第190話 設計意図があるんだ、ね
「それじゃあいっきまっすよ~!」
エリュの声にファイがうなずくと、エリュは大きく息を吸い込むそぶりを見せる。そして、一瞬の溜めを作ったかと思うと、「ふぅぅぅーーー!」と炎を吐き出す。角族が持つ特殊能力の1つ、息吹だ。
リーゼが使用していた広範囲を焼き尽くすものと違い、エリュの息吹は一条の線を描いている。彼女の息吹が通り過ぎた場所にあったとがった石柱は溶解し、もうもうとした煙を上げていた。
「ふぅ……。それじゃあファイ様、お願いします!」
「ん、分かった。――〈ゴギア〉」
ファイが魔法を唱えると、溶解してでこぼこしていた地面が平らに形成される。
「ファイ。先ほども言ったが、もう少しでこぼこさせてくれないか?」
人工的な雰囲気を抑えるために、地面の凹凸を作ってほしいと頭上から言ってくるベル。彼女の助言に従う形で、ファイは平らだった地面に多少の起伏を加えていく。
いま彼女たちが行なっているのは、エリュが作成した新しい地図に基づく掘削・整地作業だ。
というのも先日このエナリアに監査にやってきたマィニィはニナに、いくつかのわかりやすい課題と修正点を残していったという。
その中の1つに、探索者たちが圧倒的な速度で攻略済みの範囲を踏破していることがあるらしい。
先日のアミス率いる探索者組合・光輪がいい例だろう。通常、たとえ攻略済みであっても、10層分の移動を行なうには1週間程度を要することが普通なのだという。
しかし、アミスたちは1日と少しで第10層まで来ていた。彼女たちがこのエナリアの最短道程を知り尽くし、速度感をもって攻略してきたからに他ならない。
それの何が問題なのかといえば、まず、探索者たちが来てからの準備の時間が短いことにあるという。強い探索者たちに相対するには、階層主の準備や各階層の魔獣の生息状況の確認など、それなりの準備がある。
それらの準備を行なう時間が少ないということは、ニナが言うところの“おもてなし”の準備が十分にできない可能性を示している。
また、“おもてなし”という意味では、10年以上も代わり映えない景色がこのエナリアでは広がっているということになる。攻略は単調になり、探索者たちの“楽しみ”が減ってしまう。
常に同じ道であるのなら緊張感も乏しく、翻って油断した探索者たちが魔獣に殺される危険性も高まる。
普通は探索者たちが攻略の過程でエナリアを破壊し、自然と自動修復が発生することもあるらしい。だが、“不死のエナリア”は不人気のエナリアだ。特別な事情がなければ、エナリアを破壊できる上位の冒険者はみな“希求のエナリア”に行ってしまう。
したがって、こうしてファイたち従業員が手ずから自動修復を促し、整地しなければならなかった。
(改造、は、探索者の攻略をなかったことにする、から。やりすぎはよくないらしい、けど……)
この“不死のエナリア”は、ガルン人が言うところの「しばらくの間」、改造作業を行なっていなかったという。マィニィ達が改造を見越して階層主の間の扉を閉め切ってくれたことを機に、ニナはファイ達にエナリアの改造をお願いしたようだった。
だが「改造」という大仰な言葉のわりにファイ達の作業は地味極まりない。エリュが息吹で石柱を壊して、ファイが整地、頭上にいる小竜の姿のベルが助言を行なう。そんな作業が、ファイの体感だけで半日近く続いている。
それでも、ファイが退屈を感じることはない。なぜなら作業の合間あいまに、エリュが設計した意図が見て取れるからだ。
尖った石柱が探索者の視界を遮るのは、以前、ファイも気づいたところだ。これのおかげで本来はだだっ広いだけの第9層に緊張感が生まれる。少し前から滴り始めた雨の音も、魔獣の歩みや呼吸をごまかす。それらについてはファイも理解していた。
だが、道については新たな発見があった。
例えば道順だ。位置を変えることができない次の層に続く穴までの道のりを大きく迂回させることで、探索者が探索する時間を調整している。また、天井から生えている夜光石の位置に合わせて道を配置することで、明暗を演出。暗がりで探索者が緊張する空間を作り出している。
エナリアでは、探索者が自ら短縮道程を作り出すこともある。だがベルの話では、エリュの配置であれば短時間に最短道程を作り出した場合、ちょうど自動修復が働く程度の破壊が必要になるように設計されているらしい。
そんな探索者たちの視点だけでなく、エナリアの中の人――ガルン人の目線から考えてみると別の発見もある。
この第9層は居住区としては向いていない。殺風景であるがゆえに人の営みはよく目立ち、声も反響してしまう。数人がまとまって暮らせるような空間も少ない。そのため、この第8、9層は主に魔獣の狩りに使用されている。
そうしてやってくるガルン人が不意の探索者の訪問から隠れられるような空間が、至るところに用意されているのだ。
(本来はそこに隠れてウルン人を奇襲するんだろう、けど)
隠れることができる空間は必ず2本以上の道に挟まれていて、探索者が片方の道を通っている間にもう片方の道から逃げることができるように設計されている。
ほかにも、“裏”への入り口付近には宝箱や色結晶を置かないのだという。なるべく探索者への魅力を減らして自然と近づかせないようにし、ウルン人が“裏”にやってくる可能性を低くしているらしい。
「本当は何度も現場に足を運んで、何人も人員を割いて、かなりの時間をかけて慎重に行なうのが設計作業なんだ。けど、エリュは計算せずとも地図と現地の様子さえわかれば感覚で“良い感じ”を導いてしまう」
なんでもエリュの母・リーゼは本来、人手を失ったこの“不死のエナリア”でエリュを働かせようとしていたらしい。教育についても、ブイリーム家の十八番ともいうべき礼儀作法を最低限にして、エナリアに関する教育に重きを置いていたそうだ。
そんな厳しい教育の中で、エリュは無事に設計士という才能を開花させた。
問題はその才能が、リーゼの想像をはるかに超えてしまったことだったのだとベルは言う。
「エリュのあり余る才能は残念ながらこの落ち目のエナリアでは役不足だ。というわけで我直々に、王国で最も人気の高いマィニィのエナリアに行かせたわけだね」
「そうだったんだ」
なお、エリュが“希求のエナリア”に所属することになる際には、ベルとリーゼの間でちょっとした親子喧嘩もあったらしい。「王都の近くにきれいな湖が1つ増えたよ」と、ベルは楽しそうに笑っていた。
とはいえ、エナリアの改造は頻繁に行なわれるものではないし、行なわれるべきでもない。エリュが天性の才能を発揮する機会はかなり限られている。そのためエリュは普段、雑用を任されているらしかった。
「それとね、ファイ。ニナのエナリアにいるせいで忘れているかもしれないけど、君はガルン人たちにとってそれはもういい匂いのする、最高のご馳走なんだ。……だから、ね?」
ベルが言った瞬間、ファイの両肩がものすごい力で掴まれる。ハッとして見てみれば、つい先ほどまで前方で整地作業を進めていたはずのエリュが、ファイのすぐ目の前にいるではないか。
「え、りゅ……?」
「ファイ、様……。ファイ様ぁぁぁっ♡」
「えっ、きゃっ」
エリュによって押し倒されたファイはそのまま、馬乗りになられてしまう。
獣人族ほどではないが、角族も近接戦闘を苦手とする種族ではない。さらに、
「そうそう。言い忘れていたけれど、エリュはもうすでに3回、進化をしている。その意味、ファイには分かるかい?」
ファイが倒れた際に飛んで避難したのだろうか。どこからかベルのそんな声が聞こえてくる。
若くして3回の進化を経ている。それはエリュが愛情たっぷり、丁寧に育てられてきたことの証であると同時に――
(エリュは、ウルン人をたくさん食べてる!)
ぬるま湯のように心地よいこのエナリアにいると忘れそうになるが、本来、ガルン人の在り方はこうであるはずなのだ。手ごろなウルン人を見つけて狩り、進化して、己の力に変える。
ニナたちが異常なだけで、今はファイのお腹の上でよだれを垂らしているエリュこそが普通なのだ。
「ここでは、食べちゃ、ダメ……なんですけど。でも……でもぉ……じゅるり」
リーゼとよく似た青い瞳が今は赤く血走っており、その視線が向いているのはファイの右胸辺り。ちょうど、魔素供給器官があるあたりだ。
「じ、実は吾、紫髪さんは半分死にそうになりながら、食べたことはあるんですけど……。白髪さんは初めてでぇ、はぁ、はぁ……。ずっと我慢してるのに、ファイ様が良い匂いをさせるから――」
「〈ゴゴギア〉〈ゴゴギア〉〈ユリュ〉」
ここですぐに思考を切り換えられるのが、ファイという少女だ。彼女は容赦なく、連続した魔法を行使する。
すると、まずは地面から生えてきた無数の岩の鞭がエリュの手足を拘束する。さらにその上から、今度は頭部以外を包み込む岩の棺桶がエリュの体を拘束した。
「……ぴ? ごぼっ!?」
そうして厳重に手足の動きを封じられ顔だけが露出しているエリュの頭部を水球が包み込む。
いくらガルン人たちに膂力があると言っても、人体の構造はファイ達とあまり変わらない。そして人の体の作りでは、手足を動かすわずかな空間もない場合、十分な力を加えることができないのだ。
つまり、ほぼ完ぺきな形で拘束されてしまったエリュにはもはや、自身の拘束を解くことも、顔を包みこんで呼吸を阻害する水球を除去することもできない。あとはエリュが窒息して気を失うのを待つだけの、はずだった。
だが、直後にファイのおなかの上にいたのは体長5mほどの黒い竜だ。額から突き出る1本の白い角は、その竜がエリュだろうことを推測させる。どうやらエリュは、竜化を使って事態を強引に突破したらしい。
『舐めないでくださいね、ファイ様!』
「予想外。けど……〈フュール〉! ふんっ!」
『その程度で吾がやられると思ったら大間違い――ぴぇっ!?』
ふんぞり返って自慢げに鼻を鳴らしていたエリュ。言い換えれば隙だらけの彼女の脳天に、天井を蹴った勢いそのままのファイのかかと落としがさく裂する。
「ふぅ……。ベルが言ってた。大きくなったら、的も大きくなる」
着地して真っ白な髪を揺らすファイの背後。一瞬にして人間の姿に戻ったエリュは、
「きゅぅ~……」
目を回して気を失ってしまっていた。




