第170話 目と目が合ったら、戦う!
狭い廊下で始まった、ファイと謎の角族の女性との戦闘。角族の女性が振り下ろした黒い尻尾をファイが両腕で受け止める。その衝撃で廊下の地面が大きくへこみ、ファイとフーカの身体が刹那の間、宙を舞った。
「きゃ……」
「フーカ!」
黒い尻尾を払い、背後のフーカを抱くファイ。敵に背を向ける形になるが、恐らくこの角族の攻撃であれば“多少の大怪我”をするだけで済むはずだ。それよりも、この角族の攻撃がフーカに当たることの方がまずい。瞬時に判断したファイの、とっさの行動だった。
問題は、このままでは一方的に攻撃されることになってしまうということだ。普段なら爆発の魔法を使って敵との距離を無理やりにでも作ることができるのだが、やはりフーカが巻き込まれてしまう。
(〈フュール〉で吹き飛ばす……も、ダメ。フーカが飛んでっちゃう。だったら〈ヒシュカ〉で氷の壁を作る)
向こうが敵対的な行動をとってきた以上、時間を作ってフーカを抱えて逃げる。目指すべきはニナの私室だろう。あそこはエナリアでも最高の安全地帯であると聞いた。ニナには事後承諾になってしまうが、フーカに何かあってはウルン人とガルン人の対立につながりかねない。きっとニナも理解してくれるだろう。
ウルン人とガルン人、双方の幸せを願うニナの夢のためにも、フーカには傷1つ付けさせるわけにはいかなかった。
しかし、そんなファイの決意は、
「…………。…………。…………?」
いくら待ってももやってこない追撃に、少しずつ霧散していく。果てには、
「あ、あわわ、あわわわわ……っ!」
焦ったような声が背後から聞こえてきて、ついにファイの中にあった覚悟は消え去ってしまった。
フーカを腕の中にかばいながらも、背後を振り返ったファイ。そこにはもちろん、先ほど見かけた白金髪の角族が居る。ただ、彼女が青い瞳で見つめているのはファイ達ではない。衝撃で大きくへこんでしまった床だ。
「や、やっちゃった……。やってしまいました……っ!」
口に手をやって、ファイが心配になるくらい青ざめてしまっている。先ほどファイを攻撃してきた黒い尻尾は力なく垂れさがり、どう見ても戦る気には見えない。
「えっと……。だいじょう、ぶ?」
ここで自分を攻撃してきた“敵”を心配してしまうのが、ファイという少女だ。いや、もちろんこの角族がニナ以上の実力――つまりは一撃でファイを害しうる存在――だったのなら、ファイも緊張感を解くことは無かったかもしれない。
ただ、幸か不幸かこの角族はルゥ以上、ムア以下の実力だろう。つまりギリギリ、ファイ1人でも相手することができる。そう分かっていた余裕が、あるいは傲慢さとも言うべきファイの優しさが、敵への気遣いとして表れていた。
ファイの問いかけに、ゆっくりと視線をあげる白金髪の角族。しばらく茫然自失の状態でファイを見ていたのだが、不意に「はっ!」と気付きの声を漏らす。
「は、始めまして! ウルン人のファイ・たきーしゃ・あぐねすと様と、フーカ・ふぁーくすと・あぐねすと様……ですよね!」
ウルン語の発音に少したどたどしさを残しつつも、ぺこりと頭を下げる角族の女性――いや、少女。ガルン人は年齢不詳な人が多いため判然とはしないが、至近距離で見た彼女の年齢はファイと同じくらいではないだろうか。
身長もファイと同じか、少し高いくらい。身体の線はまだ凹凸が少なく、最低限の女性らしさを備えるにとどまっていた。
「うん、そう。私がファイで、この子……ううん、この人がフーカ。あなたは?」
「あっ、そうでした! コホン……。吾はエリュと言います! エリュ・ハクバ・ルードナムです! よろしくお願いします!」
ガバァッという効果音が付きそうな勢いで、頭を下げるエリュ。肩口あたりの白金の髪がフワッと舞って、洗髪剤の香りがファイの鼻をつく。
(この、フワフワのあったかい匂い……。リーゼと一緒?)
嗅ぎ覚えのあるその匂いと、エリュの家名。何よりもその見た目が、エリュがリーゼの関係者であることを物語っていた。
エリュの素性は、分かった。ただ、ファイには分からないことがある。なぜ彼女が襲い掛かって来たのかという点だ。
第一印象だけで言えば、エリュはニナやムアに近い性格をしているだろう。明るく活発で、表情豊か。見ているだけで微笑ましい、そんな人物のようにファイには思える。だからこそ、やる気満々で襲い掛かってきた理由が分からない。
「えっと……。エリュ。なんで攻撃してきた?」
ここは素直に本人に聞くことにするファイ。もしも自分の知らないガルンの挨拶の手法などがあるなら、今後の対応に生かさなければならないからだ。出会う度に攻撃されては困るし、もしもフーカが攻撃されれば確実に殺される。
不幸な事故を防ぐためにも、ガルンの思考やしきたり、いわゆる文化の違いについて、ファイは知っておかなければならなかった。
エリュやフーカのためはもちろん、最終的にはニナのために。歩み寄りを見せるファイに、エリュから返ってきたのは意外な言葉だ。
「目と目が合ったらひとまず拳を交わす! 相手が敬うに足る人物なのかを確認する! それがブイリーム家の家訓なんです!」
腰に手を当ててドヤッと胸を張りながら、ファイの知らない決まり事を口にするエリュ。自信満々の所作はニナに似ているが、どちらかと言えば落ち着きがないという印象の方が強いだろうか。見た目だけで言えばニナの方が幼く見えるのに、言動はエリュの方がよほど幼く見えるのだから不思議だ。
(ブイリーム家の決まり事……)
エリュの“家訓”という単語を自分なりの言葉で分解したファイ。
確かリーゼが長を務めるブイリーム家は、優秀な使用人の育成と輩出で名を上げているとファイは聞き及んでいる。
そしてガルンでは相手との強弱がそのまま、主従関係に結び付くことも多い。自分が使えるべき相手なのかを見極めるには、なるほど。出会い頭に襲い掛かって確認するのが効率的なのかもしれない。
(そういえばリーゼも、最初に攻撃してきた)
ニナと序列を賭けた決闘をしていた際、玄関から飛び込んで来たリーゼ。あの時がファイとリーゼとの初めての出会いになるのだが、リーゼは灼熱の息吹でもってファイに挨拶をしてきたと記憶している。息吹への対処の仕方でリーゼは、ファイの実力を測ったのだと思われた。
(ガルンは、力関係が大事。リーゼ達は人に使われる人を作ってる。でも使われる人も主人を選ぶ。主人……自分より強い人か、を、確かめるなら戦うのが一番。……うん、合理的)
自身も戦闘民族に近い思想を持つファイは自分なりの理論で肉付けを行ない、エリュの発言を素直に受け入れる。
「目と目が合ったら攻撃……。ガルンでは常識?」
もう攻撃してくることはなさそうだと判断して、フーカを解放するファイ。彼女が床の穴から這い出すのを手伝ってあげながら、エリュに自身の考えがあっているかどうかを確認する。
「そんなわけありません! お母さまやお姉さま達がちょっと異常……こほん、戦闘狂なだけです! 吾も、お母さまが近くに居なければこんな野蛮なことしません!」
「あ、そうなんだ」
どうやら常識と言えるほど一般的な考えではないらしい。いや、エリュの口ぶりからすると少数派の考え方なのかもしれない。そうであるなら、フーカが見知らぬガルン人に出合い頭に攻撃されるようなことも稀だろう。
陥没した床から脱出したファイ達。穴を挟んでエリュと相対する形になる。
「それで、エリュ。どうしてここにいる、の?」
「あっ、そうでした! 実は吾、とある方の付き添いで……って、あ~っ!」
そこで何かを思い出したかのように声を漏らしたエリュ。彼女の顔が、みるみるうちに青ざめていく。その視線は先の戦闘で陥没してしまった廊下の地面に向いている。
「あ、の……。ファイ様、フーカ様。1つ相談なんですけど」
おずおずと聞いてくるエリュに、一度、隣にいるフーカと目を合わせたファイ。すぐに視線をエリュへと戻し、「なに?」と端的に聞いてみる。
「お2人はウルン人だと聞きました。そしてお母さまから、ウルン人は“まほう”という不思議な術を操るとも聞いてます」
「うん、合ってる。私も、フーカも。魔法は使える、よ?」
それがどうしたのか。白髪を揺らして小首をかしげたファイに、エリュが本題を切り出してくる。
「この床、どうにかできませんか?」
「どうにか……? えっと、元に戻す、で、合ってる?」
「はい!」
ファイの言葉に、コクコクと何度も首を縦に振るエリュ。ファイ達を見つめる青い瞳には、期待の色がありありと滲んでいる。ファイもなんとなく察していたことだが、どうやら床をへこませてしまったことはエリュにとって、かなりまずい事態らしい。
もちろんファイとしても、不可抗力だったとはいえ、ニナの大切な家を壊してしまったのだ。ぜひとも元通りにしたいと思う。
しかし、少なくともファイには無理だ。〈ゴギア〉という、周囲の土や岩を思う形に形成する魔法は使えば地面を均すことはできる。だが、エナリアの廊下の床には分厚い金属の板が使われている。ファイの知っている魔法では、金属を想う形に加工することができない。
それなら、と、フーカに聞いてみるが残念ながら彼女にも無理だという。
「で、ですけど。ファイさんが〈バギエ〉を使えば、この分厚さの床でも元に戻せるかもしれません」
「〈バギエ〉……? そんな魔法、私使えない……って、そっか。詠唱」
詠唱を使えば、廉価版の魔法を使うことができる。そして白髪のファイであれば、並の人間が使う魔法と同等の効果を引き出すことができるとフーカが教えてくれる。
「できるんですか、できるんですね!? だったらすみませんが急いでお願いします! あの方が来る前に――」
「エリュさん?」
「――ぴぇ!?」
エリュの背後からゆったりとした声が聞こえた瞬間、ファイの全身に鳥肌が立つ。意識しなければ呼吸を忘れてしまいそうなほどの重圧。リーゼと出会った時に感じたものと全く同じ、強者の気配だ。
(間違いなく、黒色等級の魔物……!)
冷や汗をかくファイが警戒心をあらわに見つめる先。姿を見せたのは、全身緑色の女性だった。




