、ニナとともに姿を消したフーカ、ファイ両名がどこで何をしているのかを全く知らない。そのため、もしもエナリアの崩壊など起きようものなら、2人まとめて次元の狭間に取り残されて死んでしまう。
(……も、もしも? もしもよ? 光輪が? 調査依頼を受けたら? 組合長の私はもちろん、行くしかないわよね?)
早く探索者協会が調査を公募しないだろうか。そうすればアミスは仕方なく、合法的に、フーカとファイの安否を確認しに行くことができるというのに。
「あ~~~~~……。早く探索に行きたいっ!」
新年一発目に嫌なものを目にしたこともあって、早く身体を動かして気分転換をしたいと叫ぶアミス。彼女の隣では、ビクッと身体を硬直させたケイハが危うく紅茶をこぼしかけている。
今日も第3王女は憂鬱な1日を過ごしていた。




