第127話 ガルンに触れた、よ?
第15層。下層の始まりでもあるその場所を行く、ファイ、リーゼ、ムア(犬の姿)の3人。赤色等級以上の探索者たちで無ければ、なかなかたどり着くことができないような場所だ。ファイが辺りを見渡してみると、地面から突き立っているのは橙色と黄色の色結晶が良く目につく。
ウルン人がほとんど足を踏み入れたことが無いことも会って、上層・中層に比べると色結晶の密度は高い。大きさも1m以上と申し分なく、見える範囲の結晶を集めれば1年以上は遊んで暮らせる財産を築くことができるだろう。
だが、当然、ここに生息する魔獣たちは強力な個体が多い。例えば――。
「〈ヴァン〉」
ファイがたったいま爆発の魔法で吹き飛ばした毛深蟹は、体高50㎝ほどの巨大な蟹だ。名前の通り全身が長い毛におおわれており、もはや甲殻が見えないほどになっている。
特筆すべきは4本の鋏だろう。30㎝以上もある鋏の力は強く、防具の上から探索者を挟んで潰してしまうほどの力を持つ。
だが、強力な鋏については上層に住む毛蟹の魔獣も持っている能力だ。進化を経て毛深蟹になると、口から泡や水を吹き出す特殊能力を持つようになる。毛深蟹の体液が含まれたその水や泡にはぬめりがあって足元が滑りやすくなったり、個体によっては毒を持っていたりもする。
硬い甲殻はもちろん刃物を通さない。そのため、倒すときは打撃系の武器で叩き潰すか、焼き殺すのが一般的だった。
なお、ファイは爆発で毛深蟹を吹き飛ばして壁にぶつけ、潰して倒していた。
「せっかくなので、この毛深蟹はお鍋にしましょうか」
爆発によって軽くあぶられ、美味しそうな香りを漂わせる毛深蟹を見下ろすリーゼが侍女服の中の尻尾を揺らす。
「お鍋。美味しい」
「はい。特に毛深蟹は、身はふっくら。殻からは良い出汁も出て、この1体だけで軽く1人前を作ることができます」
「ファイ! この手のとこ、ここが美味しいよ!」
リーゼが衣嚢から縄を取り出し、毛深蟹を括り付ける。最後に縄で器用に持ち手の部分を作って、ひょいと持ち上げた。
その後、少し行けば別の魔獣に出くわす。今度は上陸魚の群れだ。大きさ10~20㎝ほど。お腹の部分から下向きに4本の足――正確にはヒレ――が生えており、その足を器用に使って陸上をぴょんぴょんと動き回る。
主な攻撃方法は鋭い牙による噛みつきだ。口は小さいが噛みついた相手の肉を確実に噛み千切るあごの力も持っている。さらに陸魚から進化を経て目の前にいる上陸魚になると、岩や鋼鉄をもかみ砕くようになる。水中ではお腹に石を溜めて浮力を調整して泳ぎ、陸上では礫を飛ばして攻撃もしてくる魔獣だ。
何よりも厄介なのが、その数だろう。1体1体は十数セルチと大きくはないが、最低でも10体、多い時は100近い数で群れをつくり、獲物を狩る。白銀の鱗を持つことから、「白銀の死の波」と呼ばれることもあった。
今回、ファイ達の前に現れたのは30体ほどの群れだ。エラを開いてファイ達を威嚇しつつ、攻撃の機を伺っていた。
通常はリーゼやムアという“上位者”が居るために本能的に交戦を避ける傾向にあると聞く魔獣たち。だが、今回は巨大な魔素供給器官をもつファイが居る。そのため、強者への恐怖心よりも進化欲・食欲が上回っているらしい。
「ふふっ。ファイ様、魔獣から大人気ですね」
「うっ……。ごめん、ね? すぐに私が倒す、から。――〈ヴァン〉」
群れとしては最低でも黄色等級以上の危険度を誇る上陸魚だが、単体で見たときは緑色等級に毛が生えた程度だ。ファイもこれほどの群れに対面するのは初めてだが、どうせ〈ヴァン〉だけで一網打尽にできる。そう思って魔法を使用すると、
『『『(ひょい)』』』
魔素が収束して爆発する直前。まるでどこで爆発するのかを察知したような動きで上陸魚が散開する。そのせいで、爆心地に近い位置に居た数匹しか焼き殺すことができなかった。
「……あれ? ……〈ヴァン〉」
偶然かもしれない。そう考えたファイは再び、上陸魚の群れの中心付近を起点として魔法を使用する。が、結果は先ほどと同じだ。目に見えない魔素の動きを感じ取っているかのように、上陸魚たちはファイの魔法を避ける。
「…………。……(ふんす)」
中々やるではないかとやる気をみなぎらせるファイ。今度は上位の魔法に当たる〈ヴァン・エステマ〉を使って、逃げられないほどの範囲を焼き尽くしてやろうか。ファイが集中力を高め、通路を覆い尽くす爆発を発生させる、その前に。
リーゼがそっとファイの前に歩み出る。そして「ふぅ」と小さく時をこぼした。
瞬間、前方に広がったのは灼熱の息吹だ。一瞬にして薄暗いエナリアに極光が光、ファイの体感気温がグッと上昇する。チリチリと肌を刺す熱波をやり過ごせば、あとに残ったのは丸焦げになった上陸魚たちだけだった。
「側線と呼ばれる器官で、大気中の魔素の動きを察知していると言われていますね。だから魔法も避けられたのかもしれません。それでは、参りましょうか」
上陸魚の生態について軽く触れながら何事も無かったように歩き出すリーゼに、「リーゼ先輩がいると、つまんなーい」と愚痴をこぼすムアが続く。
ほとんど前兆も無しに前方数十メルドを焼き払う息吹を使用して見せたリーゼ。しかもその熱は、ファイをして「熱い」と感じられるものだ。あの熱が自身に向けられた時、果たして自分はどうなってしまうのだろうか。無意識のまま、ファイはゴクリと喉を鳴らす。
「わんっ! ファイ? 行かないのー? それともここでムアと遊ぶー?」
ムアからの呼びかけにハッと我を取り戻すファイ。「いま行く」と言って、急いで2人に合流する。
「(クンクン……)あはっ! ファイ、きんちょーしてる♪」
「なっ。そんなことない。冗談は良くない、ムア」
「うっそだぁー! だって冷や汗の臭いするし、心臓も早い。呼吸もちょっとだけ、浅くなってるもん。ひょっとしなくても、リーゼ先輩にビビってるんだぁ~♪ ぷぷ~っ♪」
鋭敏な五感で、ファイでは制御しきれない生理現象の数々を感じ取り、的確にファイの内心を測ってくるムア。ファイが弱気になっていると見るや否や、すかさず煽ってくる。
(ユアとムアと話すときは平常心が大事。……私に心は無い、けど!)
ふぅっと小さく息を吐いて歩き出すと、ムアも「わん」と鳴いてファイの後をついてくる。
前に道案内役のリーゼ。隣に愛嬌のあるムア。頼れる同僚2人と歩きながら、ふと、ファイは思う。
エナリアには無数の未知が満ちていて、たくさんの感動やワクワクがある。ファイがまだ見ぬ景色だってエナリアの数だけあるのだ。そんな“宝物”を、大切で大好きな仲間たちと一緒に探す行為がエナリアの“攻略”なのだとしたら、
(良い、な……)
奇しくも「羨ましい」と、素の弱い自分が思っていることを自覚するファイ。
だが探索者に戻りたいのかと言われると、ファイは首を振るだろう。ファイは、人々にワクワクを提供する今の立場を誇らしく思っているからだ。
先ほど見かけた大瀑布もそうだが、“不死のエナリア”にはきれいな場所がたくさんあって、ユアが生み出す見たこともない魔獣もたくさんいる。
それらを見て、驚いて欲しい。楽しんでほしい。探索者たちに“不死のエナリア”を、ニナ達が創り上げたこの場所を好きになって欲しいとファイは思う。
「ファイ様?」
「ファイー?」
考え事をしていたせいで足取りが緩やかになっていたのだろう。前方で振り返るリーゼとムアが、ファイの名前を呼ぶ。景色は相変わらず薄暗く、光源は壁から突き出す色結晶と光り輝く川しかない。なのに、なぜだかファイには、自分のことを待ってくれているリーゼとムアの姿が眩しく映る。
「――いま行く、から」
駆け足で仲間のもとへと向かうファイだった。
そうして魔獣をあしらいながら歩き続けること、しばらく。最寄りのエナリアの裏側への入り口から1時間ほど歩いた頃。
「ここですね」
リーゼが立ち止まったその場所には、巨大な横穴が開いていた。リーゼの口ぶりからして、恐らくここがガルンへと続くエナリアの入り口なのだろう。何か特別な空間があるわけでもなく、洞窟の通路がそのままガルンへと続いているようだった。
「これが……」
言いながら、直径15mほどの横穴へと手を伸ばすファイ。すると、ウルンへの入り口同様に、透明な膜に触れるような感触がある。ガルン側の入り口にも時空の断裂が発生していて、エナリアの中から外への干渉はできないようになっているらしかった。
ただ、“向こう側”が見えないわけではない。実際、ウルンへの入り口を目にしたファイは、エナリアの中からウルンの空を視認していた。つまり、いま目の前にある穴の向こう側に見えている景色がまさに「ガルン」であるはずなのだが――。
(真っ暗……)
横穴の向こうには本当に何もない。漆黒の闇だけが広がっている。年中分厚い雲に覆われ、フォルンの光が通らないガルン。多目的室でもチラリと見えていた世界だが、やはり真っ暗だ。
それでも向こう側に世界があると分かるのは、ファイの目が特別だからだろう。色などは判然としないが、荒涼とした大地の地形や、空を飛ぶ鳥たちの姿などはきちんと確認できる。
また、遠くで光り輝く場所がある。ファイが金色の目を凝らして見て見れば、いくつもの建物らしき影が見て取れる。どうやら町があるらしいが、10㎞は離れているだろうか。さすがに遠い。詳細までは把握できなかった。
ただ、1つ分かったこともある。どれだけ暗くても、どれだけ生物の気配を感じなくとも、やはりそこには人々の営みがある。世界があるのだ。
(これが、ガルン……。ニナ達の、世界……)
暗闇で生きてきたからだろうか。ファイにとっては眩いフォルンが照らすウルンよりもむしろ、ガルンの方に親しみを感じてしまう。
できればもう少しこのまま。友人たちが住まうガルンを観察していたかったファイ。しかし、
「ファイ」
「ファイ様」
「うん、分かってる」
こちらに、近づいてくる人の気配が、それを許さなかった。




