第125話 これから、だったのに
“不死のエナリア”第14層。幅100m、落差300mを優に超える巨大な瀑布の階層の終着点に当たる滝壺から、少し歩いたところが“現場”だった。
「あっ、ファイ! リーゼ先輩も!」
滝壺から流れ出す淡く光り輝く不思議な川のほとりで、全裸姿のムアがファイ達に向かって笑顔で手を振っている。が、その光景に「え」と言葉を漏らして固まってしまうファイ。
まず、なぜここにムアが居るのかが分からない。なぜならファイとリーゼはつい先ほど、表へと続く縦穴の前で犬の姿になっていたムアと別れたばかりだからだ。だというのに、彼女がここに居る。しかも、恐らく戦闘を終えた状態で。
では、ここまでの道案内をしてくれたあの犬は誰だったのか。そんな疑問が、1つ。
もう1つは、目の前の状況がすぐには理解できなかったからだ。
輝く水に照らし出される、小さな空間。手を振るムア。その足元に転がっている、4人のガルン人。恐らく彼らが件の密猟者たちだろう。全員が獣人族で、獣化をしたのだろうか。全裸に近い状態で転がっている者もいた。
ただ、その程度はファイも見慣れている。だというのにファイが固まってしまったのは、どう見ても彼らが死んでしまっているからだ。半数は頭部が無く、もう半数は身体が2つに分かれてしまっている。水で濡れた床には、きっちりと4人分の赤い液体が広がっていた。
久方ぶりにファイが目にする、生物の“死”。その中心で「見て見てー!」と無邪気に手を振るムア。生と死が際立って見える光景に軽く衝撃を受けるファイ。だが、直後、ビックリしてしまっている自分自身に気付いた時、ファイは改めて驚くことになる。
ファイにとってこれまで、死は当たり前で、ありふれたものだった。ニナにも明かしたように魔獣・ガルン人に関わらず、多くの魔物を葬ってきた。だから、慣れている。そう思っていた。
だがファイはニナのもとで過ごすようになり、温もりを知り、命の大切さを少しずつ理解し始めてしまっている。ゆえにボロ雑巾のようにうち棄てられている獣人族たちを見たとき、なぜだろうか。チクリとファイの胸が痛んでしまうのだった。
「どうやらムア様が処理してくださったようですね……と、ファイ様? どうかなさいましたか?」
胸を押さえて眉根を寄せるファイに、リーゼが気遣わしげな視線を向けてくる。
「……ううん、なんでもない。それより、あれが密猟者?」
「どうやらそのようですね。とりあえず、ムア様に話を聞きに参りましょう」
ファイ達が歩き出すと、視線の先に居たムアが、近くを流れている細い川に飛び込む。恐らく、返り血を流すためだろう。そのままバシャバシャと水とたわむれていたかと思うと、「ぷはぁっ!」と水面から顔を出し――
「わう~~~~~~~……♪」
――人間の姿のまま四肢を突いて、エナリアに響き渡る声で遠吠えをしてみせる。
淡く輝く水。濡れそぼった水色の髪。ピンと立った尻尾。薄暗いエナリアの中、全裸で吠える小さな少女。その光景はどこか背徳的で、神秘的で、美しい。恐らくこの光景こそが、ムアにとっての日常なのだろう。
「ああして、危機は去ったと住民たちに知らせるのです。……恐らくムア様本人は勝どきをあげているだけで、その気はないのでしょうが」
困ったものだというように笑うリーゼの説明に、「そうかも」と思わずにはいられないファイだった。
「……おや?」
「うん? どうかしたの、リーゼ?」
ファイがリーゼの視線を追ってみると、4つの死体が転がるその部屋にもう1人、人が居ることに気付く。全身が艶のある鱗で覆われた人型の魚――魚人族だ。背中に届く髪の長さや身体の線から、女性であることは察される。彼女は川に下半身を浸しながら、うつ伏せで倒れてピクリとも動かなかった。
リーゼはやや急いだ様子で魚人族の女性のもとへと歩み寄る。そして、血や泥で侍女服が汚れることにも構わずしゃがみ込むと、魚人族の女性の首元に手を当てた。
そのまま何かを確認していたリーゼだが、少しして、分かりやすく眉尻を下げて唇を噛みしめる。なかなか感情を表に出さない彼女の、明らかな表情の変化。ファイもその理由を聞かずにはいられない。
「リーゼ。その人は……?」
しゃがんだまま裳の中で尻尾をゆっくり二度、三度と振ったリーゼ。
「ミィゼル様。ついこの間……そうですね。ちょうどファイ様がこのエナリアに初めてきた頃に移り住んでくださった、魚人族の女性です」
女性の名前とエナリアにやってきた時期を聞いて、ファイもようやく思い出す。ミィゼルは、ファイがニナの面接を手伝った時に顔を合わせた、あの女性だったのだ。つまり、このエナリアの住民であり、ファイにとっては仲間ということになる。
「えっ。じゃあ、助けないと……。ルゥを呼ぶ?」
ファイの言葉に、リーゼは金色の髪を揺らしながら大きく首を横に振る。
「この方は、もう……」
さすがにリーゼのその反応を見て察することができないほど、ファイも愚かではない。よく見れば陸に撃ち上がるミィゼルの腹部辺りには血だまりがあり、川の流れに乗って下流へと流れていく赤い液体も見て取ることができる。
「そう、なんだ……。……っ!」
またしても痛む、ファイの胸。なぜだろうか。見ず知らずの密猟者たちの死を目の当たりにした時よりも、はるかに痛みが強い。それこそ、無意識のうちに眉尻が下がってしまうほどだ。
耐えがたい胸の痛みに、ファイは侍女服の襟元を握りしめる。
「ムア様。何があったのですか?」
ちょうど川から上がって頭と尻尾をブルブルと振るムアに、リーゼが状況の説明を求める。
「うん? えっとねー。ムアが来た時にはその人がこの人たちに殺されそうになってて、だからムアがこの人たちを殺しました!」
ミィゼルと密猟者を順に指さしながら、非常にざっくりとした説明をするムア。よく見れば、ムアの身体も傷だらけだ。
「けっこー強かったけど、所詮は数にモノを言わせたザコって感じ♪ ムアならよゆーでした、よゆー」
ムアの話を聞いたリーゼの推測によれば、密猟者たちはたまたま見かけたのだろうミィゼルに何か情報を聞いていたらしい。だが、ミィゼルは話さなかったか、知らなかったのだろう。結果として、情報を聞き出す過程で密猟者たちに痛めつけられたと見て良かった。
「密猟者とミィゼル様の話で聞こえたことはありましたか?」
「えっとー……。誰か獣人族を探してたっぽいかもです。だからムアがこんにちはして、ついでに軽く遊んであげました♪ ふふんっ、けっこー楽しかったです!」
胸を張り、ドヤ顔を見せるムア。密猟者たちという、エナリアの秩序を乱す者を処理した。ムアに任されている仕事としては、100点満点と言えるだろう。
一方で、先ほどからミィゼルという“弱者”を一切気にかけないムアの態度には、少しだけ寂しさを覚えてしまうファイ。まるでミィゼルの姿など見えていないかのようだ。
だが、きっとムアが特別なのではなく、ガルン人にとっては普通のことなのだろう。むしろ弱者の死を気にかけ悼むニナやリーゼの方が例外だと思われた。
そうしてファイ達が密猟者たちについて話をしていると、
「ミィゼル! ミィゼル!」
「ママー!」
新たに2人、魚人族の男性と子供が川の中から姿を見せる。いや、よく見れば3人だ。男の子と思われる魚人族の子供が、小さな赤ちゃんを抱いている。戦闘終了を告げるムアの遠吠えを聞いて、駆けつけたのだと思われた。
彼らは倒れ伏すミィゼルに抱き着くと、地上にいるファイ達をぎょろりとした目で見上げてくる。
「その服……! “中の人”だな!? ミィゼルは!? ミィゼルは助がんでずが!?」
流れ出す血と動かない様子から、ミィゼルが瀕死の状態だということは察したのだろう。父親と思われる魚人族の男がファイ達にすがるような目を向けてくる。魚とよく似たぎょろりとした目。表情は分かり辛いが、ファイには父親が泣きそうな顔をしているように見える。
さらにファイの胸を締め付けるのは、まだ事態を察していないらしい子供たちの姿だ。
「ママー? ママー? ごんなどごで寝でだら、えらが渇いちゃうべー?」
「あうー」
訛りのあるガルン語で、もう二度と目覚めないミィゼルの身体を懸命にさすっている。男の子に抱かれた赤ん坊と目が合った瞬間、ファイは「ぁ」と小さく声を漏らす。
そう言えば通信士をしていた時、魚人族の人たちに新たな命が生まれたことを聞いていた。その際、ニナに名前を付けて欲しいから挨拶をしに来てほしいと、ファイは伝言するように伝えられた。もちろんファイは言われた通りニナに伝えたし、あとから聞いた話ではきちんとニナが挨拶をしに行ったとも聞いている。
(うそ……)
あの時の子供が、男の子の腕の中にいる赤ちゃんなのではないか。面接のとき、ミィゼルは移住を急いでいた様子だった。その理由がこの赤ん坊の存在だったのだとすれば、全てに合点がいく。
どうにか“不死のエナリア”という落ち着ける場所を見つけ、新しい命と共に、新たな生活を始めようとしていた。そんな矢先の、今回の出来事だったのではないか。
(きっと、私と同じ。「これから」だったのに……)
そう思うだけで、ファイの胸は張り裂けそうになる。
「えー? キミ、なに言ってんのー? この人はね、死ん――んぐっ!?」
「ムア! ダメ!」
何も知らない子供たちに残酷な真実を伝えようとするムアの口を、ファイは気付けば塞いでしまっている。なぜかは分からない。だが、なんとなく、真実を伝えるのは今ではないような。伝えるべきは、ムアではないような気がしたのだ。
そうしてファイとムアが格闘している間に、リーゼは父親にだけ分かるように「申し訳ありませんが」と真実を伝える。
その言葉に、ぎょろりとした目をさらに大きく見開いた父親。その後に一瞬見せたのは、怒りの表情だろうか。誰に・何に対する怒りなのか。残念ながらファイには測りかねるが、
「ぞう、でずが……っ」
絞り出したような父親の声には“弱さ”を受け止め、無理やりにでも自分を納得させようとする強い意志が宿っていたような気がした。




