第186話 私、もっと強くなる!
凄まじい衝撃波と熱波がファイを襲う。身の安全のため可能な限り遠くで〈フューティア〉を爆発させたが、どうやらもう少し距離が必要だったらしい。熱波をやり過ごしたファイの肌は赤く腫れ、本格的な火傷を負ってしまっていた。
(威力、上げ過ぎた……!)
風の魔法で爆発の余波を和らげつつ、どうにかやり過ごしたファイ。エナリアは閉鎖された空間だ。なかなか熱が引かず、呼吸するだけでも肺が痛い。そんな状況でもファイはまず“他人”を優先する。
「ベル……!」
〈フューティア〉が爆発する直前、なぜか爆心地に飛び込んでいったベル。あまりに突飛な行動に、ファイは魔法の解除が間に合わなかった。つまり、間違いなくベルは先の爆発に巻き込まれたということだ。
(今の〈フューティア〉。ニナでも多分、火傷する。じゃあ、ベルは……)
ファイの中で、“死”を感じさせないベルはニナやリーゼよりも弱いということになっている。そんな彼女がいまの魔法を受ければ、まず間違いなくただでは済まない。
「ピュレ、声、届けて。……ニナ、聞こえる?」
爆心地へと急ぎながら、ニナに音声をつなぐファイ。
『……はい、ファイさん! 良く聞こえますわ! 今の揺れ……。ファイさんですわね?』
「うん、そう。だけど、ベルが爆発に巻き込まれた」
『あの可愛らしい子竜さんですわっ!? だ、大丈夫なのでしょうか!?』
「分からない。今から探す、けど……」
ものの数秒で現地へと駆けつけたファイ。見下ろす場所には、深さ50m、半径200m以上はあるだろう巨大な穴が開いている。また、この雨音の階層は他の階層に比べて天井が低く、高いところでも50mほどしかない。そのため爆発は天井の一部もごっそりと削り取っていた。
『なるほど。ルゥさんに連絡を入れておけばよろしいでしょうか?』
「うん、お願い……ぅっ!?」
穴から噴き出してきた蒸気の勢いに、ファイの白い髪が揺れる。
爆発直後ということで上下の穴の表面は赤く焼け、溶岩のようになっている。特に天井から滴り落ちる“炎の雨”は、ファイでも触れるだけで火傷してしまうだろう。
『ファイさん!? どうかされたのですか!?』
「ううん、なんでもない。それよりもルゥに連絡、を……」
『……? ファイさん? ファイさんー?』
途中で言葉を止めたファイに、ニナから呼びかけがある。
だが、ファイが大切な主人からの問いかけに応えることは無い。ファイの視線は、赤熱化した地面の中心にある真っ黒な球体に向けられている。他の部分が赤く光っているからこそ、影のように黒い球体は否応なく自身の存在を訴えていた。
吸い寄せられるようにファイが見つめる先で、ゆっくりと球体がほどけていく。まるで、真っ黒な4枚の花弁を持つ花が、花開くように。
そうして球体の中から姿を見せたのは、黒い衣装に白い角がよく映える美しい角族――ベルだった。
「なるほど。これがウルン人の“最強”が使う魔法、か……」
言いながら、どこか寂しそうに笑うベルに外傷は見られない。
ファイは、己の知る限りもっとも広範囲を破壊できる魔法を、最大限の集中のもと、全力で使った。言い換えるなら、ファイの全力の攻撃と言ってもいいだろう。
その攻撃を、あの角族――ベルは、無傷で防ぎきった。目の前にある“あり得ない光景”に、ファイの思考が停止する。
「まぁ、我ら角族は熱には特に強いしね。こればかりは仕方のないことかな」
何かを諦めるような自嘲を込めて笑ったベルが、巨大な翼を広げる。その大きさは片翼だけで10m以上あるのではないだろうか。ファイが知る中で最も大きな翼を持っていたリーゼの翼の、倍以上はあるように見える。
そんな巨大な翼を、たった一度。穴の中心で羽ばたかせたベル。それだけで赤くなっていた地面の熱は瞬時に冷まされ、溶岩から、熱された石へと姿を変える。さらに暴風は穴の縁に居たファイを襲い、数十メルドも吹き飛ばされてしまうのだった。
「きゃっ、あ、ぅぅっ……」
『な、なにやら聞いたことのない可愛らしい悲鳴が……。ファイさん? 本当に大丈夫なのですか? というよりもわたくしの声、きちんと届いていますでしょうか?』
吹き飛ばされたことでファイの肩から落ちてしまったピュレが、離れたところからニナの声を届けてくれる。
それでもなお、四肢を付いたままのファイは反応することができない。
(なんでベルは無事……怪我もない、の……?)
自分の全力が、完全に防ぎ切られてしまう。人生で初めての経験に、ファイは静かに打ちひしがれる。
驕り、とはまた違うのだろう。事実としてファイはウルンでも最強で、彼女の使う魔法はあらゆる障害・敵を亡き者にしてきた。
確かに単身ではニナには敵わないが多少は抗えるし、決闘ではきちんと有効打も与えることができていた。フーカの支援魔法やアミスたち光輪の面々とニナやリーゼに挑めば、低くない勝算を見積もることができる。
だからこそファイは戦闘で負けても絶望することが無かった。
自分は戦えるのだ、と。たとえファイが出会ってきた中で最強の存在であるリーゼと同じくらいの実力の敵が攻め込んで来ようとも、最低限、ニナは守ることができる。戦闘で役に立てる。そんな自信が、ファイにはあった。
しかし、先ほど、自身の全力の魔法を無傷で乗り切ったベルを見たとき、ファイは直感してしまった。
――無理だ、と。
あの人は絶対に倒せない。そう思ってしまった。いや、こうして少し時間が経った今も、ファイはベルを倒せる光景を想像できない。武器を使おうが魔法を使おうが。なんなら白髪である自分が何人居ようが。あの化け物には絶対に敵わない。そんな世界の真理を、思い知らされた気分だ。
この時になってようやくファイは、ベルに恐怖を抱く。
ガルンには、ニナやリーゼをはるかに凌駕する、異次元の存在が居るらしい。もしもベルが先ほど執務室でニナに襲い掛かっていた場合、ファイは肉壁になることさえできずにニナを失っていたことだろう。それが分かった瞬間、ファイは己の身体を抱いた。
大切なものは、自分で守れると思っていた。この恵まれた身体能力をもってすれば、1つくらい――大切な人を、主人を――ニナを。守れると信じていた。
だが、現実は違った。
たとえファイの恵まれた身体能力と魔法をもってしても、どうやら守れないものがあるらしい。
ファイの知らない世界にはベルのようなとんでもない存在が居て、彼らがニナに牙をむくこともあるのだろう。ひょっとするとウルンにも、白髪ですら叶わない存在が居るのかもしれない。まだまだ自分は何も知らないのだと、ファイは改めて思い知らされる。
それでも。
地面にぺたんと座るファイが俯いていたのは数秒だ。
(……道具、は、落ち込まない。怖がらない)
恐怖で震えてしまう足腰に“道具としての矜持”という鞭を打って、立ち上がる。
ファイは自分が醜く、汚く、弱いことを知っている。そんな自分が、きれいで、強くて、可愛くて、格好良い主人――ニナ・ルードナムの道具でいるためには、残念ながら人間らしく俯いている時間などない。
確かに“今は”ベルには敵わないだろう。だが、戦闘民族的な思考を持つファイが導く最適解は簡単だ。
(――もっと強くなればいい)
両の足で立ったファイはニナを真似て胸を張り、能面のまま「フンスッ」と鼻を鳴らす。
ここでただ「鍛える!」だけにとどまらないのが、ファイがただの戦闘狂ではないことの証左だろうか。どれだけ鍛えようが、ファイはウルン人で身体能力には限界がある。ましてや身体の作りからして違うガルン人に身体能力で挑もうというのが愚行だろう。
ファイは、強くなる方法が1つではないことを知っている。
例えば先ほどの〈フューティア〉がそうだろう。魔法の威力が上がった理由は何なのかと言えば、知識だ。正しい知識を知ることで、ファイは鍛えずとも強くなることができた。
他にもニナのために協力してくれる友人を見つけたり、強くて頑丈な武器・防具を手に入れたり。強くなる方法は、決して1つではないのだ。
幸いにもベルには敵対の意思はなく、ニナも無事だ。つまり“次”がある。あり得たかもしれない悲惨な可能性を考えて絶望している時間など、“弱い”ファイには無い。
『ファイさん~? ファイさん~~~?』
少し離れた場所でニナの声を発しながら震えるピュレを拾い上げるファイ。
「落としてごめんね、ピュレ。あと……ニナ?」
「ファイさん! 良かったですわ~! って……はい、どうされましたか?」
きっとピュレの向こうで首をかしげているだろう主人に、ファイは決意を露わにする。
「――私、強くなる、ね?」
『突然ですわ!? ぜ、ぜんぜん話が見えませんわ……。ですが、はい! どんどん強くなって、いつかわたくしと一緒にリーゼさんを『ぎゃふん』と言わせましょう!』
リーゼが「ぎゃふん」などと言うのかは甚だ疑問だが、一緒に戦おうというニナの言葉はファイの瞳を煌めかせるのに十分な言葉だ。ニナに使われる道具として、いつかリーゼを、さらにはベルを倒すことができるように。目標を見据えるファイだった。
『っと。ひとまずファイさんは無事なのですわね? であれば執務室に戻りますわ』
普段、ファイが決してニナの呼びかけを無視しないからだろうか。何かあったと確信したらしいニナは、わざわざ駆けつけようとしていてくれたようだった。
ファイとしては嬉しくもあるが、道具としては不満でもある。
「ニナ。私、言ってる……よ? 道具だから、心配はいらない。ニナはただ、待ってるだけで良い」
『ふむぅ……。ですがファイさん。落とし物を拾いに行くのは主人の務めでもありますわ!』
落とし物、つまりはファイを物として扱ってくれるニナの言葉に、ファイの全身がブルリと震える。
いつだったか、ルゥも言っていた。道具を丁寧に扱って思いやり、手入れをするのは持ち主の務めなのだと。
(それに、道具でしかない私が持ち主に意見するのも、変……?)
主人が心配してくれるのならば、それはそれで、想いをありのままに受け入れるのが道具の務めではないだろうか。また1つ、道具としての真理に気付いた気がするファイ。
「分かった。じゃあニナ。私を心配しても良い、よ?」
『あら、ファイさんったら。その言い方は、とーっても傲慢ですわ?』
「……? じゃあニナは私を心配しないでくれる、の?」
『そんなことはありませんわ! いつだって、どこでだって。心の底から……バルステ海溝よりもふかぁ~くから! ファイさんを想っておりますわね!』
まだ少し不満はあるものの、ニナがそう言うのなら受け入れることにするファイだった。




