第192話 ニナは、死んでた?
※普段よりも少しだけ(※300字ほど)、分量が多くなっております。読了目安は9~11分です。
場所を戻して“不死のエナリア”第20層の裏側。ニナの執務室。
「だ、大体の事情は了解いたしました。……結局ベルさんが星になったくだりは全然さっぱりこれっぽっちも意味が分かりませんでしたが……」
苦笑するニナに、ファイは能面のまま親指を立てて見せる。
「大丈夫。ベルは生きてる。私たちの中に……みたいなこと、エリュが言ってた」
「そ、そうでしたか。それで、わたくしのファイさんに変なことを吹き込んだそのエリュさんはどちらに?」
1人で帰ってきたファイを、またしても不思議そうに見上げてくるニナ。広いおでこでさらりと揺れる茶色い前髪に目を奪われつつ、ファイはエリュの行方を明かす。
「ここに来る途中でリーゼに会った。そうしたら――」
「あっ、もう大丈夫ですわ。大体、理解いたしました。恐らく連行……おほん、一緒にお散歩にでも向かわれたのでしょう」
「おー、ニナ、すごい」
竜化してしまったせいで、裸になってしまったエリュ。彼女もベルと同じで鱗をあるていど変化させられるようで、鱗を水着のような形に変えていた。
『これが吾にできる変化の限界ですね……。もしお母さまにこんな格好で活動しているのがバレたら、怒られてしまいますが』
苦笑していた彼女は、その格好でファイとの仕事を終えたのだった。
その後、ファイと同じで、仕事をやり切ったあと特有の達成感で気を抜いていたのかもしれない。前方からやってくるリーゼの接近に気づけなかったらしい。そして、
『あ、リーゼ』
『ぴぃっ!? お、お母さまですか!? どこに――』
『ファイ様、少々エリュをお借りしますね。それと、ファイ様も。身体を冷やさないようお気を付けください』
ぼろぼろの侍女服姿のファイに言い残して、出合い頭にリーゼがどこかへ連れ去ってしまったのだった。
(きっとエリュ、リーゼに「メッ」されてる……)
お風呂でリーゼを怒らせた時を思い出して、ブルリと身を震わせるファイだった。
と、そんな彼女のすぐ背後にあった扉が控えめに四度、叩かれる。さらに続いたのは、念のための自己紹介だ。
「ふ、フーカ・ファークスト・アグネスト、ですぅ。に、ニナさん、よろしいでしょうかぁ?」
「あら、フーカさん? どうされたのでしょうか……。どうぞー」
ニナの入室を許可する声に続いて部屋に入ってきたのは、肩にかからないくらいの短い黒髪を揺らすウルン人の少女――フーカだった。
「フーカ。お疲れ」
「あっ。ふぁ、ファイさん。こんばんは」
より近くにいたファイとフーカで短くウルン語で挨拶を交わし、フーカがファイの隣に並ぶ。
「ご機嫌ようですわ、フーカさん! それでえぇっと……今回はどういったご用向きでしょうか?」
どうやらニナはフーカの来訪に心当たりがないらしい。さっそく、といった様子でフーカに尋ねる。
「は、はいぃ、ニナさんもお疲れ様ですぅ。よ、用件は2つありまして、ひ、1つはルゥさんからお手紙を預かってますぅ」
フーカが、腰にひっかけている鞄から手紙を取り出しニナに届ける。
フーカといえば、ついに先日、個室を手に入れていた。場所は17層の一室。同じ階層にはルゥの私室や医務室があり、よく体調を崩すフーカのもとへすぐに駆け付けられる場所なのだとファイはニナから聞いていた。
服についても、ルゥによって休暇期間中に仕上げられた服がいくつか用意され、ロゥナによって家具も新調されている。エナリアに来て1か月弱でようやく、フーカは快適な生活を手に入れたといえるだろう。
「ルゥさんから……?」
「は、はいぃ。た、たぶんですけど、採血のお知らせだと思いますぅ」
「さいけつ? あぁ、『採血』ですわね!」
一瞬、聞きなれないウルン語をガルン語に変換する間があったものの、無事に翻訳できたらしい。
「ニナ。採血、は、なに? 血を採る、の?」
「はい! 健康診断の意味もありますが、おそらくお給料のためですわね。恐らく在庫切れなのだと思いますわ」
「「お給料……?」」
ファイとフーカが仲良く首をかしげる光景に「ふふっ」と笑みをこぼすニナ。
「フーカさんはともかく、どうしてファイさんが首をかしげるのですか?」
「え、だって。お給料はお金、だよ?」
「そうですわね。……ですがお忘れですか、ファイさん。このエナリアのお給料は少しだけ特殊なことを!」
胸を張って言ったニナの言葉に、ファイはようやくこのエナリアの特殊性を思い出した。
通常、エナリアで働く従業員は給料として、お金か魔素供給器官を選ぶことができる。
ガルン人がエナリアの中で狩ったウルン人を持ち帰る際、魔素供給器官の一部――大抵は重量比で1割~3割――を置いていかなければならない。そうして税として徴収した魔素供給器官を、従業員たちに分配することになっている。
ただ、このエナリアではウルン人を狩ることができない。当然、魔素供給器官の収入はゼロだ。本来はお金でしか給料を支払えないはずなのだ。
しかし、このエナリアには、魔素供給器官の中にあるものと同じ“中立状態の魔素”を体液中に持つ人物がいる。その人物こそが、ウルン人とガルン人の混血である少女――ニナだ。
「そっか。そういえばニナ、自分の体液をルゥたちに渡してるんだった」
「言い方! 言い方がよろしくありませんわ、ファイさん! 普通に血と言ってくださいませ!」
顔を赤くしながら、抗議の声を上げるニナ。だが、ファイは知っている。彼女のよだれや汗などが、事あるごとにガルン人の従業員に狙われていることを。
とはいえ、仕方のないことなのだろうとも思う。先ほどエリュも言いつけを忘れてファイに襲い掛かってきたことからもわかるように、ガルン人にとって進化欲は強烈な衝動なのだろう。その衝動を、ここで働くガルン人たちはみな、懸命に堪えているのだ。
それを思うと、ミーシャやルゥがニナのよだれを舐めていたり、主にルゥがニナの服を洗うふりをして、ニナの服から汗を絞り出したりしている光景にも目をつむることができるというものだ。
「え、えとえと……。に、ニナさん? ファイさん? せ、説明をぉ……」
「あっ、そうですわよね、フーカさん! な、なにからどう説明いたしましょうか……」
このエナリアの給料事情を、改めてフーカに説明していくニナ。その過程でファイも採血の方法や、血液袋の保管方法などを知ることになるのだが、驚きなのは採られる血の量だった。
「「50ガファル!?」」
ファイとフーカの驚きの声が重なる。
ガファルとは、蛙の魔獣ののど袋を指すガルン語だ。主に液体の量を示すときに使われ、ウルンの値に直すと「1ガファル=2L」となる。
「だ、大丈夫なんですか!?」
「あっ、勘違いしないでくださいませ。基本的にその量を保管しているというだけで、一度の採血で抜いていただくのは大体5袋分ですわ」
つまりは5ガファル。ちょうどファイが洗濯をするときに水を張る量と同じくらいの血なのだとニナは笑うが、
「フーカ。人はどれくらい血を失くすと死ぬ?」
「そ、そうですねぇ……。たしか体重の1割も失えば、たとえファイさんでも死んじゃいますぅ」
フーカであれば、2Lも失えば死んでしまうらしい。
「つまり、ニナは死ぬ?」
「は、はい。残念ながら、ニナさんは死にましたぁ」
「か、勝手に殺さないでくださいませぇっ!?」
ファイとフーカのやり取りに、涙目のニナが抗議する。
とはいえ、実際問題、ニナの体に5ガファルもの血は流れていないはずだとフーカは語る。だというのに、ニナは毎回、採血の際にはきちんとその分の血を渡しているという。なぜか。
その種明かしをしたのもまた、ニナだ。
「ルゥさんの傷薬で回復しているだけ、ですわね」
ふたを開ければ単純な種だ。ルゥの傷薬は傷を治すと同時に、失われた血も元に戻す。そうでなければ決闘をしたあの日。ファイが殺しかけてしまったルゥが、回復薬で復活した直後に動けるはずもない。
「1袋の半分ほどを抜いていただいて、回復。少し時間をおいてから、また血を抜く。その繰り返しですわ」
「な、なるほど……。確かルゥさんが傷薬を生成できるのは1日に5本。しょ、消費期限が1日。つまり、保管できる傷薬の数は10本が限界ですからぁ……」
有事に備えて数本残すとなると、一度の採血で5ガファル前後が限界ということらしかった。
「それで、フーカさん。もう1つの用件とは……?」
フーカはここに来た理由が2つあると言っていた。それを忘れていなかったらしいニナが、採血の話がまとまったことを機にフーカに尋ねる。
「あっ、そ、そうでした。に、ニナさん? 起床してから3日が経ちますぅ。なので、ね、眠ってくださいぃ」
「…………。……はい?」
フーカが何を言っているのかわからなかったのだろうか。聞き返したニナに、フーカは改めて言う。
「に、ニナさん。眠ってくださいぃ」
「ど、どうして急にフーカさんがこんなことを……。はっ、まさか!?」
何やら心当たりがあるらしいニナに、フーカが長い前髪の奥で苦笑する。
「は、はいぃ。フーカ、マィニィさんからこのエナリアの睡眠管理を任されてしまいまして……」
なんでも、フーカには体内時計なるものがあるらしい。今が何色のどのくらいの時間であるのか。それを分単位で彼女は把握しているのだという。
(そういえばフーカ。さっきも挨拶が「こんばんは」だった?)
おそらく意図したものではなく自然と出てしまったものなのだろう。が、彼女の特技を信じるのなら、おそらくウルンは今、夜なのだと思われた。
「ふ、フーカさん? わたくし、きのう眠りましたわ?」
「あ、嘘ですね。視線で分かりますぅ。そ、それにニナさんは“昨日”なんて表現、使いません……よね?」
「はぅ~……!」
あっけなく嘘を看破され、机に倒れこむニナ。
「ニナ。休む、は、大事。ニナもいつも言ってる」
「ふぁ、ファイさんまで~! 休めだなんて酷いですわ、横暴ですわ!」
机に突っ伏しながら駄々をこねるニナだが、ファイとしては少し胸がすく思いだ。何せいつも、ファイはお預けを食らっている立場なのだ。これできっと、ニナも自分に「休め」と言うことの非情さを知ってくれるはず。
「ニナ。大丈夫。ニナの分まで私が働く――」
「ふぁ、ファイさんも、ですよぉ?」
「――……え?」
まさか自分にも水を向けられるとは思わず固まるファイ。そんな彼女に、前髪の奥で眉を逆立てるフーカが軽くほほを膨らませる。
「『え?』じゃないですぅ。ファイさんも2日間、眠ってません。な、なので、ファイさんも眠ってください」
「そんな……!? ……フーカ、ひどい」
「そ、そんな顔をしてもダメですよぉ? 睡眠はすべての基本! お、お2人には何が何でも眠ってもらいますぅ!」
ファイとニナ。2人の圧倒的強者を前に、それでも不退転の意思を示すフーカ。彼女にも彼女なりの考えがあって、矜持があるのだろう。
そして、
「そ、そうですわね……。さっと眠って作業を効率化させる方が良い、ですわよね……。ファイさんも。どのみちファイさんにはこのあと休んでもらうつもりでしたので、休息の命令をいたしますわ」
「あ、ぅ……。分かった……」
弱き者の覚悟を無下にできる2人ではなかった。




