第153話 「好き」は、言えないけど
場所は変わらず第10層にある階層主の間。巨大な夜光灯が照らす黄土色の空間で、ファイはニナに改めて自身の考えを伝える。つまり、なぜアミス達と連れ立ってエナリアを攻略すると言い出したのか、だ。
なお近くにアミス達もいるため、2人はガルン語で話しを行なう。とはいえ、アミスは案の定ニナに片手であしらわれて絶賛気絶中。そんな主人を、フーカが膝枕をしながら介抱している状態だった。
「――なるほど。つまりファイさんはアミスさん達にウルン、探索者としての知識をもたらしてもらおうと?」
ニナの総括に、ファイはゆっくりと首を縦に振る。
「そう。けど……」
そうこぼすファイの表情は優れない。アミス達を連れてくるにあたり、自身の見通しが甘かったことはファイが誰よりも知るところだ。挙句の果てにはフーカを殺しかけ、ニナが積み上げてきた時間を台無しにしてしまうところだった。
道具として自身の考え方が間違っていたとはファイも思っていない。ただ、自身の知識が、能力が、足りなかっただけだ、というのがファイの考えだ。
ニナのために。
これから自分が一層の努力をしなければならないのは当然として、
「ニナ。ごめんなさい……」
まずは、きちんとニナに謝らなければならない。
なんでも察してくれるアミス達に甘え、小さな違和感に見ないふりをしてしまった。その結果、アミス達の中にあるニナへの誤解に気付けず、ニナを攻撃させてしまった。自身のせいでニナが苦しんでしまった。優秀な道具を自称するファイにとって、あるまじき失態だった。
これまでのファイであれば自分を恥じ、ニナのもとを去っていただろう。それでも、ファイがニナに謝る理由。言い換えるなら許しを請う理由を、ニナが察していたのかは分からない。ただ、事実として、
「お顔をあげてくださいませ、ファイさん!」
ファイにかけられたのは、いつもの明るいニナの声だ。先ほど怒られてしまった手前、内心びくびくで顔をあげるファイが見たもの。それは、優しい顔で微笑むニナの姿だ。
「ふふっ! ファイさん? 可愛いお顔が曇ってしまわれておりますわ?」
道具としてのあり方はどうしたのか。そう言われた気がして、ファイは慌てて表情を取り繕う。耳の先だけは赤くなってしまうのはご愛敬だろう。
「ニナ。嘘は良くない。私は普通。私は道具。心は無いから、表情も無い」
「あら? では申し訳ないと思っておりませんのね?」
「えっ!? あ、う……。そ、それは……」
道具で居たいが、道具で居ると誠意を見せられない。自己矛盾の末、ファイはもう眉尻を下げて黙ることしかできない。そんなファイを、ニナは微笑ましげに見つめてくる。
「意地悪をしてしまって申し訳ありませんでした。さて、そんなファイさんに確認したいのですが……」
「な、なに?」
どんな言葉が飛んでくるのか。身構えるファイを、ニナは茶色い瞳で真っ直ぐに見る。
「ファイさんは自分自身で考え、わたくしのことを想って、行動してくださったのですわね?」
1つ1つ。大切な事項を確認するように、ファイに聞いてくる。そして、聞かれたことには素直に答えるのがファイだ。
「そう。アミス達を連れて来れば、ニナの夢が叶う。そう思った」
ありのままを自分の言葉で話すファイに、しかし。
「もう一度。……ファイさんは、それはもう深く……ふかぁ~く! 心の底からわたくしを想って、行動してくださった。そうですわね?」
なぜかニナは同じような質問をもう一度してくる。
「え……? そう。私はニナの道具。ニナのために存在してるし、ニナのために行動する。のが普通、だよ?」
自分の主人は何を確認しているのか。答えながらも微かに眉根を寄せるファイの目の前で、ニナが身をくねらせる。
「はぅ!? そ、そうですわよね。つまりファイさんは、わたくしが、その……す、好きということで、よろしいでしょうかぁ!?」
「それは違う」
「即答でしたわ!?」
誘導尋問のようなニナによる連続の問いかけに、それでもファイは冷静に対応する。
「くぅっ……。話の流れで、と、思ったのですが……っ! ダメでしたわ! 鉄壁でしたわぁ~っ!」
地団太を踏んで天を仰ぐニナの目端には、きらりと光る涙があるような気がした。
もちろんファイも、ニナのことは大好きだ。だが道具である以上、残念ながらファイが好き・嫌いを言葉にするわけにはいかない。
「ニナ、ニナ。私、何度も言ってる……よ? 道具に好きは無い。でも、ニナに尽くすのは当然」
「ふぐぅっ! 嬉しいお言葉! 嬉しいお言葉なのですが、そうではなく~……っ!」
怒って、笑って、悔しがる。感情が服を着て歩いているようなニナを見ていると、ファイも表情を和らげるほかない。
やはりニナと一緒にいると、ファイの世界に色がつく。彼女が居るだけで、空気が一気に明るく華やかなものに感じられるのは気のせいだろうか。
ニナと居る時間が、ファイは好きだ。ニナだからこそファイは一緒に居て、彼女が誇ってくれるような優秀な道具で居たいと思う。だからこそファイは、先ほどの謝罪の、きちんとした答えを聞いておきたい。
「えっと、ニナ? 私……は。これからもニナと“一緒”で良い……の?」
ニナに謝って、許してもらいたい。
「今はまだダメな道具、だけど……。頑張る、から。だから……」
きゅっと唇を引き結ぶファイがニナを見てみると、もとより大きな目を真ん丸にしているニナの姿があった。
「え、えぇっと。つまりファイさんは、わたくしと一緒に居たい……と?」
「……っ!」
なるべくその表現を避けたつもりだったのだが、ニナはあっさりと「本心」というファイの弱い部分を見抜いてくる。
羞恥でファイの顔は一気に赤く染まり、つい反射的に首を振ってしまいそうになる。しかし、きゅっと全身を丸めて緊張させることで、ファイはどうにか堪える。
黒狼でのアレコレがあったあの日に誓ったように、この部分だけは――ニナと一緒に居たいという部分だけは、ファイはどうしても否定することができない。いや、否定したくない。
自身の願望、つまりは弱い自分をさらけ出すことへの羞恥と迷い。それでもどうしても大好きなニナに嘘はつけないという葛藤。沸騰した全身の血が、ファイの目端に光る雫を添える。それでも、
「…………。……(コクリ)」
上目遣いに、どうにかこうにか頷いてみせたファイ。こんな中途半端な自分を、主人は許してくれるだろうか。瞳に不安をたたえながら見つめる先。ニナはと言えば――。
「きゃわぁぁぁ~~~!」
ぴょんぴょん飛び跳ねて茶色い髪を躍らせながら、黄色い歓声を漏らした。かと思えば照れたように頬を両手で覆い、身をくねらせる。
「もう、もうっ! 落として上げるなんて、ファイさんってば相変わらずズルいですわ、人たらしですわっ! それならそうと早くおっしゃってくださいませっ!」
えへへっ、と嬉しそうにしているニナ。好きではないと言っておきながら、ずっと一緒に居たいと言ったファイの言葉が、相当嬉しかったのだろう。いつになく笑顔のニナを見ていると、羞恥と不安で一杯だったファイの胸も優しい温もりで塗り替えられるのだから不思議だ。
「もちろんですわ! わたくし、きちんと申し上げたはずです。『お帰りなさい』と! それにファイさんはわたくしのモノなのでしょう?」
「う、うん」
「であれば! ……ファイさんはわたくしに捨てられる“心配”など、必要ないのではないでしょうか?」
道具であるファイに、心は無いはず。だったら心配する必要もないだろうと、優しい顔でニナは言う。
「……そっか。うん、ニナの言う通り、だね?」
「はい! ファイさんは何を心配するでもなく、ずっと、ずぅ~っと! わたくしの側に居てくださいませ!」
笑顔を見せるニナに、ファイもほんのわずかに口角をあげながら、頷いてみせる。
ルゥも、ミーシャも、リーゼも。優秀な道具ではない、いまの中途半端な自分だからこそ感じられる“好き”の温もりだ。道具になればいつか失うのだろう尊い温もりを確かめるように、ファイは静かに両手で胸元を押さえる。
「っと。ファイさん。この場で1つ試したいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「……? なに?」
「遊び、と申しますか、実験と申しますか……。えっと、ですわね……」
咳払いをいれて姿勢を正したニナは不意に、表情から一切の感情を消した。それは会議の時などに見せる、エナリアの主としての顔だ。
力こそが全ての世界で一団をまとめる統率者としての凛々しい表情。他者を見下すようなニナの瞳にファイの金色の瞳をきらりと光らせる最中、ニナがゆっくりと口を開く。
「ファイさん? あなたを捨てるかどうかはわたくしが決めることですわ。よってあなたは黙って、わたくしに付き従えば良いのです」
言われた瞬間、ファイの全身がブルリと震える。本人も知らず知らずのうちに浮かべているのは恍惚の表情だ。何せ大好きなニナが、ファイの求める態度を取ってくれている。ファイをただのモノとして、温度のない瞳で見つめてくるのだ。ファイにとってこれ以上の喜びと快楽――幸せ――はない。
初めて見るだろうファイの顔に一瞬だけ「うっ」と表情をひきつらせたニナだったが、すぐに冷たい顔と声を再演する。
「それに、ファイさんの失敗ごときをわたくしが気に留めるとでも? はっ。思いあがらないでくださいませ」
ミーシャのように鼻を鳴らしてファイをぞんざいに扱うニナの姿に、またしてもファイの全身を心地よい快感が駆け抜けていく。気づけばファイは地面に正座しており、金色の瞳をキラッキラに輝かせてニナを見上げる姿勢を取っていた。
「あなたがどれだけ失敗しようとも、わたくしであれば余裕で受け止められます。それともファイさんはわたくしを、他者の失敗をなじる小心者だとお考えなのですか?」
「そんなことない! ニナはすごい! ニナは優しい! ニナは、最強!」
「いつになく生き生きとしておられますわっ!? コホン……。つまるところ、わたくしが申し上げたいのはただ1つ。――これからも失敗を恐れず、わたくしのためを考えて行動してくださいませ」
一瞬だけ素を覗かせたものの、統率者然とした姿でファイに命令をくれるニナ。ようやく自分の扱い方を分かってくれたらしい彼女の言葉に、ファイはただ一言。
「分かった!」
眉を立てて声を張る。正座をしながらやる気を前面に押し出すファイに、なぜか。
「や、やはりこれがファイさんにとっての“正解”、なのでしょうか……?」
頭が痛いという様子でニナは苦笑していたのだった。




