第185話 どうなる、の?
“不死のエナリア”第9層、雨音の階層。少し前、アミス、フーカ両名と攻略したその階層にファイは居た。
天井や床から突き立つ棘は水滴に濡れ、各所にある夜光石の光を照り返す。耳をすませば雨音がささやかに鼓膜を打ち、死角で息をひそめる魔獣たちの息遣いが音に強弱をつける。
まさにエナリアらしい、薄暗くジメッとした階層を眺めながら、ファイは肩に居る通話用の青いピュレに話しかけた。
「ニナ。本当にいい、の?」
今回自分に与えられた仕事は本当に正しいものなのか。尋ねたファイに、青いピュレからニナの声が返って来る。
『はい、大丈夫ですわ! ドーンと、やってくださいませ!』
「……うん、分かった。音声、終わり」
確認を終えたファイは通信を切り、目の前の景色に集中する。
と、ファイの隣で真っ黒な影が揺れる。角と、わずかに露出する肌以外は真っ黒。全体的に白いファイとは対照的な装いを揺らしているのは、人の姿に戻った『ベル』こと魔王ゲイルベルだ。
てっきり彼女は執務室に残るものだと思っていたファイ。だがファイがこの仕事に向かう際、ベルは当然のようにファイについてきた。
ニナも「懐いていらっしゃるのなら、よろしいのでは?」と同行を許可してくれたために、こうして連れて来ていたのだった。
人の姿に戻ったベルの気配に気付いたファイは一度、集中を解く。
「ベル。危ない、よ? これから魔法使う、から……」
暗に自分の背後に隠れているように言ったファイだが、途中で語気を弱める。というのも、たったいま竜化を解いたばかりのベルが、出会った時と同じ黒い一枚着を着ていたからだ。
竜化と似た特殊能力として、ミーシャたち獣人族が使う獣化を知っているファイ。獣化の特徴として彼女たちは自分より小さい動物の姿になる時、衣服が脱げてしまう。
しかし、ベルが竜化した時を振り返って見ると、彼女の周囲には脱ぎ捨てられた服が見当たらなかった。
「ベル。服はどうした、の?」
「ああ、これかい? これは我の鱗なんだ」
自身がまとう黒の一枚着をつまみながら、ベルが微笑む。
「その服が、鱗……?」
「ああ。我は鱗を好きな形に変えることができるんだ」
言いながら、肘まで届く黒い手袋に覆われた右腕をファイの方に差し出してきたベル。すると手袋だと思っていた布が瞬く間に変形し、ベルの手のひらの上で美しい鱗に変わった。
「おー、便利」
「ふふっ、そうだろう? 自由に形を変えられるから、こんなこともできる」
ファイの反応が気に入ったのだろうか。やや上機嫌に言ったベルが、手のひらの上にあった鱗をぎゅっと握る。すると、再び鱗は形を変え、刃渡り15㎝ほどの真っ黒い小刀が生まれた。
「ベル、すごい。尻尾の鱗も?」
「できるよ? ほら」
ベルの視線に合わせて、ファイもベルの背後で揺れる尻尾へと目を向ける。と、滑らかな鱗で覆われていた尻尾がトゲトゲした棍棒のように姿を変えた。どうやらベルは、一度に複数の鱗を操作することもできるらしい。
しかも、鱗が変形しているとあって強度も折り紙付きなのだという。
鱗から作られたベルの服は服であると同時に、自身を覆う鉄壁の鎧でもあるようだった。
「なるほど。リーゼとエリュ……他の角族もできる?」
「我の血を引いているからね。できるんじゃないかな」
言いながら手のひらの上にある鱗を様々な形へと変化させるベル。1つであればかなり細かく形を調整できるようで、兎や鳥、猫など、手のひら大の動物が次々に形成されていく。その度に、ファの金色の瞳には好奇心の光が宿る。もしも彼女にミーシャのような耳や尻尾があったなら、しきりに動いていたに違いないだろう。
好奇心くすぐる光景のおかげで、“血を引いている”という部分を聞き流してしまったファイ。彼女が瞳から好奇心の光を消したのは、ニナから「どうでしょうか~?」と作業の進捗を確認する声が聞こえた時だった。
「ピュレ、声届けて。……ニナ、ごめん、まだ」
『あら、そうなのですわね。焦らなくても大丈夫ですわ。きちんと身の安全を確保したうえで“作業”を行なってくださいませ』
「ん、分かった。音声、終わり」
ニナとの通信を切り上げたファイは、ベルへと視線を戻す。
「ベル。本当に大丈夫、なの?」
「ああ。安心してくれ。万が一にも我が傷つくことがあったとしても、それはファイのせいじゃない。君の注意を聞かなかった我のせいだ」
「そう……」
できればファイの近くに居て欲しいものだが、ベルにその気がないのならファイとしてはどうすることもできない。
その代わり、可能な限りベルに被害が出ないだろう場所で“作業”を進めることにした。
エナリアの薄暗がりの中でも存在感を放つ白い髪と金色の瞳。髪を揺らし、キョロキョロと周囲を見渡したファイは、適当な場所に当たりをつける。
まずは風の魔法で音と臭いを拾いつつ、探索者が居ないことを確認する。そもそもファイたちが居るのは、アミス達が使っていた『正規攻略地図』から外れた道だ。もとより人気が無く人気もない“不死のエナリア”。しかもこの階層まで進める探索者も、そうそう居ない。
探索者がいる方が珍しい場所だ。
(……うん、大丈夫そう)
きゅっと唇を引き結んだファイは、手で銃の形を作る。
「――〈フューティア〉」
ファイが魔法を唱えた瞬間、彼女の指先に小さな火が宿る。続いて炎を包み込むようなそよ風が生まれ、指先の火に吸い込まれていく。すると火は火球の形をとるようになり、最初は小指の先ほどの大きさだった火球はどんどんと大きさを増していく。
それと比例するように吸い込まれていく風も勢いを増し、ファイとベルの髪を激しく揺らし始める。
時間と共に炎は赤から黄色へと色を変え、火球の大きさも先日の水打球で使用した球くらい――直径30㎝ほど――まで成長した。
以前、星を墜とそうとしたファイが、ウルンの上空に放ったのはこの火球だ。しかし、今回は違う。マィニィ達がこのエナリアの修復作業を進めている間、ファイは様々な勉強をした。
その際、この魔法の威力の上げ方をフーカが教えてくれたのだ。
『そ、そもそも魔法は、体内や大気中の魔素を使って、げ、現象を再現する技術なんですぅ。火が燃えているように見えても、それは魔素によって引き起こされている現象にすぎず、自然界の燃焼とはまた違う過程を経ているんですよぉ?』
物が燃えて生まれる火と、ファイがこうして指先で創り出している火は、厳密にはまったく別の現象なのだとフーカは言っていた。
その辺りの魔法に関する細かな知識はファイでも3割も理解できていないが、1つ、重要なことは分かっている。それは、魔法が脳内の“画”だけでなく、使用者の意思によってある程度制御できるというものだ。
ファイも、風の魔法の強弱を自然と行なってきた。大規模な魔法ではできないと思い込んでいただけで、少しであれば融通が利くのだという。
今回、そうして学んだ知識をファイは全て使ってみることにした。
(〈フューティア〉の詠唱。フーカは知らない、無いかもって言ってた、けど。火を小さくすれば……)
風による温度上昇をやめ、火球を圧縮することにするファイ。
眉の角度を少し鋭くするファイが見つめる先で、黄色っぽい火球が小さくなっていく。すると、火球の色は黄色から白色へと変化する。
風向きを調整して熱が来ないようにしてもなお、ファイの肌をチリチリと焼く熱波。前方、風が吹いている方向にある岩は、溶岩のように溶けてしまっている。今やファイの周囲は、フーカなどであれば近づくだけで灰になる温度になっていた。
「ほう……」
感心したような息を漏らすのはベルだ。楽しそうな笑みを浮かべて、ファイの指先の火球を眺めている。
しかし、魔法に集中するファイはベルの反応を気に留めない。小さくなれ、小さくなれ。心の中で唱えながら小さくしていった火球は、もとの大きさの半分ほどで動きを止めた。
(今回はこれくらいにしておく。……行って!)
露出した肌に軽く火傷を負うファイが、静かに。白い火球を解き放つ。速度は決して早くない。時速は60㎞ほどで、狙った場所も1㎞ほど先だ。攻撃として使用するならまず敵に当たることは無いだろう。
ただし、ファイが適当な岩場を目標にしているように、今回は敵を倒すことを目的にはしていない。
ファイがニナから与えられた仕事。それは、エナリアの破壊だ。今回で言えば、この第9階層の一部を、徹底的に破壊する。それこそ、1㎞はある階層の岩盤を砕いても良いという指示すら出ている。
なぜこんなことをするのか、ファイは知らされていない。ゆえに最初、本当に大丈夫なのかとニナに尋ねたのだが、大丈夫らしい。
(いったいどうなる、の?)
果たして、大切な家だと言っていたエナリアを壊して、ニナはどうするつもりなのか。疑問と共にファイが見つめる先で、〈フューティア〉によって生み出された火球が岩場に着弾しようとしている。
この第9層の岩盤は、ファイが強めに踏み込むとひびが入る強度だ。きっと、今回の爆発では視界いっぱい――着弾地点から500mほど――を破壊することできるのではないか。
個人的な経験と手応えから規模を予想し、ファイが爆発に備えて風の魔法を自身とベルに使おうとした瞬間だった。
近くに居たはずのベルの姿が見当たらない。その代わり、先ほどまで彼女が居た場所の地面が大きく陥没している。それこそ、ファイが力強く踏み込んだ時のようだ。
「ベル……? ベル……!?」
必死に探してみるが、ベルは真っ黒な格好をしている。薄暗いエナリアでは、どうしても闇に紛れてしまいやすい。さすがのファイも、見つけるのに数秒の時間を要してしまった。
そして、ようやくファイがベルの姿を見つけたその場所は、〈フューティア〉の着弾地点だ。何を血迷ったのか、ベルはファイの魔法に自ら当たりに行ったらしい。
「……え?」
あっけにとられたファイがポカンとしてしまった直後、フォルンもかくやという光を放つ火球が弾ける。
直後には凄まじい熱波が第9層を包み込み、“不死のエナリア”全体を激しい揺れが襲った。




