第154話 落としどころ、よね?
アミスは、岐路に立たされていた。人生どころか、ウルン全体を揺るがしかねない岐路だ。
「それで、どうなさいますか?」
ガルン人とは思えない流ちょうなウルン語で、ニナが尋ねてくる。たった今、彼女がアミスに行なったのは、エナリアの秘密を知る気はあるのかという問いかけだ。
ただ、いくつか制限はあると言う。
まず、ニナ陣営から監視をつけると言う。エナリアの秘密とは何なのか。アミスにはてんで想像がつかないが、重要な事項を明かすと言うのだから当然と言えば当然だろう。
また、しばらくの間、ウルンに帰ることはできないと思って欲しいという。その期間を使って、ニナはアミス達が本当に信用に足る人物なのかを見極めるつもりなのだろう。
一瞬、アミスの脳裏によぎったのは洗脳教育をするための期間なのではないか、という考えだ。ファイにそうしたように、ニナは自分たちも洗脳しようとしているのではないだろうか。
(――……我ながら、さすがに無いわね)
理由は単純で、ニナにはアミス達を洗脳する理由が無いからだ。いや、一応、アミスの第3王女という身分を欲している可能性もある。ただ、いまや彼女の手の中にはウルンで最強の白髪――ファイが居る。もしニナが何かしらの悪だくみをしているのだとしても、ファイの力を借りればおおよその事態を力技で押し通すことができる。
(それにニナ……。ニナさん自身も、ね)
自身も白金髪としてウルン人の上位にいるアミス。同年代との対人戦においては、まず負けることが無かった。年上との模擬戦でも、敗北したのは両手で数えられる程度。それも、ほとんどが師でもある前騎士団団長との戦闘だけだった。
そんな事情もあって、目の前の中等部くらいの見た目をしたおでこ娘が自分を負かすなど、夢にも思わなかった。しかも、ただの敗北ではない。触れることすらもできない、完全敗北だった。
自身をウルン人とガルン人の混血だと言っていたニナ。彼女が少しの時間ならウルンでも行動できるのは、黒狼での騒動でも分かっていることだ。いや、ウルンで活動できていたからこそ、アミス達はニナをウルン人だと信じて疑わなかった。
(なんにせよ、ニナさんはウルンでも動けるわけで)
ニナとファイ。2人が居れば、誇張抜きにウルンでは全てのことを力でねじ伏せることができるだろう。悪だくみなど、する必要が無いと思われた。
社交界であるていど揉まれているアミスも、人を見る目はあるつもりだ。自身が死にそうだったのにもかかわらず、ニナはフーカを助けた。さらには、問答無用で斬りかかったアミスにすら敵意を見せず、むしろ気遣いまで見せてくれている。
ニナが誘拐や洗脳を試みる犯罪者だとするなら、アミスやフーカなど瞬殺されていただろう。その点から見ても、やはり目の前のあどけない少女が犯罪者だなどと、アミスには考えられなかった。
だとするなら、ニナがガルン人だということも、このエナリアの主だという話も全て本当ということになる。繰り返すが、ニナが嘘をつく理由がないからだ。
(エナリアの秘密、ね……)
正直、とてつもなく気になるアミス。王女としての立場を半ば捨てて、エナリアという未知を掘り尽くす探索者になる道を選んだ。それほどに、アミスもまた好奇心の塊だ。
実のところ、ニナが明かそうとしているのだろう秘密についても、いくつか見当が付いている。
(エナリアにはガルン人だけが知っている秘密の通路がある、だとか。実は罠や宝箱を準備しているのはガルン人なのだ、とか。噂には事欠かないものね)
ましてや色結晶でさえも、ガルン人が準備しているという荒唐無稽な話すらもある。未知と理不尽と摩訶不思議が入り混じるエナリアには、人を引き付ける魅力があるのだ。
その裏側を、ニナとファイは知っているらしい。探索者として、王女として、1人の人間として。アミスが気にならない訳が無い。
ただしアミスは探索者であると同時に王女でもある。長期間にわたって王都を離れるとなると、多方面に迷惑と心配をかけてしまう。
「そう、ね……。そうよね」
“不死のエナリア”の主がニナという人間族――と呼ぶにはあまりにも強すぎるが――であることが分かった。それだけで今回、ここまでファイを連れて来た甲斐があるというものだ。
それに、と、アミスは今回のニナとの接見が無駄ではないことを確認する。
「えぇっと、ニナさん? ファイちゃんの王国所属は認めてくれるのですね?」
アミスがファイを保護しようとしていたのは、不当な扱いを受けているだろうファイを救い、ついでに恩を売って王国民になってもらうためだった。
今回は残念ながらファイの保護こそ叶わなかった。しかし、もう1つの目的であるファイの身元の確立について、現状ファイの保護者的な立場にあるニナが理解を示してくれたのだ。
「はい。ファイさんがウルンで身元不明だと様々な不都合があるだろうこと。わたくしも理解しているつもりですわ。ファイさんが拒否なさるならともかく……」
「ニナ。私に『嫌』は無い、よ?」
ニナの言葉を拾う形で、ファイが小首をかしげている。そんなファイに苦笑を返したニナは、再びアミスに目を向けてくる。
「とのことです。手続きなどが必要でしたらまた、ファイさんにフィリスへと向かっていただければよろしいでしょうか?」
いまのやり取りだけでも、ニナが可能な限りファイの意思を尊重しようとしていることが分かる。また、話の理解の速さやアミスに物怖じしないあたりを見ても、ニナがまとうのは間違いなく上に立つ者の風格だ。幼い見た目に惑わされてはいけない。
「……本当に、話が早くて助かります。では……ファイちゃん。また今度、フィリスに来たら私の名前を出してね? アミスティ・ファークスト・イア・アグネストよ?」
アミスの名前をファイが復唱して、「覚えた」と頷く。彼女の物覚えの良さはアミスも目を見張ったほどだ。恐らく大丈夫だろう。あとはフィリスの憲兵たちにファイのことを話しておけば、おおよそ事態は丸く収まることだろう。
これでアミスはファイという孤児の安否を確認することができたし、アグネスト王国は9人目の白髪を抱えることができる。戸籍上のファイの住所については、ひとまず、後見人になる予定のアミスの別荘を記載しておけばいい。落としどころとしては十分すぎるだろう。
今なお声をあげる「エナリアの秘密」への好奇心を王女としての鉄仮面で覆い隠したアミスは、大きく一度頷いてみせる。
「分かりました。私としてはファイちゃんの無事を確認し、ニナさんの身元が判明すればそれで良かったのです。それに私は王女の身。長く王都を離れるわけにはいきません。よって、今回はニナさんのお誘いを辞退させてもらいますね」
ガルン人、つまりは人類の敵である少女に、アミスが頭をさげることはない。たとえ目の前の人物が今この場でアミスを瞬殺できるのだと分かっていても、アミスは王女として、悠然と微笑んでいなければならないのだ。
果たして提案を蹴った時、ニナはどんな反応をするのか。緊張で汗が流れないように注意しながらアミスが見つめる先で、ニナはあからさまに気落ちした表情を見せる。
「そ、そうですのね……。残念ですが、承知しましたわ」
そういうだけで特段、気に障った様子を見せることは無い。アミスを見れば例外なく襲い掛かって来る野蛮なガルン人たちと、本当に同じ世界で生まれたのか。そう思わずにはいられないほど、異端の少女だ。
「アミス。私たちと一緒しない、の……?」
微かに眉尻を下げて残念そうにするファイにも、アミスの決意が揺らぐことは無い。
「ごめんね、ファイちゃん。またいつでもウルンに来てね。その時は私とフーカで――」
いよいよ別れの挨拶を、と、アミスが話を締めようとしていたまさにその時。
「あ、あああ、あの!」
いつになく声を張り上げたのは、フーカだった。
「フーカ? 一体どうしたのよ」
「あ、アミス様、ちょっとご相談を……」
口に手を当てて内緒話の姿勢を見せるフーカに、アミスも重要な話であることをすぐに察する。
「ニナさん、ファイちゃん。少しフーカと話して来ても良いかしら?」
「え? あ、はい」
念のために断りをいれて、ニナ達から距離を取るアミス。そして風の魔法で音と視界をごまかして、フーカと話す環境を整えた。
「それで、どうしたのフーカ?」
「は、はいぃ。えとえと、ですねぇ~……」
そこから行なわれたフーカによる提案に、琥珀色の瞳を大きく見開くことになるアミス。
「う、上手くいけば王国の……人類のエナリア攻略に革命が起きるかもしれませんしぃ。も、もしフーカが失敗しても、失うのはフーカという黒髪1人ですぅ。分の悪い賭けではないのではないでしょうかぁ?」
「それは……。そうかも、知れないけれど……っ!」
フーカの理屈は、ひどく正しい。黒髪“ていど”の人材を支払うことで、莫大な国益が得られるかもしれないのだ。
そして王女たるアミスは、残念ながら理屈を優先しなければならない。たとえ失われるかもしれない命が大切な友人で、幼馴染で、頼れる腹心だったとしても。個人的な事情は、廃さなければならない。
ふぅっと吐いた息に、万感の思いを込めるアミス。彼女が次に目を開けたとき、そこに居るのはもう、第3王女『アミスティ・ファークスト・イア・アグネスト』という、国家の歯車だ。
アミスの変化に気付いたのだろう。笑顔を見せたフーカは膝をつき、頭を差し出す姿勢を取る。そんな大好きで大切な彼女に向けて、
「――では、フーカ・ファークスト・アグネスト。貴方の侍女頭の任を、今この場をもって解任します」
アミスは別れの言葉を口にするのだった。




