第138話 その“幸せ”は、偽りよ
その後、いくつかの甘味処を経由して迎えた、お昼前。時刻にして11時頃。
「行ってくる、ね?」
「ええ、頑張って!」
ひとり魔道具店へと向かっていくファイを、笑顔で手を振って見送るアミス。
本当にファイは1人で遠隔撮影機を買うことができるのだろうか。アミスとしては気が気でないが、ファイは「私1人で大丈夫、だよ?」と言っていた。遠回しについてくるなという彼女の言葉を、アミスは受け入れることしかできない。
(だって今、彼女の不興を買うわけにはいかないものね)
作戦実行までに、可能な限りファイの機嫌を取る。それが今、アミスとフーカに課せられている使命だった。
遡ること2週間。アミスは、このフィリスの町に別荘を買った。
『……フーカ。1つ、頼みがあるのだけど――』
先日のフーカへのお願い。それこそが、フィリスの町にアミスのお小遣いで別荘を買うというものだった。海沿いの町にほっと一息つく一軒家が欲しい。仲間と集まって団らんする個人的な家が欲しい。理由は様々あったのだが、やはり時節柄、ファイが姿を見せたときに素早く対応するためという側面が大きかった。
フーカが操る魔動二輪者をかっ飛ばせば1日弱でフィリスに行くことができる。普通の車でも2日だ。初めての別荘にしてはちょうどいいと海沿いの一軒家を買って、はや2週間。
公務もなく、光輪の書類も爆速で仕上げて強引に連休を捻出。そうして内見をして以来、初めて別荘での余暇をフーカと共に堪能していたのだが――。
『ファイを名乗る少女が居る』
エナリアを監視していた協会員から連絡が来たのが、明け方だった。長期戦を覚悟していたアミスとしては、想定よりもはるかに早いファイの登場だった。
そもそもアミスが探索者であること。また、ファイへの対処を想定していたこともあって、別荘には予備の装備も準備していた。
着替えと装備を整え、寝癖もそのままに自身はひとまず“不死のエナリア”へ直行。他方、相棒のフーカには憲兵の手配と、住民へ以下の通知を行なってもらった。
『狂暴な野生動物が出現したため討伐をする。そのため本日は、町の東側――“不死のエナリア”方面への外出を控えること。ただし、町の中は安全であるため、可能な限り新世祭の準備を進めるように』
その内容は、もちろん嘘だ。狂暴な魔物も、討伐予定も、どこにもない。しかし、ファイを無理やり保護するためには間違いなく戦闘になる。
住民たちの安全確保を行なうには、例え嘘であっても、第3王女名義のちょっとした強制力を持った勅令が必要だった。
なお、勅令の後半部分――日常生活を“演じる”ように言ったこと――については、ファイに不信感を与えないための配慮だった。
そうしてフーカに緊急配備を整えてもらいつつ、アミスは“不死のエナリア”へと全力疾走で向かった。他でもない、自身が真っ先にファイと接触するためだ。
だが結果として、アミスがエナリアについた頃にはファイは居なかった。代わりに、申し訳なさそうにこちらを見る協会員の男たちだけが居ただけだ。
彼らの話を聞けば、ものの数秒で全員が昏倒させられてしまったらしい。おかげで足止めすら叶わず、しかも行方を見失ってしまったという。
(恐らくファイちゃんは、エナリアでも使える撮影機を買いに来させられたはずよね。けれど……)
フィリスと“不死のエナリア”をつなぐ街道は1つしかない。もしファイがフィリスに向かっていた場合、必ずすれ違っていたはずなのだ。
にもかかわらず、アミスはファイの姿を見かけていない。考えられる理由は、ファイがフィリス以外の町に行ったか。あるいは、たとえば魔法で空を飛んでフィリスの町へと移動したか、だ。
もし前者なら、アミス達にはもうできることが無い。広い大陸でたった1人の人物を探すなど、不可能に近いだろう。
入れ違いになった可能性にかけて、アミスは町に残ってもらっているフーカへと連絡を入れる。魔素に敏感な彼女の敏感な翅であれば、魔法の残滓を感じ取ることができるからだ。
そうして、フーカにファイの捜索を依頼したのが朝6時30分過ぎ。その後、ファイ発見の報告があったのが7時30分ごろ。急いで戻って着替えと化粧による『アミス』の変装を済ませ、ファイを見張ってもらっていたフーカと合流したのだった。
以降は、ファイにアグネスト王国を好きになってもらうよう努めつつ、“保護する”ための準備が整うまでの時間稼ぎをしなければならない。
もう既に王都を始め各所に連絡は済ませているが、特別な自動車などを使っても王都から人員が大量に派遣されるためには2日以上かかる。
つまり、自動車よりも早く走ることができる青色髪以上の人員が数人、駆けつけることができるかどうかだろう。王都に住む白髪2人にも連絡を入れてもらっているが、良くも悪くもアグネスト王国は自由主義だ。駆けつけるかどうかは本人たち次第となる。
ファイが1人で店内に踏み込んで、少し。店員と何やら話しているファイから目をそらさず、アミスはフーカへと言葉だけを向ける。
「……フーカ。どう?」
必要なものすら省いたアミスからの問いかけを、長年の付き合いからフーカは正確にくみ取る。
「え、えぇと。憲兵については問題なく。ですが、追加の人員はちょっとぉ……」
ファイを保護するうえでの人員がまだ十分ではないことを教えてくれる。
「お仕事斡旋場に公示しますかぁ?」
このままでは十分とは言えない戦力でファイを迎え撃つことになる。そのため、困窮者を中心に仕事を斡旋する王国傘下の組織に情報を公開してはどうか。そうすれば、多少なりともフィリスの町にいる人員を確保できるのではないか。アミスに提案してくるフーカ。
だが、アミスとしては可能な限り避けたいところだ。
もしファイの存在を公にした場合、周辺各国の間者が喜び勇んで参戦して来ることだろう。そして、どさくさに紛れてファイを自国へと連れ去るかもしれない。
また、アミスがファイの保護の要請を公にできない理由に、この場所がフィリスだからというのがある。
実は前回のファイの出現から、黒狼の残党と「白髪教」こと宗教組織『聖なる白』が手を組んだという話があるのだ。その拠点が、この町フィリスにあるという。
アミスとフーカがこの場所に居を構えた理由の1つに、そうした“裏の事情”の調査もあったのだ。有事の際に余計な横やりが入るのを防ぐためにも、ファイが来るまでに面倒ごとを解決しておきたい。そう思っていた矢先の、今回のファイの出現だった。
そのため今この時機のファイの出現はアミス達にとって、あまり歓迎すべき事柄ではなかった。彼女を保護するには、懸念事項があまりにも多すぎるからだ。
(けれど、ファイちゃんのためにも。今回で必ず、あの子を保護しないと)
店内で揺れる黄色く染められた白い髪を眺めながら、闘志を燃やすアミス。もし保護に失敗すれば、間違いなくファイと、誘拐犯ニナに警戒される。恐らくもう二度と、王国民になってもらうことは叶わないだろう。
もっと慎重に策を練り、人員を揃え、事に当たるべきなのかもしれない。それでもアミスは、今日を逃すつもりはない。
エナリアでも使える撮影機を買いに来たということは、ファイと誘拐犯ニナは間違いなくエナリアに住んでいることの重要な証拠になる。つまり、もし今回もファイを見逃せば、アミス達は広大なエナリアのどこかにいる彼女を探し出さなくてはならなくなる。捜索にかかる対価は計り知れない。
(何より! ……誘拐犯と一緒にいるって状況が長引くのは、ファイちゃんにとって絶対に良くないものね)
身なりも整い、肌艶も良いように見えるファイ。心なしか、前に見た時よりもふっくらとしている気もする。少なくとも黒狼のような劣悪な環境に置かれているようには見えず、その点についてはアミスも一安心だ。
だが、だからと言って誘拐という行為が許されるわけではない。もしファイがいまの環境を気に入っていたのだとしても、それはまやかしだろう。
誘拐には“手懐け”という手口がある。あの手この手で誘拐してきた人物の心身を掌握し、その場所に居ることを“良いこと”と勘違いさせる手法だ。当人が幸せなのだから良いではないか、など。末席とはいえ国を預かる身であるアミスが、考えられるはずもなかった。
(王女アミスティの名に誓って。必ず貴方を幸せにしてみせるわ、ファイちゃん!)
と、意気込む彼女にふと影が差す。探索者として反射的に状況を確認してみると、フーカだ。彼女がアミスのために、目いっぱいに背伸びをして日傘を差してくれている。どうやら今日の買い物のどこかで、買っておいてくれたらしかった。
「あ、アミス様の玉のお肌が焼けてしまいますぅ~……!」
そう言ってプルプル震えながら、アミスの肌をフォルンの光から守ってくれるフーカ。その愛らしい献身には、さすがのアミスもフーカへと目を向けて応えなければならない。
「ありがとう、フーカ! だけどコレくらい、自分で持つわ」
そう言って、アミスはフーカからやんわりと日傘を取り上げる。もちろん抵抗しようとしたフーカだが、アミスも彼女のことはよく分かっているつもりだ。そっとフーカの小さな方に腕を回して引き寄せ、彼女も傘の影に入るようにしてあげる。すると、「あぅ」と悲鳴を上げて顔を真っ赤にし、借りてきた猫のようにおとなしくなった。
それでもすぐに、アミスにピッタリと引っ付いて体重を預けてくるフーカ。背中の翅がぴくぴくと嬉しそうに動いている様に見て見ぬふりをしつつ、アミスが改めて店内にいるはずのファイの姿を探すと――
ファイの姿はもうどこにもなかった。
「大変……!」
アミス達がファイから目線を切ったのはせいぜい十数秒だ。それも、最後に見たときにはもう既に、ファイは商品の入った箱を両手に持っている状態だった。あとは店の奥にある会計を済ませるだけだったはず。
焦りながらも冷静に思考を巡らせたアミスは、急いで店の奥へと目を向ける。が、やはりどこにも彼女の姿が見当たらない。棚の影に隠れている可能性ももちろんあるが、そう考えるのは楽観が過ぎるだろう。
脳裏をちらつく、白髪の宿命。強大な力を持つ彼女たちは、否応なく人々の思惑に巻き込まれてしまう。そして、このフィリスの町では現在、様々な組織の陰謀が渦巻いている。
「フーカ! ファイちゃんには悪いけれど、お店の中に入るわよ!」
「ふぇ!? は、はぃ~!」
一時とは言えファイから視線を離してしまった自身の不徳を恥じ入りながらも、アミスは魔道具量販店へと駆ける。
(お願い、ファイちゃん! 無事で居て!)




