第161話 ミーシャと、フーカ
場所は第11層に続く螺旋階段の踊り場。ファイが金色の瞳で見下ろす先に、ふらふらと階段を上るフーカの姿がある。
「うばぁ、ぜはぁ……。死ぬ、死にまずぅ……っ!」
第16層、ルゥの姉であるサラが操る魔獣『不死者』のような緩慢な動きで1段、また1段と階段を上ってきている。肌面積の多い服から覗く手足には滝のような汗が光り、もはや風呂上がりのようだ。
「ふ、フーカ……。……っ!」
「ダメよ、ファイ」
つい眉尻を下げながらフーカを迎えに行こうと動こうとしたファイを、ミーシャの声が押しとどめる。
「アイツ自身が言ったんでしょ? エナの濃度も低くなるし、せめてもう2,000段くらいって」
「そ、そう。だけど……」
今にも死んでしまいそうなフーカを見つめるファイの顔から“心配”が消えることは無い。そんなファイを見上げて黒い尻尾を大きく一度揺らしたミーシャが、螺旋階段を上ってくるフーカへと視線を移した。
「頑張ろうと……強くなろうとしている人を助けてあげるのは、もう少し待ってあげて。せめて本人が『助けて』って言うまで」
そう語るミーシャの顔は、いつになく真剣だ。
普段はピュレやチューリ、上層に住む魔獣など、弱くて小さい生物の世話を任されているのがミーシャだ。また、面倒見のいい本人の気質もあるのだろう。ひょっとすると自分よりも弱いかもしれないフーカに、何かしら感じるところがあるようだった。
「ミーシャ……。良い子」
「んにゃっ!? きゅ、急にそういうこと言うの、やめなさいよ! 心臓に悪いじゃない!」
尻尾と耳をピンと立て、顔を真っ赤にして憤慨しているミーシャ。
「えっと。じゃあ『今からミーシャは良い子って言う、から。準備は良い?』で、良い?」
「ばっ!? そういうことじゃないでしょ!? ファイ、アンタってほんとにバカ!」
「あ、ぅ……。ご、ごめんなさい……」
「あ、いや、そうじゃないの……! そうじゃなくて……っ! ~~~~~~っ!」
ファイを見上げて涙目になるミーシャ。言いたいことが言えない。自分もたまに感じるモヤモヤ――もどかしさ――をミーシャの顔に見て取ったファイは、ひょっとすると今のもミーシャ特有の反対言葉なのではないかと気付く。
ただ、ここで反対言葉なのかを確認すると、今度こそミーシャが泣いてしまうような気がしたファイ。目の前にいる同僚に涙させないよう思考を巡らせた彼女は、
「そういえば、ミーシャ。私のお手紙、ニナ達に届けてくれたって、聞いた。ありがとう?」
不器用なほどあからさまに、話題を逸らすことにした。
「手紙? なんの話?」
涙目だったミーシャが、きょとんとした顔を見せる。その瞬間、ミーシャの顔から羞恥や焦りなどの負の感情が消えたように見えたファイ。作戦が上手くいったことに内心で満足しつつ、このまま話を脱線させることにした。
「えっと、私がアミス……じゃない。フーカたちとこのエナリアを攻略するって書いたお手紙。チューリに渡した」
ファイの説明で、ようやくミーシャもピンときたらしい。尻尾をピンと立てたあと、ゆらゆらと自慢げに揺らし始める。
「あー、アレね。上層にエサやりをしに行ったら、手紙を背負ってるチューリが居るんだもの。びっくりしたわ」
チューリを助ける意味も込めてミーシャが身体に括り付けられた手紙を取ってくれたことで、「エナリアを攻略する!」というファイの手紙は予定よりもずっと早く、ニナ達のもとへと届いたようだった。
「ファイ。手紙を届けるなら体力とか移動速度から考えても。チューリより猫だったり、犬だったりを手懐けておく方が確実よ」
他にも鳥を使役する方法もあるらしいが、屋内のエナリアではあまり推奨されないようだった。
手懐ける。調教。そう聞いてファイが思い当たる動物は、1体しかいない。正確にはファイの中では「仲良くなった」「分かり合えた」という表現が近いだろうか。ちょうど今回の目的地に居ることもあって、ファイは“彼”の様子を見てみようとも思っていたところだ。
「づ、着ぎまじだ~~~……! かひゅー、かひゅー……」
折よく、フーカが螺旋階段を上ってきた。
ぺたんとその場に座り込んで肩で息をする彼女だが、背中に翅があるからだろう。仰向けに倒れたり、壁に背を預けたりはしなかった。
「フーカ、お疲れ」
「は、はいぃ……。ど、どうして、お2人とも、そんなに平然と……」
フーカの言葉にミーシャの方を見るファイ。他方、ミーシャもフーカが何を言っているのかファイに翻訳を求めたのだろう。ファイのことを見てくる。
「えっと……。慣れ?」
「な、慣れ、ですかぁ~……?」
驚きと呆れを半分ずつにじませたような声で、踊り場の天井を仰ぐフーカ。さすがに息が整うまでにはかなり時間がかかりそうだ。だからと言って、庇護対象であるフーカを置いて行く選択肢がファイにあるわけもない。
「フーカ。すぐには動けない、よね?」
「す、すみません~……。も、もう少し、お時間をぉ」
「ん。じゃあ――」
例によって、フーカの背中と膝裏に手を回して横抱きにするファイ。一瞬、フーカがかいていた多量の汗でぬるりと手が滑ったが、フーカの脇の下に指をかけていたおかげで事なきを得た。その代わりに突然脇に触れられたからだろう。フーカが「ひゃんっ」と変な声を漏らしたのだった。
「ふぁ、ファイさん!? フーカ、いま汗だくで……」
ファイの腕の中で、顔を真っ赤にしながらあたふたしているフーカ。「汗」と聞いて彼女が気にしているものが何なのかをすぐに察したファイは、大きく首を横に振る。
「大丈夫。フーカ、良い匂い。お花みたい?」
「あぅ、そ、そうではなくてぇ……」
どうやらフーカは体臭を気にしていたわけではなかったらしい。予想が外れてしまったことに、ひいては不出来な自分を能面のまま恥じ入りつつ、ファイは第11層の通路を歩き始める。
と、ファイの1歩後ろに並んだのはミーシャだ。
「……ファイ。ソイツ、大丈夫なの?」
ウルン語でのやり取りが分からない彼女が、フーカの状態について聞いてくる。
本人はさりげなくを装っているつもりなのだろう。ただ、チラチラとファイの腕の中に収まるフーカを見る視線や、しきりに動く黒い耳が如実に“興味”を表している。
やはりフーカの様子が気になるらしい。それは同時に、ミーシャの中でフーカが“世話をするべき・守るべき”対象になりつつあるのではないかと思えて仕方無いファイ。
これまでミーシャの周りに、彼女よりも弱い人は居なかった。それゆえにミーシャにとってこのエナリアの従業員は自分を殺しうる敵であり、常に気を張らざるを得なかったのだろう。
だが、フーカは違う。ミーシャが平然と上り下りする道のりでさえ音を上げてしまう。ガルン人が言うところの“弱者”だ。そんなフーカであれば、ミーシャとの間に自分とはまた違う関係性を築くことができるのではないか。
そこまでの言語化こそできなくとも、なんとなくフーカの存在がミーシャにとって良い刺激になる気がするファイだ。
「疲れて動けないみたい。体調は大丈夫そう」
「そ、そうなのね……。ま、まぁ? どうでも良いんだけどっ」
ふいっと顔を背けるミーシャ。だが、少しすると尻尾を揺らしながらフーカの翅やそこから漏れる燐光をしげしげと眺めていた。
目的地を目指して淡々と歩みを進めるファイと、彼女の腕の中で息を整えるフーカ。そして、フーカにバレないようにファイの影に隠れながら、フーカの観察を続けるミーシャ。三者三様に歩くこと少し。
「着いた」
ファイが立ち止まったその場所には、分厚い鉄の扉がある。上部の看板に書かれているのは「研究室」のガルン文字だ。
そう。撮影機を隠すための擬態用ピュレを求めてファイ達がやってきたのは、ユアの研究室だった。
(魔獣だったら、とりあえずユア!)
魔獣で困ったら彼女を頼れば良い。ファイの中でユアはそんな立ち位置になっていた。
さっそく中へ。ファイが扉を叩こうとすると、侍女服が引っ張られる感触がある。
見れば、ミーシャがファイに引っ付いて来て服をぎゅっと握っていた。彼女の心の代弁者でもある尻尾を見て見れば、股の間にくるんと巻かれている。大黒熊と対面した時にも見せた、“怯え”の反応だった。
「えっと。ミーシャ。大丈夫? ユアが怖い、の?」
「そ、そんなわけないじゃない。ピュレ越しじゃないとイキれないような陰険犬、怖くとも何ともないわ。……けど」
プルプルと小さく震えながら緑色の瞳でファイを見上げたミーシャが、自身の怯えの正体を口にする。
「ここを通る時、いっつも嫌な感じがするの」
「そうなの?」
別にファイは何も感じないが、獣人族は人間族よりも優れた五感を持っている。中には特殊能力に匹敵する“勘”を見せる者もいるのだ。
ユアの研究室と奥にある実験場には、黄色等級以上の魔獣もゴロゴロと居る。弱者としてのミーシャの勘が、強力な魔獣の存在を感じ取っているのかもしれない。
(危険って意味では、フーカも……?)
ファイは腕の中にいるフーカへと目を向ける。
ユアと言えば、時に解剖をしようとするほどにウルン人であるファイに興味津々だった。
そんな彼女がガルン人には存在しないという羽族のフーカを見たとき、果たしてどんな反応を見せるのか。ファイには皆目見当もつかない。
アミスからの預かり物であるフーカを傷つけさせるわけにはいかない。それはアミスに申し訳が立たないというのはもちろん、ニナとアミスの関係が悪化する恐れがあるからだ。
王女という立場はまだファイにはピンときていないが、アミスが偉い人であることは分かった。彼女とニナとの関係が悪化した場合、最悪、ウルン人対ガルン人という構図がこのエナリア内で成立してしまう可能性もある。
そんな事態になってしまうことを、ニナの優秀な道具であるはずのファイは防がなければならない。
(気を付けないと、ね)
ユアの動きに注意することを胸に刻んで、ファイは研究室の扉を叩いた。




