126話 目の色が違う、ね
通常、下層に当たるこの場所にミィゼルを始めとする住民たちはあまり近づかない。ここに生息する水棲魔獣は強力な個体が多く、住民たちでは対処できないからだ。なのに、なぜミィゼルはこの場所に居たのか。それは、先ほど見かけた魚人族の子供に理由があったのだという。
なんでも第13層で狩りの仕方を教えていた際、子供が誤って滝壺に落ちてしまい、ミィゼルはそれを助けに行ったそうだ。
幸いにも先日のサラの遡上によって、この辺りを縄張りとしていた強力な魔獣は倒されていたのだという。母子ともに安全だったらしい。だが、問題はその直後。見たことのないガルン人――密猟者たちと出会ったことで状況は一変した。
彼らが高圧的な態度――子供の言い方では「怖い態度」――で、ミィゼル達に“あること”を聞いてきたのだという。だが、ミィゼルはここにきて日が浅い住民だ。答えることができなかったと思われる。
だが、密猟者たちからすればそのような事情は知ったことではない。ミィゼルが隠していると思ったのだろう。子供を人質に取って、聞き出そうとしたらしい。
密猟者たちの隙を突いてミィゼルが子供を取り返したまでは良かったものの、密猟者たちはミィゼルよりも強かった。どうにか逃げおおせた子供が父親を呼んで戻ってくる頃には、ミィゼルは亡き者にされてしまった。それが、リーゼがファイにまとめて聞かせてくれた今回の顛末となる。
ミィゼルの遺体を抱えながら川を上っていく魚人族の家族。悲痛さをにじませる彼らの背中をファイはただ黙ってジィッと見つめる。
エナリアに“死”はありふれている。ファイもたくさんの死を運んできたし、目にしてきた。ファイにとって命の価値は正しく平等だった。密猟者たちの大量の死に最初は面食らったものの、今は足元に転がっている彼らを見ても何も感じない。
だが、エナリアの住民――ファイの仲間――であるミィゼルの死を目の当たりにすると、どうしても胸が苦しくなる。死を悼む心など、道具になる上では必要ない。むしろ太刀筋を鈍らせる要因となるため、やはり心は必要ないはずなのだ。
(なのに、私は……)
死に動揺してしまう弱い自分を、無表情で覆い隠す。そんなファイに、リーゼから声がかかった。
「ファイ様。せっかくですので、ここから近いガルンへの入り口をご紹介します」
ミィゼルの状態を確かめたときについたのだろう。血と水に汚れた侍女服に構わず、リーゼは続ける。これは“汚れ”ではない。そんなリーゼの振る舞いに、少しだけ誇らしくなるファイ。
「分かった」
駆け足でリーゼの隣に並び、輝く川が照らす薄暗い第15層を行く。残された死体については野生のピュレが掃除をしてくれることだろうとのことだった。
つい先ほどまで密猟者たちとの戦いがあったとは思えないほど静かなエナリア。川のせせらぎが、ファイの耳に心地よく響く。
実のところ、ファイが“滝”のある階層に足を踏み入れるのはこれが初めてだ。黒狼と共に15年間積み上げてきた記憶の中では、難易度や危険度が低い平原や雑木林、あるいは洞窟のみで構成された階層がほとんどだった。
森の動植物群系を持つ階層では小川を見かけたこともあるが、こうして洞窟と川、それも光り輝く水が流れる川を目にするのは人生初のこと。
自然、彼女の旺盛な好奇心は川へと向かう。深さは3mほどだろうか。通路の幅は平均して10mほど。その中央あたりに、幅5mほどの川が流れている。底が見えるほど透明度が高く、でこぼことした川底が岸からでも見て取れる。
通信室からピュレ越しに見たことはあるが、こうして近くで目を凝らしてみると、
「あ、魚」
先日、ウルンで食した魚とよく似た、白い魚の群れを発見する。体長は10㎝ほど。数も10匹ほどだろうか。キラキラと鱗を光らせながら、仲良さげに泳いでいる。
さらに少し通路を行けば、今度は川底に沈む岩の陰に隠れる細長い生物を見つける。あれは何だろうか。足を止めてしゃがみ込み、湧き上がる好奇心のままジィッとニョロニョロの生物を見つめるファイ。
すると突然、ファイの目の前の水面が爆ぜた。
「わっぷ……!」
巨大な水しぶきのせいで、わずかの間ファイの視界が阻害される。ひとまず目元を拭って目を開けたファイが次に目にしたのは――。
「わぉぉぉん~~~!」
川の中から飛び出してくる、犬の姿のムアだった。どうやら先ほどの水しぶきは、ムアが川に飛び込んだ時のものだったらしい。彼女の口に咥えられているのは今しがたファイが見つめていた細長い生物だ。
ムアが岸に上がって来た時には、ファイもムアも濡れネズミの状態。
「(ぶるぶる!)」
「(ブルブル♪)」
ファイとムア。2人して頭を振って、まとわりつく水を払う。が、先日のお風呂でお行儀が悪いと言われたことを思い出したファイ。「あ」と小さく気付きの声を漏らした時には、もう遅かった。15年をかけて骨身に染みた癖は、なかなか抜けてくれないらしい。
リーゼのように凛とした女性になる道は遠そうだと密かに落ち込むファイだが、ムアにはそんなこと関係ないらしい。
「ファイ、この魚欲しい? だったらムアとあそぼ! 遊んでファイが勝ったら、あげてもいーよ!?」
尻尾をブンブンと振って、ファイとの再戦をねだってくる。つい先ほど密猟者たちと殺し合って、なんなら手傷まで追っていた。だというのに次の戦いを求めるムアの姿には、ファイも思わず感服してしまう。なにせ戦うことが自身の長所だと考えているファイにとって、ムアの姿勢は見習うべきものだからだ。
どうせなら今度こそムアと雌雄を決しようか。こちらを見上げる左右で色の違う瞳を見ていたファイは、
「……あれ?」
そこでようやく、“裏側”でファイ達の道案内をしてくれていた犬の違和感の正体に気付く。毛の色も、配置も。目の前にいるムアとは何も違いが無い。しかし1つだけ。よくよく見れば違いがある。
(そっか! あの犬は、右目が桃色だった!)
髪色以外、ムアは姉のユアと一緒だと思っていたファイ。だが、こうして彼女たちと何度も会ったことで、左右の目の配置の違いに気が付く。目の前にいるムアは、左目が桃色で右目が水色。だが、姉のユアはその逆なのだ。
つまり、ぶっきらぼうにファイ達をここまで案内してくれたあの犬が“彼女”であることに他ならない。
「リーゼ! リーゼ! さっき案内してくれた子はユアだった!?」
世紀の大発見に思わず声を弾ませてしまうファイに、やや先の方でファイ達のやり取りを見守っていたリーゼがコクリと頷く。
「はい。よくお気づきになられました。さすがファイ様です」
回答に丸を付けてもらえて、「むふー」と鼻を鳴らすファイ。これでようやく、ムアが密猟者たちを相手していたことへの疑問がファイの中で解決する。
ファイ達が職人ロゥナの所にいる間に密猟者たちが来た。その知らせをピュレから受け取ったユアが、何らかの方法でムアに連絡。ムアが現場へと向かった。そうしてムアが密猟者たちを処理した頃に、ファイ達は合流したのだろう。
だが、そうだとするとファイの中に1つ疑問がある。なぜユアがファイとリーゼを案内したのか、だ。
ミーシャに“陰険”や“引きこもり”と言われていたように、ユアが自分の部屋から出てくることは非常にまれなのだろう。ファイもユアと通路で出くわしたりしたことは一度もない。だというのに、今回に限って、わざわざファイ達を待ってまで、案内した。
「ムア。なんでユアは私たちをここに連れてきた、の?」
「え、さっきのムアの話は? この魚、要らなかった……?」
尻尾を垂れさせ、しょぼんとしているムア。彼女の言動に、ファイはそう言えばムアとの話が途中だったことを思い出す。
「あ、えっと。遊ぶ、は、あとでも良い?」
ファイがそう言うや否や、一気に表情を華やかなものにするムア。尻尾も再び元気を取り戻す。
「それならいーよ! で、ユアの話だっけ。ユアがファイ達をここに連れてきたんだとしたら、多分、ムアのことを心配してくれたんだと思う」
ムアの推測では、ムアよりも強いファイとリーゼを援軍として寄越したのではないかという話だ。
「ユアって過保護? 心配性? だから。ムアなら大丈夫なのにねー」
「まぁ、結果論ではありますが、今回はムア様だけで対処できましたね。ですが過去にはニナお嬢様が自ら対処に向かわれたこともあると聞きます。念には念を、ということでしょうね」
もし密猟者たちをとり逃がすことがあれば、被害は拡大していたかもしれない。探索者と出くわすようなことがあれば、それこそニナの夢の危機だ。その点、ファイはここに来たことを無駄だとは思わない。
むしろ今後、同じようにニナの夢を壊すような密猟者が来ようものなら――。
(――今度は、私が)
主人のために。そのためならばファイはどのような事情を押してでも行動できる。確かに命は大切だ。可能であれば、死を伴うような行為をしたくはない。だが、ファイの中での優先順位ははっきりしている。最優先はニナの命令・ニナのためであり、自分の意思など最底辺だった。
と、ファイが密かに侵入者撃退の決意を固めていた時だ。
「……?」
いくつか別れている通路の1つになんとなく人の気配を感じたファイ。振り返って見て見るが、そこには輝く水が流れる川と通路に大きめの岩が転がっているだけだ。
先ほど別れた魚人族が戻ってきたのだろうか。それとも魔獣が隠れているのか。そもそも、ファイが気づけたということは、ファイよりも五感に優れるムアが気づかないはずもない。そう思ってムアを見てみるが、
「ファイー、あそぼーよ、あーそーぼー!」
言いながらファイにじゃれついてくるばかりだ。ならばとリーゼを見て見るが、彼女もやれやれとムアを見るばかりだ。何かを気にした様子はない。
(気の、せい……?)
さらりと白髪を揺らしながら、コテンと首を横に倒すファイだった。




