第139話 お会計でも戦う、よ
自分1人でも買い物をすることができるか。
自分自身の有用性を確認するために、アミスとフーカを置いて1人で魔道具量販店に挑戦したファイ。ただ、そこで独りよがりにならないところが、リーゼ達がファイを「賢明だ」と評価するところだろう。
絶対に店の事情に詳しいはずの従業員たちを頼り、事情を説明して助言を乞う。自身が何も知らないことを自覚しているがゆえに、ファイは知識面において他者を頼ることをいとわない。
数人の店員から話を聞きながら、エナリアでも使うことができる撮影機を10分ほどかけて吟味したファイ。最後にお会計をすれば、晴れて買い物が終了する。そう思っていたところ、従業員からこんな説明があった。
「――白髪様。実はこの商品をお買い上げいただくためには、我々の用意した試練を突破していただかなくてはならないのです」
会計の棚に商品を置いたファイは、その説明に首をかしげる。どうしてそんなことをしなければならないのか、疑問だったから――ではない。
「えっと。しれん、は、なに?」
そもそもウルン語での「試練」という言葉を知らなかったからだ。黄色に染められた髪を揺らすファイに、従業員の女性は笑顔を絶やすことなく続ける。
「はい。この撮影機と投影機はとても高価で、扱いが難しい商品となります。そのため、きちんと使うことができるのか、この店では確かめるようにしているんです」
どうやらウルンでは、高価なものを売るに値する人物かどうかを確かめる習慣があるらしい。ウルン人の従業員が言うのだから、間違いないないだろう。つまりファイがこの機械たちを購入するには、従業員が提示する課題を突破しなければならないようだ。
「うん……? だけど他のお会計で試練? は、なかった、よ?」
ファイが言う「前」とは、前回のはじめてのおつかいのことだ。あの時も食事処や洋服店などでお会計をしたが、試練など無かった。だと言うのに、今回に限ってなぜ、そんなことをしなければならないのか。疑念というよりは単なる疑問として尋ねたファイに、女性は笑顔を崩すことなく説明をしてくれる。
「先ほども申し上げましたが、こちらの商品。価格はご覧になられましたか?」
「うん。えっと、たくさん数字があった」
前回ファイが購入した撮影機の値札に並んでいた数字は6つ。だが、今回ファイが手にしている数字は7つ並んでいた。まだ算数は苦手なファイだが、数字の桁が増えると「すごくなる」ことくらいは知っている。
「はい。その商品は非常に高級なものなのです。つまり、使い手を選ぶというわけですね」
「使い手を、選ぶ……? …………。……はっ!」
そこでハタとファイは気付いてしまう。恐らくこの撮影機を始めとする高い魔道具は、自分や機械と同じなのだ。
つまり、思考する機能がある。
そして、ファイからすれば高慢にも、魔道具たちは使用者を選ぶのではないだろうか。自分を――その道具を――使うに値する人物なのかどうか。自分に命令するだけの資質があるのか。お会計を通して、知ろうとしているのではないか。
なまじユアへの配達業務や散歩、調教など、あらゆる面で戦闘を経験してしまっているファイ。買い物に戦闘がつきものであることに、疑問を持つことができない。むしろ――。
(きっと、ニナ達が力比べをするのと一緒!)
自分の経験と照らし合わせた時、従業員の言葉に妥当性を見出してしまった。
「分かった。じゃあえっと、私は何をすれば良い?」
「ご了承いただき、ありがとうございます。では、どうぞこちらへ」
貼り付けたような笑顔のまま、女性従業員はファイを店の奥へと案内してくれる。幅と奥行きが30mほど、高さが10mほどの大きな部屋だ。どうやら倉庫のようで、商品の入った沢山の箱が積まれていた。
と、その中に1つだけ、他の箱とは毛色の異なるものがある。物言わぬ魔道具たちが収まる箱が並ぶ中で、その箱――檻の中からは息遣いや爪で金属をひっかく音がしているのだ。
おかげでファイが見ようとせずとも、意識と視界に入ってくる。その巨大な檻に向けて、従業員は迷いなくファイを案内した。
「こちらです」
女性が手で示した檻。改めて近くで見てみると一層、檻の大きさが分かるというものだ。ファイの目測で5m四方だろうか。もはや1つの建物のようでもある。そんな大きな檻に収まっていたのは、巨大な鰐だった。
檻の中で身体を丸めているため正確な大きさは分からない。が、体長は軽く10mを越しているように見える。黒い体表に、ごつごつとした鱗の肌。ファイ達という獲物を見つめる瞳は、ロゥナの瞳より少し暗い黄色をしている。
ファイの知る鰐――魔獣の方――は息を殺してジッと獲物待っている印象だが、このウルンの鰐は違った。鼻息荒くファイ達を見つめていたかと思うと俊敏に動き出し、巨大なあごを広げて飛びかかってくる。檻があるために食べられることは無いが、迫力という意味では十分すぎるものがあった。
「白髪様のためにご用意したこの狂暴な鰐を、これから町に放ちます」
「…………。……え?」
一瞬、女性従業員の言葉に理解が及ばず、困惑の声を漏らしてしまうファイ。その間にも女性はウルン流のお会計と思われる手続きを進めていく。彼女が檻に付けられていた光る板を操作したかと思うと、突如。ガチャンと重い音を立てて鍵が開く音がした。
いったい何の鍵が開いたのか。察することができないファイではない。女性のすぐかたわらにある、凶暴な鰐が入った檻の扉が開いたのだ。
「ま、待って。多分その子、危ない……よ? 町に出したら、みんな危ない」
「はい。だからこそ、です」
言いながら、女性は服を脱いでいく。ファイからすればさらに「?」が増える状況だ。
度重なる予想外の出来事に固まるファイの目線の先で肌着姿になった女性は、白かった。肌着も、肌着の裾から覗く下着も、全てが白い。ただ一点。胸元に小さく、青い刺繍が施されている。
女性の横顔を模したようなその模様には、ファイも見覚えがあって――。
「フア・ワタ……?」
フア・ワタ。『聖なる白』。ファイを悪漢たちから守ってくれた、良い人たちだ。
「我らのお名前を覚えていていただき、恐悦至極です、白髪様」
「あ、うん。それはもちろん。って、そうじゃなくて――」
「白髪様。この鰐と同じく危険な動物がこれから町に5匹、放たれます。それらを全て、倒してください。そうすればきっと、貴方様の力を、白髪の偉大さを、人々が思い知ることになるはずです」
狂喜も、歓喜も、期待も、絶望もない。ただ淡々と女性は語る。が、ファイには彼女の言うことが意味不明だ。そのままの意味で、何を言っているのか分からない。
ファイはニナのために、撮影機を買いに来た。そして撮影機を買うことのできる素質が自分にあるのか、試されているというのも分かっているつもりだった。だが、いま女性が言った内容は、よく分からない。ついでになぜ女性が服を脱いだのかも分かっていない。
ファイは確かに、賢いのかもしれない。だが、決して器用ではない。言葉もたどたどしく、時間をかけて物事を理解する。普段は周りの人々の支えや配慮によって、彼女は思考する時間を得られている。しかし、こうも立て続けに理解不能なことが起きてしまうと、どうしても固まってしまう。
「えっと。あなたは何を言ってる、の? 何を――」
「白髪様」
名前を呼ばれ、つい言葉を止めてしまうファイ。いつしか視線は女性にしか向いておらず、彼女の背後で開く檻の扉も、動く巨大な影も、ファイにとっては景色の1つでしかなくなってしまっていた。
「どうかそのお力を、世にお示しください。……聖なる白に、救いあれ」
貼り付けたような笑顔から、一転。女性が心の底から笑ったような気がした瞬間、彼女がファイの視界から消える。代わりに響いたのは、手を勢いよく打ち合わせたようなパンッという音だ。
「ぇ」
ファイの喉から声が漏れたときには、女性の上半身は鰐の巨大な口の中へと消えてしまっていた。
ちょうど同じころ、裏口だろうか。倉庫の奥にある大きな両開きの扉の向こうから、人々の悲鳴が聞こえてくる。先の女性の言葉を信じるのであれば、目の前にいる鰐と同じような動物が町に放たれたのだろう。
(う、ウルンのお会計、大変……っ!)
このままでは、自分の会計に多くの人々を巻き込んでしまう。早く対処しなければならない。ファイは口を赤黒く染める目の前の鰐へと目を向ける。
こちらを見つめる黄色い瞳。そこに理性の色はなく、ただただファイのことを獲物としてしか見ていない。進化欲を持つ魔獣たちとは違いう。純粋な食欲からエサとして、ファイを見ている。
思い出すのは、ユアの研究所で戦った黒の暴竜だ。自身の力に戸惑い、あるいは恐怖して暴れていた暴竜を、ファイは“受け入れる”ことで鎮めて見せた。
しかし、今回は相手も状況も全く異なる。まず圧倒的な殺意を向けてきている相手に、ファイは手加減をする自信が無い。また、ファイが手をこまねいていると、多くの犠牲が出てしまうかもしれない。
もし今回の会計で多くの犠牲が出てしまうと、またしても自分が汚れてしまう気がしたファイ。
鰐を倒して魔道具に認めてもらい、会計を済ませるために。また、ニナの隣に並んでいられる自分であるために。
「いく、ね」
倉庫内の箱をまき散らしながら突進してくる巨大な鰐に向けて、ファイは自身の力を解放することにした。




