第163話 もっと、私をバカにして?
ファイに嫉妬しているから、ユアはファイに非協力的な態度を見せている。まるでユアの考えなどお見通しだというように、ミーシャが断定口調で言うと、
「ち、違う……もん!」
ついにユアが、実験場へと続く扉の向こうから姿を見せた。
ファイ――ではなくミーシャを睨むユアの顔は、羞恥と怒りで赤く染まっている。拳はキュッと握られ、フサフサの黒い尻尾は上を向いたまま動かない。そんな彼女の態度や表情が、言葉よりも如実に真実を物語っているようだった。
もはやピュレに話しかける必要はないと、ユアへと緑色の瞳を向けたミーシャが鼻を鳴らす。
「ふん。ようやく出てきたわね、陰険犬。せっかくだしもう1つのファイを嫌う理由も教えてあげましょうか?」
姿を現した宿敵に追い打ちをかけるように、口撃の続行を宣言する。
「は、ハッタリです! そもそももう1つの理由なんてありませんし、ユアはファイちゃん様を嫌いなんかじゃありません! むしろ好きです、お気に入りです!」
言いながらファイに駆け寄ってきて、背後に隠れるユア。そのままファイを挟んで、ミーシャと言い争う姿勢を見せる。
(良かった。ユア、私のこと嫌い、じゃ、ない)
ファイがホッとしたのも束の間。腕を組んで嘲笑を浮かべるミーシャによって、簡単に否定される。
「そんなわけないじゃない。だってアンタが一番大切なものを……いいえ。大好きな子を。取られるかもしれないものね?」
「きゃいんっ!?」
核心をついたらしいミーシャの言葉に、ファイの背中側に居るユアが悲鳴をこぼす。ただ、ここで耳を立てて尻尾を振る“興味”の態度を見せるあたり、ユアが研究者たるゆえんだろう。
涙目になりながらもファイの影から顔を出し、左右色の異なる瞳でミーシャを見つめる。
「な、なんで、それ……」
「当然よ。ファイ達は気付かないでしょうけれど、この部屋、すごく臭いもの。アンタ、相当溜まってるのね。どれくらい自分で慰めてるのよ」
腕を組んで鼻を鳴らしたミーシャに、ユアがピタッと尻尾の先まで固まってしまう。そして、ゆっくり、時間をかけてミーシャの発言の意味をかみ砕く長い間を置いたのち――
「~~~~~~っ!?!?!?」
――庇護欲をそそる気弱そうなあどけない顔を、羞恥一色に染めた。
ファイがミーシャの言った「慰める」の意味を聞くよりも先に、涙目のユアが吠える。
「ど、どうして未進化のアナタがそれを!?」
「アタシも獣人族がたくさん居る部族に居たのよ? 大人の発情期で何度も似たような臭い、嗅いでるもの」
「あぅあぅあぅ……。これは、あの、ムアが……でも……くぅぅぅん……」
ミーシャの追及に、ついにファイの背中で涙するユア。ミーシャよりも一回り大きい三角形の耳と尻尾が、可哀想なくらいに垂れてしまっている。
ファイには先ほどから2人が何の話をしているのか、全くわからない。頭には疑問符が増えるばかりだ。
それでも、さすがに泣きながら力なく鳴いているユアを放置するわけにもいかない。
「えっと、ミーシャ。ユアをいじめる、は、良くない……かも?」
「んにゃ!? アタシのせい!? って、そうよね……。さすがに熱くなって言い過ぎたかも」
涙されるとは思ってもみなかったのだろうか。ミーシャも態度を軟化させ、少しだけ申し訳なさそうにユアのことを見ている。
「さっき寝る前、ファイから聞いたわ。ファイってば、アンタの妹と相当仲が良いみたいじゃない。それこそ洗濯してあったファイの服から、アンタの妹の匂いがしたくらいだもの。それも、発情期の気持ちの悪いやつ」
おかげでファイの服を洗い直す羽目になった、と、ミーシャは呆れ顔だ。
他方、発情期の匂いとミーシャが言ったことでようやくファイは、ミーシャが嗅いでいるらしい匂いの正体に気付く。少し前、ニナと共にユアの研究室を訪ねた時のこと。お手洗いから飛び出してきたユアがまとっていたあの、奇妙な生臭さ。恐らくそれが、部屋にまだ残っているらしかった。
(分かる、ユア。自分の臭いを嗅がれる、は、ムズムズ……)
自身も臭いに関する羞恥心を持つファイは、脇のあたりで涙しているユアを抱き寄せて頭を撫でてあげる。すると、観念したようにユアがぽつぽつと言葉をこぼし始めた。
「あぅ……。盗さ……エナリアの様子を観察するピュレでたまたまファイちゃん様を見張ってたら、ムア、めちゃくちゃファイちゃん様に懐いてて――」
途中何かを言いかけて、言い換えたユア。
「――たまにピュレで話す時も、最近はファイちゃん様のことばっかり言うから……。もうユア、要らないのかなって……くぅぅぅん……」
震え声で、ファイとムアが仲良くしていたことにモヤモヤしたことを明かす。
ただ、なぜそれでユアが「要らない」になるのか。ユアの不安の理由がなおも分からないファイが「どうして」と聞くよりも早く。
「わっかるっ! 居場所とお気に入りの子を奪われそうになるその不安、と~~~……っても! よく分かるわ! アタシも……」
「え?」「ふぇ?」
ふいに共感の言葉を示したミーシャに、ファイとユアが声を重ねながら視線を向ける。が、ミーシャも意図して言葉にしたわけではなかったらしい。コホンと居住まいを正すと、そっぽを向いてしまう。
「なんでもないわ。でもまぁ、大丈夫よ。だってその子……ファイは今のところ、ニナにぞっこんだから」
「ぞっこん、ですか……?」
「ねぇ、ミーシャ、ユア。『ぞっこん』は何?」
「ファイはニナの物ってこと」
それはそうだと、ファイは大きく頷いてみせる。
「そう。私はニナにぞっこん。……で、それがどうした、の?」
何かユアに関係があるのか。右脇辺りに抱き着いてきているユアを見下ろすと、彼女の左右色の異なる神秘的な瞳と目が合う。
「それにファイってば、そんなんだから。心配するだけ無駄よ、無駄」
「む。ミーシャ、多分いま、良くないこと言った。バカにする、も、良くない」
ミーシャの目線や声色からすぐに察したファイ。自分が侮られるということは、使い手たるニナが侮られるということにもなりかねないからだ。
「そうなの? だけど少し考えてみなさいよ、ファイ。ちょっとダメな道具を使いこなすニナは逆に、相当凄いってことにならない?」
「え……?」
ミーシャに言われた理屈を、自分の中で咀嚼するファイ。確かに、刃こぼれした剣を使いこなす方が難しい。そしてファイの中で難しいことをする人はすごいという式は成り立っている。
つまり、たとえ自分がバカにされたとしても、そんなダメな道具を受け入れて使いこなすニナは逆説的にすごいということになるのではないか。
ミーシャの言葉に道具としての真理を見出したファイ。金色の瞳をきらりと輝かせ、ミーシャを見る。
「ミーシャ、やっぱり賢い。もっと私をバカにして良い。そうしたらニナがすごくなる」
「ほら、ね? こんな子なの。ほんと、バカ。……ま、まぁ。そういう素直なところが……」
後半はもじもじと俯いて、上目遣いにファイを見てくるミーシャ。ファイが首をかしげる背後で、ユアがおずおずと顔を出してミーシャを見る。
「そ、それはまぁ、ユアも目を見たのでわかります。ファイちゃん様、普段は頭の中、空っぽなので」
「は? アタシのファイをバカにしないでくれる? 殺すわよ?」
自分はファイのことを蔑んでおいて、他者には許さないミーシャ。少し前のファイであればミーシャの言葉もありがたく感じるが、今やファイにとって自分が貶されることはニナを褒められるのと同義だ。
「ミーシャ、ミーシャ。アタシはバカにされても良い。ニナが“すごい”になる。あと私はニナの物」
「もうっ! ほんっとアンタ、めんどくさいわね!」
尻尾を立てて怒ってくるミーシャのぞんざいな扱いに、ファイの身体もブルリと震える。しかし、いまは快感に身を浸している場合ではない。恐らくミーシャとユアの話は済んだのだろうと判断して、大筋へと話題を戻すことにした。
「それで、どう、ミーシャ、ユア。擬態用のピュレ、用意してくれる、の?」
胸元やや下、いつもミーシャの頭がある位置よりも一回り高い位置にあるユアの頭頂部に目を向ける。
やはりユアには何か事情があって、ファイ達に協力したくなかったらしい。しかし、ミーシャとの話し合い(?)で、ユアの懸念は杞憂なのだと判明した――らしい。
であれば、まだユアが協力してくれる目もあるのだろうか。ほんの少しの期待と共にファイが見つめる先で、ユアはプルプルと震ええている。
「ゆ、ユア、気付きました。も、もし協力しなかったら、ユアが1人でシてることをみんなに言いふらすんですね……!? こ、この性悪猫さん!」
「はぁ? そんなことするわけないじゃない、アンタじゃないんだから」
ユアの虚勢に、ただただ呆れた態度を見せるミーシャ。恐らくユアの方が年齢的には上なのだろうが、こうして見ているとミーシャの方が“大人”に見えるのだから不思議だ。
「誰にだって秘密はあるものよ。ましてやこのエナリアに居る奴らなんて、問題児しかいないんだから。アタシは絶対に、秘密を言いふらしはしないわ。……時と場合に寄るけど」
「わふっ!? や、やっぱりするんじゃないですか! 嘘つき!」
「だ、だって仕方ないじゃない。アンタがファイに協力しないんだもの。世の中、きれいごとだけじゃ生きていけないんだから」
そう漏らすミーシャの顔には、“当事者”としての実感がこもっているように聞こえる。
「ぐぬぬぬ……。弱いと侮って盗撮してこなかったのが仇に~……!」
「盗って取る? ユア。とうさつ、は、なに?」
ファイの問いかけに答えることなく、しばらくファイの侍女服を掴んで悔しそうにしていたユア。しかし、数秒して長いため息をこぼした。
「わ、分かりました……。優しいユアがファイちゃん様に、擬態用のピュレを渡してあげます。言っておきますが、これはユアの優しさです。べ、別に、そこのヨワヨワ猫さんに言い負かされたとかじゃないんですから!」
なるべく誰とも目を合わさないようにだろう。俯き加減で実験場へと歩き始めるユア。
ファイとしては何が何やらさっぱりだったが、どうやらミーシャの説得がユアを動かしてくれたらしい。これでようやく実験の下準備が整う。ミーシャも同じことを持ったようで、ファイと目が合うと照れくさそうに微笑んでくれる。
しかし、すぐに「はっ!?」と何かに気付いた様子で顔を紅潮させたミーシャ。別にファイのためじゃないと言うように、あらぬ方向を向いてしまうのだった。




